紗耶香と私

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 生後すぐに熱を出した私には、その時に聴力を失った説もあるのだけれど、赤ん坊は耳が聞こえないなんて自己申告をしないので、いつこうなったかなんて正確なところは誰にもわからない。  それでも、私が生まれつきだと言ってのけるのは、母を責めるつもりがないからだ。  私を生んだ当時、母は両親と同居していた。私の記憶にある祖父母はやさしい人たちだが、彼らにとって孫の夜泣きは眠りを妨げる騒音でしかなかった。そのため母は寒さの厳しい冬の夜に私を連れ出すしかなかったらしい。  何度も聞かされている苦労話はそのほとんどが祖父母への恨み節に聞こえるけれど、もしかしたらそれが自責の念の裏返しかもしれないなんて。  考え過ぎだけどね。  私の小さな配慮に、母が気付く日は来ないだろう。 「ほら、みんな席について。授業始めるよ」  適当な会話は先生の一声で終わりを迎える。名残惜しさを漂わせることもなく、私たちは前を向き座り直した。  こうして毎日会話はするけれど、紗耶香と私の間柄が友人と呼べるものなのかは正直よくわからない。クラス替えの後に何となくできあがったグループ、その中で席が一番近いだけの人だと言えなくもない。  彼女の私に対する認識も、似たようなものではないだろうか。孤立しないためのビターな関係。喧嘩をするほど親しくはないから、衝突もなく安定感はある。こういう相手がクラスに数人いれば、無難に一年をやり過ごすことができるだろう。  私は数学の教科書を開き、そこに書いてあった六角形を何度もなぞった。
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