夏の終わり

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 コナガは同時期に生まれた兄弟達と共に、王から世界について教示を受けた。孵化した時は現在よりも気温がずっと高く、日中の時間も長かった。  現在と同様に葉の裏にいたが、偶々そこで孵化したので居るに過ぎず意図はない。コナガ同様に兄弟達も意図なくうろついたり、ぼんやりと空を眺めていた。思えば、ぼんやりしていた兄弟は暑くて動けなかっただけだったのだろう。  生育適温以外で活動能力が低下するのはあらゆる生物に共通する。コナガ達が孵化した日は今夏で最も気温が高い昼であり、王が把握する中で最も死んだ蟲が多い日でもあった。一度も脱皮していない皮膚は薄く柔らかい。  王がやって来たのはコナガ達が孵化した直後だった。それでも蠢くだけであったコナガ達の内、陽射しの強い場所をふらついていた者は干からびてしまった。一回目の脱皮すら終えていなかった皮膚はたった数分の陽射しにも耐えられず、また彼等が動かなくなった理由すら見当を付けられなかった。  王はコナガ達の前に現れた瞬間に大きく舌打ちをし、それから怒鳴った。 「馬鹿か! 手前らには生存本能もないのか! 死にたくないなら、さっさと暗い方へ行け!」  怒号に身が竦んだ。生存本能すら存在していなかったコナガ達に初めて恐怖が与えられた。王が言った意味の半分も理解してはいない。  怒号によって生まれた生存本能が「この声に従わなければ息絶える」と理解させた。コナガ達が間違った方へ行く度に王は「違う!」と怒鳴り、ようやっと日陰に潜った。  陽射しには絶命した兄弟と、絶命寸前の兄弟だけが取り残された。王は屍骸へ視線を向け、もう一度舌打ちをした。 「いいか、死んだらそれまでだ。特にお前等は長く生きられない。俺の話をよく聞いて、賢く生きる様に」  王は暗くなってから現れた。それがコナガ達の活動時間であるからだ。  王は授業の合間によく「どうして俺がこんなことを」と不満を漏らしていた。 「なんで俺が、こんな世界の為に働かなきゃならないんだ」  コナガがやめられないのかと尋ねたところ、舌打ちをされた。 「無理に決まってる」  王の役目は神と呼ばれる存在から承ったものであり、そして、王も神の一柱であるらしい。  遠い昔、王はただの人間であった。そもそも王と呼ばれる存在ですらなく、一介の庶民だった。  この世界は神が管理していて、それを止めさせかった。神の気紛れによって灰燼に帰すような世界を誰もが嫌い、または諦観に浸り、日々を過ごしていた。  不満を持つ者ばかりだ。一人が声を上げれば、少しずつ同志が集まってくる。守りたい者がいる人間達ばかりだ。レジスタンスには現在、王と呼ばれるこの男もいた。家族を持つ身として、妻と子供を守りたかった。妻には一緒に逃げようと言われた。子供には服を掴まれて泣かれた。それでも戦うことを選んだ。  神はどこにでもいる。気を抜けばすぐにでも神罰が下るだろう。  人間達は今迄で最も慎重に行動を起こした。その甲斐あってか、誰も死ぬこと無く、また作戦が露呈している様子もなく決行日を迎えた。  レジスタンスは沢山の神を倒した。始めの内は順調であった。しかし幾ら慎重に行っていても、神は当然の様に企てを察知していた上に、まるで虫を潰すかの様に人間達を亡き者にしていった。  仲間が徐々に倒れていくのを横目に、男は必死で戦った。迫る幾千もの武具を躱し、何十もの神を倒した。  理性を取り戻した時には男はたった独りになっていた。気が付いても肉体が動く限りは止まれず、敵を只管切り刻んだ。そうして最高神と呼ばれる神の下へ辿り着いた。 「アイツには勝てなかった。ちゃんと刃は当たってるのに傷一つ付かないなんて化け物かよ。いや、神なんて皆、化け物だよな」  最高神に負け、レジスタンスは、反逆を起こした人間という種族諸共、死に絶えた。  しかし男は、それこそ神の気紛れによって生き残り、神となった。曰く「人の身で神に逆らった褒美」である。  コナガは神様になって良かった? と尋ねた。影が大きく横に振られる。否定だった。 「全く。したくもない仕事をやらされるし。そもそも神になんてなりたかなかったんだよ。褒美ってか、どう考えても罰だろ。中身は人間のままなのに体だけ、あいつらと同じなんだ」  その言葉を最後に王自身の話は聞いていない。相変わらず不満は漏らすものの、昔の話はしなくなった。コナガ達にする話はコナガ達がどうやって生きていくのか。不満はあれど、一度も疎かにはしなかった。そもそも身の上話などするつもりが無かったらしく、話の終わりには「忘れろよ」と言い残した。  どうして話してくれたのか、コナガはその理由をずっと探している。  理由を問えば、王はそうだなと言った後、逡巡した。 「夏の終わりまで生きてりゃ教えてやるよ」  授業を受けている内に、大抵長くても十日間程度しか生きられないのだと知った。卵で二日、幼虫で六日、成虫になって三日。  生まれたのは八月の始まりであった。夏の盛りは多くの兄弟が繭にも成れずに死んでいった。夏の終わりなど、コナガどころか兄弟の誰も生きていない筈であった。  けれど、コナガはこうしてキャベツの上で生きている。もはや奇跡の域に近い。王が恨んでいようと、これほど神に感謝したことは無い。  コナガが王に会うのは一週間ぶりだ。王のものらしき影が動くのは時折目にしていたものの、声は久しく聞いていなかった。  久し振りだと告げれば、王は首を傾げた。それから 「そうか? そうかもしれないな。お前らには長過ぎるか」  と言った。 「やっとでかくなったな。もうじき繭か。……なるよな? なれよ?」  王がコナガを指先でつつくと、コナガは素早く後ろに下がった。やめてよー! と抗議の声を上げる。  王は目を丸くした後、ブッと噴き出した。辺りに大声が響き渡る。「悪い悪い」と言いながら、嬉しそうに大きな声で笑っている。  コナガはずっと、むー! と頬を膨らませ、抗議を続けた。それを見て、王は更に笑う。  一頻り笑った後、王はあぁ、と息を吸った。辺りは一気に静まり返った。王の大爆笑に驚いて、獣達も息を殺した。 「いや、こんなことしに来たんじゃねえわ。用があんだよ。丁度いいや。お前、いるんならついてこい。暇だろ」  王の強引な態度にコナガは更に抗議する。  ついて来いと言われれば勿論ついていくが、王とコナガは大きさが違う。連れて行ってくれと。それから起きたばかりでお腹が空いているとも伝えた。 「なんだ、潰されたいのか」  ドスの利いた声を出したものの、王はコナガを潰すことはなく、コナガが乗っている葉っぱと周りの葉っぱを三枚程千切った。掌で柔らかく包む様に持ち、歩き出す。 「落ちんなよ。俺は夜目が効かねえから分からねえぞ」   コナガは葉を食べながら、うんと頷いた。  
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