第三楽章

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少女は不思議そうに清治を見たが、彼がそこに立っている理由を理解したという風に言った。 「ツクツク法師、鳴いているわね」 「そ、そうだね」 「もう夏も終わるわね」 「まだ8月半ばだし、こんなに暑いけど……」 そこまで言って、清治は何年生、とか引っ越してきたのとか少女に尋ねる欲求を覚えたが、抑えて別のことを訊いた。 「この公園、よく来るの?」 「そうね。家からちょっと離れているけど、いい公園ね。高台で景色がいいし、セミもいるし」 「セミ、好きなの?」 「好きっていうか、セミは夏の間しか鳴かないでしょ。夏を記憶するために、ちゃんと聞いておかないとっていう気がするの」 ここにも、セミの鳴き声を音楽として聴く人間がいる。 清治の脳裏に、病室の窓を開けてセミの鳴き声を聞いていた父の面影が甦った。 「お母さんが言ってたの。セミはセミ協奏曲を演奏しているんだって」 「セミきょうそうきょく?」 耳なじみのない言葉に、清治は首を傾げた。 「協奏曲って、バイオリンやピアノの独奏楽器とオーケストラが、競演するの。バイオリン協奏曲とかあるでしょ。セミはバイオリンやピアノみたいに中心になって、夏のオーケストラを引っ張っていくの」 なんだかよくわからないが、少女の説明は清治にも理解できるような気がした。 セミが主役っていうことか。すごいな! 「でも、セミは何種類もいるから、弦楽四重奏みたいな翅楽(はねがく)四重奏って感じかしら」 また清治には訳の分からない言葉が出てきたが、先のセミ協奏曲に共感できたということで、聞き流した。 「お母さん、ピアノ教師だったの。家で生徒たちに教えていて、私も教わった」 なるほど、それでかと清治は納得し、ピアノを弾く母娘って絵になるなとぼんやり妄想した。 尚人が、少女が母親らしい人と一緒にいるのを夏祭りで見たと言ってたっけ。と、清治が目の前の少女とピアニストの母親のイメージを思い描こうとしたとき、少女がそれを打ち砕く一言を言った。 「お母さん、夏の初めに死んだの」 「えっ!?」 清治は絶句した。 出会ったばかりなのに、自分の母親の死にこんなに驚くなんてと、少女は意外そうな顔をした。 「乳がんで、2年くらい闘病したの。乳房を切除したけど、ほかに転移していて……」 少女はこみ上げる嗚咽に耐えかねて言葉を途切らせたが、少しの間うつむいて涙を拭うと、続けた。 「それで夏休みに入ってすぐ、お父さんの実家に引っ越したの。おじいちゃんとおばあちゃん、それに叔母さん(父の妹)がいて、にぎやかなの」 そして慣れない土地に来てさっそくお気に入りの場所を見つけたのかと、清治は推測した。 それが、自分と父がセミ捕りをした思い出の公園……。彼は何か因縁めいたものを感じた。 「僕も去年、父を病気で亡くしたんだ。ここは生前、父と一緒にセミ捕りをした公園なんだ」 清治はポツリと呟くように言った。 「えっ!?」 今度は少女が驚きの声を上げた。 親を失った悲しみが、2人の間を媒介する電流となって流れた。 2人が共有する悲しみを、周囲で鳴き続けるセミが夏の協奏曲の中に取り込んでいった。
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