揺れる、ポニーテールの先

4/6
11人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 中学を卒業した夏希と私は、実家から通える距離にある中で、最も陸上競技に力を入れている高校に進学した。 「県中学総体のワン、ツーだからな! 今年の新入生は期待できるぞぉ!」  部の顧問はそう言って笑ったが、私の中には一抹の不安が残っていた。  百メートルハードル走の公式競技で使われるハードルは、中学から高校に上がると約八センチほど高くなる。  私は中学総体が終了した後、ハードルの高さを高校の基準まで上げて自主練習に取り組んでいた。けれど思うようにいかなかった。  身体が、ハードルの高さに適応出来なかったのだ。  私の身体の成長は中学の半ばでほとんど止まっていた。高校入学時の身長は同学年の女子の平均を大きく下回る程だった。  小、中学校ではまだギリギリ戦えていた身体が、周りに追いつかなくなっていたのだ。  私はひどく焦り始めていた。  高校総体の規則では、同じ種目に対し、一つの高校から三名までしか出場できない。  私達の学校では、総体前の部内選考会で上位三着までに入った選手が、正式に出場できる決まりだった。  一年目の夏。夏希は、一年生ながらにして、堂々たる走りで選考会を突破した。百メートルハードルを専門とする選手の中で、私の順位は、下から数えた方が早かった。  このままでは、夏希と並んで走ることすら出来ない。  どうにか、突破口を見つけようとして無理な自主練習を続けていたある日、私の身体は突如、悲鳴を上げた。  大腿の肉離れ。全治三ヶ月と診断された。  開いた差は、更に広がる一方だった。    怪我で練習ができなくなった期間、私は積極的に、夏希をはじめとする他の選手のケアとマネジメントを勤しんだ。自分のような怪我を皆にはして欲しくないから、と他の部員には話した。嘘ではない。けれど、百パーセントの純粋な気持ちという訳でもなかった。  私はとにかく、陸上に関わる何かに携わって身体を動かしていないと、居ても立っても居られなかったのだ。  練習の時、私は出来る限り朗らかな態度で皆に接した。怪我は自分一人の事だ。部内の空気を悪くしてはいけない。  ストレッチやマッサージ等、身体のケアに関わることについては人一倍勉強していたから、先輩や同級生達は、サポートにまわった私の存在を喜んでくれた。  その中でただ一人、夏希だけがどこか納得いかないような様子で、遠巻きに私を見つめていた。埋まらない実力の差は、夏希と私の間に、高く、深く立ちはだかっていた。    冬を経て学年が上がり、太腿の怪我からある程度回復してからも、私は選手兼マネージャーのような立場で、部内を忙しく立ち回った。必要とされている、という感覚は、思うようにタイムが伸びない私の焦燥を、じんわりと麻痺させてくれた。 「あゆちゃん」  ある日の練習後、私がスターターの後片付けをしていると、夏希が声をかけてきた。 「あ、マッサージ? ごめんごめん、これ、あと少しで終わらせるから」 「違う、そうじゃなくて」  私の服の裾を掴み、夏希は何か言いにくそうにして俯いていた。高い身長。すらりと長い手足。そして、選手としても申し分のない実績。周囲から尊敬と憧れの目で見られるようになっても、夏希の口下手は変わらない。それが「クール」と褒めそやされてしまうのだから、人の評価というものは分からない。 「練習、いいの? それで」 「……どういう意味」 「あゆちゃん、前より全然、走れてない」  その言葉を聞いた瞬間、私の頭はカッと熱くなった。確かに私は、中学の時よりもまともに走れなくなった。自分が一番分かっている。だからこそ、夏希にそう言われてしまった事に、どうしようもなく腹が立った。 「……そうかもね」 「だから……」 「遅くなったよね、私。中学が全盛期だったよね。ハードルに合わせられなくて、無理して怪我して、後輩にもすぐ追い抜かれて。トップ選手の夏希とは大違いだよ。わざわざ言われなくても、分かってるって」 「え、あ……」  夏希はハッとした表情をして口を抑えた。もう遅い。私は軽口でも叩いているように、変に明るく声を発した。わざとだ。 「気にしないでよ、私の事なんて。夏希は自分の練習のことだけ考えてなよ。いくらでもサポートするからさ。でも今日のマッサージは別の人に頼んでくれないかな? 部長に頼まれていた用事、思い出しちゃったから」 「ち、ちがうの、あゆちゃん」  呼び止めようとする声に気付かないフリをして、私はその場を立ち去った。  振り返りはしなかったけど、そこに残されて立ち尽くす夏希の姿は容易に想像できた。  ぽつん、と。  悲しそうな目をして。    本当は、分かっていたのだ。  あの時の夏希の「走れてない」という言葉は、伸び悩んでいた私のタイムを指していたのではない。補助やケアにまわる事が増えた私が、十分な練習時間を確保できていなかった事を指して、夏希は「前より走れてない」と言ったのだ。  付き合いは誰よりも長い。  口下手な夏希の足りない言葉が、何が示しているのかなんて、私が一番読み取れる。  けれど、私はわざと揚げ足を取るような真似をして、夏希を突き放した。  八つ当たり、だった。  羨ましくてしょうがなかった。  私の事で夏希が、ほんの少しでも傷付いてくれるなら、それで憂さが晴れると思った。  そんなわけ、あるはずないのに。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!