9 三回目

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9 三回目

 食事の誘いは気安いものだった。  獣人の彼は災害や急務でもなければ土日が休みだし、平日だってきちんと仕事を終え19時には家にいると言っていた。対して僕は、閉店の23時まで店にいるし、休みは土日とは限らない。今までは両者ともこの都合をアドバイザーに投げて予定を組んでもらっていた。もちろん婚活しているという前提があり、積極的に時間を作ろうともしていた。けれど今はそうではなく、誘いから実行へと移すのはなかなかに時間がかかる。  彼が最初に提案してきたのはどこぞのホテルで料理長をしていた過去を持つシェフが開いたレストランで、お見合いの続きでもする気なのかと問いかけた。それに対して否定も肯定もなかったが、次に提案されたのがチェーン店の居酒屋で、あまりの落差に文字を見て笑ってしまった。彼は酒を飲まないはずだけれど、友人に付き合って店に行くことはあるのだろう。  結局、誘いから再び二か月後、ようやく僕らは友人として初めて顔を合わせることになった。  例のごとく彼は先に店にいて、遅刻していない僕が後から席につく。居酒屋入ってすぐ、案内してくれた店員は獣人だった。バロウと似た髪色の、体格のいい店員さん。だけどもその耳は垂れていて、そういう人もいるのかと新たなことを知った。  半個室のカーテンを開けると、バロウはにこりと笑みをこぼした。メニューを開き見ていたようだ。 「こんばんは」  平日の18時半。場所は彼の指定したチェーン店ではない居酒屋。客にするような笑顔で返す。  場所のせいか、前回に比べて緊張はないように見えた。半個室のせいか騒ぎは壁越し遠くから聞こえるので、さほどうるさくも感じない。そんな他人との距離を感じるせいで、僕としてもなんだか落ち着く雰囲気がある。 「ずいぶん和風な店ですね。よく来られるんですか?」 「会社の人と何度か。獣人が店員をしているっていうのもあって、使いやすいんですよ。それに、ここは酒を飲まなくてもおいしい食事が豊富だから」  カフェよりも彼が近く感じられるのは、壁の圧迫感のせいだろうか。  白い紙で覆われたライトはオレンジ色の光を放つ。木でできた壁もテーブルも椅子も、明るく清潔な印象がある。カーテンは肩ほどまでの長さがあり、僕らの顔を通路から隠している。  酔っ払いの笑い声、食器の当たる音、音楽は掛かっていないが、店員の返事がリズミカルに聞こえてくる。  彼の食べたいものとオススメを注文する。一杯くらい酒を飲んだ方がいいかとも思ったが、彼は酒を頼まなかったし、合わせて飲まないことにした。この歳になって今更、素面で”友達”を始めようだなんて少しの恥ずかしさがあるけれど。 「ソーマさんって、どっち(・・・)ですか」  店員に注文を出して待つ間、さて何を話すべきかと気まずい沈黙が流れた。それを気にしないかのように、ぶった切って投げられた言葉。「何が」と聞き返さずとも通じた。 「あー……――多分、してほしい、です。でももし恋人ができて、相手が望むなら、どっちでもいいかな」 「そういう気持ちは分かります」 「どっちもしたことが無いので、相手に合わせるだろうっていうのが正直なところです」  顔が赤くなっているのが分かる。ごまかすための食事もまだ届いていない。手の甲で頬を押さえた。  ちらと視線を上げると、薄茶色の瞳と目が合った。綺麗な色をしている。ライトのせいでオレンジみが増しているけれど、澄んだきらめき。口角の上がった口元とその純粋にも見える瞳が、余裕ありげで憎たらしい。 「バロウさんは何人もお相手がいたんですっけ」  だからつい、性格の悪い発言をしてしまった。お前は遊んできただろうけど、という当てつけ。 「何人も恋人ではない相手がいたことは、事実です。言い訳をすると、恋人になってもらえなかったので」 「なぜ?」 「獣人だからですかね」  その答えを僕は分かっていた。分かっていたのに聞いてしまった。  セックスしたのに恋人にはなりたくないだなんて、なんというか、ただ、しんどい。触れることがそんなに簡単なことなのかと疑問に思うし、思うからこそ、それは許すのに恋人としての繋がりは拒絶するのかともショックを受ける。僕が何か言い思う立場ではないことは確かなのに、ショックを受ける。 「――ごめんなさい」 「何を謝るんですか」  彼は笑って言った。  店員がそっとカーテン越しに声をかけ、食事を運んできてくれた。バロウは皿を指し、僕に薦めてくれる。 「これは恋人になってもらえないっていう愚痴ですよ。でもこの愚痴、言える相手がいなかったんです。だからソーマさんが聞いてくれて楽になりましたよ」  鉄板の上で焼かれる肉の音。焼き飯の少しの焦げ。山盛りサラダにかかったドレッシングの艶。目の前にあるこれらは静まり返りそうな場を持ち上げてくれる。  すすめられるがままに肉を食い、ごくりと飲み込んだ。ああ、美味しい。 「ごめんなさい」  飲み込んだ食事、再び吐き出した謝罪。  彼はまた、何でもないかのように笑った。  獣人は成長が早いと言っていたっけ。精神的には育っていないというようなことも言っていた気がするけれど、そんな風には感じられない。むしろ、体より先に精神が育っているんじゃないか。僕よりよほどしっかりしている。僕よりよほど大人である。
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