<5章>

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「ふう・・・」  まともに風呂に入ったのが何時ぶりだったか、輝彦はすぐに思い出せなかった。  湯が暖かい。病院を抜け出してから緊張しっぱなしだった彼は、温泉に浸かって体も心も温められていくようだった。その湯の感触が普段入っている家の風呂とどこか違うのは、温泉だからなのか、それとも彼の身体が変化しているからなのか、彼には良く分からなかった。  ただ、彼の身体が以前の身体と違ってきているのは明らかだった。  湯に浸かって見える腕の皮膚、というより肌は「脱皮」を繰り返したせいか、ついこの間まで少し焼けて黒くなりかけていたにもかかわらず、今は白く、まるで透き通っているようだったし、他の部分の肌も腕同様、白く透き通るかのような、虫が羽化したときのように半透明から少し固まってきたかのような感じを受けた。  皮膚だけではない。短いとはいえ、髪もどことなく柔らかくなったように感じられ、つやも増したように見える。そして一番変わったのは身体の形だった。  当初から気になっていた通り、胸は明らかに隆起し、その先端のものもかなり肥大し、存在を主張していた。また、全体的に体の線が曲線的になってきている気がする。股間にはまだそれが一式存在しており、今は怒張していないところではあったが、彼の記憶よりも小さくなっているのは明白だった。 (これ、もう時間ないな)彼は思った。全身を鏡で見るのは怖かったが、おそらく今鏡に写るのは、どちらかと言えば女子に近い男子ではなく、男子に近い女子なのではないかと思った。 (あと、二日あるかな・・・?)彼は思う。おそらくまた今夜も発作が襲ってくるのだろう。その感覚がだんだんと短くなり始めているのは彼も自覚していた。そして、変化が進むにつれて、発作自体は軽くなっているが、発作に行きつくまでに身体が内側から少しづつ変化しているように彼には感じられていた。最初の発作からすでに三日が経っている。早い者は四日で発作が落ち着いたと桜田は言っていた。彼の感覚的に、それよりは遅いペースであろうとは思うが、どちらにしろ彼が男でいられる時間は恐らくもうほとんど残っていないであろうと思われた。 「大丈夫?」  脱衣所の方から、水仙の声がする。さすがに一緒に入りこそしないものの、風呂の中で発作が起こった時のことを考えてか、彼女は脱衣所で待機してくれていた。  ゆっくりと湯から上がる輝彦。 「大丈夫」  そう答えると、彼は体を手拭いで拭く。慣れない感覚が、拭いた手からも、拭かれた身体からも伝わってくる。 「上がります」 「いいよ」  水仙が、わざわざ彼を見ないように手だけ出してバスタオルをよこす。輝彦は慌ててそれを腰に巻いた、が、次の瞬間何か自分でも思わなかった感情に襲われ、すぐに胸を隠すように巻き直した。 (恥ずかしい?!落ち着けオレ・・・)  彼はふう、と一息つくと、水仙に「もう大丈夫ですよ」と言った。  水仙は彼の方に向き直り、無事を確認すると「外で待ってる」と言って浴場から出ていった。  バスタオルで体を拭き、浴衣を着る。改めて鏡を見ると、顔立ちも少し変わっているように思えた。というより、どこもかしこもが元の自分から変わっているように思える。 (オレは、オレなんだろうか)改めて輝彦は思う。今はまだ、自分のことを輝彦という男だと自覚してはいる。が、明日それに違和感を持たないとは言い切れない。そして、美織はそんな彼を見てどう思うのだろうか。  相変わらず、美織からの返信はないし、メッセージは既読にすらならない。恐らく明日には彼女の元に行きつけるとは、彼も思う。だが、自分では彼女に会えば何かが決着するのだろうとは思っているとはいえ、そのことに少し恐れを感じ始めている自分がいるのも確かだった。 (とにかく、いくしか、ないよな)  彼はそう自分に強く言い聞かせた。
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