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夏至の太陽がようやく山の端にかかったころ、アステルはヘリオスと軽快な音楽に乗って踊っていた。楽師たちの奏でるメロディにフェニーチェの歌声が重なる。
夏至の祭りの日、彼は本来の姿で歌う。初夏の花々とリボンで飾られた夏至の塔の頂に座す不死鳥の姿は一際華やかだ。
クジャクにも似た尾羽は赤と朱で炎のような模様をしている。それがパステルカラーの花々に滝のようにかぶさり、燃え盛る冠羽はかがり火のようだ。
彼が歌うのは夏至に不死鳥の歌声を聞いたものは一年幸福に過ごせるという言い伝えがあるからだ。そんな彼がずっと滞在しているゴンドーレの王宮には多くの幸せが集まっているのかもしれない。
アステルは夏至の塔をちらと見上げる。フェニーチェの姿が小さく見えた。夏至の塔を飾る花とリボンはアステルの髪を飾る花冠と同じだ。ドレスにも花の飾りが多くされている。
夏至の日に生まれた少女が務める夏至の女王。アステルは生まれた日からずっと夏至の女王だ。
「フェニーチェの歌声はいつ聞いても変わらず美しいですね」
ヘリオスがドラゴン特有のひび割れた声で呟いた。ドラゴンは歌えない。人間のふりに長けた彼でさえ、その声は隠せないのだ。
「そうね。ハープは全然だけど」
「あれでバランスを取っているんじゃないですかね。不死鳥の歌声は聞き過ぎると不吉だと言われることもありますから」
「そうなの?」
「はい。でも誰も本当かどうか知りません。噂の出どころも不明。彼自身はそんなことはないと言っていましたが、気にしているようです。愛するあなたに不幸をもたらさないようにわざと下手に弾くのかもしれません」
大賢者と呼ばれる不死鳥でさえ、わからないことや悩みがあるのだ。そう思うと少し不思議な感じがした。
「伯父様もそういった噂を気にしたり、悩んだりするの?」
ヘリオスはくすりと笑って、アステルの手を引く。花冠の花びらがわずかに散り、リボンが跳ねる。
「どうでしょうね」
彼の表情が読めない。伯父の振る舞いはいつもどことなく作り物のようで、まったくわからなくなることがある。彼もまた永く生きているからだろうか。
夏至の塔をもう一度回ったらダンスは終わりだ。音楽が少し早くなる。いつも楽しみにしていたダンスの時間。
大好きな伯父と踊れて楽しいはずなのに寂しさが募る。楽しい時間がこのまま続いてほしい。けれど彼の完璧なステップは終わりに向かって弾み続ける。
「女王!」
突如、悲鳴にも似たルベールの叫び声が音楽を遮った。ヘリオスは走り去り、アステルは独り立ち尽くす。
祝いのワイングラスが地面を転がる。
音楽は乱れ、喧噪があたりを支配する。
アステルは動けなかった。
信じたくなかった。
麗しき女王の唇から血が滴る。
類い稀なき女王の堂々たる姿が傾く。
なにが起きたのか、頭が理解を拒む。
我が子らに支えられ、メリダは奥へと姿を消した。アステルは瞬きさえできなかった。
「お祖母、様……?」
肩に赤と朱の翼が触れた。そこにはフェニーチェが立っていた。手にはルベールが乗っている。
「おいで、姫」
彼の声から感情が抜け落ちていた。熱いはずの彼の手が冷たい。
アステルは導かれるままに歩いた。歩いて行った先にはメリダがいた。彼女の手には真っ赤に染まった布がある。端がちりちりと燃えている。それがドラゴンの血であることは疑いようもない。
「アステル」
メリダはやさしくほほ笑んだ。その笑顔はいつもの愛情深い祖母のもの。けれど、頬には色がなく、その姿を保っているのもギリギリのようだ。片目がドラゴンに戻り、角が生えている。
「私は人間の毒では死にません」
彼女の視線を受けてヘリオスが剣を差し出した。アステルには意味がわからなかった。
「私はもう助かりません。けれど、人間の毒で死ぬことは許されない。私は自ら命を絶つのです。そうでなければいけない。人間との関係を維持するために」
荒い息を吐きながらメリダは剣を抜き放つ。鋭い刀身が鈍く光った。
「私の死はできる限り隠しなさい。後は頼みますよ、ヘリオス」
「お祖母様、いや!」
アステルは思わず彼女の大きな手に縋る。これだけ話せているのに死んでしまうはずがない。大好きな祖母がいなくなってしまうなんて思いたくなかった。
