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12.170話 事件簿2話 「バラの研究」
2020年7月7日、火曜日。私、安藤玲が「ふくしま探偵局」を訪れた日、午後から森川先生と会う事が出来た。しかし、森川先生は会って数分後、今度は大木展子先生のお父さん、大木泰蔵さんから呼び出しがあった。
仕方がなく、その日の夜。森川先生と飲むことになった。隣で話を聞いた井上くんが片平先生や先崎先生を誘って飲み会に参加したいと申し出てきた。私はすんなり承諾した。
集合は午後6時。福島駅東口前だった。片平先生お薦めで良いワインが飲める所に行った。このご時世なので、開店しているお店が少なかった。福島駅から歩いて5分。あるビルの6階に「ワインクラブ」はあった。落ち着いた感じで、一番奥のテーブルを案内された。他の団体とは少し離れて会話も聞かれずに済む。
「森川先生、まだ大木会長と話しているそうです」
片平先生がスマホを見る。
「『先に飲んでいてくれ』だそうです」
私達はメニューを見て、それぞれ注文した。
「で、安藤玲さんが学生時代に遭遇した森川先生の事件はないのですか?」
井上くんはまだ飲む前からそんな話をしてきた。
「森川先生が到着するまでなら・・・」
ワイングラスが整い、乾杯をした。私は音大1年生の時に遭遇した事件を話し始めた。
☆
私が平城音大のバイオリン科に進んだのは、福島第二高校でお世話になり、私のバイオリンを個人的に指導してくれていた森川先生の薦めでもあった。
「東京の音大に、バイオリンの教え方の上手な先生がいる」
と。
結局、何ヶ月か福島から東京に新幹線で通ってレッスンを受け、その甲斐もあり、私は音大に合格した。そして、音大のバイオリン科での推薦を頂き、国内のコンクールに出場することになったのは、まだ東京に来てから4ヶ月しか経っていない2008年、大学1年の6月だった。
コンクールの一次予選には、100名を越す学生が集まったと聞いた。私は、運良く、二次選考も通過し、最終選考に残ることができた。最終選考は、オーケストラとの協奏曲が課題だった。それも、オーケストラは、プロの新東京フィル。
最終選考は、6名で争われる。そこで、優勝した学生には、ヨーロッパ留学の権利が与えられ、国費で留学出来るという金銭的な部分まで国で保証してくれる。という事で、学生は目の色を変えて、練習しているのだ。
7月7日、月曜日。最終選考の日だった。その最終選考に残った6名のうち、1年生は私1人。残りは全て4年生だと聞いた。
清水音楽大学チェロ科の国分初枝さん。すでに国内のオーケストラに内定しているらしい。ドボルザークの協奏曲を演奏すると聞いた。
同じ東京にある関東音大クラリネット科の八巻和男さん。モーツァルトの協奏曲を演奏するらしい。彼は、昨年もこのコンクールに出場していると、聞いた。
遠い四国の四国音大のホルン科の斎藤幸子さん。リヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番を演奏するらしい。彼女もすでに国内のオーケストラに内定が決まっているそうだ。
菅藤英子さんは関西音大。グリーグのピアノ協奏曲を演奏するらしい。
これらの情報を私に聞かせてくれたのは、同じ平城音大のピアノ科の津田香先輩。ラフマニノフ作曲の「ピアノ協奏曲第2番 ハ短調」を演奏すると話していた。
「コンクールの伴奏が新東京フィルなのは、素晴らしいね」
先輩は、いったいどこから情報を仕入れてくるのだろうか?先輩は、昨年もこの最終選考に残ったらしく、いろいろと詳しく、昨年のことを教えてくれた。
私は、このコンクールに出場していることを、恩師の森川先生に内緒にしていた。恥ずかしかったからだ。でも、最終選考でオーケストラと協奏曲を演奏するとなり、私は森川先生のアドバイスを頂きたくなり、連絡をとった。
「私が、アドバイスしていいのかなあ・・・」
森川先生は、意外と弱気だった。
「コンクールで指揮をするのは、私の指揮の先生だった岩崎亮先生だ。細かい部分より、全体の曲調を大切にする方だ」
結局、的確なアドバイスを受けることは出来なかった。
私は。他の人のリハーサルを勉強するために、会場に足を運んだ。心配した森川先生は、既に東京に来ていた。
