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第37話 飛倉の女
バスに乗った僕と笹島は、在来線を再び引き返していった。
そして鰻を食べに降りた駅で再び降りる。
いやまた鰻かよ。どんだけ精力つけるんだよ――って思ったけれど別の方向に歩き出す笹島。
着いた先は飛倉の名がある商店。
「こんにちは。翔子さんいらっしゃいますか?」
笹島が声を掛けたのは、一回りくらい年上の女性。
「あら? え? 七虹香ちゃん? 制服だからかしら、ずいぶんかわいらしくなっちゃったわね」
「あは、こっち来るときはパパの命令で地味なカッコだから」
まあ確かに、同じ制服とはいえコートはちょっと派手めだし、髪はくるくる巻いてる感じのツーテール、しかもボリューム盛ってるのかピンクのエクステ混ぜ込んであるし、化粧もナチュラルよりは派手め、爪は桜色で大人しめかと思ったら螺鈿みたいなホロのグリッター入ってるし。
「そっちの方がかわいいと思うなあ。あ、中に入って待ってて。姉さん呼んでくるから」
笹島は女性に続いて店の奥に行くと靴を脱ぎ――お邪魔しまぁす――と上がっていった。
ガラス戸を開けてすぐの場所にちゃぶ台のある和室があり、彼女はそこに座った。
やがてさっきの女性とよく似た印象の、おそらく翔子さんと笹島が呼ぶ女性が現れる。
「七虹香ちゃん? そんな恰好でどうしたの? そっちの男の子は?」
「えっと、こっちの彼はとりあえず置いといてください」
いや、ここまで来て置いとかれるのかよ。
「――翔子さんにお話があってきました」
「……珈琲あとでいいわね。私は外しとくから」
さっきの女性はガラス戸を閉めて店の方へと戻っていった。
「翔子さん、パパと結婚したんだから、飛倉の家よりパパを大事にしてあげてください」
「そんなことを言いにわざわざ戻ってきたの? 私は貴方のお父さんを大事にしてるつもりだよ」
「だって翔子さん、お兄さんの言いなりじゃないですか。パパを酷く言われても守ってくれないし。あれでも翔子さんのお兄さんより年上なんですよ。男のプライドズタズタですよ」
「七虹香ちゃんに男がどうのなんてまだわからないでしょ」
「わかりますよ、あたしだって男いるもん」
翔子さんとやらは僕の方を責めるように見据える。
そして笹島よ、お前も彼氏のプライドズタズタにしてたんじゃないのか。
「兄さんは面倒くさいのよ……」
彼女は目を逸らしてそう呟いた。
そんなことを高校生の娘に言われてもなって。
「あたしは翔子さんにパパをちゃんと選んで欲しい。家族として、女友達としての助言です」
「だからって実家を捨てられるわけないでしょ」
「別に縁を切れとか言うわけじゃないんです。もっと大事にして欲しいって……。せめて翔子さんのお兄さんに言い返してやってください。お兄さんよりパパが大事だって!」
「……女友達の助言じゃしょうがないわね」
しばらくの沈黙ののち、彼女は言い訳を見つけるようにそう言った。そして――。
「――でも、兄さんに逆らったら相続は期待できないわよ?」
ただ、そんなことを言った癖に彼女はちょっとだけ笑って冗談めかしていた。
「そんなの別に期待してないもん。パパだって同じ」
微笑みを絶やさないまま翔子さんは笹島と僕を見つめる。
「いいわね、若いうちから支えてくれる彼氏が居て」
「でしょ!」
「いや僕、こいつの彼氏じゃないんで……」
「なんでよ! 支えてくれたじゃん」
「ぜんぜん関係ない。僕は渚に会いに来ただけだ。てか、お前、敬語喋れたんだな」
「扱い! 喋れるよ、当たり前じゃん!」
「渚って汐莉さんの娘さん?」
「はい、僕は渚と付き合ってるので。こいつじゃなく」
「こいつじゃなくて七虹香!」
「汐莉さんと渚ちゃん、たぶん兄さんの指示で屋敷に軟禁されてる……」
「ええ!?」
「それどんな現世!」
いや言い方……現実離れしてるけどさ。
「お爺ちゃんが汐莉さんの再婚相手を今すぐ決めろって言い出したらしくて揉めてるの。本当に言ったか皆、半信半疑なんだけど、みんな兄さんの指示で動いてるから……」
「何で渚のお母さんなんですか?」
