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ママ「ジュートおはよう、御帰りなさい」 私「おはようございます、只今」 踊り子「ジュートおはよう!何さアンタ、ピンピンしているじゃない。まさかずっとサボっていたんじゃないでしょうね?」 私「おはよう、相変わらず五月蠅いな。」 ミキト「ジュート、おはよう。何時もの顔つきだな、俺も負けないからな」 私「ミキトおはよう、ああ今日も楽しもうな」 ナツト「おはようジュート!もう皆で待っていたよ。また一緒に働けるね!」 私「おいナツト、そんなに俺の首を絞めるな。まったくまだまだ子供だな!」 皆それぞれの思いもあってか、私に其れなりの歓迎をしてくれた。 やがて開店時間となり、店内には数名新規の客人が入って来た。その後常連の客人も入って、何時もの様に賑わいで溢れていた。私も久しぶりに顔を合わせたという事もあり、何名かの客人から細やかな贈り物を有り難く頂いた。深夜一時、休憩を取るようにと告げられたので、ナツトに声を掛け、楽屋へ入って行った。 ナツト「旅行に行きたいよね。ママから何日か休み取れないかなぁ?近くでもいいよね。何処にしようか?」 私「なあナツト、俺、今度不動産屋に行くんだよ」 ナツト「え?ジュート、今の所から引っ越すの?」 私「ああ。……今度の休日、お前も付いてくるか?」 ナツト「良いよ。また同じ路線沿いにするの?」 私「いや、俺たちの新居だ。ナツト、何処が良いか決めてもいいぞ。其れなりに居るものだけ、片付ける準備もしておけよ」 ナツト「ジュート……分かったよ。いろいろ考えておくね」 私とナツトはお互いの顔を合わせながら微笑み合った。するとナツトが私の頭を両手で勢いよく撫で回してきたので、止める様にと注意したが、彼は両目を大きく開き、舌を出して揶揄い出して店内へと戻って行った。 それを追い掛けるかの様に私も店内へと出戻り、ナツトを呼び止めようとした。ママが何かあったのかと尋ねてきたが、相変わらず仲の良い兄弟の様に楽しんでいるのだなと、終始優しい眼差しで私達を見ていた。 更に歳月は流れていき、時代は昭和三十六年。 色なき風が包み込む様に吹く季節の中、或る日ママから全員に早めの出勤を告げられたので、私は、何時もより早く自宅を出発した。店に到着し、従業員等の数名が先に清掃に当たっていたので、私も手伝っていた。全員が集まったところで、ママがカウンターの前に集合する様、声を掛けてきて、ある事柄について口を開いた。 ママ「此処の区域の管轄の方から店の立ち退きの命令が下されたわ。此処だけじゃなく、周辺の飲食店や風俗店も営業法に基づいて、辞めなければいけなくなったの。来年の3月末までよ。」 皆がどよめく中、ママは続けて話をしてきた。 ママ「今後の振り当ては一部私から紹介できる所もあるから、相談したい人は後で私の所に来て頂戴。其れ迄の間は、何時も通り、皆でお客様をおもてなしをして、頑張って行きましょう」 皆が解散した後、ママは目を天井に向けて、胸に秘めた想いを噛み締めながら、顔を下ろして、私達一人一人の顔を見渡しては微笑んでいた。衣装部屋のロッカーで着替えを済ませようとしていた時、私はミキトから呼び止められた。 ミキト「ジュート、お前は此れからどうするんだ?」 私「まだ決めては居ないが、恐らく知人を頼って職を探していく予定だ。ミキトはどうするんだ?」 ミキト「俺も誰か宛が有れば良いが、もしかしたら東京から離れるかもしれない」 私「そうか。離れてしまうのは寂しいが、元気で居てくれれば其れで良い。其れ迄はお互いに皆で店を盛り上げていこうな」 ミキト「相変わらず前向きだな。その根が羨ましいよ。俺は何処に行くか分からないから、正直後ろめたさがある」 私「ミキト、お前は強いよ。心配する事はないさ」 ミキト「何故そう言い切れるんだ?」 私「此処に来てから気づいた事がある。お前は自分の事を一番に理解している。そして、皆の事にも気遣える所もある。そういう者は、何処に行っても正しい道を歩んでいける。お前は俺より自信のある男で間違いはないだろう?」 ミキト「ああ、その通りだ。最後まで此処にいる限り、お前には歯向かうつもりでいるからな」 私「……ミキト、ありがとうな」 ミキトは口角を上げて滅多に出さない表情で笑っていた。 開店時間から数時間が経った頃、常連客の石田様の姿があった。予めママから立ち退きの話を聞いていたと言う事で、店に来てくれたらしい。私は暫し石田様の話し相手をしていた。 石田「ジュート、君は今後どうするんだい?」 私「まだ行く宛は決めていません」 石田「そうか。実はね、私も近々今の場所から少し離れた所で、新しく寫眞館を開業する事に決めたんだよ。港区の三田の辺りだ。新規で従業員も探しているんだが、もし良ければ、君に来て欲しいと考えているんだ。悪くない話だと思う。まだ時間があるから、その間に検討していて欲しい。何時でも連絡を待っているよ」 私「ありがとうございます。考えておきます」 本当はあまり頼りにしたくは無かった。もし共に働く事になったとしても、何処かで迷惑をかけてしまうのではないかという思いがあるからだ。此処から離れた後でも、良き知人として永く接していきたいという願いもあるのだ。心残りな様な事は殆ど望まない様にしているからだ。 また新しい年を越して、厳しい真冬の季節を耐え抜き、時は3月の末日の最終の出勤の日を迎えた。 早朝五時。ママの閉店の挨拶を終えて、皆がそれぞれ握手や抱擁をしながら、別れを惜しみ、各自店を後にした。私はママに挨拶をした後、彼女の身体に抱き寄せて、ありがとうと告げると、何時も見せてくれていた眼差しで私の顔を見て頷き、頭を撫でてくれた。 ローズバインに別れを告げた後、翌月、私は職安へと一人出向いて、新しい働き口を探しに行った。お店に居た頃は、当初頂点を目指すとママに誓って志していた。しかし、私自身の年齢や立場や今後の事を考えた時、ナツトと一生涯共に生きていく事を決めた上で、其れまでの違った闘争心を持ちながら長い道のりを歩いていこうと心に決めたのであった。 その後、日暮里駅の付近に構える知人の小さな設計事務所での就労が決まり、私は事務員として働き始めていた。その頃ナツトは新宿駅の東口から近くにある大久保公園寄りの飲食店で働いていた。それぞれ別の場所で働いていた事もあり、時折喧嘩もする事もあったが、仲睦まじく共に暮らしていた。 東京は日々変化を増して、高層ビル群や都市開発等で活気に満ち溢れていった。空の色は相変わらず濁る様に街並みを包み込んでは、颯爽と突風が流れていった。 私は自分の人生に悔いはなかった。鶯谷のローズバインでの出来事は一生忘れぬ事は無いであろう。皆に出逢えた事に深謝して、此処に記しておこう。 《了》
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