3人が本棚に入れています
本棚に追加
「おい田野、昼間っから居眠りとはいいご身分だな」
真昼間だというのに日差しの届かない編集部は、実に湿っぽかった。季刊誌を発行している僕たちのオカルト雑誌は、今まさに秋号の編集に追われていた。僕は昨夜も編集部に泊まり込み、パソコンの画面と頭を突き合わせて原稿を作っていた。
「勘弁してくださいよぉ編集長。昨晩も泊まりで徹夜だったんですから」
「遅くまでゲームなんかしてるから原稿が間に合わなくなるんだろう。相変わ
らずだなお前は」
編集長はカップにコーヒーを注ぐと自分の席に着いた。くるりと椅子を回し、隣のビルの壁しか見えない窓の外を眺めている。
「そんなこと言って、このゲームがあったからいいネタになったんじゃないですか」
「まぁ、それもそうだけどな」
編集長が椅子を回し前を向くと僕と目が合った。カップをデスクに置くと両肘をついてゲームはクリア出来たのかと訊ねてきた。
先日、僕らが垣間見てしまった現実と虚構との狭間での出来事は、ゲームアプリである「ギガン」がきっかけだった。
隠れ里から戻った僕らは、無事に編集部へと辿り着いた。変わり映えのしない胡散臭い編集部、樟脳臭い軋んだ長椅子、切れそうで切れない照明。全てがいつもの編集部だった。僕らが体験したあまりにも現実離れした出来事は、まるで夢を見ていたようにも思える。例えば仮に、僕が話しをしたとして、編集長が「何言ってるんだ寝ぼけてるのか」と言えば、それで終わってしまう話なのだ。例えば仮に、あの大樹の前で大蛇に喰い殺されてしまったとしても、ここでは何も変わりはしないのだ。その出来事は、仕事に疲れ悩んでいた僕が、行方をくらました未解決事件として新聞の片隅にでも載り、どこかの書庫にでも埋もれてゆくだけのこと。そうした事件が、おそらくこの世には余りある。その一片を垣間見た僕らは、普通に生活するというレールから外れてしまったのだ。ごく当たり前の生活が、こんなにも穏やかなものだと感じられるのは、ある意味、幸せなのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!