10.304話 「隣人」

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10.304話 「隣人」

 2020年6月26日、火曜日。俺、井上浩は人生で初めて琵琶湖を見た。水の権利の仲裁をして欲しいという変な依頼だったが、森川優さん、片平月美さん、先崎春美さんが地域住民や企業代表の人の心を上手に融和させ、3日で終了した。 「今回、報告書の書き方を片平先生の教えてもらうといい」 帰りの新幹線の中で森川先生が、眠る前に俺に話した。  俺がこの1年で行う事は、まず、会う人の名前と顔を覚えるという事だった。事件の依頼や調査で会う人だけではなく、訪問先の受付にいる人、乗車したタクシーの運転手なども含まれる。だから俺は会った人の名前をどこかに探す癖がついていた。簡単そうに見えて、これが一番大変。森川さんは後で会った人の名前を俺に聞いたりしないが、それが俺の仕事と森川さんに言われているので、頭で覚える。メモはしない。これも条件。  次に黙っている事。森川さんや片平さん、先崎さんが依頼主や調査相手と話していても黙って見守り、指示があった時や予定されている時に限って口を開く。まあ、これは簡単だった。そもそも俺は無口。  そして、森川さんの指示に従う。森川さんは俺に無理難題は言わない。出来ない時は、出来ないと言っていい事になっている。しかし、俺にもプライドがある。この仕事に就くと決めた時から、森川さんの指示には何であっても断らない事に決めていた。この俺を見込んで、雇ってくれたお礼だ。これが俺の流儀。  俺は文章表現が苦手だ。森川さんに「報告書」の作成をそろそろ行って欲しいと言われたが、本当は遠慮したかった。高校しか出ていない俺にとって、作文は難しい。それに、コンピュータで作成するという事も大変だ。日曜日には菅野梢さんにレクチャーしてもらったが、いまいち自信がない。というか1人では無理だ。今回は片平さんが教えてくれるというので、少し安心。森川さんの事だ。いきなり「1人で作成」とは言わないだろう。俺の実力を知っているから・・・と思う。  琵琶湖から帰ってきた翌日。6月26日、金曜日。朝から俺は片平さんのスムーズなパネルタッチに感動していた。よくキーボードを見ないでこんなに早く字が打てるものだと関心した。 「井上くんも練習したら、出来るようになるわ」 そもそも持っているものが違う。 「ここでは、作成したものは、全部、紙に印刷して保存するの」 「今どき珍しいですね。コンピュータに保存できる時代なのに・・・」 「コンピュータにも保存します。ハードディスクに。でも、外部からの攻撃があるかもしれないでしょ。私達より上手のハッカーがこれから出没するとも限らない。だから、2階の倉庫に保存しているの」  2階廊下の突き当たり、局長室の隣に倉庫がある。菅野梢さんがいつも綺麗に並べて保存してある。俺にはあんな綺麗な保存は無理だ。 「倉庫が一杯になったら、どこに保存するんですか?」 「今のところ、2階の倉庫で充分。もし今後、倉庫が一杯になったら、3階や4階にも同じ場所に倉庫があるから大丈夫よ」  俺はその倉庫の存在をまだ知らなかった。まあ、そんな事を心配しても仕方がない。片平さんは、午前中に報告書を仕上げてしまった。 「お昼を一緒に食べましょうか?」  片平さんのお誘いだ。近くのコンビニでお弁当を購入し、「ふくしま探偵局」に戻った。 「今日は、依頼者が多いから、4階の食堂で食べましょう」 階段を4階まで上がると、広い部屋がある。食堂と呼ばれている。俺は、自分の机で食べることが多く、4階まで上がる人は少ない。ただ、大木展子局長にお客がある時や依頼者が来る時は、4階で昼食を食べる事が多い。窓が広く、日当たりもいい。食堂はこのフロアの半分ほどを占めている。奥は作戦室と呼ばれ、秘密の会議を行ったりする事があと聞いていたが、俺はまだ入った事はない。