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旅を続けて数日が過ぎた。景色はずいぶんと変わり、気候も変わったように感じる。畑の多い地域を抜け、果樹園の多い地域に差し掛かったこともあって、眼下の景色が違う。芽生えたばかりの緑が目に鮮やかだ。花が咲いている木も多い。
おおよそ真っ直ぐに魔法使いの家を目指しているだけなのに景色は少しずつ、少しずつ、変わっていく。
「なあなあ、あれなんだ?」
ルベールがアステルのポケットから顔を出して、小さな白い花が咲いている木を指さす。
「あれはアプリコットの花じゃ」
「あぷりこっとってオレンジ色の実か?」
「そうじゃ」
「フェニーチェはなんでも知ってるんだな」
ルベールににぱっと笑われてフェニーチェは居心地悪そうに肩をすくめる。彼はまだルベールに対する警戒を解いていない。時折威圧するような態度を取ることもある。けれど、ルベールはいつも素直で、彼は毒気を抜かれるらしい。
「フェニーチェはなんでも知ってるの」
アステルがそう言うとルベールは彼にキラキラとした視線を送る。
「なら、おれがこんなにちっせえわけもわかるか?」
「それはわからぬ。すまんな」
ルベールが明らかにしょんぼりしたのを見て、フェニーチェはもう一度口を開く。
「オルディアならわかるかもしれぬ。聞いてみるがよい」
「そうする。ありがとな」
珍しく彼がルベールに笑みを返した。思わず、その顔を凝視すると彼は咳払いした。
「しかし、なんじゃ、おぬしはずっと独りだったのか?」
「だいたい独りだった。たまにいそーろーさせてもらえたこともあったぞ」
「幼いのに苦労しとるんじゃな」
「幼くねぇ!」
フェニーチェはふと息を吐いて、ルベールをアステルのポケットから引っ張り出す。
「ルベールよ、ドラゴンは百でやっと大人と認められる。三百で一人前。まだ二十歳のおぬしは幼い子供じゃ。幼くないと思い込まねば生きて来れなかったのじゃろうが、これからは子供らしゅう生きよ」
ルベールは唇をへの字にする。
「そんなこと言われてもわからねぇよ。こどもらしいってなんだ? おれわからねぇ」
フェニーチェは複雑そうにルベールの頭を撫でる。
「ただ遊び、笑っておればよい。おいおい甘えることも覚えようの」
「あそぶってなんだ?」
アステルはフェニーチェの手からルベールをすくい上げる。
「楽しいことをするのよ。ルベールは今日から私のお友達よ」
「ともだち?」
「仲良しで一緒に遊ぶって意味よ」
「それいいな」
ルベールはうれしそうに笑って、翼をパタパタさせる。
「姫さんはおれの初めてのともだち!」
「そうよ。私もドラゴンのお友達は初めて」
ルベールは不思議そうに小首を傾げた。
「女王の孫なのにドラゴンと仲良くねぇのか?」
「半分しかドラゴンじゃないからお母様やお祖母様、伯父様しかドラゴンは知らないの。危ないから会わない方がいいって」
彼はぷるりと震えた。
「そうだな。ドラゴンとは関わらねぇ方がいい」
ドラゴンの話になると怯えたような仕草をすることがある。なにか良くない思い出でもあるのだろうか。
「さて、今日の目的地はあそこじゃ」
アプリコットの果樹園に囲まれた小さな町が見えてきた。
「あの町にはなにがあるかしら?」
「果樹園に囲まれておるからの、ジャムや酒、髪によい油などもあるのではあるまいか」
「すてき。ルベール、一緒に見て回りましょうね」
「おう!」
町に近付き、高度を下げて行くと花の甘い香りが鼻をくすぐった。アプリコットの果樹園に囲まれているせいだろう。
町に降り立つと小さな商店がいくつかあるだけで、目立ったものはないことがわかった。いつも通り宿を取り、町を歩く。