最初のリハーサルは、関西音大の菅藤英子さん。大胆なグリーグだった。2年連続コンクール最終選考に残っただけの腕前はあった。オーケストラも気分良く彼女に合わせている。上手だ。
お昼を挟んで、津田香先輩。とても、繊細で、響きだった。しかし、私からすると、ラフマニノフにしては、とても重い感じがした。そして、先輩の性格からか、とても神経質な音楽に感じて、オケもしびやに伴奏していたようだった。
30分の休憩をの後、国分初枝さん。彼女は、先輩と比べ、自由奔放にチェロを弾いていた。カデンツは、彼女の独断場で、他の楽章も、オケが彼女のテンポについていくのが大変だった。それを審査委員がどのように評価するかは、私の知る所ではなかった。しかし、表現力は、私の好みの演奏だった。
それで、1日目のリハーサルは終了。
ちなみに、今回のコンクールは、新しく出来たホテルに併設した会場で行われる。新しく出来たホテルがスポンサーになっている。そのため、最終選考に残った6人は、全員、ホテル40階の部屋に無料招待されていた。
「ホテルの受付でコンクールの出場者と話して、名前を言えば、鍵をもらえます」
新東京フィルのマネージャーで、今回のコンクール担当の東徹さんが説明してくれた。私は、先程知り合った国分初枝さんとホテルの受付に向かった。国分初枝さんは背中に大きな赤いチェロのケースを担いでいる。
コンクール会場は1階。受付はそのままエスカレーターで昇り、3階にあった。とても新しい匂いがした。
「コンクールに出場する国分初枝です」
受付の女の人が2011号室の鍵を渡す。カードキーではない。大きめの鍵だった。
「コンクールに出場する安藤玲です」
私が名前を言い終わる前に、部屋の鍵を受け付けの人は持っていた。どうやら私が最後だったようだ。部屋は2012号室。
2人でエレベータに入る。少し豪華な感じ。しかし、チェロのケースがそのエレベータを狭く感じさせる。
「チェロのケース、邪魔でごめんね」
「こういう時だけ。バイオリンは良かったって・・・」
私は手に持ったバイオリンのケースを見る。
20階まで誰とも会わなかった。エレベータを降りると、左に曲がる。すぐ左の部屋が2010号室。その前が2003号室。
すると、2010号室ドアが開いて、中から同じ大学で4年生の津村香先輩が出てきた。
「よう、安藤、今、帰りか?」
「はい。先輩はこれからどこへ?」
「ちょっとね」
津村香先輩は、私が乗ってきたエレベータに乗っていった。
私は津村香先輩を見送った。
「ここね」
国分初枝さんがその隣の2011号室に鍵を入れ、部屋のドアを開けた。
「今の大学の先輩?」
「はい」
「同じ大学の先輩がコンクールで一緒だと、面倒だね」
彼女は他のコンクールで同じ事があったらしい。
「夕飯、何時?」
「斎藤幸子さんと菅藤英子さんから、夜の7時にしようって、メールが来てた」
「わかりました」
「じゃ、レストランで」
「はい」
私は一番奥にある2012号室に入った。荷物をベッドの横に置くと、目覚まし時計を6時30分にセットした。そして、ベッドに倒れ込んだ。
けたたましい音で目を覚ました。新しいホテルの目覚まし時計の威力は素晴らしい。これなら、誰でも起きる。隣に部屋まで聞こえているかもしれない。私は服を着替えると、貴重品を持って、4階にあるレストランに向かった。私がレストランの前に行くと、すでに国分初枝さんと斎藤幸子さんが入口の前にある椅子に座って待っていた。赤い大きなチェロのケースと、グレイのホルンのケースと共に。
「お待たせ」
「まだ、10分前よ」
「安藤さん、髪の毛」
私は寝起きだった。2人は先程と同じ服装だった。
「寝ちゃって・・・」
「余裕ね。私は、近くで練習してた」
「私も・・・」
2人はコンクールに夢中だったらしい。
「菅藤さんを待ちましょうか」
斎藤さんの意見で、そのまま入口の前の椅子に座り、彼女が来るのを待った。そして、時間は過ぎていった。
「遅いね」
時計を見る。すでに集合時間から10分が過ぎている。
「あと、5分経って来なかったら、メールする」
結局、国分さんが菅藤さんにメールした。しかし、返信はなかった。今度は斎藤さんが電話をした。しかし、反応はない。
「部屋まで行ってみる?」
3人でエレベータに乗り、20階に向かう。エレベータの中に入ると、誰もが無口になる。ちょっと嫌な時間だ。
20階で降りると、そのまま左へ。
「菅藤さん。メールで2001号室だと話していた」