何があるかも知らない。しかし、冷房があるので、ここは涼しい。  福島市の7月は暑い。最初の3日間を金沢の詐欺事件に費やすと、大木展子局長は、俺の疲れた様子を感じ取り、2日間の休みをくれた。俺は、土曜日と日曜日、ポテトハウスで死んだように眠った。  翌日、7月6日、月曜日。俺は初めて遅刻した。ポテトハウスから「ふくしま探偵局」まで走った。幸い、信号機があっても車が走っていなかったので、「ふくしま探偵局」まで止まらなかった。1階の駐車場には片平さんの緑の軽自動車は停まっていた。俺は、急いで階段を上った。受付には老夫婦が椅子に座って待っていた。受付では梢さんが、そのお客の対応をしているところだった。俺は廊下のドアを開けそのまま事務室の入口を開けた。森川さんは片平さんと先崎さんと話をしている所だった。 「遅れてすみません」 「おはよう、井上くん」 「おはよう」 「おはようございます」 彼らは今日も元気だ。 「遅刻の書類は、どうすれば・・・」 俺は少し肩身が狭かった。 「そんなの、ここにはないさ」 「でも・・・」 「まだ10時前・・・」 「でも、以前、勤務していた印刷会社は、1分でも遅刻すると、『遅参報告書』という赤い紙に、理由とか遅れた時間とか書きました」 「会社によって違うのさ。それに、ここはそんなに堅苦しくないと前に話しただろう」 俺は少し冷静になった。 「そう言えば、そうでした」 そこに先崎さんがコーヒーを煎れて持ってきてくれた。 「井上くん。これでも飲んで、落ち着いて・・・」 「髪の毛も少し直してね」 片平さんも優しい。世の中にはこんな会社もあるんだ・・・。 「ところで、井上くん、今日の予定は空いているかい?」 勿論だ。俺はいつもここに来てから、森川さんの指示に従って行動する。だから、予定はいつもない。 「何もありません」 「仕事じゃなんだけど、郡山市まで、出かけようと思うんだ」 俺は一度、席についた。  その時、事務所の入口から、3人の人間が入ってきた。1人は先日、挨拶した岡崎愛子さん。という事は、この3人は第2課の人間。ここに入社して3ヶ月目で初めて会う。 「今年から入った井上くんだね。僕は第2課の田中です。田中一男、25歳」 俺より若い。 「私は第2課の責任者の戸澤です。戸澤リカ、30歳」 実年齢は、俺より上でも、雰囲気は俺より若い。それに、綺麗だ。マスクをしていてもわかる。 「私とは以前、ここでお会いしましたね。岡崎愛子です」 俺は自己紹介をした。 「これから清水美咲さんと高橋光太郎くんに会って来ようと思うんだ」 森川さんの言葉が俺の頭の上を飛ぶ。 「森川先生、もう『清水』さんではありませんよ」 「そうだった、リカ先生」 「よろしく伝えて下さい」 「もちろんだ。田中くん」 「美咲先輩と光太郎先輩に、私からもよろしくと・・・」 「そう伝えておくよ、愛子さん」 「大木先生は?」 「承諾済みだ」 「2人に何か事件ですか?」 「彼らにじゃない」 「でも第3課が行くのですよね」 「まあ、私の時間が空いているからかね・・・」 「美咲さんか光太郎くんから直接、依頼が来たのですか?」 「昨日、美咲さんからメールが来たんだ。それで、私から電話をしたのさ」 「で?」 「隣りに住む女性の相談さ」 「ご近所トラブルですか?」 「そうじゃないらしい。アパートの隣りの女の人を最近、見かけないという話だった」 「知り合い?」 「2人とも、昼間は働いているから、アパートにはいない」 「光太郎くんは、郡山第九中学校で美術を教えているんでしたよね」 「美咲先輩は、郡山第十中学校で音楽を教えていますよね」 「そうだ」 「その2人が・・・」 「6月になって、隣りに若い女の人が引っ越してきたらしい。火曜日と金曜日の朝には光太郎くんが燃えるゴミを近くのゴミ収集場に、自分の家の燃えるゴミを持っていく。同じ時間に隣りの女の人も持っていく。