「長男だった汐莉さんのお父さんが一昨年病気で亡くなったんだけど、お爺ちゃんとしては汐莉さんに継がせたいらしいのよ。お爺ちゃんの道場で真面目に剣道と合気道やってたの、汐莉さんと汐莉さんのお父さんだけだったし、お爺ちゃんのお気に入りなの。でも汐莉さん、お嫁に行っちゃったでしょ?」
「ああ……でも、兄弟とか居ないんです?」
「汐莉さんのお兄さんも十年くらい前に亡くなっちゃたしね。汐莉さんのお父さんの妹さんに当たる伯母さんは汐莉さんの味方だけど、その人も汐莉さんには家を継いでほしいみたいだし……」
「――うちの父と母は兄さんのいいなりだし、他の親戚や従妹も兄さんにはちょっと口を出せなくて……。あの人面倒なのよ、法律振りかざすから」
「だからって軟禁は普通じゃないですよね」
「そうだね……」
「じゃあさ、屋敷から攫っちゃおうよ! 二人とも!」
「そうだな。別に近所中が味方とかそういう怖い話じゃないよね」
「そんな昔の探偵小説やホラーに出てくるような村じゃないんだから……」
とにかく、ここまで引き返したのもあって時間は夕方近くになっていた。
このお店自体は伯母さんの家、渚からすると大叔母さんの家に当たるらしい。
大叔母さん本人はマンション暮らしで、お店は娘さん夫婦に任せてるとか。
で、翔子さんは昔からこっちの家に世話になっていて、帰省もこっち。自分の部屋もあって実家同然なのだそうだ。
翔子さんの本来の実家は彼女のお兄さん、つまりはあの飛倉 竜宏――渚の家に押しかけていたあのオジサン――と顔を合わせることになるから嫌なのだと。そしてその黒幕であるオジサンだが、学校に手を回したのも携帯回線を止めたのも、渚たちを孤立させて地元に引き留めるためではないかという話。怖いよ。
◇◇◇◇◇
「とりあえずご飯食べてから行こう。腹が減っては気合も入らないし」
「うなぎ! うなぎ食べよ!」
「お前またうな――」
笹島に口を塞がれる。
慌てて剥がすが、口に入ってしまった指がしょっぱい。
「やめろ! 気安く人の口に触るな! ぺっ、ぺっ」
「あっ、ひっど。乙女にその仕打ち、ひっど」
「鰻ね。いいよ、お姉さんがご馳走してあげる」
そう言ってまた昼と同じ店に入った。
結局精力つけることになったじゃないか。
そして笹島は昼と同じように特の特の大みたいなのをガッツリ食ってた。
「――それで汐莉さんだけど、奥さんと離婚した兄さんか、今の道場主の若本君を充てがわれそうなの。兄さんは若いころから汐莉さんを追いかけまわしてたけど、汐莉さんのお父さんが亡くなってから再燃したみたいなのね」
「――若本君ってのは今回、伯母さんが薦めてて割と誠実そうなんだけど、そもそも汐莉さんに再婚する気が無いのよね。亡くなった旦那さんとはラブラブだったし、そんなの充てがわれても困るわよね」
「――まあ、昨日までは私も別にどっちでもよかったんだけど」
「いや、どっちもよくないです」
そもそも、屋敷を継いでこんなところに引っ越されるのは嫌だ。
◇◇◇◇◇
二月も半ばを過ぎ、日も少し長くなったとはいえ既に日没時間は過ぎていた。
僕たちはお店のバンに乗り、翔子さんの従妹の運転で飛倉の屋敷を訪れていた。
屋敷の前の駐車場に車を止めると、お従妹さんはそのまま待っていてくれる。
僕と笹島は翔子さんについて屋敷の中へ通された。
屋敷の中には結構いい体格をした、黒服でこそないものの、スーツ姿に竹刀を携えた男が何人か居た。翔子さんの話では、道場の門下生を身辺警護のバイトと称して先月から雇っているらしい。既に意味が分からない。
「あら、翔子ちゃん。こんな時間に珍しいわね、どうしたの?」
「伯母さん、こんばんは。えと、汐莉さんにちょっとお話があって。汐莉さんは手、空いてます?」
「ええ、ご飯食べてると思うから手は空いてると思うわ。えっと、そちらは?」
伯母さんと呼ばれた着物姿のふくよかな女性は、僕を見てくる。
「あ、七虹香ちゃんの……」
「カレシです!」
ええ……。とりあえず会釈しておいた。
「あら、そうなのね。――七虹香ちゃんも今日はとってもかわいいわね。グートよ。その方が素敵よ」
