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13.305話 「Dクラブ」
今年、2020年、7月の末から、8月9日まで、東京オリンピックが開催されるはずだった。しかし、コロナ禍のため、1年延期され、日本はまだ自粛の中にあった。
しかし、俺達「ふくしま探偵局」は、忙しかった。依頼された仕事は第3課だけで間に合わなくなり、第2課の田中一男くんと俺の2人で東京オリンピックチケット不正問題を調査した。その後、片平さんと戸澤リカさんと俺で、外国人行方不明事件を調査した。また、先崎さんと岡崎愛子さんと俺の3人で競技場爆破脅迫事件を調査した。3週間、休みなしで働いた。
ところが、その間、俺は「ふくしま探偵局」で森川さんと一度も会う事はなかった。
「森川先生は海外に呼ばれたの」
8月のある日、大木局長が話していた。
俺は、8月11日から1週間、休みをもらった。俺は、宮城県の梅ヶ沢まで妹の墓参りに1度行っただけ。コロナ禍もあって、残りの時間はポテトハウスの201号室でゴロゴロしていた。
福島市の夏は暑かった。盆地だった事もあり、部屋から出るのも嫌だった。何かあればポテトハウスの1階にコンビニがあったので、そこで食事を買ってきたり、先崎さんや片平さんにラインをして、食事をする場所を教えてもらったりした。この暑さと湿気を除けば、福島市も住みやすい場所だ。
そして、1週間後、2020年8月18日、火曜日。「ふくしま探偵局」に行くと、森川さんに久しぶりに会った。
「生きていたかい、井上くん」
それは、この俺の言う言葉だ。
「はい、森川さんもお元気そうで・・・」
「今日、これから横浜に仕事だけど、大丈夫かい?」
「大丈夫です。ところで、片平さんと先崎さんは?」
「2人はまだ休暇中さ」
そうだった。先週、2人は俺より3日遅く休みに入ったと話していた。
「2人で海外に行くと話していたよ」
そんな事も話していた。福島市は暑いから、涼しい海外に逃避すると・・・。それも、コロナウィルスの猛威が及ばない場所だと話していた。大木財団が裏から海外への飛行を手配してくれたらしい。
「それじゃ、第2課からお手伝いが・・・」
「いや、私と2人だ。嫌かい?」
「そんな事はないです」
「冗談さ。第2課はすでに、溜まっていた仕事をしているからね」
俺は、森川さんと局長室に入った。
「個人的に依頼が来たの」
大木展子局長は、自分で作成したファイルを机の上に置いた。
「依頼者は、古手川律子、41歳。数少ない私の友達の1人よ」
自分で友達が少ないと言う大木局長もすごい。
「彼女とは高校で同級でね・・・。彼女は東京の大学に行って、そのまま東京に就職したの。まだ未婚」
という事は、大木局長も41歳か。若い。40代には見えない。大木局長は20代後半と言っても過言ではない。
「彼女には、弟がいる。古手川裕史、35歳。芸名を『友音留(とおる)』と言う、俳優だ」
知っている、その名前。最近、テレビに出ている人気俳優だ。まだ独身で特に女性に人気がある。この俺でも知っているんだ。有名なのだろう。
「その弟が、最近になって身の危険を感じると、姉に漏らしたらしいの」
「何か原因は?」
「その件について、弟の裕史くんは姉の律子さんに何も話したがらないらしいの」
「事件も起こっていないし、警察に届けるわけにもいかないし、表だって何かあると、芸能雑誌がね・・・」
「その古手川裕史さんに話を聞いて、警護するなり、危険の根本になっている事を解消しろというわけですね」
「まあ、そういう事ね」
「本人が原因を言いたくなければ・・・」
「それを聞くのが『ふくしま探偵局』でしょ・・・」
「また、無理難題ですね」
「彼女の自宅はそのファイルに書いてあります」
俺は一度、ポテトハウスに戻り、そのまま福島駅で森川さんと待ち合わせした。
「午前中には横浜に着きたい」
森川さんが話していた。
新幹線に乗ると、森川さんのスマホが鳴った。
「どうやら、古手川裕史さんが、今朝、誰かに襲われたみたいだ」
やはり、森川さんの行く所に事件ありだ。
「古手川さん・・・。律子さんと裕史さんは、神奈川県港北区に住んでいる。同じマンションに住んでいるけど、部屋は別々。古手川裕史くんは、俳優の彼は体を作るため、毎朝、ジョギングをしていたらしい。自宅のマンションから大倉山に向かって梅見坂を上り、頂上まで行ってからオリーブ坂を下って自宅のマンションに帰ってくる。朝のロケがない時は、それが日課だったようだ。
それが今朝、6時。大倉山にあるジョギングコースの『オリーブ坂』の途中で古手川裕史さんが何者かに襲われ、坂の下に転がっていた所を発見されたらしい」
「事件になりましたね」
「警察も動き始めたようだ」
「あの辺りの警察は?」
「たぶん、港北警察署だね」
「じゃ、警察に任せますか?」
「そうもいかないだろう。古手川裕史さんは、現在意識不明の重体。朝、散歩していた夫婦に発見され、救急搬送された。まだ、眠ったまま。搬送された時は身元不明で、病院で彼を知っている看護師がいて、そこから彼の所属している中野芸能プロダクションへ連絡が行き、そこから古手川律子さんに連絡が行ったらしい。そして、先程、大木先生に連絡が入った」
「早朝の事件なのに、この時間になったのですね」
「早いほうだ」
「病院は隣駅に近い、菊名総合病院。まず、そこに行ってみよう」
森川さんは、いつものようにシートに倒れ込んでしまった。
俺は、スマホで「『古手川裕史』を検索した。35歳。俳優と出ていた。20歳の事から俳優としていたらしい。30歳を越える事から俳優としての目が出てきて、テレビや舞台で活躍するようになったらしい。未婚。中野芸能プロダクションに所属と書いてあった。顔写真も出ていた。35歳にしては若々しい顔立ち。まあ、俳優だから顔がいいのは仕方がない。