毎回、挨拶を交わす。ところが、先週は会わなかったらしい」 「病気で寝ているとか・・・」 「実家に帰っているとか・・・」 「夜には部屋に電気がついていると話していた」 「たまたま、ゴミを出す時間が遅れたとか・・・」 「彼の家に泊まったとか・・・」 「水曜日には燃えないゴミを出す。その時も会わなかった」 「インフルエンザとか・・・」 「男が泊まりに来ているとか・・・」 「光太郎くんも美咲さんも、いつも7時前後にアパートを出る。その隣りの彼女も、同じ時間にアパートを出ていた。駐車場で3人で毎朝、会話していたらしい。それが、先週からなくなった」 「仕事を変わったとか・・・」 「引きこもりになった・・・」 第2課の人たちは実に面白い。次から次へと色んな推理が出てくる。さすが「ふくしま探偵局」にいるだけある。彼らも森川さんが集めたのか・・・。 「まあ、取り越し苦労なら、それでいい。それに、片平先生も先崎先生も久しぶりに2人に会いたいそうなので、4人で言って来ようと思うんだ」 「うちらはこれから、人捜しです」 「受付にいた2人の息子さんだね」 「さすが森川先生、よくわかりますね」 「私が先ほど、隣りの大木ビルに行った時、受付に座っていたからね。その時、母親らしい人が男の写真を持っていた。年齢からいって息子さんだろう」 「写真を預かりました」 「それに、『探さないでくれ』という手紙が息子の部屋に置いてあったと・・・」 「それなら、探さないのが一番だよ」 「でも・・・」 「あの父親は厳格そうだ。あの年齢でもしっかり背広にネクタイ姿。ワイシャツも白。革靴もあまり汚れていない。指にはコンピュータを打つタコが出来ていた。しかし、あの骨格。左手より右手が幾分長い。野球をしていた体育の先生だろう。最後は校長先生として退職をした。  母親も同じ。靴もあまりすれていないのを履いている。髪の毛もしっかり染めている。右手の人差し指には、チョークを長年持っていた痕がある。それに、あの受付に記載した内容。まるで国語の例文だ。昨年、国語の先生で退職をしたようだ。  2人は5歳くらいの年齢差がある。職場で出会って結婚し、息子を1人もうけた。厳格は両親に育てられ、子どもは少し引きこもりになった。手紙を両親や居間などの目立つ場所に置かず、自分の部屋に置いている。あの感じだと、息子は定職に就いていないのだろう」 「そのようです」 「両親の年金で生活していた。しかし、出て行くというのは、生活費を捻出する事が出来るという事だ。ネットかフェスなどで、女の人とでも出会ったのだろう。そのくらいしか、今の引きこもりの人間に、異性との出逢いの場所がないからね。そして、その女性の元に走った」 俺は、また森川さんにやられたと感じた。 「じゃ、その森川先生の推理、じゃなかった、森川先生の考えをあの両親にぶつけてみます」 「田中くん、私の話が正解という訳ではないから、そういきなりでは・・・」 「私もそんな感じがします」 「リカ先生まで・・・」 「森川先生、第2課と第3課を兼任しませんか?」 「愛子さん、私は忙しい・・・」 「はいはい」 3人はそう言うと、事務所を出て行った。 「本当に2人も行くの、大丈夫?」 「大木先生の承諾済みですから・・・」 「久しぶりに会ってみたくて・・・」 「車2台で行くよ」 「じゃ、私が運転します」 俺は片平さんの車で、先崎さんは森川さんの車で、郡山に向かうことになった。 「清水美咲さんと高橋光太郎さんって・・・?」 俺は最初の疑問を片平さんにぶつけた。 「森川先生の教え子よ」 「先生の教え子、多いですね」 「まあね、それも、2人とも、二本松高校で3年間、森川先生のクラスだったのよ」 「そこからの付き合いですか。俺なんて高校の担任の先生の名前も覚えていない」 「それに、2人とも、二本松大学に進学して、4年間、森川先生に色々と教わったのよ」 「高橋光太郎さんは美術ですよね」 「そうね、清水美咲さんは音楽科。