<6章>

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「とりあえずさ」話す輝彦。 「ん?」  太陽が眩しい。週末とはいえ、暑さのせいか兼六園はそれほどの人出ではなかった。 「名前、変えてもいい?」 「どう変えるん?」聞き返す珠江。 「まだ決めてないけど・・・輝彦、が嫌いとかじゃないんやけどさ」 「好きなのにしろよ」雅彦が言う。 「オレのセンスよりええんとちゃうか」 「なんでよ、いいのないか聞こうと思ったのに」 「こーれ、名前変える言ってるそばからそんな言い方して」  笑う珠江。水色のワンピースを着た輝彦は、溢れんばかりの若さを輝かせる少女になっていた。  それはおぼろげな記憶なのか、それとも輝彦がそう思うだけなのかわからなかったが、眠っている間、夢の中で輝彦は美織に会った気がした。そして美織は輝彦にこう言ったように思った。 (わたしの分も生きて・・・)  そして今輝彦は、彼女のワンピースを着ている。彼女が輝彦に会うときに着ようと思っていたワンピースだ。それは着慣れないとはいえ、見た限りでは思いのほか輝彦が着ていても違和感どころか、しっくりと行っている気がしていた。 「ここだ」不意に立ち止まる輝彦。そこは、おそらく美織が送ってくれた写真の場所だった。池のほとりに、二本足の灯籠が立っている。 「来たよ」ぼそり、とつぶやく輝彦。着慣れないワンピースの感触は、美織が彼を案内してくれているように感じられた。 「さて、神戸帰ろか」 「最後に、寄りたいところあるんやけど」 「ん、ああ、わかった」 「わかったって、どこ?」  家族三人の会話。昨日一緒にすごした雅彦は、輝彦の行きたいところは理解していた。途中、花屋に寄る。輝彦が記憶にある限り、花屋に行ったのは小学校の頃母の日のカーネーションを買いに行って以来だ。そこで自身で花を選ぶ。 「それでいいのか?」雅彦にうなずく輝彦。  車は市街地を走り、そこに止まった。さっきまで晴れていた空に、雲が広がっている。  そこには、他にもたくさんの花が添えられている。二週間ほど前、美織が事故に遭った場所だった。そこに自分で選んだ花を添え、輝彦は手を合わせた。  不意にぽつん、ぽつん、と身体に水が当たる。 「金沢じゃ、弁当忘れても傘忘れるな、て言うらしいで」  輝彦の肩に手を置き、そう言う雅彦。まるで花を潤すように雨は降り始めた。  雅彦に促され車に乗る輝彦。神戸ナンバーのSUV車は、西へ向かって走り去っていった。 ※このお話はフィクションであり、登場人物その他は実在のものとは関係ありません。
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