東京からまた新幹線に乗り、新横浜で降り、横浜線で菊名で降りた。菊名総合病院は目の前にあった。既に、菊名総合病院の前には、テレビカメラや報道陣が集まってきていた。俺たちはそれらを無視して、病院の中に入った。警官がウロウロしていた。
森川さんは、スマホで姉の古手川律子さんに連絡を取った。
「7階にいるらしい。普通の見舞いのように行くぞ」
俺たちは、少しざわついている雰囲気から離れ、エレベータで7階に向かった。7階で降りると、警官の制止にあった。
「その2人は私の知り合いなの」
遠くから、女の人の声がした。
「古手川律子さんだ」
マスクはしているが、彼女も40代とは思えない若々しさだった。細身の体にワンピース。痩せていた。なぜ、結婚しないのかわからない程だ。
「大木展子さんにお願いした古手川律子です」
白い細い腕だった。
「『ふくしま探偵局』から来た森川優と井上浩です」
「わざわざ、ありがとうございます」
「彼の容態は・・・?」
「まだ、意識が戻らなくて・・・」
俺達は古手川律子さんに病室に案内された。個室だった。弟の裕史さんは、体に管を多く入れていた。生きている人間には見えなかった。「面会謝絶」と書いてあったが、2、3分ならという事で、病室に入れてもらった。森川さんは、ベッドの近くまで行って、彼の顔をのぞき込んでいた。すると、森川さんは、入口にいた俺の所まで戻ってきた。
「ここではなんですから、控室に行きましょう」
俺たち3人は警官の人の波を避けて、ナースステーションの前にある控室に入った。病院の控室なんて、こんなもんだ。無機質。
「概要は大木の方から聞きました」
古手川律子さんの話は、新幹線の中で森川さんから聞いた話をほとんど同じだった。
「やはり、原因と考えられるものは?」
「わかりません」
「仕事でのトラブルは?」
「それは、私にはわかりません。私は弟の仕事の事は全く関知していなかったので・・・」
「失礼ですが、律子さんの今の仕事は?」
「近くでパン屋をしています」
「そうですか・・・」
「朝、早いもので、弟とはあまり接点がなくて・・・。弟がロケの差し入れとして、私の作ったパンを買いにお店に来た時に話すくらいで・・・」
「弟に彼女は?」
「たぶん、いないと思います」
「たぶん・・・」
「プライベートの事も、私より芸能プロダクションの会社の方が知っていると思います」
「中野芸能プロダクションですか?」
「青山にある会社だそうです」
古手川律子さんは、1枚の名刺を森川さんに渡した。
「社長の名刺です」
「女の方なんですね」
「敏腕だそうです」
「今朝の事件を警察は何と・・・」
「まだ、報道には発表していませんが・・・。オリーブ坂の途中から階段をそのまま落ちたそうです。その時、弟は何かを大事に持っていたらしく、腕で何かを持っていた状態で倒れていたそうです。ですから、背中や腰、頭などに痣が出来て・・・。両手で防げば、意識不明にならなかっただろうと、お医者さんが話していました」
「何をそんなに大事に抱えていたのですか?」
「それを誰かに取られたらしいのです。ですから、事件になっていると・・・」
「強盗ですか?」
「わかりません」
「でも、ジョギングで走っていたのですよね」
「弟の朝の習慣でした」
「何かを持って走っていた?」
「今朝は誰かに会う目的があったのだろうと、警察が話していて・・・何度も聞かれましたが、私に心当たりがなくて・・・」
「弟さんの意識が回復したら、ここに連絡を下さい」
森川さんは名刺を渡した。
「これから、どこに?」
「本当は事件現場のオリーブ坂に行きたいのですが、まだ警察がいるでしょうから、まず、青山にある中野芸能プロダクションに行きたいと思います」
「報道関係者が沢山来ていると聞きました」
「では、古手川律子さんから連絡をして頂いて、社長と会えるように手配をしてくれますか」
「わかりました。森川さんのスマホにメールします」
俺たちは古手川律子さんに挨拶をすると、病院を出た。神奈川の夏も暑い。
菊名駅から渋谷を目指す。俺は途中で「中野芸能プロダクション」を検索した。10年くらい前に設立された芸能プロダクション。社長は中野瑠美34歳。随分、若い女社長だ。10年前という事は、彼女が24歳の時に芸能プロダクションを設立した事になる。最初は、2、3人しか所属タレントや俳優がいなかったらしいが、今では、100名のタレントや俳優、モデルをかかえる大手の芸能プロダクションになっている。この女社長がかなり敏腕なのだろう。テレビ界にも大きな権力を持っているとネットには書いてあった。
「ネット情報が全て正しいという事は決してない。それを書いた人間の思惑が大だから、全てを信じてはいけない」
森川さんはと常々話していた。俺は、ネットの情報を頭の片隅に少しだけ入れた。
渋谷で地下鉄に乗り換える。青山一丁目で降りる。途中で森川さんのスマホが鳴る。
「中野芸能プロダクションの社長が特別に10分だけ、会ってくれるそうだ」
地上に出る。コンクリートだらけの都会はやはり暑い。ビルの山々もうんざりだ。森川さんは、真っ直ぐ目的地に向かって歩いていく。一度名刺を見ただけでその住所の場所に行ける森川さんを、俺は尊敬する。それもこの都会でだ。
少し歩くと、1つのビルの前に人だかりで出来ていた。ビルには「中野芸能プロダクション」と看板がついていた。すると、森川さんは、そのビルの1つ前の雑居ビルに入っていく。冷房が効いている。さすが都会のビル。1階の廊下を進む。途中のドアを開ける。内部の駐車場になっている。高級そうな車が1台あった。そして、隣のビルに入るドアを開ける。
「すごいですね」
「芸能プロダクションだからね。何かあった時に逃げ道があるのさ」
俺たちは「中野芸能プロダクション」に入ると、そのまま受付を通らずに、エレベータで5階に向かう。あちこちに所属俳優や芸能人のポスターが貼ってある。いつものように5階を適当に歩く。人が混雑しているが、事務所の中は整理整頓されている。それから暑い階段を4階に下りる。
