前編

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前編

 昼前に布団から起きだしたぼくは、半分寝ぼけた頭で居間に向かった。すると、就寝前に閉めたはずの雨戸と窓が開け放たれており、こちらに背を向けた女が庭に臨む縁側に座っていた。  女は真っ白な着物に真っ白な帯を締めていた。横座りした腰がずいぶんと細く、華奢な身体つきに瑞々しい若さが垣間見える。  後ろ姿であっても面識のない女であるのは明らかだった。であれば、不審者が勝手に家に入りこんでいると、警戒心を抱くのが道理かもしれない。だが、ぼくはすでに女の正体に気づいており、いたって冷静だった。  畳に上に胡座(あぐら)をかいて、ちゃぶ台に片肘をついた。女を見やりながら思う。  これが成虫になった姿なのか。  やがてぼくは長塚(ながつか)との約束を思いだし、スマホを手に取って電話をかけた。 「(せみ)が出てきた。縁側にいる」  すると、長塚はこう応じて電話を切った。 『そうか、わかった。今からいく』      *  この家を買ったのは一年ほど前のことだった。田舎町然とした平屋の古民家で、築年数が五十年を超える老骨だ。畳敷きの和室が六つに、台所や風呂が備わり、玄関土間は四畳もある。古色蒼然とはしていても、広さだけはお屋敷並みだった。  三十一歳でひとり身になったぼくは、この家でひっそりと暮らしてきた。  そして、今からちょうど一週間前にその音を聞いたのだった。  ザリ――、ザリ――、  就寝中の深夜に奇妙な音を聞いて目を覚ました。  床下から聞こえてくる音らしく、布団から出て畳に耳を当てた。  ザリ――、ザリ――、  なにかが土を掻いている音だ。  ぼくはそういったものに敏感な(たち)で、すぐにこれは得体の知れないものだと悟った。  その場で長塚に電話をかけたかったが、夜中だとさすがに迷惑だろう。朝がくるのを待ってから電話をかけた。  長塚は大学時代からの友人で、民俗学者を生業(なりわい)にしている。民俗学者は怪異などの得体の知れないものに通じており、打ってつけの相談相手だった。  床下で音を立てるくらいは構わないが、人間に害を及ぼす危険な怪異も存在するという。放っておいても大丈夫なものか、専門家の意見を聞かせてほしかった。
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