だから、音楽科の准教授だった森川先生から音楽を教えられたわ。高橋光太郎くんは、大学で『ミステリー研究会』に入って、顧問の森川先生と4年間、色々と交流したのよ」 俺はまた森川さんの知らない過去を知った。 「2人はね、高校時代から付き合っていたらしいの。それは図書司書をしていた私にもわかった。大学を卒業してから2人で結婚することを考えて、今の場所に住んだのよ。  教員の試験に合格した時、2人で教育委員会に『結婚する』と話をして、同じ地区に就職できるようにしてもらったの。知っているように福島県は全国で3番目に面積の大きな県でしょ。一番東の相馬と一番西の南会津とでは200キロも離れている。1日あっても往復するのは大変。そのな所に2人が別々に就職したら、付き合うのも大変。遠距離恋愛という言葉があるけど、私もそうだったけど、大変よ。それに、就職して1年目に結婚でもしたら、1年で2人は何回会えるかわからない。だから、就職先が決まる前に、2人の方から教育委員会に申し出たの」 「そうなんですか」 「まあ、森川先生の知恵だけどね」 「やっぱり・・・」 「それで、今は2人の就職先、郡山第九中学校と郡山第十中学校の丁度、中間地点にアパートを借りて住んでいるわ。結婚式でそう話していたから・・・」 「なるほど」 俺は感心した。  車は福島西インターから東北自動車道路に入り、郡山ジャンクションから磐越高速道路に移った。そして、次の郡山東インターチェンジで降りた。  郡山市とはいえ、随分寂しい田園風景だった。周囲にはあまり人家が見えなかった。 「こんな寂しい場所・・・」 俺の独り言が聞こえたのだろうか。片平さんが少し笑っていた。 「もう少し走れば、また家が増えるのよ」 その通りだった。坂道を登り切ったとたん、目の前が開け、遠くに町並みが見えてきた。片平さんが少し自慢気だ。  田舎道からいきなり商店街に入って行く感じだった。 「そろそろね」 前を走る森川さんの黒い車が道ばたで止まる。片平さんも森川さんの車の後をつける。 「何かあったのですかね」 「2人のアパートの近くに駐めると何かあるかもしれないから、少し離れた所に車を停めて、様子を見るの」 さすが片平さん。森川さんの行動を熟知している。すると、片平さんのスマホが鳴る。 「片平です」 「はい、わかりました」 「アパートを通り過ぎて待っています」 スマホを切ると、前の車について走り出す。 「私達は車待機」  片平さんは車を運転しながら前を向いている。また人家が少ない場所になる。家が建っていない場所は田んぼでも畑でもない。整地されている事から考えると、これから家が建設されるのだろう。  森川さんの車が途中の2棟建っているアパートの駐車場に入っていく片平さんはそのまま直進する。車を停める場所を探すが家がないため、100メートルくらい離れた場所にあるアパートの横に駐める。 「しばらく、このままね」 エンジンを切らず、2人で森川さんが駐めた駐車場を見つめる。外はだいぶ暑そうだ。  20分くらい経っただろうか。また片平さんのスマホが鳴る。 「はい、片平です」 「そうですか」 「わかりました」 「ついていきます」 片平さんが車を動かす。 「近くのファミレスに行くそうよ」 そういえば、先程そんな店があった。  近くのファミレスに入った。5人で自己紹介をした。高橋美咲さんは若かった。 「昨日、日曜参観だったので、今日は代休なんです」 そういう事か・・・。美咲さんは、事の顛末を話し始めた。 「私達、ここに住んで4年目になります。夫も同じです。私達が住んでいるのがB棟。隣がA棟です。1階と2階はつながっています。  4年前、このアパートに来た時、A棟もB棟も全部、埋まっていました。  私の隣は、3月まで親子3人が住んでいましたが、近所に新しく家を建てたらしく引っ越していきました。