目の前の事務室を通る。途中、10代と見られる女性のモデルが男性のマネージャーに食ってかかっている。マスクをしている彼女の頭には見たこともない花が飾ってあった。
「そんな仕事はやりやくない!」
まるで、わがままを絵に描いたような芸能界だ。
目の前に「社長室」のドアが見えた。森川さんは、ノックをし、中からの返事を無視して、ドアを開ける。
「『ふくしま探偵局』の森川です」
コンピュータの画面を見ていた女性が驚く。社長室はタバコ臭い。社長がいる机の上に灰皿とタバコの吸い殻が山のようになっている。彼女は俺達を見て、マスクをする。
「ノックくらいしてよ・・・」
「聞こえませんでしたか?」
「忙しくてね・・・」
「それは失礼しました。古手川律子さんから・・・」
「先程、電話が来たわ。社長の中野瑠美です。裏の入口、わかった?」
「わかりました。ご配慮、ありがとうございます」
「それで、何を・・・」
中野瑠美さんはコンピュータから手を離して、ようやく森川さんの顔を見た。俺は、芸能プロダクションの社長とか言うから、ギチギチのばあさんかも思ったら、俺と同じくらいの女性だった。
「以前から社長に、身の危険を感じると話していた事は?」
「聞いた事はないわ。今の友音留は伸び盛り。敵はいたけど・・・」
「敵・・・?」
「友音留がいなくなれば、彼が出ているレギュラーの座が他の俳優に回ってくる。来年、主役が決まっている映画も他の俳優に回る。出ているCMも、次のクールは違う俳優に回る。この世界、敵だらけなの。だから、この世界で犯人を見つけるのは大変よ」
「彼の女性関係は?」
「あなた、口は堅いの?」
「『ふくしま探偵局』ですから・・・」
「噂は聞いている。今、彼に女はいないわ。以前は同業者にいたけど、他の男と結婚したから、それ依頼、友音留の女の話は聞かない」
「社長に内緒という事は?」
「それはあり得ない。他の誰に話さなくても、ここでは私には全部話す。それがうちのプロダクションのルール。トラブルがあった時、最後に何とかするのは、この私。みんな、私に話をしてくる」
「彼が今まで、社長の世話になった事は?」
「そうね・・・」
中野瑠美社長は少し考えた。
「10年前と15年前ね」
「昔ですね。それが今頃とは考えられませんね」
「そうね」
「中野社長は、今回の犯人に思い当たりは?」
「芸能界の敵は多くいたけど、どうかしら・・・」
「芸能界以外という事は?」
また、中野瑠美社長はまた考える。
「ないと思うわ・・・」
「犯人を捕まえて欲しいですか?」
「当たり前よ。友音留がダメになったら、その穴を埋めるのが大変。俳優はこのプロダクションに沢山いるけど、友音留はいないの。それに、彼が出なくなった分、お金も出さないと・・・。犯人にお金を出してもらわないとね」
そこに先程、前の事務室でもめていた女の子が入って来た。大変、動揺している。
「お母さん、あのマネージャー。辞めさせて。ひかりの言う事、聞いてくれない!」
「ひかり、お客さんの前でしょ。それに、お仕事はお仕事。きちんとしなさい」
どうやら、社長の娘だったらしい。これではマネージャーが可哀想だ。俺なら、こっちから辞めさせて頂く。
「お客さんに挨拶は?」
「西秋ひかりです。どうしくお願いします」
どうやら、挨拶は出来るらしい。
森川さんは、西秋ひかりさんと握手をすると、頭を撫でた。すると、彼女はその腕を振り払った。嫌な子どもだ。そして、また、ヒステリックになっている。
「何かあったら、連絡して下さい」
森川さんは、名刺を中野社長に渡した。
来た道を引き返した。雑居ビルから出て、地下鉄に乗る。
「現場に行こう」
大倉山駅で降りる。夕方なのに、まだ暑い。西口でそのまま線路に沿って、北上する。段々、坂になっていく。大倉山と言っても登山をするような山ではない。なだらかな山だ。道はそのまま山頂に向かっているようだ。車道の脇には歩道だ整備され、その奥には階段や砂利道で山を登れるようになっている。市民の憩いの場らしい。途中から階段の方は森の中に入っていく。車道は家に沿って伸びている。階段を行く。途中、小さな公園にベンチがある。夜なら1人で歩かない場所だ。手作りの階段はちょっとしたアスレチックコースだ。そして、視界が広がる。遊んでいる子供がいる。遠くに建物が見えた。「大倉山記念館」らしい。その裏手に先程の車道が見える。そのまま山の奥に進む。そして、左手に「オリーブ坂」という看板が見えた。
「だいぶ急な階段だ」
森川さんも俺と同意見だ。マスクをしているので、坂を少し下っただけで息が切れる。2人で横に並べば、一杯の坂道だ。両脇には草が生え、坂道まで延びている。
「草むらに隠れて、後から突き落とせば、楽に人間を襲えるな」
森川さんの悪い癖が出た。
階段が終わる頃、警察が貼ったであろう黄色いテープが見えた。ここが事件馬場らしい。しかし、すでに警察も報道陣も見えない。
森川さんはまず、階段の一番下まで行くと、車道から坂道を見上げる。そして、坂道の両脇の草むらに入っていく。
「すでに警官が入ったらしく、踏み荒らされている」
森川さんが文句を言っているのを久しぶりに聞いた。20分くらい、森川さんは現場を調べていた。
「下まで行こう」
森川さんは、坂道の下にある車道に向かった。車が通っていた。黒い大きな車が早い速度で近づく。神奈川の運転手は乱暴だ。
と、思った瞬間、俺たちの横にその2台の黒い車が止まる。後部座席のドアが開く。マスクをした男がそれぞれ2人出てくる。俺たちの両側につく。手には拳銃らしきものが見える。
「車に乗れ」
命令調だ。森川さんは男達の言う通り、前の車の後部座席に乗る。俺は2台目の車の後部座席に乗る。シートに座った瞬間、頭からフードを被せられる。
「やばい事件に首をつっこんだか・・・」
俺の頭はパニックになった。車から逃げようにも、両腕を男達に押さえられている。それに先程の拳銃だ。暴力団関係か・・・。それなら、第1課の仕事だ。まだ、第1課の人間に会った事はないが・・・。
