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 搭乗口は運悪く一番端であると、案内板に従って歩いている途中で察した。  余裕を持って家を出たはずなのに、気がついたら搭乗時刻が迫っていた。行きの電車のなかで暇つぶしにスマホゲームをしていて電池が残り少ないが、なんとかチケットのQRコードを表示させてゲートを通過する。  一泊なのでボストンバッグに最低限の荷物を詰めてきた。それでもカバンには余裕がある。今日は遅番なのにもかかわらず、わざわざ出かけるタイミングで一度起きてきた彩加が「お土産詰めて重量オーバーにならないようにね」と冗談を言って送り出してくれた。  頭上にある荷物ポケットにしまい、席に座る。通路側を予約しておいてよかった。他人の前を横切って席に着くのは狭い飛行機の座席ではひとつ面倒なアクシデントだ。 「ぎりぎりだったねえ、慎太郎くん」  靴を脱ぎ、備え付けのイヤホンを片耳につけ、CAさんに頼んだのであろうブランケットを膝からかけ、椅子を半分ほどリクライニングした隣の人が話しかけてくる。避けたと思っていたアクシデントが、形を変えて降り注ぐ。  おれが聞こえないふりをしようと椅子に座り直すと、相手はマスクを顎先までずらして次は脅すように言う。 「CAさんには身バレしてるよ」 「……他人のふりさせろ」  視線を向けると、ピースサインをしながら「おはよう」と笑う彼女がいた。  そう、昨日生放送の歌番組で力強く歌っていた彼女である。  「早速だけど、パス」  ドリンクホルダーに差していたホットのほうじ茶を手渡される。手荷物検査の前に買ったのだろう、ほぼ常温になっている。 「相変わらず握力貧弱なのな」 「マイクより重い物持ったことないから」 「はいはい」  ホットのほうじ茶を一口飲む姿はやはり見覚えのあるもので、昨日画面越しに見たものが虚像に思えて仕方ない。  しばらくして離陸の案内が放送された。SNSにでも投稿するのだろうか。彼女は窓の外にスマートフォンを向け、動画撮影を始める。  親父の三回忌に地元に帰る。それ自体は何の変哲もない予定だ。  彩加は明確には意見していなかったが、年齢的にも、流れで同棲を始めてしまったこともあり、このタイミングでついでだとしても、両親との顔合わせのために共に帰省しないことへの不満は大きいだろう。一緒に行きたいと言われても困るので、おれとしてはありがたい次第だった。  むしろ人の親父の三回忌に合わせて無理やり休暇をねじり込み、一般人と肩を並べて飛行機に乗ることを選んだ隣の人のほうが異常だと主張したい。いつ知ったかと訊けば母さんからだと言うし、インターネットで個人情報の公開は控えようと度々言われるのに対して、田舎の情報がオープン気味なところに危機感はないのだろうか。  通路を挟んで向かいに座っている家族連れのお父さんに教えてあげたいくらいだ。おれの隣にいる人、あのメロウなんですけど知ってます? 「なんで隣にいるんだよ」 「え、だってどの便に乗るか聞いたら、ご丁寧に座席番号まで送ってくれたじゃん。隣の席に座れってことじゃないの?」 「違うだろ」  この座席を予約したのは年明けのことで、連絡をもらったのも半年前くらいのはずだ。そのときの内容をしっかりと覚えているわけではない。よくよく思い返せば、スマートフォンでスクリーンショットした購入完了画面をそのまま送った気もする。 「ちょうど席空いてたからラッキーと思って、そこからは脊髄反射で」  ポン、と軽快な音が鳴り、シートベルト必須のランプが消えた。  これあげる、と個包装のあめを手渡される。職業柄、のど飴かと思えば、他のものよりもひと回り小さなフルーツあめだ。丸っこい目と口がついた桃がこちらを凝視している。 「CAさんにもらったやつ」 「子どもと勘違いされてやんの」 「はい傷ついた。