石畳の色や壁に描かれた模様が楽しくてアステルは弾むように歩く。肩に乗ってあちこち見まわしていたルベールが不意とどこかを指さした。
「姫さん、あれ、きれいだ」
ルベールが指さしていたのは赤みがかったオレンジ色のジャムが入った瓶だった。
「あれはきっとアプリコットのジャムよ。きれいな色ね」
「姫さんの目の色と一緒だ」
「そうね」
アステルはくすりと笑って、ジャムを買う。今度パンが手に入ったら使おうと鞄に押し込む。行く先々で色々詰めてしまったから鞄がパンパンだ。
「あ、ねぇ、あのポシェットかわいい」
アステルは店先に飾られていた小さな革のポシェットを手に取る。染められた糸で花が刺繍されていて華やかだ。
「ルベール、ポケットより広そうじゃない?」
手首までするすると降りてきたルベールが中を覗き込む。
「居心地がよさそうだな」
ルベールはくけけと笑った。アステルはそのポシェットも買うことにした。カーロが余分に持たせてくれたおかげでお金には余裕がある。
「フェニーチェ、羽根ちょうだい」
「なにに使うのじゃ」
「ポシェットに入れるの。その方がルベールの居心地がいいでしょう?」
フェニーチェは少しいやそうにしたが、内側のやわらかい羽根を何本かくれた。アステルは羽根をポシェットの底に敷き詰め、ルベールを入れる。
「どう?」
「すげぇ、ふわふわであったけぇ」
ルベールはフェニーチェの羽根にすりすりと頬を寄せる。
「さすが不死鳥の羽根だな」
フェニーチェも悪い気はしなかったらしく、もう一枚羽を放り込んだ。ルベールはくけけと笑って、その羽根を抱きしめる。
「ありがとな、フェニーチェ」
「礼には及ばぬ」
彼の翼はどんな鳥よりもふわふわとやわらかくあたたかい。アステルも幼いころはよく彼の翼の中で眠った。ルベールが幼い子供なら安心できる場所をあげたかった。
「さて、そろそろ夕食を用立てて宿に戻ろうかの」
いつの間にか日が傾いていた。小さく素朴な食堂で食事をすることにした。デザートにはアプリコットのパイを選んだ。
「ルベールは火しか食べられないの?」
机に置かれたロウソクの火を食べたルベールはアステルを見上げる。彼は宿についてすぐロウソクやランプの火を食べるきりだ。食堂のロウソクの灯を食べたり、フェニーチェが点け直した直後に食べたりすることもある。だが、食べる量が少なすぎる気がする。
「そうだな。溶岩もダメだったし、人間の食いもんは腹を壊した。ランプの火くらいがちょうどいい」
ドラゴンにとって人間の食べ物は有害で、よほどの事情がない限り口にしない。彼がお腹を壊したのも当然のことだろう。
「魔法の火はうまかったなぁ」
ルベールは懐かしむように唇をちろと舐める。
「魔法の火?」
「ああ、あれはなんで燃えてるのか知らねぇけど、うまいんだ」
フェニーチェが不意と指先に火を灯して差し出した。
「これじゃろう?」
ルベールはそれをぺろりと食べて、頷く。
「これだ。でも、味が違う」
「魔力を燃やすものじゃからの。作り出したものごとに色も味も違う。そこらの火よりもうまいとおぬしが感じるのはドラゴンの身体にも魔法の炎が廻っているせいであろう」
アステルは集中して小さな火を出し、ルベールに差し出す。
「姫さんのはなんか、懐かしい味がする。なんでだ?」
「根源が似ておるせいじゃろう。姫が操る炎はドラゴンの炎。魔術師やわしの作り出す炎とは違う」
「いろいろあるんだな」
ルベールは感心したように呟いた。
アステルはアプリコットのパイを口に運ぶ。甘酸っぱくて甘い。けれどどこか素朴な味が口の中に広がった。同じように火にも味の違いがあるらしい。アステルもたまに火は食べるが、そこまで気にしたことはなかった。今度食べるときは気にしてみようと思った。
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