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外気の風は何時になく肌寒い。急ぎ足で駅へ向かい、改札に入り駆け上がるように階段を昇って行った。 タイミング良く電車がホームへと到着していた。扉が開き真っ先に飛び乗った。時計は二十三時半近くを廻っていた。ゆっくりと電車は走り出し鶯谷駅を後にした。山手線内回りの鶯谷駅から乗車して田端駅にて京浜東北線に乗り換え、自宅のある赤羽駅に下車した。 商店街の賑やかに行き交う酒場通りを抜けて、やがて人気の少なくなっている住宅地の薄暗い路地を歩き、時間にして三十五分程経過したであろう、自宅のアパートにようやく辿り着いた。 居間の電気を点け羽織っていた上着や洋服を脱ぎ棄てるかのように衣類は床に散乱した状態で、そのまま襖に置いてある布団を引っ張り出すかのように取り出し床に敷いた。緊張感や酒も身体からゆっくり抜けていき、すぐさま寝転がった。 明日が何も予定は入れていなくて良かったと感じながら、私は(まぶた)を閉じてそのまま眠りについたのであった。 やがて時計の針が深夜二時を廻ってきた頃、浅い眠りから私は目を覚ました。先程入店した「ローズバイン」という名前の店のことを思い出していたのである。あのような似た店は新宿や上野あたりには幾らでもあるだろう。 ただ客層には独特の雰囲気があったな。男同士の情愛的な交流の場か。 もうあのような店には立ち入ることもないであろう。 ただ自分の心の中に他人とは違う「性」の違いがあることには、二十歳の頃から持ち続けている感情がひしひしと揺らいでいるのである。 誰にも知られたくなかった現状だが、この先の事を考えると、私は何処かへ向かえば誰かに解ってもらえる日が来るのかもしれないと、僅かな希望も抱いていたのである。 また睡魔が身体を押し倒すかのように圧し掛かってきた。今日の事は一晩寝ればいずれ忘れるに違いない。私は再び深い眠りへとついていったのであった。 翌朝、東側の窓からやや強い日が差し込み始めて居間の周りを明るく照らしていった。 時間にして午前八時。まだ僅かに眠気の残る身体をゆっくり起こして上体を伸ばし、窓の外に目を向けた。土曜の朝だ。外からは親子連れであろう小さな話し声が家の壁を貫通するかのように音が漏れていた。数台の自家用車の騒音も聞こえている。 いつものよう洗面台へと向かい洗顔をして歯を磨いて、昨夜床に脱ぎ散らかした衣類をハンガーにかけて壁の衣類掛けに掛けた。布団もたたみ押し入れに入れた。 冷蔵庫の扉を開けたところ、殆ど中身が無いことに気付く。仕方あるまい、朝食の足しになるものでも買いに行こうか。急ぎ早に衣類を着替えてそののち買い物を済ませ再び自宅に戻った。あっという間に朝食も済ませた。 土曜日か……今日は何処へ行くにしても人込みになっている場所があちこち多いだろう。暫く読書でもしていて時間を潰そうか。海外の翻訳された小説を読むことにした。 時計に目をやると既に十三時を回っていた。それほど腹は減ってはいなかったが、気分転換に外にでも出てみようか。自宅から十分ほど歩いたところに公園がある。 そこのベンチに腰をかけてしばらく空を見上げていた。幼児の笑い声、大人たちのお喋り、遊具で戯れる学童達の弾む声が敷地内中を響かせていた。 樹々から差し込む木漏れ日も暖かく心地よい。 私は周りにいる人たちに微笑むかのように顔を緩めながら、低い空を再び見上げていた。その後商店街の通りを歩き数日振りにとある純喫茶の店に立ち寄った。 洋物がなんとなく食べたいと思い、オムライスを注文して、かき込むかの様にあっという間にたいらげた。食後直ぐに店を出た。特に行きたい所も無い……自宅へ戻ろう。 帰宅後、居間に座り込み、先程の小説の続きを読んでいた。時刻は既に十八時を回ろうとしていた。今日もあっという間に一日が過ぎていった。無職の状態の身であるというのに何を呑気に日々を潰しているのだろうか。 友人や知人、前職の同僚たちの事も数名はどうしているのだろうかと頭に過ぎったが、それほど今すぐ会いたいと思うところではなかったのだ。実家の母親も兄弟たちも都内に居るか、何処かへ疎開し地方で暮らしているに違いない。 戦後東京へ戻ってきた当時、電報を試しに何度か送ってみたが、その後何の音沙汰も無く、連絡もつかないまま数年は過ぎていったのであった。所謂(いわゆる)「孤独」というそのものを実感しながら日々暮らしていたのである。 想いに更けている間に辺りは暗くなってきていた。 残り少ない煙草をポケットから取り出しベランダの窓を数センチ開けて、ライターを着火した。一服吸うたびに身体に刷り込まれていたこれまでの出来事を消していくかのように、忌まわしい記憶を消し去りたいと心底願いつつあった。
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