2001号室は、私がいる2012号室の前にある。つまり一番奥の部屋。私達はそのまま廊下を進む。そして、3人全員で足が止まった。2001号室のドアが少し開いている。その理由はすぐに分かった。ドアに靴が挟まっている。それもハイヒールだ。3人でドアの中を見るのを遠慮する。結局、私が一番先頭になって、ドアをそっと開ける。
「菅藤さん、菅藤英子さん・・・」
体が固まった。ドアを開けた目の前に、女の人が俯せで倒れていた。3人で悲鳴を上げる。誰も来ない。私が近づいて、顔を見る。コンクール会場で見た菅藤英子さんだった。首筋に手を当てる。脈を感じた。
「救急車!」
腰を抜かしている斎藤幸子さんではなく、国分初枝さんにお願いする。私は、携帯で森川先生に電話した。助けてくれるに違いない。なぜかそう思った。森川先生に、新東京フィルのマネージャーで今回のコンクール担当の東徹さんを呼ぶべきだと言われ、私は自分の部屋に入り、頂いた名刺を見て、東マネージャーを呼んだ。
近くのホテルにいた森川先生が一番早く駆けつけてくれた。その後に、森川先生が呼んだホテルの支配人上田多賀夫さん。私が2人に森川先生を紹介する。森川先生は、倒れている菅藤英子さんの様子を見る。そして、東マネージャーが到着した。その間に2人は自分達の楽器ケースを部屋に片付けてきた。
「今は動かさない方がいい」
部屋に入り菅藤英子さんの様子を見た森川先生は携帯を出した。
「上田支配人、警察を呼びますよ」
上田支配人が承諾する前に、すでに森川先生は電話をしていた。
「森川です。お久しぶりです」
「今、大丈夫ですか?」
「先月オープンした東京コンサートホテルに来て頂けますか?コンクールの出場者が襲われて・・・」
「20階です。お待ちしています」
「生きています。救急車は手配済みです」
やはり、森川先生の対応は早い。
森川先生が電話を切ると同時に、救急隊員が到着した。私達は部屋を出て、廊下でその状況を見守る。すると、後ろで声がした。
「森川先生、お久しぶりですね」
「吉原純也警部補、忙しい所、すみません」
森川先生は私達に聞いた話を吉原警部補に話した。
救急隊員の人が部屋から出てきた。
「下の救急車に運んで、空いている病院を見つけます。誰か一緒に・・・」
「はい、私が・・・」
手を挙げたのは、東マネージャーだった。
「病院が決まったら、電話をしてください」
森川先生が名刺を渡す。
「警察署の方にもお願いします」
担架で運ばれた菅藤英子さんは、そのままエレベータに乗せられた。窮屈そうだった。
菅藤英子さんが運ばれた後、吉原警部補は2001号室に入った。
「これは事件ですね」
そう言うと、携帯で応援要請をした。その間、森川先生は部屋の中を見ていた。
「この部屋の施錠は?」
吉原警部補は最初に支配人の上田多賀夫さんに尋ねていた。
「すべて、鍵でドアを開閉します」
「窓はすべて内側から鍵が掛けられていますね」
森川先生が観察する。
「でも、受付にあるコンピューダで、各部屋の出入りを記録しています」
そこに警察の応援部隊が到着する。
吉原警部補と森川先生、そして上田支配人に3人のコンクール出場者はそのまま3階の受付に降りていく。
受付に行くと、私に鍵を渡した女の人がまだ仕事をしていた。上田支配人は受付の後にある部屋に私たちを連れて行った。
「これです」
今時のホテル経営はすごい。
上田支配人が「20」のボタンを押す。パネルに2001号室から2012号室までの時間で出る。
「本日は2004号室から2009号室までは空室になっています」
そのようだった。2004号室から2009号室までは何も記録されていない。
「2001号 14:50 17:55・・・19:42
2002号 15:33 15:54
2003号 15:21 15:31
2010号 15:15 15:40
2011号 15:41 15:55
2012号 15:42 18:35」
森川先生がパネルを見る。
「2001号室の鍵は14時50分に開けられた。そして、17時55分にまた、開いた」
「そういう事です」
上田支配人が頷く。
「私は2002号室です」
隣りに立っている斎藤幸子さんだ。
「私は15時33分に部屋に入りました。そして、15時54分くらいに廊下に出ました。その時、2011号室から出てきた国分初枝さんと出会って、近所に予約している練習室に向かいました」
