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「あの日、主に出会わなければ私はきっと……。ですから、恩を返そうとずっと貴女を見守っていたのです」
「あなたはあの時のきつねさんだったのね」
一年前に助けた狐が人に化けて自分を見守っていたという事実を知り、少女は驚きを隠せない。
「ふふ、"きつねさん"だなんて……。あの時の愛らしさはお変わりないようですね」
手を口に当て上品に笑う。一つ一つの動作が洗練され、より気高い存在だと思わせられる。
「だって、あなたの名前を知らないから……」
「そうでしたね。私の名は光蘭です」
「こうらんさん……」
「可愛らしいお方ですね。馴染みない言葉をたどたどしく……。主の言いやすいように呼んでくれて構いませんよ」
「じゃあ、コウ!」
「はい、主」
「あるじ……」
"主"という言葉に慣れない様子の少女は眉をひそめ、光蘭に冷ややかな視線を送る。
「その様な目つきは主には似合いませんよ」
少女の言いたいことがわかっていても、呼び方を変えるつもりはないようだ。それが仕える者としての、光蘭の美学なのだろう。
「頬を膨らませて拗ねる貴女も可愛らしいですが、そろそろ真面目な話をしなくてはなりません」
「まじめな話……?」
「ええ、昨夜の出来事です」
「……かあちゃん」
少女はぽつりと呟いた。昨日の夜、悲劇は起こった。
静かな寝息をたてている親子に炎が襲いかかり、家ごと飲み込んだ。一人は救い出され、もう一人は……。
「主には酷かと思いますが……」
口先まで出かかった言葉が頭の中を反芻する。光蘭は思った。きっと、事実を伝えたらこの少女は絶望を知ってしまう。現実から目を逸らし、真っ暗な闇の中に閉じこもってしまう。
しかし、光蘭の予想は呆気なく散った。
「大丈夫。もう覚悟はできてるから」
少女は小さな拳を震わせ、目を見開く。どれほどの強さが少女にあるのだろう。幼いながらも状況を把握しようとする精神力。光蘭はひたすらに感服するばかりだった。
「……っ、主の母君には、もう会うことはできません」
こんな結果を伝えるはずではなかった。出来ることなら親子二人を助けたかった。自分の不甲斐なさ、無力さに心苦しい気持ちになる。
「本当はわかってた。目覚めた時、いつも最初に聞いていたかあちゃんの声が、今日は聞こえなかったから」
少女はどこか遠くを見つめ、諦めたように話す。その目にはうっすらと涙の影があった。
「主……。主は母君に似てとても強い方ですね。昨夜、貴女を助けた時に見えた母君の体は、言葉では表せない程の惨状でした。貴女を命懸けで守った証です」
「そう、そうなの……。かあちゃんは強くて優しくて……」
『ゔぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!』
少女の悲痛な叫びは劈くように木霊し、大粒の涙が止めどなく溢れる。目を閉ざしたくなるような光景だった。
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