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 その街は比較的大きいが、特別なものはないとフェニーチェは言った。初めて長時間飛んで疲れているし、明日も時間はある。二人は早々に宿に入った。  宿の部屋は小ぎれいだが狭く、粗末だ。これまで自分の置かれていた環境がどれほど恵まれていたのかアステルは思い知らされるようだった。 「姫の部屋と比すれば劣るじゃろうが、宿にしてはかなり良い。慣れることじゃ、姫よ」  部屋に通されてからなにも言わなかったから、部屋のことで閉口していると思われたらしい。アステルは慌てて口を開く。 「不満なわけじゃないわ。素朴で素敵。でも、ベッドが一つなのはどうして?」 「わしは別室を取っておる。種族が違えど、男女で寝室を同じゅうする訳にはゆかぬ」  言われてみれば当然の配慮だった。幼いころは一緒に寝てくれることもあったが、もうアステルも子供ではない。 「そうよね。ご飯はどうすればいいの?」 「下に食堂がある。できるだけ庶民と同じようにとフロガに言われておる。わしとしても、庶民の暮らしを知る価値は大きいと思うゆえ、そのようにな。カーロには必要以上の金を押し付けられたがの」  アステルは思わずくすりと笑う。カーロならそうするだろう。まだ一日目なのに懐かしく感じた。  けれど、今は寂しさより、わくわくした気持ちで胸がいっぱいだった。一階の食堂ではどんな食事が食べられるのだろう。きっと王宮の食事とは違っている。遠くに畑が見えたから、明日はそちらも見てみたい。  アステルはベッドに飛び込んでうふふと笑う。ここではアステルは王女ではない。ドラゴンと人間の姫ではなく、幻獣の一種と思われるだろう。そのことが無性にうれしい。 「どうした、姫よ」 「楽しくなってきたの。あなたが一緒なのはいつもと同じだけど、こんなこと初めて」 「そうじゃな。姫の旅が楽しいものになるはわしもうれしい」 「ねぇ、歌ってフェニーチェ」  彼は調子はずれのハープを爪弾きながら豊かな歌声を響かせる。今日は旅立ちの日。王宮ではないところで過ごす初めての夜。この旅はきっと楽しいものになる。アステルは彼の歌声に乗せてハミングをする。  その時、ランプの火がふっ、と消えた。アステルは歌うのをやめる。フェニーチェの髪と翼が炎のようにほのかに輝いているから暗くはない。 「はてはて」  ランプは油が切れているわけでもなく、芯が短くなっているわけでもなかった。フェニーチェが火を入れ直したが、またすぐに消える。 「ほうほう、これは客がいるようじゃ」 「お客様?」 「さようさよう、火を喰らうものがおる」  彼は楽しそうに笑って翼から二本の羽根を抜き取る。 「火を喰らうものって?」 「様々おるが……そこじゃ!」  彼の目がきらりと光る。彼の投げた二本の羽根が小さな生き物を壁にはりつけにした。 「うわ! くそっ、放せ!」  小さな生き物がじたばたと暴れ、炎色の羽根に噛みつく。だが、その米粒のように小さな牙ではどうすることもできないらしい。緑色のトカゲのような姿で、背には皮膜でできた翼がある。アステルの手のひらよりも小さいが、頭には枝分かれした角が生えていた。  アステルはその小さな生き物を両手で捕まえる。 「ドラゴン、なの?」 「うるせぇ! 放せ! 放せよ!」  アステルの手から逃れたい一心のそれは頭突きをしてきたが、痛くはない。 「落ち着いて、大丈夫。なにもしないわ」  何度か背を撫でると、その小さな生き物は大人しくなった。急に捕まえられて興奮していただけのようだ。 「私、ドラゴンなの。半分だけだけど。お話ししない? 私はアステル。女王メリダの孫よ」  それはぴぃと鳴いて怯えたように縮こまった。メリダの名は想像以上に絶大のようだ。 「お、おれはドラゴンのルベール。火を盗んで悪かった。殺さないでくれ」 「そんなこと考えもしなかった。あなたもドラゴンなのね。こんなに小さいのに。子供?」 「違わい! これでも二十歳だぞ!」 「子供じゃな」  フェニーチェがほほと笑うとルベールは頬をふくらめて火を吐いた。火も小さくて怖いどころかかわいらしい。 「フェニーチェ、意地悪を言わないで。二十歳なら大人でしょう?」 「人間はな。ドラゴンであれば少なくとも五十を過ぎねば。ドラゴンではなく、翼のあるヒトカゲか?」 「違ぇ! ドラゴンだって言ってるだろ!」  ルベールはきーきー言いながらアステルの手の上で威嚇するように翼を広げた。 「フェニーチェは黙ってて。怒らせたら話もできないじゃない。ルベールは小さいだけよね?」 