どのくらい時間が経ったか覚えていない。15分と言えば、そのように感じる。20分、いや30分だろうか。車が止まった。ドアが開く。背中を押される。「降りろ」という指示らしい。俺は車から降りる。
「前に歩け」
「わかった」
隣で森川さんの声がする。森川さんの声を聞く事が出来て、少し安心した。森川さんがいれば何とかなりそうだった。今までがそうだったから・・・。エレベータに乗ったらしい。体が浮く。そして止まる。フードを被っていると、エレベータは気持ちが悪い。吐きそうだ。
「前に・・・」
また、背中を押される。俺はそのまま前に進む。
「止まれ。右だ」
俺は言われたまま、90度に曲がる。音の反響が変わる。どうやら、廊下から部屋に入ったらしい。
「座れ!」
俺はどうしていいか戸惑っていると、両腕を持たれ、そこにあった椅子らしいものに座らせられた。そして、椅子に体を縛られた。フードはそのままだ。マスクもしているので息苦しい。隣で森川さんの息づかいが聞こえる。まだ、生き残れそうだ。しばらく無音。そして、いきなり、ドアの開く音がする。誰から部屋に入ってくる。そして、椅子に座る音。やはり、ここで処刑されてしまうのか・・・。
「『ふくしま探偵局』の2人だね」
前から声がする。太く低い声だ。
「そうですが・・・」
俺は黙って頷く。
「手荒い方法ですまない。こうでもしないと、静かに話し合えないと思ってね」
「これは、一方的な話し合いですね」
「そう言うな。来てくれとお願いしても、理由を言わないと、来てくれないだろう。それに、男の3人や4人を迎えにやっても、森川優さんにはやられてしまうのがおちだ」
森川さんは何も言わない。
「今回の事件から手を引いてくれないか。このまま、福島に帰って欲しい」
「この状態でそのような事を言われても、『はい』としか言えないですね」
「今、離したら、警察にでも逃げ込むと・・・」
「警察に今回、誘拐された事を話しても・・・」
「誘拐じゃない。話し合いだ」
「銃で脅して、椅子に縛り付けて、フードを被せて・・・。誰が見ても、話し合いじゃない」
「すまないね」
「こんな意味があるんですか?」
「少しはね。こちらも、存在を気付かれたくない」
「それは、どうでしょう。横浜中央銀行頭取の尾道広道さん」
はっ?なぜ、森川さんは彼の名前を知っているんだ。会ったことがあり、声を覚えているとか・・・。でも、声だけじゃ・・・。
相手は黙っている。当たりなのか・・・。
「森川優くん」
声の調子が変わった。
「君はここで解放されたら・・・」
「私達が車に押し込まれたのは、オリーブ坂の下。そこから南下し、すぐの道路を右折。途中の信号機で1度、止まり、少し行った所を左折。すぐ橋を渡った事から、140号線で鶴見川を渡る、信号機で2回、止まる。それから高架橋の下を通る。
これは、首都高速道路だろう。そして、左折。車は園を描くようにゆっくり走る。そこで、港北インターチェンジを抜け、右に円を描いて首都高速道路に入る。ここまで15分」
森川さんの独壇場だ。
「日差しが後から来なかったので、南下した事は明か。80から100キロで高速を走った。途中、大きく右に円を描くように曲がる。これは保土ヶ谷ジャンクションではない。保土ヶ谷なら、一度、左に流れる。でもそれがなかったという事は、金港ジャンクションだ。そして、速度を落とす。ここで高速を降りる。ここまで10分。みなとみらいインターだ。
ゆっくり左折しながら、ノロノロ運転。ここで何回か止まる。そして、左折。みなとみらい大通りに入る。
少し走って、車はUターン。対面の道路に入り、また左折。地下に入り、3階まで。車が左右に揺れたので地下駐車場だろう。そこで降ろされた。だいたい30分。そのビルは横浜中央銀行。隣りの石油会社と迷ったが、隣りの石油会社のビルは地下2階までしかないから、銀行の方だと思った。
それから、エレベータで、20秒上昇。計算からすると、25階か26階。そこには頭取の部屋がある。だから、今、私の前にいるのは、横浜中央銀行頭取の尾道広道さんではないかと・・・」
俺は、もう「ふくしま探偵局」を辞めようかと思った。オリーブ坂で拉致されて、脅えていた俺と違って、森川さんは、車がどう動いているか、頭の中の地図で考えていた。俺にはとうてい出来ない技だ。森川さんを敵にしなくて良かったと、今回は特に感じた。
「もう一度、言う。命が惜しくなければ、手を引け」
男が椅子から立ち上がり、俺達の周囲の男と一緒に部屋から出て行った。
5分もたたないうちに、部屋に男が戻ってきた。俺は「これで最後か」と思った。頭のフードを取られた。マスクをした背広姿の男が4人、立っていた。
誘拐して殺さない場合、犯人は相手に顔を見せないと聞いた。顔を見られたら、誘拐した奴を殺す他ないと、刑務所で話を聞いた。隣りの森川さんもフードを取られている。覚悟した。
しかし、男達は、椅子に縛られている手のロープをほどきはじめた。体が自由になった。
「外に出るぞ」
1人に言われ、俺と森川さんは、部屋を出る。その時、ドアを確認する。「頭取室」と書いてあった。さすが、森川さん。彼の推理に間違いはない。
エレベータで1階まで降りる。大きなコンサートホールがある。俺と森川さんは、ビルの外に出ると、そのまま解放された。
「昔、この1階のホールで演奏した事があるんだ」
桜木町の駅で森川先生はようやく口を開いた。
森川さんは俺の体の事を心配してくれたが、体が丈夫なのが俺の唯一の取り柄だ。
「今日は大変だったから、品川でホテルでも探して、休もう」
森川さんは、大木局長に連絡をして、品川に直行した。
品川駅を降りて、近くのホテルの前まで歩いた。ホテルの玄関前にすごい高級車が止まっていた。
「大木会長のお出ましだ」
森川さんが手を上げる。すると、助手席のドアが開いてマスクをしている女の人が森川さんに話しかける。
「大変でしたね、森川先生」
彼女は「ふくしま探偵局」の前にある大木ビルの受付にいつもいる田中みなみさんだ。この暑さも飛ぶほど、可愛い。でも、なぜ・・・?