「やたっ、ありがとうございます! 大伯母様もお着物ちょーカワイイです!」
「光枝でいいのよ。嬉しいわ」
「はい、光枝さんっ」
強ええな笹島……。
お従妹さんのお母さんらしく、趣味が似ているのか笹島を誉めていた。
翔子さんも苦笑いしている。
◇◇◇◇◇
翔子さんが渚のお母さんの部屋に連れて行ってくれる。
部屋の前には身辺警護の門下生が二人。僕が彼らに睨まれたので、翔子さんが笹島の彼氏だと紹介するが、僕は納得いかない。奴らは納得した。
障子ごしに声を掛け、中に入ると道着姿の渚のお母さんが居た。
「翔子ちゃん、どうしたのこんな時間に――え? 太一くん!?」
渚のお母さんは立ち上がると慌てて入口の障子を閉め、声を潜めて話しかけてくる。
「どうしてここに居るの?」
「渚が心配で来ました。その、学校に弁護士から連絡があったみたいで、渚がイジメを受けてるとか転校させるとかいう話になってて」
「ええっ!? どういうこと!?」
「それが兄さんが手を回してるみたいなのよ」
「携帯を止められたから抗議してたのよ。屋敷から出してくれないし」
「(わたしはもう兄さんとは縁を切るから汐莉さん、ここから逃げましょ)」
翔子さんがさらに小さな声で囁くと、渚のお母さんも頷く。
そして笹島に顔を向ける。
「あなたは翔子さんの再婚相手の……」
「七虹香です、伯従母様! 七色の虹の香りと書いて七虹香。渚ちゃんのクラスメイトです! 瀬川をここまで連れてきたんです」
「そうだったのね。ありがとう、七虹香ちゃん」
◇◇◇◇◇
行きましょうか――と、準備を整えた渚のお母さんは障子を開け、廊下に出る。
「あの、奥様どちらへ」
外の男の一人が渚のお母さんに声を掛けてくる。
「娘に会いに」
「日が落ちてからあまり歩き回られると困ります。部屋に戻ってください」
渚のお母さんに手を伸ばしてこようとした男。渚とよく似たその人に触れようとしたその行為が癇に障った僕は、男の前に立ちはだかる。ただ、男は相手が僕となると容赦せずに掴みかかってきた。
ギャッ――という声と共に、僕……ではなく、目の前の男が膝をついた。
男は僕の肩を掴んでいた手を渚のお母さん――汐莉さんに取られ、組み伏せられていた。加えて組み伏せられただけではなく、腕が変な向きに曲がっていた。
汐莉さんは男の竹刀を手に取ると、もう一人の男の鳩尾に型も構えもなく突き込んだ。両膝をついて蹲る男。
「悪いけどお手当は竜宏に貰ってちょうだい」――と、汐莉さん。
「汐莉さんに敵う相手なんてそうは居ないわよ」
そう言って翔子さんも竹刀を拾うと、汐莉さんが先導して廊下の先へと進む。
目的の部屋の前では同じように警護の門下生が二人。
きっちりバイト使いすぎだろ。ゲームのステージかよ。
「奥様、ちょっと困ります……」
そう言ってくるが早いか、汐莉さんは容赦なく鳩尾を狙って突きを入れる。面だの胴だのよく聞く剣道とはまるで違う。防具の無い急所に鋭い突きを叩きこむだけ。しかも相手はあくまで身辺警護のバイトだからこちらは傷つけられない。
もう一人はさっさと逃げ出した。うん、三下ムーブだけどそれが正解だよね。
障子を開けると和室にお膳が二つ用意されており、一方の席には渚が。
「渚!」
「……太一くん? 太一くん!!」
立ち上がった渚は僕の胸に飛び込んでくる。
「会いたかったよお……」
渚は僕の胸に額を擦り付ける。
「帰ろ、渚」
「うん……」
「なにやってんだよ渚……」
異物感のあるその声の主を見ると、もうひとつの膳の前に見覚えのあるやつがいた。
何だっけ、飛倉さんはここにはいっぱいいるし……。
「名前忘れた……」
「ご飯の度に来るの、こいつ!」
「渚、行きましょう。――涼君も、いい加減にしないとおばさん怒るわよ」
そうだ、涼だ。汐莉さんはドスを利かせた声で涼を脅すと踵を返した。
渚はまとめてあった自分の荷物を掴むと、汐莉さんについて歩き始めた。
◇◇◇◇◇
引き返していくと玄関の手前で当然のように行く手を阻まれる。
まあ、広い屋敷とはいえ夜中にこれだけ騒いでさっきの門下生も放置してたしな。
そして開放的な日本家屋とはいえ、玄関で靴を履かないと外に出られない。
