22人が本棚に入れています
本棚に追加
前編
昼前に布団から起きだしたぼくは、半分寝ぼけた頭で居間に向かった。すると、就寝前に閉めたはずの雨戸と窓が開け放たれており、こちらに背を向けた女が庭に臨む縁側に座っていた。
女は真っ白な着物に真っ白な帯を締めていた。横座りした腰がずいぶんと細く、華奢な身体つきに瑞々しい若さが垣間見える。
後ろ姿であっても面識のない女であるのは明らかだった。であれば、不審者が勝手に家に入りこんでいると、警戒心を抱くのが道理かもしれない。だが、ぼくはすでに女の正体に気づいており、いたって冷静だった。
畳に上に胡座をかいて、ちゃぶ台に片肘をついた。女を見やりながら思う。
これが成虫になった姿なのか。
やがてぼくは長塚との約束を思いだし、スマホを手に取って電話をかけた。
「蝉が出てきた。縁側にいる」
すると、長塚はこう応じて電話を切った。
『そうか、わかった。今からいく』
*
この家を買ったのは一年ほど前のことだった。田舎町然とした平屋の古民家で、築年数が五十年を超える老骨だ。畳敷きの和室が六つに、台所や風呂が備わり、玄関土間は四畳もある。古色蒼然とはしていても、広さだけはお屋敷並みだった。
三十一歳でひとり身になったぼくは、この家でひっそりと暮らしてきた。
そして、今からちょうど一週間前にその音を聞いたのだった。
ザリ――、ザリ――、
就寝中の深夜に奇妙な音を聞いて目を覚ました。
床下から聞こえてくる音らしく、布団から出て畳に耳を当てた。
ザリ――、ザリ――、
なにかが土を掻いている音だ。
ぼくはそういったものに敏感な質で、すぐにこれは得体の知れないものだと悟った。
その場で長塚に電話をかけたかったが、夜中だとさすがに迷惑だろう。朝がくるのを待ってから電話をかけた。
長塚は大学時代からの友人で、民俗学者を生業にしている。民俗学者は怪異などの得体の知れないものに通じており、打ってつけの相談相手だった。
床下で音を立てるくらいは構わないが、人間に害を及ぼす危険な怪異も存在するという。放っておいても大丈夫なものか、専門家の意見を聞かせてほしかった。
最初のコメントを投稿しよう!