「ああ。小さいから独りで生きてきたんだ」 「大変なのね」  アステルはふうと息を吐く。これほど小さく、簡単に捕まってしまうようでは生きるだけでも楽ではなかっただろう。 「あんたはなんで宿屋にいるんだ?」 「私は魔法使い様に会いに行く旅の途中なの」 「魔法使いって虹の魔法使い様か?」 「そうよ」  ルベールは目の色を変えて頭を下げた。 「おれも連れて行ってくれ!」 「私はいいけど」  ちらと視線を移すとフェニーチェは苦虫を噛み潰したような顔をした。ルベールは深々と頭を下げる。必死な様子にアステルが口添えしようとすると、フェニーチェが彼を摘まみ上げた。 「頼むよ!」 「威勢がいい。口が悪い。小さすぎる。どうやってわしらに付いてくる気じゃ」 「飛ぶ! おれがんばるから!」 「いくら姫が速うないとはいえ、この小さな翼で付いて来られるとも思えぬ」  彼の翼はコウモリほどの大きさしかない。どう頑張ってもそれほど速く飛べないだろう。小さなドラゴンはしゅんとしてますます小さくなってしまった。 「私がポケットに入れて行けばいいでしょ? 今日のフェニーチェは意地悪だわ。何がそんなにいやなの?」  彼は深いため息を吐いて、ルベールを机に置くとコップを被せてしまった。ルベールは驚いた顔をしたが、その場にぺたりと座る。コップを動かすこともできないらしい。 「姫はやさしいドラゴンしか知らぬゆえ、わからぬじゃろうが、弱いふりをして取り入り、悪さをするものもいる。この者の小ささは桁違いじゃが、悪い性根を隠していないとは限らぬ。火を盗む程度であれ、悪さをしたのは事実。尋問なしには受け入れられぬ。姫はやさしすぎる」 「だって、こんなに小さくてかわいいじゃない」  フェニーチェは額を抑えて頭を振る。 「我が姫が素直で心優しゅう育ってくれたことは喜ばしく思うのじゃが、それでは長く生きてゆけぬ」 「ダメなときはフェニーチェが止めてくれるでしょ?」  下から覗き込んでほほ笑むと彼はまたため息を吐いた。 「これじゃ、まったく姫はこれじゃから。連れて行くかどうかは尋問次第。よいな、姫よ」 「ええ」  フェニーチェはコップをどかし、緋色の炎を出す。その炎は魂を審判する。並の炎では火傷することさえないドラゴンでさえ、心に曇りがあれば火傷をする。彼の前で嘘を付けるものはない。  アステルも幼いころに何度かその炎に手をかざした。彼はやさしいだけではない。 「わしは不死鳥じゃ。聞いたことはあるな?」  ルベールはこくこくと頷く。 「この炎は審判の炎。わしの問いに偽りなく答えよ。さすれば焼かれることはない」  再度頷いたルベールは炎に両手を入れる。 「我が姫が女王メリダの孫であると知っておったか?」 「知ってたら火を盗むわけねぇだろ」 「質問にだけ答えよ」  フェニーチェに睨まれ、ルベールは小さな身体をぷるりと震わせる。 「知らなかった」 「ランプの火を盗んだはなぜじゃ」 「腹が減ってたんだ。俺は小さいから小さい火しか食えない」  彼はみすぼらしいほど痩せている。その言葉に偽りはないだろう。 「親は?」 「知らねぇ。生まれた時からいなかった」  フェニーチェは複雑そうに眉を寄せた。ドラゴンの年齢ではルベールはかなり幼いのかもしれない。 「魔法使いに会いたいのはなぜじゃ」 「逃げ隠れて暮らすのがいやなんだ。独りもつれぇ。魔法使い様のお庭なら誰でも楽しく暮らせるって聞いた」 「それは誰に?」  小さなドラゴンは困ったように目を泳がせた。審判の炎がかすかに揺れる。 「わからねぇ。夢で聞いたような気がする」  不死鳥は驚いた顔をしたが、ふと笑って炎を消す。審判の炎は一度としてルベールを焼かなかった。 「よかろう。証明は済んだ」 「それって?」 「連れて行っても良い、という意味じゃ」  ルベールは嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。 「ただし、一度でも不審な動きがあれば握り潰すゆえ、覚えておくのじゃ」  小さなドラゴンはぴぃと情けない声を出してアステルの陰に隠れる。 「悪さはもうしねぇ!」  アステルはくすくす笑ってルベールを手に乗せる。 「フェニーチェはやさしいから大丈夫よ。これからよろしくね、ルベール」 「おう、よろしくな、アステル」 「姫と呼ぶように!」  鋭い声にルベールはピンと背筋を伸ばした。 「姫さん!」  アステルは思わず吹き出す。新しい仲間も加わって旅はますます楽しくなりそうだ。
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