8月31日の夜間警備

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 二階の巡回を終え、三階へと向かう階段を上っていた。激しい雨音だけが響く暗闇の中、隣を歩く無口で不愛想な坂下よりも、進行方向の奥の方まで照らしてくれる懐中電灯の光が何倍も頼りがいがあった。  先ほどから全くの無言の時間が続いていた。九条はしびれを切らし、口を開いた。 「そういえば、九条さん僕の制服と色が違いますよね」  先ほどから感じていた疑問を素直にぶつけた。九条の警備服は水色のカッターシャツ、一方で、坂下のカッターシャツは白色だ。ネクタイの色は同じだが、微妙に柄も違う。制服なのだから、普通同じものじゃないのかと、思った。 「ああ」 「何でですかね」 「さあ、急な募人材集だったから制服が間に合わなくて、市販の買ったんじゃないのか」 「なるほど」九条が返すと、再び長い沈黙が続いた。  それにしても、この坂下という男はどこか妙だ。坂下の目線だ。三階についてから、なぜか坂下は天井をちらちらと見ている。坂下の視線を追って同じところを見たりしたが、特に不思議なところはない。白色の虫食いの跡のような独特なトラバーチン模様が広がっているだけだ。 「さっきからなんで上ばっかり見てるんですか?」 「いや、とくに」  特に理由もなく、天井を何度も見やるだろうか。九条は疑問に思う。 「ところで、坂下さんはなんで今回のバイトに応募したんですか」 「なんでって」 「やっぱり、お金、ですか?」  九条はわざとおどけて言ったが、対照的に坂下はぴたりと歩くのをやめ、真顔でこちらを向いた。 「君、このバイトはじめて?」 「え、あ、はい。坂下さんは違うんですか?」 「今日で5回目」 「そうなんですね」 「行方不明」 「えっ?」  坂下が脈絡もなく発した不穏な言葉を口にした。とっさに聞き返してしまう。 「俺と一緒にこの学校の夜間警備してたやつ、全員一日でいなくなった」  聞き捨てならない発言だ。「いなくなって、どういうことですか?」 「全員、警備中に失踪した」  坂下は続ける。 「4階に視聴覚室があるが、その奥に小さな倉庫があってなぜか深夜になると物音がするんだよ」  ポケットからフロアマップを取り出す。確かに、四階の階段を上がってすぐの所に視聴覚室があった。その部屋の奥に小倉庫という名前が書かれている。 「前のやつは全員、その音の正体を確かめに視聴覚室に入って、そしていなくなった」  坂下は、正面をじっと見たまま言った。雷が鳴り、一瞬、坂下の顔が強い白い光に照らされる。その無表情な顔からは、感情の一切が読み取れない。 「4階には行かない方がいい」  おそらく、今、はじめて坂下と目が合った。刺すような眼差しを向けていた。それは、無機質で冷たい、機械仕掛けのからくり人形のもののように九条は感じた。 「またまたあ、坂下さんも冗談とか言うんですね」  気づけば、階段の前まで来ていた。フロアマップによれば、この階段を上ってすぐの所に視聴覚室がある。 「4階には行かない方がいい」  坂下は繰り返しそう言った。その言葉に、一切の冗談は含まれていないのだと察する。坂下は、本気でそんなことを言っているのだ。 「だとしても、そんな理由で4階だけ巡回しないのはさすがに、バイトといっても仕事だし、」 「それなら視聴覚室には入らない方がいい。俺は隣の校舎の巡回に行く、4階に行くなら一人で行ってくれ」  そう言い残し、坂下は階段を下って行った。 「ちょっと、坂下さん」  呼び止めるが、坂下は足取りを速めて、どんどんと下っていく。アルバイトとはいえなんて無責任な人なんだと、小さな憤りを感じた。  これまでにバイトをしていた人が行方不明。そんな話、山田さんからは聞いていない。しかし、事務室を出る瞬間の山田さんあの顔、あの真剣な表情が、今になって思い返された。  そんなオカルト話、工学部に所属する理系脳の僕は信じない、信じるわけがない。冗談交じりの思考を振り絞り、九条は、無理やり笑みを作った。  今の自分の顔の方がよっぽどホラーだ。内心でぼやき、九条は、四階へと続く階段を、懐中電灯で照らした。大きな雷鳴が、また近くで鳴った。
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