中編

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 そうしてちょうど一週間が経った日の昼過ぎだった。ちゃぶ台で原稿を書いているぼくに、長塚が遠慮がちに話かけてきた。 「ちょっといいか?」  ぼくはノートパソコンから視線をあげたあと、目と目のあいだを指で揉みながら応じた。 「なんだ?」 「一週間経ったというのに、蝉が去ろうとしない」  長塚は真剣な顔で続けた。 「おそらく、この家から出られなくなったんだ」 「どういうことだ?」 「この家はあの世とこの世の(あわい)に落ちていると前に言っただろ」 「ああ、言っていたな」 「もっと正確に言えば、落ち続けているんだ」  間に落ちる期間は通常だと一週間程度だという。だが、この家はもう何ヶ月も落ち続けているそうだ。 「間に落ちるとどっちつかずの宙ぶらりんだ。時間軸も宙ぶらりんになるから、時間がうまく流れなくなる。だから、世間がとうに十二月を迎えていても、間に落ち続けているこの家は、時間が流れずに夏のままなんだよ」  長塚は蝉の後ろ姿を一瞥してから話をついだ。 「蝉は夏と共に現れる怪異で、去るときも夏と共に去る。いつまで経っても夏が終わらないこの家から、蝉は出られなくなってしまったのだろう」  それからぼくを少し厳しい目で見た。 「もういいかげんにしたらどうだ?」 「なにがだ?」  長塚はなにかに怒っているようだが、ぼくにはその理由がわからなかった。 「この家が(あわい)に落ち続けている原因はお前だ。そろそろ奥さんとお前自身のことを認めるべきじゃないか?」 「なぜここで妻の話が出てくる? 妻はなにも関係ないだろう」  ぼくのは長塚に言い返しながらも、妻の姿を脳裏に浮かべていた。  あのときの妻は(はり)からぶらさがり、青白い手足を力なく垂れさがらせていた。首にはロープが深く食いこみ、縊死(いし)しているのが明らかだった。  それは最も思いだしたくない妻の姿だが、ぼくはその姿ばかりを思いだしてしまう。 「おおいに関係あるぞ。お前が奥さんとお前自身のことを認めないから、この家は間に落ち続けている。もう認めろよ」  妻のことを認めていないと、なぜ家が間に落ちるのか。長塚の話は意味不明だったが―― 「認めろというのであれば、ぼくはもう認めているよ。妻が自殺したことも、僕の愚かさも……」  ぼくはほんの出来心で妻を裏切ってしまった。妻の友人と浮気をしたのだ。ひどく傷ついた妻は、自ら命を絶ってしまった。  妻を心から愛していたというのに、なぜ愚かな不貞行為に走ったのか。ぼくは自分を何度も何度も自分を責めて、救いようのない馬鹿だととっくに認めている。
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