「井上くん、乗れよ」
森川さんに言われ、俺は森川さんに続いて黒塗りの車に乗る。中には男の人が座っていた。車の中も広い。さすが大木会長の車。大木会長を初めて見た。大木展子局長のお父さんとはいえ、若い。一体、何歳だ?顔もそんなに怖くない。片平さんの嘘つき。
「大変だったな、森川先生、井上くん」
「何とか、ケガをしないで帰ってきました」
「横浜中央銀行頭取と会ったそうだね」
「ただの俳優を狙った強盗事件ではなさそうですね」
「森川先生もそう思うかね・・・」
「ですね・・・」
「で、彼は何と・・・」
「頭取から、今回の事から手を引けと・・・。」
「なるほど・・・」
「手を引きますか?」
「それでは大木泰蔵の名が廃る」
彼の事件なのか・・・?
「捜査続行ですね」
「君達さえ良ければ・・・」
森川さんが俺の顔を見る。俺は勢いに負けて首を縦に振る。
「こんな滅多にない話、ここで逃げるのはもったいないです」
森川さんは、仕事を趣味のように扱っている。
「森川先生は知っているかどうかわからないが・・・」
大木会長が静かに話し始めた。
「この日本には『Dクラブ』という集まりがある」
「『Dクラブ』ですか・・・。噂には聞いた事があります」
俺は知らない。初耳だ。
「私も知らないが、日本の裏社会において、最も権威のある集まりだそうだ」
「大木会長もそのクラブに・・・」
「入っていない。入りたいと思う人間が大変多いと聞く」
「で、その『Dクラブ』が今回の事件と・・・?」
「何か関与しているらしい。それで、急いで私がここに来た」
「その『Dクラブ』をつぶせと?」
「それは無理だ。会員の中には強力な政治家や事業家、警察を動かす力のある者も多い」
「それじゃ?」
「この男に会って、知恵を借りるといい。昔、世話をした人間だ。私からも連絡しておいた」
大木会長は森川さんに紙を渡す。
「もし、大木会長をその『Dクラブ』の会員にするから、手を引けと言われたら?」
「私はその『Dクラブ』に興味はない」
「安心しました」
「これで、私は福島に帰る」
「渡辺くんの運転ですね」
「彼には世話になっている」
運転席にいる男が森川さんに挨拶する。彼が渡辺さんらしい。
「それに、田中みなみさんが一緒なら、鬼に金棒ですね」
「私は鬼ですか、それとも金棒ですか?」
助手席から田中みなみさんが振り向く。振り向いた顔も可愛い。
「森川先生が彼女に空手を教えたのだろう」
「大木会長、みなみさんは元々の素質が良かったんですよ」
可愛い受付の田中さんが空手を・・・?
「みなみさんは、可憐な花さ」
「ありがとうございます」
森川さんは、カバンから3つの封筒を出した。
「これのDND鑑定を至急行わせて下さい。そしてこちらの封筒に入っている物が何かも・・・」
大木泰蔵会長はその封筒を手に取る。森川さんは、何の鑑定を依頼したのだろうか?
「では、東京にある知り合いに病院と研究所にすぐ手配させよう。明日の朝までは結果を出させる」
「ありがとうございます」
「では、重々気をつけて」
「わかりました」
「井上くんも」
「はい」
俺たちは車を降りた。大木会長を乗せた車が目の前から消える。
「大木会長に会うのは初めて?」
「はい」
「噂と違うだろう」
「そうですね。怖くなかったです」
「そうだね」
「でも、田中みなみさんが空手を?」
「彼女は、空手の有段者だ」
俺は、彼女を見る目が変わりそうだった。
「今日は遅いから、明日の午前中、動こうか」
「はい」
俺はホテルの部屋に行くと、死んだように眠った。
翌日、8月19日、水曜日。朝は早かった。森川さんは、東京駅まで行くと、近くの大きなビルに向かっていった。そこには「四角石油」と書いてあった。「四角石油」と言えば、日本で5本の指に入る石油会社だ。
受付に行くと、既にマスクをした大きな体格のいい男が2人、待っていた。
「ついてきて下さい」
俺たちに自由はなかった。左右を2人に挟まれ、会長室まで案内された。というより、連行された。
社長室で待っていたのは、大木泰蔵会長に比べ、大変怖そうな顔をした年寄りだった。
「本当に大木の奴・・・」
彼が最初に口に出した言葉がそれだった。
「『Dクラブ』の事を話すと、私の身も危ういんだ」
それから、俺たちを睨む。
「私は四角耕司だ。大木泰蔵には、その昔、命を救ってもらった。今回はその借りを返すだけだ」
目の前の年寄りは淡々と話す。
「『Dクラブ』は私が生まれる前からこの日本にあるクラブだ。会員は100名。会員の死去により、新しい会員が加わる。年、何回か総会がある。9月に行われる総会が一番重要で、今の日本で目に余る企業をつぶす事を目的としたものだ」
森川さんも俺も沈黙だ。
「そのやり方だが、会員の中から、目に余る企業を提示してもらい、会員以外のゲストがくじを引く。抽選に当たった企業は、1年以内のこの日本からなくなる。会員の中から、その仕事をするメンバーも選ばれる。どうやってその企業を抹殺するかは、選ばれたメンバーに一任」
「そんな事がこの日本で・・・」
「そうでもしないと、この日本がダメになる。
森川くんも知っているだろう。一流保険会社、一流料亭、一流学校、一流自動車企業、そして一流官僚と言われていたものが、毎年、なくなっている事を・・・。内部告発だったり、検察の関与だったり・・・。どうして、と思われる事があるだろうが、それが『Dクラブ』の仕事さ。先日あった検事長の告発も、『Dクラブ』が陰で仕組んだ事さ・・・」
「それがなぜ、古手川裕史の転落事件を・・・」
「古手川裕史・・・ああ、俳優の友音留か。あれは、来月の『Dクラブ』のゲストに指名されていたらしい。しかし、彼はそれを拒否した」
「なぜ、拒否したのですか?」
「実は、その抽選方法だが、昔から不正があるのではないかと言われている。友音留がその不正を強要されたのが嫌で、『Dクラブ』のゲストになるのを断ったという噂がある」
「不正ですか」
「それに、『Dクラブ』では、音を出すことが禁止されている」
「禁止・・・」