「そうです。私は安藤鈴さんと一緒に部屋に戻りました。2011号室です。部屋に荷物をおいて15時55分に廊下に出ると、斎藤幸子さんも廊下に出てきたところだったので、2人一緒にエレベータに乗って、練習会場み向かいました。そして、18時30分頃まで練習し、斎藤幸子さんと一緒にレストランに向かいました」
「そうです。練習会場で、隣りからずっとシュトラウスのホルン協奏曲が聞こえていました」
「という事は、2011号室は、15時41分に隣りの2012号室と一緒にドアが開き、15時55分に開いたという事だね」
「そうですね」
「それに、私が部屋に来たとき、2003号室から出てくるクラリネットのケースを持った八巻和夫くんに会いました。そのままエレベータでどこかに行きました」
「2003号室は、15時21分にドアが開いて、15時31分にドアが開いた」
「私たちも部屋に入る時、2010号室から出てくる津村香先輩に会いました」
「2010号室は15時15分にドアが開いて、15時40分にドアが開く。そして、2012号室は15時42分にドアが開き、18時35分にドアが開いた。玲は3時間も何をしていたの?」
「寝ていました」
「随分、余裕だね」
「すみません、森川先生」
私は下を向いた。
「ところで、この2001はどういう意味ですか?上田支配人」
「ドアの開閉が1分以内に行われれば、その時間が記録されます。しかし、ドアが1分以上開けてあると、2001号室の記録のように、なります。
つまり、14時50分にドアは一度開閉されています。そして、17時55分にドアが開いて、そのまま閉まらず、先ほどの19時42分に閉まったという事です」
レストランで食事をして帰ってきた八巻和夫さんと津村香先輩は、丁度部屋に戻った時、鑑識の人に出会い、そのまま3階の受付に連れて来られた。私たちは受付から少し離れた会議室に集められた。女子3人は夕食がまだだったので、サンドウィッチとおにぎりが準備された。
吉原警部補から先ほどの部屋の開閉時間の話がされた。皆、納得した。
「それじゃ、菅藤英子さんは、17時55分から19時までの間に襲われたという事ですね」
八巻和夫さんが憤る。まあ、コンクール前だから仕方がない。
「そういう事になる」
津村香先輩がとんでもない事を言う。
「八巻くんは部屋を出る時、斎藤幸子さんに目撃されている。俺は部屋を出る時、国分初枝さんと安藤玲さんに目撃されている。そして、2人は練習会場が隣り。俺の隣りの部屋で、八巻くんはクラリネットをずっと練習していた。
斎藤幸子さんは部屋を出る時、国分初枝さんと一緒だった。そして、そのまま練習していた。
襲われた菅藤英子さんは、誰よりも早くホテルの部屋に帰ってきた。14時50分。そして、17時55分にドアを開けた。その時、20階にいたのは、安藤玲さんだけだ」
全員が私の方を見る。津村香先輩は何を言っているんだ・・・。
「それに今の話だと、15時41分に国分初枝さんが部屋に入ってから、安藤玲さんは2012号室のドアを開けた。しかし、安藤玲さんが部屋に入ったのを見た人はいない。国分初枝さんも僅かに差で見ていない」
国分初枝さんが下を向く。
「安藤玲さんが部屋に入ったふりをして、そのまま奧の非常階段に身を隠す。そして、15時54分と15時55分に国分初枝さんと斎藤幸子さんが部屋を出て行くのを待つ。そして、17時55分、安藤玲さんは2001号室のドアをノックし、中にいる菅藤英子さんを呼び出す。30分間、2001号室で待機し、18時35分、安藤玲さんは、2012号室のドアを開け、そのまま閉めて、国分初枝さんと斎藤幸子さんの待つレストランに行く」
「ひどい・・・」
私は涙目になる。そして、森川先生を見つめる。そんな事してない・・・。助けて・・・。
「津村香くんの推理は、可能だ」
胸が張り裂けそうになる。
「しかし、それは机上の空論だ」
「どうして!」
「いいかい。時間的には今の推理は充分、可能だ。しかし、よく考えてくれ。安藤さんが国分さんと別れて、1分の差でドアを開閉し、入ったふりをするのはかなり危険だ。国分さんが出てくるとも限らない。そうしたら、記録に開閉の時間が2回残ってしまう。
それに、奧の非常階段に隠れる事もだ。ホテルの廊下は冷房が利いている。しかし、非常階段は別だ。行ってみるといい。この季節、5分もいたら、汗だくだ。この記録によると、15分は暑い7月の非常階段にいる事になる。サウナに服を着たまま15分いたら、君ならどうする?
