海を埋めるのが、正しかった時代について

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 前述したように、街に並ぶさまざまなプルセイション・トレインやプルセイション・ハウスを開発してきたのは、紛れもなくカーディアック・チームだ。どんな不可能でも可能に変えると言われてきた彼らにも、しかし、偉大なる自然は変えられない。  車も、家も、道も、街をも自由自在に伸縮させてきた彼らだが、人工物でないものに対しては、木の1本縮められず、鉢植えの芽1本引き延ばせなかった。  だが、プルセイションという名の恩恵に預かり続けてきた人々がこれを許すはずがない。  広さと人数のバランスを適切に保ち、効率的かつ快適に過ごすことが、人間にとって当たり前となっていた。広さ対人数を表す、ブレッド・パフォーマンスならぬブレパが、世界中に進行してきている時代だ。  特に、切り立った山脈や深い河川、広々とした海溝の存在を現代人が許すはずもない。  ブレパを重視する人々のうち、特に若い世代が唱え始めた暴論は、やがてSNSを通じて世界中に発信されていくことになる。 「誰も住んでいないのに、なんで面積がこんなに広いんだ!」 「山脈とかブレパ悪すぎ。人間が住めない無人の地なんだから、収縮すべきよ!」 「プルセイション・マウンテンが必要だ!プルセイション・オーシャンであるべきだ!人のいない場所に広さはいらない!」 「そうだそうだ、無人の大自然に収縮を。人の住処でない自然を、プルセイション・ネイチャーを!」  今の若者は、現実では声を上げない。代わりに、さまざまなSNS上で彼らは叫んだ。生まれたときから傍にある、ブレパに基づいた最適解を。
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