「そう、クラブの中では話も出来ない」
「話し合いは?」
「そもそも『Dクラブ』に話し合いは存在しない。起立する時に音を出す事も禁止だ」
「総会はどうやって進めるんですか・」
「協議したい内容はあらかじめ、要項に印刷して全員に配布する。どうしても話をしたい人間やその必要性が出てきた場合は、大きな紙に書いて、提示する」
「筆談ですか?」
「それがルール」
「だから、その音を出さない事に拒絶反応が出たとか・・・」
「その抽選方法は?」
「ガラスの金魚鉢のようなものに透明なボールぐらいの球体を何個は入れる。その球体には、潰したい企業の名前が入っている。ゲストはその球体を引く係さ。サッカーのワールドカップの抽選と同じ方法だと思ってくれればいい」
「それを拒否したから、突き落とされたと?」
「『Dクラブ』の会員は全員、番号を持っている。ちなみに私は63番だ。今回のゲストは違う番号の者が選んだ。私じゃない。ゲストの選択をした者の犯行かもしれない。顔をつぶされたからと・・・」
「『Dクラブ』はそれが表に出るのを嫌がって、私達を脅迫したのでしょうか?」
「わからない。今回、私は企業抽出にも、ゲスト選出にも関わっていないからね」
「もし、友音留さんの事件に『Dクラブ』が関わっていたら?」
「それは、0番の者が考える事だ」
「0番?」
「0番とは、『Dクラブ』を運営している者で『Dクラブ』を管理している者の事だ。会員の中には、0番が誰かも知らない者も沢山いる」
「四角会長は知っているんですか?その0番の方を?」
「一応・・・」
すると、ドアをノックする事が聞こえた。
「後にしろ」
四角会長が秘書を断る。
「急用だそうで・・・」
秘書が紙を持って入ってくる。すると、四角会長は、森川さんの方を向く。
「話をすれば・・・だな」
四角会長は立ち上がり、森川さんに秘書が持ってきた紙を見せる。
「ここに君たちが来たらと、言うことだ」
森川さんは、もらった紙を見る。
「今井物産ですか?」
「0番の方だ」
「つまり、私がこの『四角石油』に来る事を予想していたと・・・」
「そうらしいな」
「情報網が大きいですね」
「それが『Dクラブ』のすごい所さ」
「100人しかいないのに・・・」
「100名の会員だけど、半分は病院に入っているから、いつも総会には50名くらいしか来ないんだ」
「会員は年寄りや病院が多いという事ですね。ですが、その50名の情報網がすごいのですね」
「この日本を左右するさ」
「私の出る幕では・・・」
「いいや、0番の方が来いと言っているという事は、君たちを認めたという事だ」
「そうですか?」
「大木財団の会長をこの『Dクラブ』に推薦するとも記載してある」
「大木会長は辞退したいと申していました」
「このビルの下に、既に車が来ているらしい」
「手回しが早い事で・・・」
1階に降りる。「四角石油」のビルを出ないうちに、サングラスをかけた大きな男2人が俺達の横についた。今回は男に好かれる事案だ。それも大柄の・・・。
「『ふくしま探偵局』のお二人ですね」
俺たちの返事も待たないで、黒い車に案内された。
今井物産の名前はこの俺でも聞いた事がある。明治時代から、財閥としてこの日本の財界に君臨した一族だ。第二次世界大戦の後、財閥解体になったが、それでも、今の日本の経済界を牛耳っているという噂だ。名前を変えている傘下の企業は数知れず。外国にも手を伸ばし、特に開発途上国を中心に物流や人間を手広く商売を行っているらしい。山形刑務所の俺のいた工場でも、その話はよく耳にした。
車は10分ほどで、また大きなビルの地下に入っていった。地下駐車場で降りると、エレベータで上っていく。ずっと、サングラスの2人の男がついてくる。
「ここだ」
エレベータが止まる。後から体を押され、廊下に出る。すぐ前に「会長室」がある。ドアの前にいる男がノックする。俺たちは立ち止まる事もなく、部屋に入る。すでに中には男が1人、大きな机の後に座っていた。サングラスの男がソファに座るように指示する。随分、座り心地の良いソファだ。俺たちが座ると、サングラスの男が部屋の外に出る。部屋には3人だけになる。
「ウイスキーでいいかね」
俺たちが返事をする前に、男は立ち上がり、すでに注いであったグラスを2つ、俺たちの前に置く。とても良い香りがする。
「バランタインの30年だ」
俺が今まで嗅いだ事のない香りだ。ウイスキーを勧めた男は、優しいという言葉が絶対に似合わない老人だった。しかし、彼はめい一杯の笑顔を作っていた。
「いただきます」
森川さんがグラスを口に運ぶ。俺もウイスキーを一口飲む。ストレートだ。喉を通ると、少しヒリヒリする。しかし、いい味だ。余韻も素晴らしい。こんな飲みのもがこの世の中にあったとは・・・。
「美味しいですね」
森川さんが一口飲んで、グラスを置く。
「毒が入っているとは思わなかったかね」
俺はドキッとした。
「バランタインの30年に毒を入れる人間はいないでしょう。もったいないです」
森川さんの言葉に、老人が笑う。
「君の言う通りだ」
老人も、自分の前にあるグラスを飲み干す。
「『ふくしま探偵局』の森川さんと、井上さんかね」
「そうです。今井物産会長の今井直之さんですね」
「そうだ」
「今回はどのようなお話で・・・」
森川さんは誰を相手にしても、ぶれない。
「今回、君たち2人に色々と無礼な事をクラブ会員がしたそうで・・・。非礼をまず詫びたい」
今井会長が頭を下げる。
「終わった事ですから・・・」
「そうか・・・」
今井会長が頭を上げる。
「それだけではないでしょう・・・」
「今回の件だが・・・」
今井会長が話を始める。
「森川さんの事を色々と調べさせてもらった」
「そうですか」
「君を止めるのは無理だと判断した」
「でも、囲い込むのも無理と判断したでしょう」
「そうだ。だから、ここに来てもらった」
「『Dクラブ』は強引ですね」
「その『Dクラブ』は私の祖父が開設した。戦争の前だ」
第二次世界大戦か・・・。