15時55分から犯行のあった17時55分の2時間だ。なぜ、彼女は2時間も待つ必要がある。それも、いつ誰が来るかわからない20階の廊下で・・・。私ならすぐ2001号室をノックするね。
犯行の後、30分、犯人ならドアを閉めずにいるかい?誰かが来るかもしれない。その時部屋にいたら、何と説明するんだ。
最後に津村香くんの説明だと、安藤玲さんは、一度も部屋に入らなかった事になる。部屋に入っても1分以内だ。その時間に、彼女は服をこのように着替える事が出来るか?先ほど練習会場で会った時とまるで違う服装だ。それが2001号室の菅藤英子さんの服であってもだ。彼女は身長が160センチを越えている。安藤玲さんはそれ以下だ。洋服も大きいに違いない」
森川先生は完璧だ。吉原警部補は後を向いて笑っている。まるで、「素人は口を出すな」と言いたいようだ。それまで立ち上がっていた津村香先輩は、勢いは消え、椅子に座った。
「要するに、菅藤英子さんを襲った犯人は、コンクール関係者以外という事さ」
さすが森川先生、私の救世主。
「という事で、彼らはコンクールを控えている。解放してもいいですよね、吉原警部補」
私達は、21時に解放された。私たちは話もしないで、それぞれの部屋に戻った。明日はリハーサルが待っているのだから・・・。
部屋に入り、ベッドに座った。暖かいお茶が飲みたくて、お湯を沸かした。30分が過ぎた頃、携帯が鳴った。森川先生からだった。
「玲です。先ほどはありがとうござしました」
「話があるから、下に来るか?それとも部屋に私が行っても・・・」
「疲れているから、部屋に来て下さい」
「今から行く」
私の部屋のドアがノックされた。ドアを開けると、森川先生がいた。私は思わず抱きついた。
「このドアの開閉も記録されるのだろうね」
森川先生は少し微笑んで、部屋に入ってきた。
「先ほどはありがとうございました」
「当たり前の事さ」
「でも・・・」
「それより、聞きたい事があるのだけど・・・」
「みんなの前では話せない事?」
「まあね」
「何でしょう?」
「青いバラに覚えはあるかい?」
私は一瞬、固まった。私は青いバラの事をとても記憶があるからだ。
「あります」
「その話を聞かせてくれないか」
森川先生は勝手に番茶を入れて飲んでいた。
「ここに座るよ」
そして、窓際の椅子に座った。
「まず、最初におかしいとおもったのは、平城音大に入学してすぐの5月。連休が終わったくらいの時期です。私がいつも練習しているピアノボックスに青いバラが一輪飾ってあったことです。
平城音大には、沢山のピアノボックスというピアノがおいてある個室があります。そして、学生は、自分好みの部屋を見つけると、ほとんどその1つのピアノボックスで練習します。私物を置く学生もいます。上級生になればなるほど、その傾向が高くなります。私も例外ではありませんでした。しかし、ピアノボックスに、花瓶は置きませんでした。それが、花瓶と一緒に一本のバラがいけてあったのです。
最初は『何だろう』と思っていました。そのうち無視するようになりました。綺麗に咲いているバラを捨てるのは、可哀想に思えたし、花瓶のセンスもまあまあだったから。しかし、一週間も過ぎると、バラが枯れてきました。そう思った頃に、青いバラが新しくなっていたんです。
他のピアノボックスにもあることなのかと思って、他のピアノボックスも覗いてみました。しかし、他のピアノボックスでは、そのようなことは全くありませんでした」
「音大に入学してからだね」
「そうです。何日か経って、私の部屋に青いバラの花束が届きました。マンションの場所は、あまり友達にも話していないのに・・・」
「出来るだけ、詳しくその状況と、その青いバラの様子を話してご覧」
「夕方9時頃だったと思います。私の部屋に宅配サービスの人が持ってきたの。何か気持ち悪くて・・・。差出人も書いていなくて」
「青いバラはどうなっているの?」
