影症候群。

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 ひなたが怪我をしたのは、それから二日後のことだった。  はじめの怪我は、調理実習中に指を包丁で切ってしまうという、ありがちで些細なアクシデント。  切り口自体は小さそうに見えたが、場所が悪かったのかたちまち食材とまな板が血の海になり、同じ班の女子達が悲鳴を上げていた。  けれど当の本人は痛がるよりも辺りを見回して、しばらく何かを探しているようだった。  次の怪我はその血の調理実習の翌日。骨折から復帰し久しぶりに部活の朝練に出るために、僕より幾分早く家を出た際、通学途中に転んでしまったのだと始業時間前に教室で聞いた。  どんな派手な転び方をしたのか、盛大に両膝と掌を擦りむいたらしく、制服のプリーツスカートから覗く膝小僧は、どちらも真新しいガーゼに覆われていた。  立て続けの怪我に落ち込んだ様子の彼女を労りつつ、骨折は完治しても歩きにくいものなのかと心配になる。  そしてその後も、ひなたの怪我は続いた。いっそ呪われてるのではとさえ本気で考える程に、立て続けに。その頻度もそうだが、明らかに怪我の度合いが高くなっている。  ある日は歯が折れて、ある日は治りかけの怪我の上から更に怪我をした。昨日は体育の授業でバレーボール中に突き指をして、運悪く骨にひびが入ったらしい。せっかく復帰した部活もまた、しばらく見学だ。 「……なあ、ひなた、本当に大丈夫か?」 「うん、ごめんね。折れてはいないから平気。それよりありがとう、鞄持ってくれて」 「いいよ、これくらい。……あのさ、最近怪我、多すぎないか?」 「……、そう?」  今や遠目に見てもわかる程、絆創膏や包帯、眼帯やテーピング、その他あらゆる物に蓋をされたひなたの身体。その痛々しさに、見ている方が苦しくなる。 「でも、まだ足りない……」 「……え?」  横断歩道の赤信号で立ち止まり、車の走行音に紛れる程度の声で何か呟いたひなた。  聞き返そうと視線を向けた瞬間、彼女はふらりと、まるで吸い込まれるように、車道へと飛び出そうとした。 「……っ! ひな……!?」  反射的に、僕はひなたの腕を思い切り掴み引っ張る。一瞬ともスローモーションとも感じられる時間で、やがて遠く過ぎ去ったクラクションの音に、勢い余って転ばせてしまったひなたを見下ろした。  考える前に動いた身体と時間が、ようやく意識に追い付く。彼女の無事を確認し、どっと溢れる冷や汗と、かつてないほどの大きな心臓の音を感じた。 「……あ、ぶなかった……」  そう呟いたつもりが、口からはおそらく、声になりきらない掠れた音しか出なかった。  何が起きたのか未だによくわからないのか、しばらく呆然としたひなたは、少しして明らかに転んだ痛みよりも先に『何か』を探す素振りを見せる。 「……いない」  ぽつりと放たれた彼女の言葉に、しーちゃんを探しているのだと、すぐにわかった。  しーちゃんに会うために、わざと怪我をしているのかも知れない。それどころか、今まさに、自ら命を危険に晒そうとした。その考えに至った瞬間、ざわりと、冷たいものが全身を駆け巡る。 「……ひなた、おまえ……」 「……ごめんね春也くん。帰ろうか」  青信号になり、スピーカーから僅かに割れた電子音が響く。日常的に耳にするそのメロディーを聞きながら砂埃を払って立ち上がるひなたは、何事もなかったかのように平然としている。  尋常ではない。何か得体の知れない恐怖を感じて、僕はひなたの手を握った。 「……なあ、ひなた。今日は絶対、何もするな」 「え?」 「怪我するようなこと、危ないこと、絶対するな!」 「えっ、でも……」 「頼むから……」 「……うん、わかった。心配かけてごめんね」  その後、僕達の間には会話はなかった。そのまま怪我をさせることなく家まで彼女を送り届けて、繋いだ手を離す。  安心したと同時に、先程ひなたを助けた時に手首を捻ってしまったことに気付いた。  少し動かすと痛む手首を擦りながら、たったこれだけで感じる痛みとひなたの全身の怪我を比べて、涙が滲んだ。  もうこんな痛い思いをさせてなるものか。ひなたは、僕が守るんだ。  改めてそう誓いながら、その夜は『影症候群』についてインターネットで様々な情報を調べた。  世間的に知られている基本的なことから、専門家の考察、実際に『影症候群』に罹った患者のレポートやSNSでの呟きまで。実際にDMを送って話を聞こうともした。  元から知っている情報では足りない。敵を知らなくては、太刀打ち出来ない。情報源も、多ければ多い方がいい。  けれどそんな努力も虚しく、翌朝、ひなたは学校に来なかった。 *******
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