ですから、今も隣には誰も住んでいません。  A棟の方は、昨年の3月に、どちらの家族も転勤で引っ越して行きました。それ以来、A棟は誰も住んでいなかったようです。  しかし、今年の5月の連休明けに若い女の人が引っ越してきました。私達の部屋に挨拶に来た時、『二村絹恵』という名前だそうです。タバコは吸わないと話していました」  高橋美咲さんは、可愛い絵柄の付いたメモ用紙を出した。そこには「二村絹恵」とこれまた可愛らしい字が書いてあった。 「会った日に彼女がくれました」 「どこから来たと?」 「神奈川県の横浜から来たと話していました。でも、それ以上は・・・」 「まあ、最近はあまり詳しく話さないからね」 「ですね。  そのうち、朝、夫が会うようになったと話してきたのです。つまり、火曜日と金曜日の朝が燃えるゴミのゴミ収集日です。朝、学校に行く7時前にゴミを出すのですが、その時、アパートからその収集場までの間で毎回、出会うと話して話していました。  それに、私達は、学校が8時から勤務でしたので、少し早めに7時15分くらいにアパートを出ます。その時間に彼女もアパート出て、職場に行くようなのです」 「彼女も車?」 「そうです。彼女の車が一番奥に止まっていた青の軽。その隣に夫の車。そして私の車を停めていましたから、朝、学校に行く時、挨拶を交わしていました」 「彼女の職場は?」 「そこまで話をした事はありません」 「で?」 「6月末から、ゴミ出しに出てこなくなったと夫が話していました。私も先月末から彼女と会っていません」 「でも、彼女が部屋にいる気配がする」 「はい。私も夫も学校からアパートに帰ってくるのが、夜の7時前になります。その時、隣のA棟の1階はカーテンが閉まり、中で人が動いているのが見えました。物音も聞こえました」 「それは、6月末から?」 「そうです」 すると、森川さんのスマホが鳴った。森川さんがスマホを見る。 「郡山市役所の友人からだ。二村絹恵さんの記録をお願いした」 「それって、違法?」 「協力だ。二村絹恵さん、25歳。神奈川県横浜市から転入。それ以外の情報はない」 「ですよね」 「しかし、SNSで調べたが、神奈川県での彼女の記録が1つも出てこない。25歳の若い女性だ。彼女がSNSをやっていなくても、友達や友人が彼女の事をSNSに挙げる可能性もある。一緒に撮影した写真も。しかし、彼女の名前は一切、SNSに出てこない。この時代、珍しい」 「・・・。」 「二村絹恵という名前が偽名の可能性もある」 「何かの犯罪が・・・」 「わからない。  でも、先程、A棟の周囲を見てきた。彼女の家の電気メーターがしっかり動いていた。そして、中から小さい声だったが、会話も聞こえた」 「じゃ、二村さんだけでなく、他にもいるという事?」 「そうなる」 「これからどうしますか?」 「私と井上くんは、私の車で路上待機。片平さんと先崎さんは、美咲さんの友達という形で美咲さんの部屋で話でもしていてくれ。夕方の5時を目安に・・・」 「わかりました」 「光太郎くんは、今日、何時頃帰ると話していた?」 「今日は早く森川先生が来るから、早く帰ると話していました」  俺たちは車に乗って、先程来た道を戻っていった。  そして11時45分。俺たちの横を1台のバイクが通った。全国展開をしているピザ屋だ。ピザ屋はそのままA棟の事にバイクをつけた。大きなバックを持って、二村絹恵さんの部屋をノックした。森川さんは、それまでかじっていたパンを置くと、車のハンドルを握った。  バイクが来た道を帰っていく。森川さんはそのバイクを追いかけていく。すると、だいぶ先の赤信号でバイクが止まった。森川さんは車を出ると、そのバイクを止めた。そして、何か話をしてまた車に戻ってきた。 「森川さん、その顔は収穫ありという感じですね」 森川さんは無言だった。でも、その笑みを浮かべた顔から、俺は安心感を覚えた。