「まあ、普通といえば、普通。いつも、青いバラが5本、花束になって、きちんとラッピングされて、届いているの」
「『青』といっても、色々な『青』が存在するのは、玲も解るよね」
「はい」
「日本語で言えば、植物の藍で染めた『藍色』。染め方の薄い順に『瓶覗(かめのぞき)』、『浅葱(あさぎ)』、『縹(はなだ)』『紺』と呼ばれる。
また、納戸の中の色を表す、灰味の緑青の『納戸色』。薄い葱の色に似て、明るい青緑の『浅葱色』。天然の岩絵の具で紫っぽい『群青色』。露草の花のように明るい『露草色』がある」
「難しいですね」
「そうして、カタカナでは、19世紀のイギリス海兵隊の服の色で暗い紫味の『ネイビー・ブルー』。ラテン語の『空』が語源で強い青の『セルリアンブルー』。トルコ石の青という意味で、明るい青緑の『ターコイスブルー』。ナイル河の色でくすんだ青の『ナイルブルー』。そして今、玲が話した宝石のラピスラズリの原料の色で、鮮やかな紫味の青で、ラテン語の『海を越えて』という意味の『ウルトラマリーン』がある」
「『ウルトラマリーン』という青の色らしいと大学の友人が調べてくれました」
「少しの色の混ぜ方で青の色が変化する。毎回その『ウルトラマリーン』なのか?」
「毎回、同じようです」
「多分『ウルトラマリーン』には、『母性愛、音楽、気品』というのがあったような気がする。そして、その色を作るには、『シアン』が8に対して、『マゼンダ』が5の割合で染色するしかない」
「作るの?」
「ああ。先ほど、日本のサントリーとオーストラリアが共同で青いバラの開発に成功したそうだ」
「すごい」
「でも、遺伝子組み換えだ。色も『青』というより『紫』」
「へぇ」
「他の青の色素を持つ花から遺伝子を取り出して、作ったらしい。その内、花屋でも販売されるさ」
「でも紫色でしょ」
「これから、科学の力で色が青に近くなるさ」
「私がおばあちゃんになる前にお願いします」
「だから、今の時代。『ウルトラマリーン』の色のバラは自然界には存在しない。染色するしかない。黒のバラもだけどね。黒は、赤いバラをどこまでも黒ずませて品種改良させる」
「その色を毎日、同じく配色するのは、大変なの?」
「それは、大変さ。『イエロー』と『ブラック』は使用しない。それだけ、青は大変なのさ。だから、たぶん、その『シアン』と『マゼンダ』の8:5の水溶液で花の色を付けているか、塗装しているかだね」
「でも、毎日よ・・・」
「何日続いたの?」
「コンクールの一次予選の時まで、1週間に2回くらいのペースで・・・」
「その時に連絡してくれれば・・・」
「それで、青いバラが今回の事件に何か・・・」
「襲われた菅藤英子さんの部屋にあったんだ。それも5本、ラッピングされていた。色は・・・そう『ウルトラマリーン』」
私は気を失いそうになった。
「それって・・・」
「そう、今回は菅藤英子さんを狙ったのではなく、安藤玲さん、あなたを狙った犯罪だね」
私は怖くなった。今すぐにでも森川先生に抱きつきたくなった。
「先ほど、吉原警部補にその花束を見せてもらった。青い色は染色だった。それに、花屋も分かった。この近くにある大和田フラワーショップだ」
私は怖さのためか、森川先生の声があまり耳に入ってこなかった。
「コンクールを中止しようか・・・」
「嫌・・・」
「そうか・・・各階ごとに防犯カメラが設置されてる。ここにはこちらから、エレベータ方向を撮影していた。先ほどの全員の話の裏付けが取れた。しかし、2001号室の前は撮影されていなかったんだ」
「どういう事?」
「犯人は、非常階段を使用した」
私は更に怖くなった。
「大和田フラワーショップにも話を聞いてきた。注文は大学生の息子さんが受けたそうだ。そして、その息子がここの受付に届けた」
「それじゃ、誰が部屋まで・・・」
「それがわからない。今までは男の人が青いバラを大和田フラワーショップに取りにきていたと、その息子が話していた」
