夏のあの子

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今年の夏もまたここ。母さんの実家。海外旅行なんて夢のまた夢。金のかからない田舎が関の山。 おっちゃんは滅多に家にはいなくって、診療所に詰めてる。甥のオレがいうのもなんだけど、イイ男なんだけどさ、田舎で開業医継いじゃったし、村の人たちから重宝されてるし、貧乏暇なし、いい年して嫁さんもこないんだよね。 母さんもさぁ、休みにきてるはずなんだけど、そこそこ手伝いに行っちゃうんだよ。でさぁ、中学生になったねえちゃんはもう来ないんだよ。夏期講習があるとか言って。働き詰めてる父さんと一緒に東京のマンションに居残っちまった。 するってーとさー、オレはもう、毎年のことだから、お盆の一週間だけだし、診療所近くの田舎のガキたちと一緒に遊んでやるわけ。 タケとオレはよく似てる。背丈も体格も同じくらい。オレの「シュウ」はメジャーリーグで大活躍してる小谷秀平の「シュウ」だっつったら、アイツ、泣いて怒りやがった。シュウヘイはオレだ!って。ケンは相変わらずチョコマカしてる。去年まではヒョロっとヌボっとしていたヒロがタケとオレの背丈を抜きやがった。なんだか力こぶまで作りやがって、ガッチリした体格になってた。合気道始めたんだって。 ここまでは去年と同じなんだけどさ、今年はアコがいた。 アコはタケとオレよりも一つ年下らしかった。でも、タケとオレより背が少し高かった。ヒロよりは低かった。 腕相撲はアコが一番強かった。腕なんてほっそくってマッチロなのに、ヒロみたいに力こぶなんてできないのに、誰もアコを負かせられなかった。試しにおっちゃんとも組ませてみたんだけど、アコ、楽勝だった。 アコは釣りも上手だった。防波堤んとこで釣りしたとき、タケもオレもゼロだった。ケンは二匹、ヒロは三匹。小物中心だったけど。なのにアコだけ八匹も釣ってた。しかもほとんど中サイズ。大物も一匹混じってた。 アコは度胸も一番だった。森ん中だって、先頭きって走り抜けてった。ちょっとした崖があって、滝みたいんなって川に続いてるとこがあるんだけど、オレたちアコがいるからって遠慮してたのに、アイツ、一番最初にジャンプして川に飛び込んだ。洋服着たまんま。ずぶ濡れんなって泳いでた。もちろんみんな、アコに続いた。 アコは帰るのも一番だった。夕方んなって、そろそろみんな帰る時間かなーって思ってたら、アコはいっつも、もういなかった。ほかのみんなにも聞いてみたんだけど、「さっき帰るって言ってたよ」みたいな感じで、いっつも、いつアコが帰ったのか分からなかった。しかも誰もアコの家を知らなかった。でも、次の日もまたアコは現れ、一緒に遊んだ。いつから一緒に遊ぶようになったのかも、誰もはっきり覚えてなかった。 「いいじゃんか、アコはアコで。」 ヒロがそう言ってくれて、オレたちみんなが落ち着いた。 ヒロん家は随分前にお母さんがいなくなって、でも、誰もそのことを言わないようにしてた。 オレが東京に帰る前日、今日こそはアコの家を突き止めてやろうってみんなで計画した。もしかしたらすっごい貧乏で、人に見られるのが恥ずかしいようなあばら家に住んでんじゃないのか?貧しすぎて家なんてなくって、洞窟に住んでんじゃないのか?その逆で、すっごい大金持ちで、すっごいお屋敷のお嬢様かもしれないぞ!なんて、みんなで好き勝手なこと言ってた。 その日はみんながアコに用心して、遊びが盛り上がらなかった。アコも、そんな異様な空気を察知したのか、居心地が悪そうだった。アコは誰にもなにも言わずにその場を離れようとした。 「帰るの?」 聞いたのはケンだった。 「トイレ。」 トイレって言われるとさぁ、ついていけないんだよなぁ。って言いながら、みんなでコソコソとついて行った。丈の高い草むらの中、アコはしゃがみこんで用を足すんじゃないかって音がガサゴソしてた。