そして、先程の場所に車を戻した。 「先程のピザ屋だけど・・・」 また、パンを食べている。 「石井くんと言うのだそうだ。石井くんはピザのLサイズを7枚。サラダを5人分。飲み物はコーラ3つに。オレンジジュースを2つ、届けたそうだ。ピザ屋に電話の注文が来たのが11時20分。女の人の声だったらしい。あのアパートを電話番号を伝えた。しかし、玄関でお金を支払ったのはサングラスをした男。  また、昨日の日曜日も石井くんがあの部屋にパスタを届けた。ミートソース3皿とナポリタン1皿に海鮮が1皿。ジンジャエール5本。玄関でお金を支払ったのが、今日と同じサングラスをした男だそうだ」 「という事は、あの部屋には現在、5人の人間がいるという事ですね」 「井上くんの頭脳も回転するようになったね」 「誰が聞いても、そう思いますよ」 俺は謙遜してみせた。 「今、あの部屋で5人が何をしているかだ。彼らの乗ってきた車は見あたらない。それに、二村絹恵さんはどうなっているかだ。部屋にいるのか、全く別の人が部屋にいるのか」 森川さんは、今度はおにぎりをほおばった。 「井上くん、先程昼食を食べたレストランに行く途中のコンビニがあったよね」 「はい」 「そこで、箱入りのお菓子を買ってきてくれ。勿論、レシートも忘れずに」 森川さんは、俺に二千円を渡した。 「中身がわからないように、包装してあるものがいいな。暑い中、悪いけど・・・」 「大丈夫です」 俺は、二千円を財布に入れると、車の外に出た。7月上旬だっていうのに、福島県はなんて暑いんだ。汗が止まらない。森川さんが窓を開けた。 「飲み物も買ってきてくれ」 だから俺は森川さんが好きだ。  俺が車に戻ると、森川さんが電話をしていた。相手が誰かは知らなかった。俺は、ドアを開けて、車に入った。冷房が利いている。涼しい。 「どうですか?」 「アパートに動きはない。でも・・・」 「でも?」 「郡山警察署の吉田繁警部と相談した」 吉田繁警部?聞いた名前だ。森川さんが大学の時からお世話になった警察官だと聞いた。 「この10日間、郡山警察署に企業などから出ている捜索願いを聞いた。何件かあったが、彼女に当てはまる捜索願はなかった。  でも取り消された捜索願があった」 「?」 「6月26日、金曜日から出社していないという女性がいたらしい。6月30日、火曜日になって、本人から企業の方に病気欠席の報告があり、企業からの捜索願を取り消した。それが郡山市のあるレストラン『花籠』だ。そして、捜索願対象者は、『二村絹恵』さん22歳」 「じゃ、二村さんは病気?」」 「それはない。あの部屋に5人もいて、病気の女性のピザやスパゲティでは看護にならない。何か事情がある」 「どうしますか?」 「これから、少し寝るから、5時になったら起こしてくれ。アパートに何か変化があったら、起こしてくれ」」 森川さんはシートを横に倒し、寝てしまった。  5時少し前、森川さんは自分で起きた。アパートに変化はなかった。 「井上くん、一緒に美咲さんの部屋に行こう」 森川さんは、俺がコンビニで購入したお菓子を持って、美咲さんの部屋に入った。美咲さんにコーヒーを勧められた。 「美咲さん、一緒に二村絹恵さんの部屋に行ってくれないか?様子を見にいくんだ」 「大丈夫でしょうか?」 「私が光太郎くんという事で行く。このお菓子をお裾分けという事で訪問しよう。美咲は後にいてくれればいい」 「わかりました」 2人は、玄関を出て行った。俺たち3人は窓からそっとその姿を見ていた。  森川さんは隣の玄関で何か話していたようだった。5分ほどで森川さんは玄関を出た。その後、森川さんはA棟を一周して、部屋に戻ってきた。 「どうでした?」 片平さんが最初に尋ねた。 「玄関に出てきた女性は明らかに、二村絹恵さんではない。彼女の友達と話していたが、部屋はタバコ臭かった。