コンタミネーション

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コンタミネーション

実験は朝から始まった。取り出した細胞魂から健康な細胞ひとつを取り出し、そいつに電気的な刺激と同時に微量のたんぱく質を与える。電気的刺激はさまざまな周波数帯を利用し、プログラミングしていく。そいつをたんぱく質で膠着させるわけだが、ここで重要なのは、プログラム以外の外界の刺激は絶対に与えてはならないということだ。それは培養槽の溶液以外の物質であれ、それこそ電磁波的ノイズであってもだ。 「念のためスマホは電源を切っておいてくれ」 「わかってるわよ」 完全に外界から遮断できれば越したことはないのだが、このラボは分厚い壁と二重の扉で、外界との接点をある程度閉ざしている。でもそれだけじゃ不完全だ。完全に遮断することはできるのだが、そうなると予算をかなりつぎ込まないとならない。少ない予算で実験を行い成果を出すにはある程度妥協するしかない。それがここのギリギリってわけだ。外からも内からも干渉はなるべく受けたくないのだ。 「いいか?はじめるぞ。データ収集はよろしく」 「だれに言ってるのよ。あなたこそヘマしないでね」 「クールだねえ」 電子顕微鏡の画像がスクリーンに映し出されている。真核細胞として形はできていた。あとはこいつのDNAに遺伝プログラムをかきこむだけだ。 「どうかね、実験は」 西崎教授だ。もしこの実験がうまくいき、論文が書けるとなると、その論文の筆頭者は西崎教授になる。俺の実験、俺の成果でも教授のものになるんだ。まったくくだらない。しかし研究者とはそうしたものだ。研究者のなかで、はやく教授が死んでくれないか願うのは俺ひとりじゃない。 「DNAの99パーセント書き込み済みです。あとは残りとタンパク質での末端部(テロメア)の形成と膠着だけですね」 「さすが五志くんだ。これは人類史上初めての快挙だよ。まったく新しい生物を創り出すんだからな」 「iPS細胞からこのベータを発見できたことが大きいです」 「その発見はきみの功績だよ」 それもどうせあんたの手柄になるのさ。まあ俺はいいけどね。任期をもう一年延ばしてもらえさえすればね。そうしたらもっと…。 「これでプログラムの書き込みは終了です。あとはこいつの正常な分裂のシーケンスを検証するだけです」 「データ収集も完全です」 あたりまえ、とそういう顔をして真琴が言った。いや普通の大学生じゃ無理だったはずだ。さすが秀才だな。だが少しはドヤ顔でもしろ。かわいくない。 「こんなときに悪いんだが五志くん、ぼくの学友だったやつが王林製薬の研究室にいるんだが、そこで研究員を欲しがっていてね…」 「はい?」 「いやきみも任期が切れるだろ?だからきみを推薦しておいたんだが、どうかね?」 どうかねもねえだろ!それって俺は今期でお払い箱ってことだろ?いやマジ信じらんねえわ!いやこいつの研究はどうすんだよ!まだまだやるべきことがあるんだぞ! 「しかし教授…」 「あとのことは心配いらないよ。ぼくと行田くんで充分やれるからね」 「先輩、任せてください。わたし完璧にあなたの代わりできますから」 「いや、そうじゃなくて…」 俺は目の前が真っ暗になった。心血を注いだ研究を奪われる。研究者にとってそれは死ねということだ。真っ暗になった視界とは裏腹に、俺の頭の中は真っ白になった。そのときスマホの呼び出し音が鳴り響いた。 「え?」 教授のスマホだ。この野郎、スマホの電源入れっぱなしにしてラボに入っていたんだ。予算上、完全には外界と遮断できないこのラボに、凶悪な電波が飛び込んできちまった! 「コンタミネーション(実験汚染)発生!」 真琴が鋭くそう叫んでいた。
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