「アステル、私の光……この日がいつか来ることを私は知っていました。あなたを悲しませることだけが心残り。けれど、もう無理なのです。身体がどんどん冷えて崩れていく。叫び出したいほどの痛みが私の中で渦巻いているのです」
頬を撫でてくれた祖母の手が氷のように冷たい。本来は炎の身体を持つ彼女が冷え切っている。強靭な精神力で持ちこたえているだけなのだ。
「アステル、あなたはお祖母様の希望。あなたなら人間とドラゴンをより良い未来に導けるでしょう。ルベール、この子のそばにいてあげてちょうだい」
「女王、おれは姫さんのそばにいる。色々話してくれてありがとな」
やさしく頷いた祖母に離れるように言われて、アステルは引き下がる。彼女はもう助からない。
人間と結んだ多くの同盟のために彼女は人間の毒で死ぬことはできない。だから彼女は自ら命を絶つのだ。
六百年の長きに渡り女王として君臨し、五百年の平和の礎となった彼女が最期を迎えようとしている。
フロガはアステルを連れ出そうとしたが、見届けなければいけない気がして踏み止まる。
「この遺言を守ってください。犯人を捜してはなりません。私は毒ではなく老いて死にます。どうかこの平和を守ってください。それから……」
ヘリオスが彼女の大きな手をそっと握る。
「わかっています。すべてわかっていますよ、母上。愛しています」
メリダは長きに渡り参謀としてそばに置き続けた我が子の頬に口づけを落とす。
「あなたがいれば大丈夫ですね。愛していますよ、ヘリオス。あまねくすべてに私の祝福を」
ヘリオスに支えられて剣で胸を貫いたドラゴンの女王は幸せそうにほほ笑んだ。
「ああ、やっとあなたのもとに逝けます、リリィ姫……」
リリィ姫。それは彼女が愛した幼い姫の名だ。幼くして失くした姫のために彼女は女王になり、これまで歩み続けてきた。彼女はやっと休めるのだろう。
彼女の身体はドラゴンに戻ることもなく一気に燃え上がり、瞬く間に消えてしまった。ドラゴンの最期はあまりにも呆気ない。
ただただ愛してくれた祖母はもういない。それだけはわかった。
彼女がいた場所に焼け焦げた剣と小さな指輪が落ちていた。ヘリオスは指輪を拾い上げて愛おしそうに握りしめる。彼は女王として生きるメリダに千年以上寄り添ってきた。二人は親子であり、パートナーだった。
誰よりもメリダを理解し、支え続けた彼が、その最後になにも思わないはずがない。けれど、ドラゴンは涙を持たない。彼の母に似た赤い目はただ伏せられただけだ。黒く長いまつげが顔に影を落とす。
ヘリオスは剣を鞘に納め、深いため息を吐く。顔を上げた彼はいつもと変わらなかった。
「アステル、お祖母様はあなたにこれを託したいと言っていました。受け取ってくれますか?」
頷いた彼女の手に伯父は小さな指輪をそっと乗せた。小さな小さな指輪には紋章が刻まれている。それは遥か昔、七百年前に滅んだゴンドーレ王家のものだ。今の王家はメリダの助力によって再建されたもの。
失われたゴンドーレの紋章が入った小さな指輪はアステルの小指にも入りそうにない。夭折したリリィ姫のものだろうか。
「この指輪は母が女王になると誓ったものです。あなたはドラゴンと人間の血を引いている。だからこそ、架け橋になって欲しいと母は願っていました。母と私が成し遂げた圧政によるものではなく、真の平和をあなたならと」
「お兄様、この子はまだ幼いのよ」
フロガに庇うように抱き寄せられた。彼の言わんとすることがわからない。フロガも知っているようだが、頭に入って来ない。
「わかっています。ですが、もう賽は投げられてしまった。母上の死を隠しおおせることができるはずがない」
「わたくしならできます」
フロガは金の輪を投げ捨てる。それは角に付けられていたもののはず。母の姿がメリダと寸分たがわぬ姿に変わった。豊かな黒髪、秀でた額。高い頬骨、少し厚い真っ赤な唇。そこにフロガの面影はない。
「今日は誰も死んでいません。できる限り引き伸ばします」
ヘリオスは複雑そうにフロガの頬を撫でる。
「強くなりましたね、フロガ。頑張って時間を稼ぎましょう」
そのままヘリオスの采配でメリダは幸運にも回復したことになった。その夜、急病に伏せったのはフロガだ。
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