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長塚の生活圏はこの家から車で三時間ほどの都会だ。電話をかけた翌日の昼過ぎに、長塚はここまでやってきてくれた。
玄関の引き戸を開けて出迎えると、
「暑つ……」
長塚は入道雲が浮かぶ夏空を睨みながら、ダウンジャケットを脱いで小脇に抱えた。家にはあがらずに庭のほうに向った。
ぼくは居間に戻って、縁側から庭におりた。
長塚とぼくは身を屈めて、庭から縁側の下を覗いた。そうすれば床下全体を確認することができる。
「やけに暗いな。奥がまったく見えない……」
長塚の呟きにぼくは同意した。
「ほんとだな」
「奥を見ていると吸いこまれそうな気分になる」
などと言いながらも、長塚は奥に目をこらしている。床下にいるなにかの正体を確かめようとしているらしい。
ぼくも床下に目をこらしてみると、奥の暗がりになにかの息遣いを感じた。そのなにかがこちらをじっと見ているような気がした。
しばらくして長塚がぽつりと呟いた。
「蝉がいる……」
「蝉?」
長塚は床下からぼくに視線を移した。
「ここからだと見えにくいが、奥に蝉という名の怪異がいる。ただ、まだ成熟前の蝉のようだから、正確には蝉の幼虫だがな」
長塚の説明によると、蝉の幼虫は陽の光を嫌うため、一日の大半を土の中で過ごすそうだ。それがこの家の床下に棲みついているゆえに、土を掻く音がザリザリと聞こえるのだという。
音の正体は判明したものの、肝心なのはそこではない。
「それでどうなんだ? 蝉は放っておいても大丈夫なのか?」
「まあ、大丈夫だろう。今すぐにどうこうってことないはずだ。ただ、蝉は成虫になって土の中から出てきたさいに、稀ではあるものの人を惑わす場合がある。一応は警戒しておいたほうがいいだろうから、蝉が成虫になったら改めて連絡をくれるか? 念のためにようすを見にくる」
連絡は可能だ。しかし、蝉が成虫になったときに、ぼくにそれがわかるのだろうか。
「それは問題ない」
言いながら長塚は身体を起こすと、腰を伸ばして「痛てて……」と漏らした。
「成虫を目にすればすぐに蝉だと気づく。蝉はそういう性質の怪異なんだ。それはそうと――」
長塚は顔を少し神妙にして続けた。
「蝉はあの世とこの世の間に現れる。この家は間に落ちているぞ」
はたして、それから五日後に蝉が成虫になって床下から出てきた。長塚が話していたとおりに、すぐにこれは蝉だとわかった。
そうしてぼくは長塚に電話をかけたのだった。
「蝉が出てきた。縁側にいる」
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