<5章>

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「え、あ、」 「よかったです。ちょうど、今日キャンセルされたお客さんがいらっしゃったので。昨日あれだけ大雨でしたしね」  輝彦たちは水仙の母の計らいで、その温泉旅館の「キャンセルが出た」部屋に通されていた。水仙の母はそこで仲居頭的な立場にあるようだ。そして水仙はその母と、また別の部屋で話をしている。 「高木さん、ずっとお嬢さんの事気にされてたんですよ」 「そうなんですね・・・」  最初に彼らを出迎えた仲居の女性が茶を入れながら言う。と、水仙とその母が部屋に戻って来る。水仙の母は、部屋に入るなり輝彦の前に座り、両手をついて頭を下げた。 「輝彦さん、この度は娘がお世話になりまして。本当にありがとうございます」 「い、いえこちらこそ」慌てて手と首を振る輝彦。見れば、水仙が横で嬉しそうに微笑んでいた。やはり親子であろうことがよくわかる。水仙は母親によく似ていた。 「改めて、今日はこちらにお泊り下さいな。心ばかりの御礼です」水仙の母が笑顔で言う。 「え、ああ、まあ」どう答えていいかわからない輝彦。水仙の母が、仲居の女性を下がらせる。 「ご病気のこと、娘から聞きました。部屋のことなどはどうぞお気になさらないでくださいね。調子が良かったら大浴場利用くださいな。それとももしあれでしたら貸し切りのお風呂、用意しますので」 「よかったら、そっちお願いします」そう言って、頭を下げたのは水仙だった。 「わかった」微笑んでうなずく母。 「時間確認してきますから、少し待っててくださいね」  そう言うと、一旦水仙の母は部屋を出ていく。緊張の糸がほぐれたように、水仙が足を崩して座った。 「ありがとうね」しみじみと言う水仙。 「ママと話して、決心ついた」 「決心?なんの?」 「わたし、大学受ける。費用もママが助けてくれるって・・・わたし、勉強したいことあるんだ」 「何?」 「観光業」ハッキリと言う水仙。水仙は、観光業というよりも、母親のしているような旅館業、そして旅館の女将のような仕事を目指して、そのために勉強をしたいということを熱く語った。 (すごいな、将来のことちゃんと考えてるんだ)  その水仙を見て、輝彦はそう思った。彼の周りでも、将来の夢を語るものはいる。それに比べて、自分は少し先の自分のことすらわからない。 (来年の今頃、自分はどうなっているのかな) (でも、結局自分はどうしたいんだろうか?)  そんなことを考えながら水仙の話を聞いていると、水仙の母ともう一人の仲居が、部屋に食事を運んでくる。 「そんなに大したものは出せないけど、よかったら召し上がって」  言う間にテーブルが用意される。 「え、あ、こんなに豪華な」目を白黒させる輝彦。旅館の食事というのは、中学の時に修学旅行で食べたぐらいなものである。 「まあ。遠慮なさらずに」水仙の母が微笑む。 「ありがとう、ママ」  輝彦と水仙は、慣れない手つきで膳をとった。
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