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 祭りの準備で活気づく街をイザクと歩く。  荷物を持ってくれるおかげで、今日は普段よりたくさんの買い物をすることができた。 「いつもすべてひとりでやっているのか? 洗濯も食事の用意も子供たちに手伝わせればいいじゃないか」 「子供たちにはきちんと学校に行かせたいですし、今はシャロームの祭りの前ですから」  読み書きができれば、この先仕事にあぶれることはない。ある程度の年齢になったら、子供たちは孤児院を出て行かなくてはならなくなる。 「子供たちのためですもの。イザク様のようにわたしももっと頑張らないと」 「ミリに比べればわたしは大したことはやっていない」 「いいえ、イザク様の援助が無かったら、孤児院自体立ち行かなくなります。わたしにできるのは体を動かすことだけですから」  それに忙しい方が何も考えなくて済む。目の前の雑事に追われる最中(さなか)は、都合よくミリから思考を奪ってくれた。  ミリは戦争で犠牲となった村のたったひとりの生き残りだ。  焦土と化した故郷。火の海に飲まれ死んでいった家族たち。  何もかもが一瞬で焼き尽くされた。  輝く未来に生きる人々の中で、ミリだけが未だ戦禍に取り残されたままだった。  もうすぐ戦争が終わった日がやって来る。祭りが行われるのも、訪れた平和に感謝を捧げるためだ。  浮かれ立つ街並みを、ミリはどこか遠くのことのようにぼんやりと眺めていた。  それでも笑顔を保っていられるのは、となりを歩くイザクのお陰だろうか。  通りすがりに男たちの会話が、ふとミリの耳に入ってきた。 「俺も戦地に赴いたが、あの時の(メレフ)の采配は実に見事だった」  ざわつく心とは裏腹に、ミリの足がその場に止まる。 「いや、なんといっても賢人(ハハム)の立てた戦術だ。あれだけ長引いていた戦いを一瞬で終わらせたんだ。賢人こそがこの(いくさ)の最大の功労者と言えよう」 「もっともだ。我が軍に犠牲を出さずして敵を殲滅(せんめつ)したのだからな。勝利に導いたのはやはり賢人だろう」  酔った様子の男たちは饒舌(じょうぜつ)に言葉を並べ続ける。  勝利を得るために、ミリの村は生贄(いけにえ)にされたのだ。皆にとってはちっぽけな犠牲でも、あの村はミリの生きる世界そのものだった。  それ以上は聞いていられなくて、ミリは街道をひとり駆け出した。  五十人もいない小さな集落だった。  だがあそこには長い間受け継がれてきた確かな営みがあった。  それが老いた者から年端の行かない子供までもが、一瞬でむごたらしく焼き殺されてしまったのだ。 「ミリ……!」  イザクの声も届かずにミリは足を引きずり走り続けた。  石畳の段に爪先を取られ、つんのめった先で両手と膝を付く。息切れと動悸の苦しさで、破裂しそうな心の痛みからミリは懸命に目を背けようとした。 「大丈夫か、ミリっ」  近くまで来たイザクが息を飲むのを感じた。スカートがめくれ上がり、火傷の痕が広がるミリの素足が(あらわ)となっている。  我に返ってスカートで足を覆い隠した。何も見なかったように、イザクはミリを助け起こしてくる。 「怪我はないか?」 「はい……いきなり走り出してごめんなさい」 「突然どうしたんだ? わたしが何か気に(さわ)ることでも言ってしまったか?」 「いえ! イザク様は何も」 「ミリ、待っとくれ!」  追いかけてきたのは肉屋のおかみだ。ミリが孤児院で働いていることを知っていて、常日頃から何かと親身に相談に乗ってくれていた。 「うちのひとが心無いことを言ってすまなかったね」 「おばさん……いいんです。わたし、気にしてませんから」  力なく首を振る。おかみはミリの境遇を知る数少ない人間だ。 「そこの旦那。ミリは最果ての焼かれた村の出身でね」 「ミリが……?」 「ああ、運よく生き残ってね。たった独り残されて、まだ若いのに苦労ばかりで……あたしゃ不憫(ふびん)でならないんだ。旦那もどうかミリのこと、気にかけてやってくれませんかね」 「やめて、おばさん! すみません、イザク様。今の話は忘れてください」 「あ、ああ……」  見えてしまった醜い傷跡も。どうかイザクの記憶から消えてなくなるようにと、ミリは心の中で祈っていた。
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