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<3年後>
「みのさん実家寄らなくていいの?」
「ぜんぜん。ていうか、大学入ってから帰ったの一回だけかなぁ」
車は敦賀インターを抜け、山間部に入る。
「ていうかアゲハさん・・・・」
「まあ、夜職大変だろうし。誘って悪かったかなぁ」後部座席では、アゲハが寝息を立てている。
輝彦改め琴乃と水仙、そしてアゲハは、一泊の温泉旅行へ向かっていた。ハンドルを握るのは琴乃だ。父親は相変わらず全国の現場を回っており、今は四国にいる。彼女が免許を取ってしばらくして、天見家は、珠江が乗っていた軽自動車を、一回り大きなコンパクトカーに買い替えた。今彼女が運転しているのがその車である。
水仙は関西の国立大学に現役で無事合格した。今は神戸に住んでおり、時折琴乃と遊んでいる。長期休みの期間には、毎回どこかの旅館でアルバイトをしており、一度琴乃も一緒に働いたことがあった。
アゲハは相変わらず夜の仕事をしている。琴乃が驚いたことに、アゲハは琴乃より四つしか年上でなかった。来年には念願の性別適合手術を受けられることになったらしい。彼女は時々琴乃を店に呼び出し手伝わせている。水仙もそれを聞いて興味本位で何回かついて行ったりしていた。琴乃は小遣い稼ぎ程度のアルバイトはするが、本格的にそこで働こうとは思わない。化粧など、女子の女子たる技術はそこで教えてもらったものの、夜職のサービス業は身体もメンタルも大変な仕事だと、琴乃は身をもって理解したのだった。
「で、琴ちゃん」水仙が聞く。
「はい?」
「最近どうなの?」
「最近て、ああ」
その琴乃は、現在関西の私立大学に通っている。神戸に戻り病院で一通りの検査を受けた後、夏休み明けから学校に復帰はしたものの、周囲は一見今までどおりに接してくれてはいたが、どこかで一歩引かれているような感覚だった。それが琴乃本人がそう思うからなのか、実際にそうなのかはわからない。とにかく心を許せる友達は、学校にはほとんどいなかった。
大学については、正直なところ特に将来の希望があって行っているわけではない。どこか遠くへ行くことも考えたが、家から通えるところに落ち着いている。
「まあ、わかんない」笑う琴乃。
「わかんないか。そうだよねぇ」水仙も笑う。
身体が女体化した輝彦にとって、本人の性自認以前に、周囲が本人を女性として扱うため、生活上「女子の生活」をせざるを得ず、本人もだんだんとそれに慣れていった。今でも月に一度のカウンセリングに通っているとはいえ、あまり結論じみたことは考えないようにしている。今は単に「自分」でいい。
「なんていうか、身体が女子なのはわかるんやけど、別にかわいい子は普通にかわいいし、カッコいい子は普通にカッコいいやん。あんまりそういこと考えてないかなぁ。まあ、来る時がきたら来るんちゃうかなぁ」
「そっかぁ。深いな」
「深いでしょ」くすっと笑う琴乃。水仙の「深い」は口癖のようなものだと、彼女は理解していた。
「ちなみにさ、ずっと気になってるんだけど」
「はい?」
「琴乃って、誰が付けたの?」
「えー、今さら?」今度は苦笑いする琴乃。
「考えたのはまあ、自分やけど」
「えー!まさかの本人!って、なんで琴乃?」
「いやその」琴乃は説明をためらう。
「なになに」
「あの、前が輝彦で彦星だったから、今度は織姫」
「織姫?」
琴乃はそこで「美織」とは言わない。それは彼女の心にしまってあることだ。
「織姫星って、こと座のベガって一等星なんやけど、まあ、七夕が第二の誕生日みたいなもんやし」
「そっか。その琴か。深いな・・・」
「明日雨かな・・・帰り、金沢寄っていい?」
「ぜんぜんいいよ。ていうかわたしも金沢行ってみたい」
「アタシもー!」
不意に後ろからハスキーボイスが飛んでくる。
「えー!いつから起きとったん!」笑う琴乃と水仙。
「いやちょっと・・・トイレ」
「あー、じゃあ、次止まります?次は、南条サービスエリア」
長いトンネルを抜けていく車。山は、秋の色を見せ始めていた。
おわり
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