まあ、車まで我慢してもいいんだけどさ。
行く手を阻んだのはれいのあのオジサン――竜宏とかいう人と、大叔母さん、その他大勢。
「汐莉ちゃん、これは何事?」
「竜宏さんに聞いてみてください。携帯を勝手に止めただけじゃなく、渚の学校に嘘を吐いて転校させるって言ってきたみたいですよ」
「竜宏くん、本当?」
「別に屋敷を継いでこっちに住むんだから良いでしょう、伯母さん」
「今すぐにって訳じゃないでしょ。私はお婿さんだけどうにかしてくれたらそれでいいわ。それに竜宏くん、そんな勝手して許されると思ってるの?」
「いいですよ、裁判で争いますか? 別に構いませんが」
「兄さんは! そうやって相手を脅して抑え込むのやめて! みんな裁判なんかで争いたくないのに、いつも争う争うってそうやって親戚を黙らせて。私もう、兄さんとは縁切るから!」
「あ、あの~」
そういって控えめに手を上げたのは笹島。
「えっと、これ刑事事件に足突っ込んじゃってるから、親戚の皆さんが争う必要は無いと思います。監禁とか、身分を偽って携帯止めたり転校手続きしたり勝手してるし弁護士としてもヤバいと思います……」
「えっ」
「そうなの?」
「だよね」
「そうなるよね」
竜宏の顔が引きつる。
「竜宏くん? 私も身内で揉めるの嫌だったから避けてたけど、出るとこ出たらやっぱり許されないみたいよ。どうするつもり?」
「そ、それは……」
「土下座でもして謝って、お父さんの相続や汐莉さんの件から手を引くなら説得してみないことも無いけど」
「ぐぬぬ……」
◇◇◇◇◇
僕は初めて土下座というものを見た。
大の大人が後に引けなくなって謝る姿を。
ああは成りたくないと思った……。
竜宏はバイトの門下生を解散させ、ナントカいう息子と共に去っていった。
「ごめんなさい汐莉さん、ああは言ったけれど私も加担した身だから訴えるなら訴えてくれて構わないわ」
「ああ、えっと、別に構わないわよね? 渚」
「面倒くさいのやだから構いませんけど……」
「けど?」
「携帯回線と学校のこと、ちゃんと訂正しておいてくれないと私たちが訂正したらオジサン捕まりますよ?」
「ああそうね、言っておくわ。ありがとう、渚ちゃん。――それから七虹香ちゃんも。教えてくれてありがとう。あのままだといいように竜宏に使われるだけだったわ。私ももうちょっと勉強しなきゃね」
「いえ、そんな……」
「七虹香がすごいマトモに見えたわ」
「瀬川、一言多い!」
「お父さんの事、どうしようかしら」
「伯母さん、お爺ちゃん本当に汐莉さんのお婿さんを今すぐ決めろなんて言ったの?」
「それが竜宏くんしか聞いてないのよ。ただ、当主の意向だし皆その方向で動いちゃって……」
「そうだ、そういうことなら私にいい考えがあるわ」
汐莉さんがぽんと両手を打つ。
そう言いながら僕の顔を見たことで、嫌な予感しかしなかった。
◇◇◇◇◇
翌日、渚の曾お爺さんの体調を窺って、屋敷の奥まった部屋に居を構える曾お爺さんに僕は挨拶をすることになった。体調を管理するお医者さんが付いていて、その上での面会だった。
最初、渚のお母さんは僕を隣に座らせ、婿とだけ紹介した。
渚の曾お爺さんは――そうかそうか――と顔の皺を深くさせ、にこにこと答えた。
そして徐々に探りを入れながらの会話の中で、僕の扱いはうちの婿に変わり、渚の婿に変わり、最終的には鈴代家の婿へと変わったが、曾お爺さんは楽しそうに相槌を打つだけだった。何だか色々外堀を埋められまくってる気がしたが、決して気のせいではないだろう。
結局、汐莉さんの問題は杞憂に終わり、慌てて再婚して実家を継ぐ必要もなく、竜宏と言う人の勝手な解釈か或いは体調を崩した故の譫言だったのではないかという結論に達した。まあ、だいたい竜宏とか言う人が悪いんだろう。
とにかく、こうしてほとんどの問題は解決した。そしてこの日が祝日でよかった。渚の実家で三連休を過ごすことができたからだ。ただし残った最後の問題。渚の件はと言うと、この後いろいろと忙しかったわけなのだが……。
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