「バルチック艦隊がこの日本に向かっているという情報に、祖父は何とかしなくてはと、当時の天皇や明治政府の役人や財閥の人間を集めた」
バルチック艦隊・・・明治時代・・・日清戦争か・・・。
「最初は資金調達が目的だった。その中で、不正をやっている企業を潰していった。皆、日本を思って始めた事だ。進駐軍も手が出せなかった。0番は受け継がれ、現在、私が仕切っている。会員にはかつての首相もいる。『Dクラブ』が会話を禁止にしているのは、祖父が話が苦手だったからだ。
現在は、会員の相互協力と情報交換、そして、解体する企業の選択を行っている」
「その解体する企業選択で、不正が行われているとか・・・」
「あれは、抽選だ」
「解体する企業の名前を書いた紙を小さな透明の球体に入れる。そして、いくつかの球体を金魚鉢のような大きなガラスの球体に入れ、ゲストが1つ取る。その1つの企業が今年の解体する企業に選択されるんですね」
「そうだ。クラブ員が選択すると、それこそ不正が疑われる。だから、ゲストを呼ぶ」
「でも、『Dクラブ』の中でも、解体したい企業はありますよね」
「それは、考え方だ。競争があれば、そこにライバル心も出来る。中には悪い事をしている人間も存在する。企業のために悪いことに手を出すトップもいる。だから、『Dクラブ』の会員でもその企業に選出される事もある」
「こういう考えはどうでしょうか・・・。
10個の企業の名前を書いた紙を10個の球体に入れます。その中である人物が、どうしても潰したい企業の名前の入った球体を1つ、カチンカチンに冷やしておきます。そして、10個の球体を金魚鉢に入れる。そして、ゲストが金魚鉢に手を入れ、一番冷えている球体と取り出す。勿論、ゲストには、前もって『一番冷たい球を取ってくれ」と頼んでおく。どうですか?」
今井会長は黙っている。森川さんの考えが当たっている証拠だ。でも、まるで手品のような話だ。俺には思いつかない。
「まあ、そんな事を考えたらきりがない」
今井会長はようやく口を開くが、そんな事はないと思う。
「それでだ。森川くん」
結局、今井会長は森川さんの推理を否定しない。
「今回、森川くんが追っている事件だが、我々『Dクラブ』は関与していない」
「それを信用しろと・・・」
「私の言葉だけではダメかね」
「いいえ、それ以上信用のある話はありません」
「では、森川くんは今回の事件を・・・」
「真実を見極めます」
「まだ、『Dクラブ』を・・・」
「いいえ、違う方面から追います」
「真実に到達できた時はどうするね?」
「それは、『Dクラブ』の皆さんの情報網を使えば、私が導いた真実はその日のうちに今井会長の耳に入るのでしょう」
「君には参ったね。まあ、そうだね」
「では、『Dクラブ』に報告しなくて良いのですね」
「ああ」
「では、私たちはこれから仕事がありますので・・・」
「何か手伝って欲しい事はあるかね」
「そうですね、邪魔だけしないで頂ければ・・・」
森川さんも強気な事を言う。
「わかった。君達の活躍に期待するよ。で、どのくらいで終わるのだね」
「今日中に、私達は福島に帰る事が出来るだろうと・・・」
「それは頼もしい・・・。もし、私か『Dクラブ』の手が必要とあれば、この部屋に電話をしなさい。直通の連絡番号を君のスマホにメールしておく。私がいない時は、四角くんか君に迷惑を掛けた尾道くんに連絡をすれば、私の耳に届くように話しておく」
「わかりました。ご期待に応えられるようにします」
「期待してるぞ」
「では、失礼します。ウイスキー、ありがとうございました」
俺たちは今井会長にお礼を言うと、部屋を出た。今度はサングラスの男達は、待っていなかった。自分たちでこのビルを出て行けと言うことだ。
ビルから地下街に出た所で、俺は森川さんに話しかけた。
「本当に、今日中に解決するのですか?」
「相手次第だ」
「で、次はどこに行きます?」
「青山だね」
俺たちは近くの地下鉄に乗った。
青山にある中野芸能プロダクションの入口には、まだ報道陣が大勢いた。森川さんは昨日のように、隣のビルの抜け道から、中野芸能プロダクションに入った。先に、連絡をしておいたので、4階の「社長室」には、普通に入る事が出来た。
「重大なお話が・・・」
「事件が解決したとでも言うの」
「たぶん」
さすが敏腕女社長だ。察しがいい。
「で、誰なの友音留を坂から落としたのは?」
「まず、椅子に座らせて頂いてよろしいでしょうか?」
森川さんと俺は返事を待たずに椅子に目の前にあった椅子に座った。中野社長はインターフォンで俺たちにお茶を持ってくるように手配した。
「それで・・・」
「今からお話する内容をそのまま公表するか一部を変更して公表するかは、意識を取り戻した時の古手川裕史さんと、中野社長のお話し合いで決めて下さい」
秘書らしき女の人がお茶を持ってきた。ゆっくり森川さんからテーブルにお茶を出す。そのお茶の出し方を見ても、秘書のしつけをしっかりしている事が分かる。10年で大手の芸能プロダクションに成長した訳だ。俺がこう思うのだから、森川さんはすでに気づいているに違いない。
「まだ、古手川裕史さんは、意識を取り戻していませんが・・・」
森川さんはそう前置きをした。
「私は、今回の事案は、事件ではなく、事故だったと思っております」
中野瑠美社長の目がつり上がる。
「でも、誰かが、友音瑠の抱えていた何かを持っていったのよ」
「私はこう考えます。
古手川裕史さんは、昨日の朝、いつものジョギングのコースをいつものように走っていた。それを知っていた者が、あのオリーブ坂の途中で待っていた。そして、古手川裕史さんを待ち受ける。そして話しかける」
「何と・・・?」
「『あなたは私のお父さんなの?』と・・・」
3人の間に沈黙が通る。森川さんがお茶を飲んで、その緊張を緩和する。
「面白い話ね」
「その時、2人にどのような会話があったのかは知りません。でもその後、2人は少しもめた。古手川裕史さんが先に足を滑らせたのか、相手が転んだかは分かりません。での2人はあのオリーブ坂の階段を転げ落ちた」