二村さんはタバコを吸わないのだろう」 「そう話していました」 「それに、玄関の靴を急いで片付けたらしいが、大きい靴の痕は隠せなかった。男性もいる。そして、電気メーターの使用量が限度を超えている」 すると、森川さんは、持ってきたカバンから双眼鏡みたいな物を取り出した。 「赤外線と熱感知付きさ」 そう言うと、森川さんは窓を開け、隣の部屋を観察した。 「1階には4人。2階には1人。2階では何かを暖めている熱機器がある」 「犯罪ですか?」 「犯罪だね」 森川さんはそのままスマホをかけ始めた。 「森川です」 「先程の話の通りです」 「そうですね。拘束されている可能性があります」 「ですね」 「どちらの方法を使いましょうか?」 「ピザ屋が来たら、A案。なかったらB案ではどうでしょうか?」 「わかりました。気づかれないように・・・」 森川さんがこちらを向く。 「郡山機動隊の出動だ」 話が早い。って機動隊? 「美咲さん、光太郎くんに、連絡するまで帰ってくるなと連絡してくれ」 美咲さんは光太郎くんに連絡していた。しかし「足手まといになるから・・・」と話していた。なんか、高橋夫婦って可哀想。  30分後、A棟は郡山機動隊に囲まれていたらしい。俺にはそれらの存在がわからなかった。 「知られたら、彼らの仕事が大変だね」 森川さんが俺を慰める。 「はい、森川です」 森川さんがスマホに話しかける。 「石井さんですか。そうですね。じゃ、今から警察の人が行きます」 また、あのピザ屋に宅配の連絡が来たらしい。  で、また30分後、ピザ屋に変装した吉田繁警部を先頭に隣の部屋に郡山機動隊が突入した。1階だけでなく、2階の窓からも。  二村絹恵さんは、椅子に縛られていたらしい。4人の犯人は全員確保。俺たち4人は帰ってきた高橋光太郎さんに挨拶すると、そのまま「ふくしま探偵局」に帰った。  「ふくしま探偵局」では夜の9時を過ぎたのに、大木展子局長が待っていてくれた。 「お手柄ね。今、郡山署の署長から連絡が入ったわ」 俺たちは事務所で荷物を下ろした。 「二村絹恵さんは、本名、三町麻美さん」 分かりやすい偽名にしたのもだ。 「神奈川県で昨年まで大学の過激派に入っていたらしい。公安から目をつけられていたらしい。それが、3月、大学卒業と共に、過激派を抜けた」 「それを許さなかった奴がいた」 「そう。同じ大学の過激派の4人。足立文彦、24歳。元彼氏。小林誠、23歳。松本都、23歳。鹿野真理、23歳」 「三町麻美さんは、横浜から逃げ、この福島県郡山市に来た。彼女が小学生の時に、この郡山市に滞在していた事があったらしい。  しかし、4人が彼女を追ってきた」 「そして、捕まった」 「そう。あの5人は大学で主に大麻栽培をして資金稼ぎをしていた。その大麻栽培を彼女の部屋の2階で行った」 「だから、電気メーターが活躍していた」 「それに、横浜市に比べ、公安の目も騙せやすい。しかし、その隣の部屋に森川先生の教え子が住んでいた。それが彼らの失敗」 「あの4人は、三町麻美さんをどうしようとしたのでしょうか?」 「それは、警察にも言わないらしいわ」 「彼らもどうしていいか分からなかったのかもしれないですね。洗脳出来れば、こっちのものとか・・・」 「あの5人は公安でも目につけていた過激派。警察が森川くんに感謝していたわ」 「三町麻美さんは、どうなるのでしょうか?」 片平さんがみんなの飲み物を持ってくる。 「今回は被害者だからね。でも、前科もあるだろうし・・・」 「まあ、検察官も今回の事も含めて、温情は出るだろうね」  翌日、7月7日、火曜日。俺たち第3課の机の上には、沢山のお菓子のお礼が、郡山警察署から来ていた。 「第1課と第2課にもお裾分けを・・・」 先崎さんがお菓子を取り分けていた。 外では、雨が降っていた。
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