「顔は?」
「サングラスに帽子」
「そうなの・・・」
「しかし、1つ分かったことがある」
「何?」
「いつも青いバラは5本、そのまま売っていた。しかし、今回2001号室で発見された青いバラは、全くトゲがなかった」
「えっ?」
「そう言えば、受付にある防犯カメラにはその花束、撮影されていない。不思議な事件だ」
沈黙が2人の間を通り過ぎた。
「今日は、一緒にいて・・・」
甘えてみた。
「わかった」
森川先生はソファを3台並べて、そこに簡易ベッドを作ってしまった。
「明日、リハーサルだろ。早く寝ろ」
私を子どものようにあやした。私は、怖さもあったが、そのまま眠りに落ちた。
翌日、7月8日、火曜日。私が起きた時、既に森川先生はシャワーを浴びた後だった。そう言えば、森川先生は朝方、お風呂に入る習慣があると聞いた。
私は起きるとそのままシャワー室に直行した。
朝食も森川先生と一緒だった。しかし、その後に早起きした吉原警部補も護衛としてついていてくれた。
「玲のリハーサルは午後から?」
「そうです。最後です」
「それまでは、練習室?」
「いいえ、会場で他の人の演奏を聴こうかと・・・」
「余裕だね」
「今更練習しても、同じです」
「じゃ、吉原警部補が玲の警護をするそうだから、私はリハーサルの時に来る」
「えっ、いなくなっちゃうの?」
「大丈夫です。安藤玲さんの周りを4人で警護します」
太い声が後から響く。
「お昼は?」
「みんなと食べないさい」
森川先生は9時30分まで一緒にいてくれたが、その後、どこかに行ってしまった。
今日の午前中は、八巻和男さんのクラリネット。とても楽譜に忠実だった。昨日、あんな事件があったのに・・・。でも、もっと、自由なモーツァルトでもいいのではないかとさえ思ったが、逆に言うと、それが彼の持ち味なのかもしれない。私なら、もう少し厚いリードで、深く音を鳴らしたいと思う場面が沢山あった。その分、彼の腕の技術がもったいないとさえ思った。
お昼は女子3人で食べた。そして午後の最初は、斎藤幸子さんのリハーサル。見た目、私が最も苦手な感じの女性だった。途中、何回も演奏を止めては、指揮者の岩崎亮先生と打ち合わせをしていた。客席にある私のところにさえ、その声が響いていた。
「この旋律の部分のオケを、私の演奏の仕方に合わせて欲しい」
それだけ言うだけあって、ホルンのテクニックはずば抜けて良かった。ただ、表現力に磨きがかかれば、もっと良くなると思った。他の人の意見をまだ素直に聞くことの出来ない彼女なりの性格が、それを邪魔しているのだと思った。
そして、私の番。30分の休憩の時、森川先生が客席の私のところに来てくれた。そして、森川先生は、あまり私を知らない素振りをして、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲コツをそっと教えてくれた。
「最初はとても、優しく冷静に、甘く弱く演奏すること。それが、審査委員を引きつけるコツさ」
森川先生は笑顔だった。
夕方、ホテルの部屋に戻ると、私の目にあの青いバラの花束が入った。私は部屋の外に一緒に来ていた森川先生を呼んだ。森川先生はその花束を少し観察した。
「持っていって下さい」
「わかったよ。でも、誰も玲に危害をつけるつもりはないと思うから・・・」
その日も、森川先生は私の部屋で休んだ。
翌日、7月9日、水曜日。コンクール全国大会の最終選考会が始まった。アマチュアのコンテストとはいえ、今まで沢山のプロを輩出しているこのコンクールの会場は、超満員だっだ。午前中に3名、昼食を挟んで、午後に3名、そして、表彰式という予定だったが、菅藤英子さんがキャンセルのため、午後が2人になった。
やはり、午前中の3名は、昨日とあまり変わりなく、演奏が終了した。それにその演奏の伴奏に付き合っている、プロの新東京フィルにオーケストラの人達も大変だと思った。あまり上手でないソロに引っかき回され、リハーサルとは違う演奏の仕方をする人までいる事に・・・。
