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「岸川」
「あ、天見くん」
輝彦の声に振り返り、微笑む少女。おろしたままの長い髪が揺れている。
「今までいろいろありがとう」微笑んだままではあるが、少し寂しそうな眼をして少女が言う。木漏れ日が差しこむ放課後の廊下。数日後に卒業式を控え、学校はその準備や練習ばかりとなっていた。
「引っ越すん、やんね」
「うん」うなずく少女。それぞれの進路が決まる中、彼女の進路は他の皆とは少し違っていた。
「金沢のおばあちゃんの面倒見る人がおらんくて、お母さんと一緒に行くことになってん」
「そなんや」
彼女、岸川美織は母親との二人暮らしだった。彼女が言うように、彼女の母の実家では、彼女の祖母が一人暮らしをしているが、その祖母が前年の夏に転んで怪我をして以来、母親が休みのたびに実家との間を往復していた。母親は彼女と相談の上、中学卒業を機に実家の金沢に戻り、彼女を金沢の高校に通わせることにしたのだ。
輝彦と美織は、二年の時には同じクラスだった。三年になり、クラスは変わったが、委員会などで顔を合わせることは多かった。
「あのさ」
「あの」
二人の声が重なる。
「あ、どうぞ」
「いや、そちらこそ先どうぞ」
お互い譲りあう二人。少々顔を見合わせると、じゃあ、と先に輝彦が口を開く。
「よかったらさ、連絡先、教えてくれん?」
「ああ」美織の顔が、心なしか明るくなったように見えた。
「あたしも今それ言おうと思ってん」
「マジで?」二人が笑う。
「あたしな、スマホ持ってへんのやわ」美織が答える。それは輝彦もなんとなくわかっていた。委員会の連絡簿に、彼女の家の電話番号が書かれていたからだ。連絡簿の中で家の電話が連絡先なのは彼女だけだった。
「高校上がったら買ってもらう約束になっとるんやけど・・・。せやから、天見君の番号聞いといていい?」そう付け足すと、彼女はカバンから手帳と鉛筆を出した。
「ここ書いていいの?」開かれたページには、景色の絵が描かれている。
「うん」
輝彦は、窓に手帳を押し付けると、そのページに自分の名前と電話番号を書いて、美織に渡す。
「ありがとう」美織はそれを受け取り微笑むと、同じように窓に手帳を押し付け何かを書き込む。そして、そのページを破くと、輝彦に差し出した。
「え」
「えへへ」
そこには”岸川美織 でんわばんごう[ ])”とだけ書かれている。
「スマホ買ったら最初に電話するから、自分で番号書いて」
「ぶ、そんなん、かかってきたらそのまま登録するだけやん」
思わず笑う輝彦。
「せやな」美織も笑った。
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