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「以前からのお悩みである幻視や幻聴は、お仕事に起因していると思われます。いわば職業病です。民俗学者は空想上の怪異なども研究対象ですから、空想とかかわることが頻繁にあります。すると、脳内において現実と空想が絡み合い、両者の境が曖昧になるのです」
ぼくの代わりに長塚が「ほう」と相槌を打った。
「その結果、あなたの心は現実と空想の間に入りこんでしまいました。幻視や幻聴が発現するのはそれが原因です。今のあなたは現実と空想の区別ができなくなっています」
「蝉は本当に愉快な怪異だな。本物の精神科医みたいな口ぶりじゃないか」
長塚は蝉を見やったまま、実に楽しげに言った。
「しかし、こんなに口が巧いとは思ってもみなかった。蝉の生態にかんする新たな発見だ」
そのとき、ちゃぶ台の上でぼくのスマホが震えた。誰かが電話をかけてきたらしい。
発信者の名前は画面に出ておらず、電話番号だけが表示されていた。蝉と長塚の話を気にしながらもその電話に出ると、若い女とおぼしき声がこう名乗った。
『祈祷師の西園寺です』
すっかり失念していた西園寺先生からの電話だった。
長塚の話どおり、本物の西園寺先生は祈祷師のようだ。蝉が西園寺と名乗ったのは、ぼくを惑わすための嘘だったのだろう。
だが、面識のない祈祷師が、なぜぼくに電話をかけてきたのか。
『近々祈祷の続きを行いに、そちらに伺いたいと思っています。ご都合のいい日などはございますか?』
「祈祷の続き?」
『ええ、奥様の霊を祓います』
なんのことかよくわからなかった。
『もしかして、お忘れですか? 前回の祈祷のさいにもお伝えしましたが、自殺された奥様の霊が、あなたに憑こうとしているのですよ。床下でザリザリと土を掻く音の正体も奥様で、地の底から這いあがってきているのです』
このままだと夏が終わる頃に、ぼくに取り憑くのだという。
『もし、今の話を本当にお忘れでしたら、奥様が予想以上に早く近づいているのかもしれません。その影響による霊障で、記憶障害が起きているのでしょう』
祈祷師の話を聞いていたぼくは、ふと気がついた。いつのまにか蝉の白衣が、真っ白なワンピースに変わっている。
蝉は妻とそっくりな顔で言った。
「あなた、やっと会えたわ……」
その指先は土で茶色く汚れていた。
「浮気はね、許せないのよ……絶対に許せない……」
了
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