没収です」  手のひらに乗せていたあめを彼女はつまみ上げ、前の座席の背についたテーブルの上に戻す。いくつかまとめてもらったらしく、桃とおなじ表情をしたぶどうの姿が確認できた。 「帰るの久しぶりだなあ。慎太郎はいつが最後?」 「去年の年末に一度帰った」 「あー、そのときは紅白だったからなあ」  大晦日だなんて関係ないかのように地元の公民館を会場に年越しを経験したのがもう既に懐かしい。血も繋がってなければ顔見知りでもない人たちがこぞって地元の星だと口をそろえて言っているのが薄ら寒くて、メロウの出番が来る前に抜け出してしまったのだ。そこで初めてラジオ放送で紅白を聴いて、コンビニで買った肉まんを食べていたら年が明けた。 「ちゃんと休めてんの?」 「お、心配してくれてんの?」 「そりゃあ、まあ、ほら、休みなくてしんどいとか、トーク番組で芸能人が言ってたりするじゃん」  出会ってから十年以上経つが、未だにコンスタントに連絡は取りあうし、現状報告もする。自分以上に自分のことを知っておいてくれる存在というのは案外作るのが難しいと上京してから知った。そうか、もう十年以上なのか。  彼女がメロウと名乗る前、高校生のときに知り合った。あのときは何をするにも躊躇うことなく、とにかく突っ切ることしかできない、無敵だった。そうでなければカラオケボックスの掲示板にあるバンドメンバー募集のチラシを見て、連絡してみようなんて思わない。今のおれにはもちろん無理だ。  当時はギター一本にこだわっていた彼女が非常食だと言って荷物からハードグミを取り出し、今度はちゃんとひとつ分けてくれる。酸味のあるパウダーがついているソーダ味のやつだ。小学生の遠足でも、中学の修学旅行でもないんだが。 「仕事っぽい仕事って思ってるよりも少ないよ。昨日のテレビとかたまにラジオとかあるけど、あと雑誌のインタビューとかもだね。それ以外の曲収録とかツアーとかは自分で計画するものだし。フリーランス的な?」 「一緒くたにされるフリーランスがかわいそうだからやめておけ」 「久しぶりだねえ、三人で集まるの」 「そうだっけ」 「頑なに集まれるタイミングを避けてた人が何を言う」  確かに、おれ発信ならば、親父の三回忌だなんて家庭の事情にブッキングさせることもなかっただろう。そもそも同棲している恋人すら連れてこないのだ。察してほしい。  彩加は、他人に紹介しても恥ずかしくない人だと思う。同棲してから、それとなく家事分担はしているものの、基本的には関係なく気回しをしてくれている。仕事に着ていくワイシャツのアイロンがけや今日着ている喪服などの準備、料理だって申し分ない出来のものを作ってくれる。どうやってプロポーズをして、どうやって相手のご両親に挨拶をしようか、などを考えるときだってある。  ただ、どうしても躊躇いがある。  あの田舎独特の空間で、東京にいるときのおれを保っていられる自信がない。 「それに、まだちゃんとご挨拶できてないからね」  ポイポイと休みなくグミを口に入れていた彼女が手を止め、にこりと笑う。えくぼができる。  飛行機が着陸するアナウンスが流れた。一時間半あれば東京からこの古臭い場所に行き着いてしまう技術が恨めしい。人を乗せた鉄の塊はゆっくりと地元に一番近い空港へ近づいていく。広いだけの砂浜を境に、北は妖怪、南は高校生名探偵で盛り上がる中国地方の一角。そこに追加されたメロウという三文字の重みを一人で支えられるほど人間は頑丈にはできていない。三分の一でさえ悲鳴を上げ、投げ出した経験があるから分かる。 「次の曲のタイトル、『えくぼ』とかどうよ」 「え、何? 君が笑顔になった証拠だから見れると安心する~みたいな?」  どちらかというと不安になるけど。  そんなこと、何があっても伝えることはないが、少なくともおれたちは知っている。それは彼女の小さなSOSだ。
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