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後編
妻の顔をした蝉が、首を傾げて言った。
「もしかして、誰かとお話をされていますか?」
蝉の顔は見れば見るほど妻にそっくりだった。
真っ白な着物がさらに白くなったように見えた。
ぼくはひどく驚きながらも答えた。
「長塚と妻の……ことを……話している……」
しかし、妻とそっくりな顔に気が取られて、言葉が途切れがちになってしまった。
「妻……? あなたの奥さまということですか?」
ぼくは蝉の問いを無視して長塚を振り返った。
戸惑い混じりに尋ねた。
「おい、長塚、いったいあれはなんなんだ? どうして妻とそっくりの顔をしている?」
「俺にもわからん」
蝉に向けられた長塚の目は、驚きに加えて好奇心も浮かんでいた。
「蝉の生態はまだわかっていないことも多いんだ。しかし、まさかお前の奥さんに顔を似せてくるとはな。予想の斜め上をいく」
蝉がまた口を開いた。
「やはり誰かとお話されているようですね。でも、その方は現実には存在していませんよ。ここにいるのは、あなたとわたしのふたりだけですから」
「ほう、蝉が妙なことを言いだしたな」
長塚は興味津々の顔をしていた。
ぼくは顎をしゃくって長塚を指し示し、それから蝉に言った。
「ふたりだけではないだろう。そこに長塚もいるじゃないか」
「いえ、わたしにはどなたも見えせません。それに、長塚さんはあなたですよ」
「は? ぼくが長塚? なにを言っているんだ?」
ぼくはもう一度顎をしゃくって長塚を指し示した。
「長塚はそいつだ」
「いえ、あなたが長塚さんです。仮に長塚さんでないとすれば、あなたのお名前はなんです?」
「ぼくの名前は――」
口を開けたまま止まってしまった。なぜかぼくは、ぼくの名前を思いだせなかった。
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