「2人?」
「そうです。そして、古手川裕史さんは、父親の本能で、目の前を転げる人間を守ろうと自分の胸に抱いた。そのため、彼は体のあちこちにケガを負った。普通なら両手で頭や体を守るのに、彼が意識不明になっているのはそのためです。
そして、オリーブ坂の階段の下まで落ちた。古手川裕史さんに抱えられた者は、少しの傷で立ち上がる。目の前には自分を守り意識不明になった古手川裕史さんが倒れている。怖くなったので、母親に連絡し、その場から逃げ、迎えに来た母親に保護される。母親は古手川裕史さんを救助しようとしたが、すでに通りがかった夫婦が救急車を手配していたので、諦めて帰ってくる。そんな感じですかね」
中野瑠美社長は動かない。
「証拠は?」
「昨日、ここに来た足でそのままオリーブ坂に行きました。既に警察の鑑識が調査した後で、何も残っていませんでした。しかし、オリーブ坂の階段の近くの木の上に、この辺りにはない花粉がついていました。警察の鑑識も、木の上までは見なかったのでしょう。隠れるなら木の陰や下。そんな先入観が邪魔したのでしょう。そして、木の上についていた花粉は、ブーゲンビリアの花の花粉でした。昨日、ここに来た時、西秋ひかりさんの頭に飾ってあった花と同じ花です」
「例え、ひかりの髪飾りがそのブーゲンビリアの花だとしても、それが同じ花という事はありませんね」
すると、森川さんは、1通の封筒から紙を取り出す。
「これが、そのブーゲンビリアの花粉の鑑定結果です。右がオリーブ坂の階段の木の上から見つかった花粉。左が昨日、ここにいた西秋ひかりさんの頭にあったブーゲンビリアの花の花粉です。DNDレベルで見ても、同じ花の花粉です」
「いつの間に、ひかりの頭から・・・」
昨日、森川さんは嫌がられながら、西秋ひかりさんの頭をなでていた。その時か・・・。行動が早い・・・。
「そして・・・」
森川さんはもう1通の封筒から紙を出す。
「これが、親子鑑定の結果です。
一番右が昨日、菊名総合病院で寝ていた古川裕史さんの髪の毛のDNA。一番左が昨日、この社長室の口紅の付いたタバコの吸い殻から摂取したDNA」
森川さん、いつの間に・・・。
「そして、中央が、昨日、ここでお会いした西秋ひかりさんの髪の毛から摂取したDNAです。わかりまね」
森川さん、それって犯罪?
「中央のDNAの持ち主は、その左右のDNAの持ち主の子供である事が証明されています」
「西秋ひかりが私と友音留の間に出来た子供でも、今回の事件には・・・」
「昨日、西秋ひかりさんを拝見した時、右足の膝から下が新しい包帯で巻かれていました。衣装の一部かと思いましたが、左足にはなかった。今時のファッションかとも思いましたが、幽かにシップの匂いがしました。最近、貼ったシップの匂いです。
それに、古手川裕史さんが倒れた時の腕の形は、物を持っていたにしては抱えていた物が大きいと感じました。しかし、15歳の女の子なら、当てはまります。
それに、昨日、ここの駐車場にある黒のセダンを見ました。後のワイパーにオリーブ坂でよく見かける熊笹が挟まれていました。そのDNA結果も見ますか?」
しばらく、中野瑠美社長は黙っていた。
「何が欲しいの?」
「何もいりません」
「ひかりは友音瑠と私が芸能界で苦労している時に出来た子なの。私がひっそりひかりを産んで、芸能界を引退した。父親の名前は誰にも話さなかった。友音瑠しか知らない。そして、この会社を作った。必死の10年だった。全て、ひかりのため・・・」
「・・・」
「森川さんの話した通り、ひかりは友音瑠に父親かどうか聞いたらしいの。誰から吹き込んだのね。私と友音瑠が昔付き合っていたと・・・。それで、ひかりは自分の父親が友音瑠じゃないかと感じたらしい。ここで、真相を聞いても良かったけど、誰にも邪魔されたくないと、友音瑠の朝のジョギングコースを狙ったらしいの・・・。そういう年頃・・・。
最初、友音留は否定したらしいけど、私に聞いたと嘘を話したら、認めたと・・・。それで、『今までなぜ、言わなかったのか』と詰め寄ったら、ひかりが階段を踏み外し・・・。友音留がひかりをかばって・・・」
「しつけはきちんとした方が彼女のためですね。将来の彼女の・・・」
「そうですね」
中野瑠美社長はすっかり弱気になっていた。
「どうすればいいと思いますか?」
「私なら・・・」
森川さんは少し考えた。
「古手川裕史の意識が覚めたら、彼と相談する事ですね。2人の子供の事もあります。古手川裕史さんが自分で階段を落ちた事にするのは、承諾するでしょう。彼もそう望むはずだ。自分の娘の将来がかかっている。それに、娘の教育もしっかりしなくてはいけないね」
「わかりました」
「もう1つ。古手川裕史さんのお姉さんの律子さんには、彼から本当の事を話させた方がいいでしょう。私からは、弟から話を聞くように連絡しておきます」
「友音留が何を奪われた事は?」
「通りかかった近所の子供を守った事にしてはどうでしょう。プライベートなので、守った近所の子供の名前は公表出来ないとでも・・・。警察に言われたら、名前も知らない近所の子とでも話しておけばいいでしょう。大変な時は、私から警察に話しておきます」
「よろしくお願いします」
「これで、彼の株も上がります」
「そうですね・・・」
俺たちは、森川先生の予言通り、その日のうちに福島に戻る事が出来た。
翌日、8月20日、木曜日。古手川律子さんから連絡が入った。
「弟の意識が戻った」
と。
週末、「ふくしま探偵局」に届け物があった。柔らかい食パンが10斤。そして、中野芸能プロダクション名前の入ったクリアファイル200枚。これは使えない。でも一緒にお菓子の詰め合わせが山ほど。
でも一番嬉しかったのは、あの「バランタイン30年」のウイスキーが大木財団宛に1ケース来た事だった。森川さんが、とてもうれしがっていた。
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