第一楽章

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第一楽章

小学6年生の辰見清治(たつみせいじ)の夏の終わりは、父嘉彦(よしひこ)が死んだ日だった。 小学生、中学生など学生にとって夏の終わりは夏休みが終わる日と一致するのだろうが、奇しくも去年の8月31日、清治の父はすい臓がんのためこの世を去った。享年41。 すい臓がんは初期症状がないので、発見が遅れることが多い。父も腹痛が続き体重が減少したため病院で検査した時には、すでに手遅れだった。 入院して半年足らずで父は逝った。 父と過ごす最後の夏休み、清治は毎日のように電車で3駅先の病院に通った。 面会時間は短かったが、父との時間を少しでも長くして、清治の心の特別な貯蔵庫に貯えようとした。 すでに末期の父は清治が行っても眠っていることが多かったが、それでも父の呼吸や鼓動に耳を澄ませ、それが自分の呼吸・鼓動と同調していると感じることが喜びだった。 父の具合が良い日には、しっかり清治の姿を目で捉えて、「宿題はちゃんとやってるか」「他に行きたいところがあったら、行っていいんだぞ」と、普通の父親らしい発言をした。 病室は冷房が利いていたが、父は清治に窓を開けてくれと頼んだ。 それは5分か10分くらいの短い間だったが、窓の外は木立になっていて、セミが今を盛りと鳴き競っており、病室もたちまちセミの声に占領された。 戸外の暑熱を引き連れて聞こえてくる鳴き声に、一瞬清治はひるんだが、ベッドの上の父を見ると好きな名曲でも聴くように、満足げな表情をしていた。 その表情から清治は親子の勘で読み取った。父が息子とセミの声を聞いた夏、セミ捕りをした思い出に浸っていることを。 物心ついた頃から、清治は毎年夏休みに父とセミ捕りに出かけた。 海やプールなどにも行ったが、セミ捕りに行く回数が最も多く、記憶の中でもセミ捕りが大きな割合を占めていた。 夏休みは、普段仕事で忙しい父との距離が縮まる時だった。中でもセミ捕りは、まるでセミが2人の仲介をしてくれるかのように、父と息子が心を通わせることができるひと時だった。
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