夏の終わり

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 辺りはすっかり暗くなっていた。太陽は完全に沈み、コナガの目は朧げな影すらも捉えることが出来なくなった。代わりに皮膚感覚で周りの情報を探る。いつも通りではあるものの、視界の有無は案外大きい。  コナガの体は王の歩みによって揺れている。だが、歩いているだけではない別の揺れが伝わってくる。  コナガは食事を一旦止めた。  今晩は昨日よりも少しだけ気温が低いように感じる。日の出ている時間はもう随分と短くなった。風も一日ごとに冷たくなっていく。風の匂いもコナガが生まれた時よりずっと冷えて尖っている。  王様、もしかして寒い? 「違う。俺は寒さも暑さも感じねえ」  神様だから? 「そうだよ。無駄にな」  じゃあどうしたの。ブルブルしてるよ? 「してない」  どうして嘘吐くの、と問うたところで王は本心を告げはしない。コナガは王の本心を聞きだす術を持っていない。  諦めたふりをして、もう一度葉っぱを食べ始める。王があからさまに胸を撫でおろしたのが分かった。  歩き出してから、結構な時間が経った。葉は殆ど無くなってしまって、硬い芯と葉脈ばかりが残っている。まだ空腹を感じていたコナガは、味が無いよりはマシだと芯を口に含むも、やはりあまり美味しくはない。  王様が何処に行くつもりなのか、いつキャベツの上へ戻れるのか全く予想が付かない。コナガの腹が満ちるのはもう少し先の話になりそうだった。    不意に王が口を開いた。 「今日は色々聞いてこねえな。授業ん時はうるせえくらい質問攻めにしてきただろ」  コナガは授業の時は知らないことがあり過ぎて、端から全部尋ねていた。王に聞いてみれば答えが返ってくる。王すらも知らないことがあれば、「ちょっと待ってろ」と暫くしてから教えてくれる。  それよりもコナガが意外に思ったのは王が自身のことを認知してくれていたことだ。誰も彼も一纏めに「おい」としか呼ばなかった。きっと個々のことなんて興味もないと思っていた。コナガを連れてきたのも、たまたま見つけたからだと考えていたのだ。 「そりゃ、お前しかいないんだから嫌でも覚えるだろ」  それは違う。コナガしか居なくなったのはあくまで自然の摂理であり、結果でしかない。コナガが質問攻めにしてきた個体であると、授業をしていた当時から認識していなければそう思うはずがない。そもそもコナガしかいないことを理解している。意図があるのだと、漸く気が付く。  聞けば教えてくれるの? どこに行くの? 「聞かれたところで宛てがあるわけじゃない。散歩だ」  さんぽってなに? 生きるために必要? 「時と場合による。運動不足の解消だの、気晴らしなんぞはお前等には縁のない話だ」  うんどうぶそく? きばらし? えんってなに? 「うん、まぁ、そうなるよな。お前はうるせえから一応教えておくが、必要ないことだから覚えなくていい。運動不足は人間があんまり動かねえと調子が悪くなることで、気晴らしってのは……端的に言やぁ現実から逃げることだな。また問題に立ち向かうために一回逃げること。縁……縁……は関係してるみたいな」  うっすら理解してコナガは頷いた。とにかく人間は散歩をしないと駄目な時がある。けれど種族が変われば必要のない、王様曰く縁のないことになるのだろう。  コナガは、王様はうんどうぶそくなの?と違うとは理解しているけれど、わざわざ尋ねた。 「馬鹿。寒さも感じねえ神がなんで体調不良にならなきゃいけない」  じゃあ、きばらしだ。現実から逃げてるんだ。 「お前って本当にデリカシーが無いよな」  でりかしー? 「もういい。埒が明かねえ」  らちがあかないとはどういうことだろうと首を捻る。  王は小さな声で「くそ、言い方が悪かった」と呟いた。 「お前は長生きだよな。いないだろと思って探してみりゃあ、まだ幼虫のまま居やがる。さっさと繭に成れってんだよ。一ヵ月も生きてやがって」  誰もいないと思った? 夏の方が寿命短いんだもんね。 「当たり前だろ、いねえと思ってたよ。そう、冬の方が長い。成虫でいられる時間が段違いだ」  じゃあ僕、冬に生まれたかった。王様といっしょ。 「……良くねえぞ、冬なんて。寒いだけで。大体の生物が死ぬし」  夏の方が良い? 「夏は知ってるだろ。こんなだよ」  王様は夏も冬も知ってるんだね。 「知ってる。俺は、お前等とは……生きられる長さが違う」  王は震えていた。体の震えは一層酷くなったようだった。  コナガはふと、そうすることを求められたような気になって、王の持つ葉から手の方へ這っていった。王は一瞬、筋肉を痙攣させたものの、コナガを振り落としはしなかった。芯ばかりの葉は地面に落ちて、コナガは王の掌の上へ直に乗った。  コナガの脳裏には認識できない筈の王の姿が浮かんだ。やはりコナガとは異なる姿をしていて、王の前でコナガはあまりにちっぽけな存在であった。  それなのに王は膝を付いて、腕を頭上に掲げ、尊いものを崇めるようにコナガを真っすぐ見つめていた。真黒な瞳の中にはコナガ自身の姿が映っていた。王の光彩は月の光を受けて、てらてらと鈍く輝いている。濡れているのだと思った。  そして、大切なものを隠すように握り込んだ。  コナガの視界は暗転し、王の姿は途切れた。  
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