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大学研究室
耳障りな電子音がソファーの下から聞こえた。携帯のアラームだ。ああ、まだ眠い。でも、起きなくちゃ…。
「和也、そろそろ起きないとまずいんじゃないの?」
その声に踏ん切りをつかされた。声の主は冴子。青木冴子、二十歳になったばかりの大学二年生。そしてこの研究室の助手。薄目を開けると、呆れたような顔をして俺を机の資料越しに見ている。
「いま起きようと思ってたんだ」
「そういうこと言ってるあんたって、まだガキの匂いがすんのよね」
「ほっとけ。一晩中教授の論文の手伝いさせられて、ほとんど寝てないんだ」
「言い訳はいいから早くラボに行った方がいいんじゃない?培養液がえらいことになっちゃうわよ」
「やべっ!」
俺は五志和也、もうすぐ三十歳。帝北大学理学部、西崎生物研究室に在籍している。俺はそこのしがないポスドク(博士研究員)だ。西崎教授のもと、日々研究に明け暮れている。俺は脱いでいたスニーカーを履いて、慌ててソファーから飛び起きると、本と資料でうずまった研究室を出て行こうとした。
「ちょっと、白衣くらい着なさいよ!まったく何度言ったらわかるのよ」
冴子がそう怒鳴った。年下のくせに遠慮のないやつだ。
「うっせえな。母親か」
「あんたみたいなクズを産んだ覚えはないわ」
「クズ言うな」
ま、この場合冴子がすべて正しい。俺はこの一年、なんら研究成果をあげていない。だから論文もかけない。つまり落ちこぼれの、大学研究員としてはクズのたぐいに入るのだ。
「ああ、そうそう。教授には今日あたりいよいよだと、そう言ってくれ」
「はいはい。それを何度聞いたことやら。まあ講義が終わったら教授もラボに顔を出すでしょう。でもいい加減ちゃんとした成果出さないと、あんた任期内でクビよね」
ポスドクは成果主義だ。任期以内にそいつを出さないと本当にクビになるのだ。
「こんどはバッチリさ。なにしろまったく未知の遺伝子情報のプログラムなんだからな」
「恐怖は未知にして予測不能なもの。そうならないといいわね」
またバカにしたような目で俺を見ている。ああこれで何度目だ?まあいい、こんどの実験は絶対当たりだ。
「生物学者がドラッガーを引用するようじゃ、おおよそ細胞は金でできてるってことを証明するみたいだぜ」
「まあすごい。その研究費はお金で構成されてるってことだけは覚えてるのね?」
「はいはい」
もう何でも冴子が正しいのだ。
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