オレたちは向かい合って、顔を引き締めあわせて、人差し指を口の前に立てて、音を立てないようにした。 オレたちは、なんらかの音が聞こえることを期待していた。 けれど、音は一向に聞こえなかった。いや、もう、一〇分くらいは過ぎただろうと思った。 「アコ?」 聞いたのはヒロだった。返事はなかった。 「大丈夫?なんともない?そっち行ってもいい?」 ヒロは続けた。みんなに不安が走る。返事はない。 「行くね、そっち。」 ヒロは草をかき分けて進んだ。オレたちもついていった。そこにアコがいた形跡はなかった。もちろん、誰かが用を足した跡のような形跡もなかった。 「アーコーっ!」 オレは大声で叫んだ。返事はなかった。みんなもそれぞれに叫んだ。 「アコーっ!」 「アコ〜!」 もう、夕日が沈み始めていた。 通りの向こう、母さんが自転車でやって来た。 「あんたたち、早く帰んなさい!」 「でも、アコが…。」 「だれよ、アコって。」 「だれって…、アコはアコだよ。」 オレたちは顔を見合わせた。 「タケとケンとヒロでしょう?いっつも遊んでくれてるの。」 「アコも一緒なんだよ、今年は。」 「こないだ花火したときも、スイカ食べたときも、いなかったでしょ?」 「…いなかったけどさぁ。」 「診療所!」 ヒロが言った。 「腕相撲で先生を負かしたよ。アコ、強いんだ。」 「えー?なんかみんなであたしのことからかってるぅ?先生ああ見えて力強いし、みんなみたいな子どもでしかも女の子でしょー。腕相撲負けたりしないと思うけどなぁ。」 「ほんとだよ!」 「勝ったのはアコなんだよぉ。」 「ったく!バカなこと言ってないで、さっさと帰んなさい!」 怒ったときの母さんは無敵だ。オレたちはぶつぶつ言いながら、それぞれ帰るしかなかった。ちゃんとヒロん家寄って、ケン家寄って、タケん家寄って、「今年もありがとうございました」っておじさんとかおばさんとかにもちゃんと挨拶して、握手して別れた。 別れ際、タケはこっそり耳打ちしてくれた。 「明日アコ探すから。手紙書くから。」 おばあちゃん家で東京に帰る支度をしていたら、おっちゃんが帰ってきた。おっちゃんは村の人に勧められて、弱いのに酒を飲んでいた。アコのことを聞いてみたけれど、答えはもうチグハグだった。 「アコだよぉ、知ってるでしょう?こないだ診療所で腕相撲負けたじゃんかー!」 「なにを言うんだこの野郎!オレが負けるわけないだろう!」 やぶ蛇だった。酔っ払い相手にまともな質問するべきじゃなかった。 次の朝は早々に車で東京へ向かった。なんとも後味の悪い気持ちだった。その後、タケからももちろん手紙は来なかった。 こんな、子どもの頃のできごとをオレはすっかり忘れていた。 あれから約一〇年が過ぎ、ばあちゃんが亡くなって、小学校のとき以来久しぶりにやって来た。タケもケンもヒロも、子どものときの面影がそのまま残っていた。ばあちゃんの葬儀がひととおり済んだあと、少しだけ四人で話す時間があった。葬儀場を抜けて、駐車場に変貌したあの草むらを通りのこちら側から眺めていた。みんながアコのことを覚えていた。オレたちだけ。 そこへ、おっちゃんが自転車でフラフラとやって来た。相変わらずよれた白衣を翻して、オンボロ自転車に乗ってた。急患を診てきた帰りだって言ってた。遠くからは気づかなかったけれど、後部座席には女の人が腰掛けてた。白いワンピースを着た、髪の長いキレイな人だった。その人は立ち上がってオレたちの方に向かってお辞儀した。 「こんなときにあれなんだけどさ、ウチに来てもらうことになったんだ。」 恥ずかしがりのおっちゃんはあっちの方を向いたまま、耳まで真っ赤にしてそう言った。そのオレたちと同い年くらいの女の人、おっちゃんにはもったいないくらいの美人さんはオレたちに向かって笑顔でこう言った。 「よろしくね。あたし、憧れる子って書いてアコっていいます。」
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