そして昼食後のリヒャルト・シュトラウスには、もっと大変だった。斎藤幸子さんのホルンは、本番で上がってしまい、音を外しまくりだった。オーケストラが合わせるのが大変だった。でも、止まることなく、なんとか曲を通す事が出来た。ホルンを持った彼女は泣きながら、舞台を後にした。
そして、私の時間がきた。私は、高校生のバイオリンの発表会の時と同じ黒のドレスにした。私がステージに見えると同時に拍手が鳴った。
「最初は、優しく・・・」
森川先生が隣りで囁いているようだった。客席を見回すと、森川先生の顔が見えた。その隣りに同級生の嶋津奈津子の顔も見えた。見に来てくれたんだ、彼女も・・・。
1時間後の審査結果が今回私の中で一番、緊張した。私の席の隣には、福島市から親友の嶋津奈津子が駆けつけて、私の手を握っていてくれた。そして「1位」に自分の名前が告げられた時、私は奈津子に抱きついてしまった。
「おめでとう」
奈津子が自分のことのように喜んでいてくれた。
夕食は、森川先生と奈津子と3人で食べた。
食事も終わりにさしかかる時、私はあの青いバラについて、森川先生に聞いた。
「大体の事は、わかった。後は、玲がそれを受け入れてられるかだ。それでも、聞きたいかい?」
隣の奈津子は、じっと森川先生を見つめていた。
「はい、勿論です。大丈夫です」
「まず、バラにも沢山の種類がある事は分かっていると思いう。で、あのバラは『スイート・ブライアー』と呼ばれる一般的なバラなんだ。花言葉は『愛』さ。つまり、誰かが、玲さんに愛を告白したくて、送っていたのではないかと、私は思ったのさ。
それに、あそこまで青いバラは遺伝子上、どうしても作る事は出来ない。昨日のバラを良く見てみると、やはり、バラ特有のとげが全て、丁寧に取られていた。普通、花屋さんでも、ある程度、バラを売る時は、とげは取る。しかし、私が見たあのバラのように、全て完全にとげを取る事は滅多にしないと話していた」
「そう言えば、そうでした」
「あれは、意図的にとげを取ったとしか、考えられない」
「それは、なぜですか?」
「それは、バイオリンを演奏する玲さんに、バラのとげでケガをさせたくなかったからなのではないでしょうか・・・」
「そんな事までして・・・」
「そうとしか、考えられません。そして、あの『ウルトラマリーン』という配色です。『青』といっても沢山の『青』がこの世界には存在します。色の付いた水を吸わせて、全く同じ色で毎日、花を同じ色に着色するのは、今の時代の技術では無理だそうだ。奈津子の大学の先生に聞いたから、間違いない」
「私も今回の捜査に協力したの」
「ありがとう」
「そして、昨日のバラの『ウルトラマリーン』は花びらの中ではなく、外から、つまりスプレーか何かで着色されていた。しかし、何日もわたって、同じ色を着色するのは、困難だと思う。最初に沢山の花に着色しても、時間と共に花は開花し、色を変わっていってしまうからね。この事から、花を贈っている人物は、毎日のように同じ『ウルトラマリーン』の色を、花びらに着色して、玲さんに贈る事の出来る人間だよ」
森川先生はそこで、ウエイターが持ってきたカフェオレを一口飲んだ。私も、一緒に飲み物に口を運んだ。
「色を配色するには、『マゼンダ』『シアン』『ブラック』『イエロー』の4種類の組み合わせがあるの。この『ウルトラマリーン』は『マゼンダ』が8の割合に対して、『マゼンダ』が5の割合」
「森川先生からその話は聞きました」
「もし、間違って『シアン』が同じ8の割合でも、『マゼンダ』が4の割合に変われが、『薄群青』と言う名の色に変わってしまうの。逆に『マゼンダ』が5の割合でも『シアン』が7の割合に変われば『ラベンダーブルー』という名前の色になってしまうの。
見た目では良くわからないけれど、比べると分かるのよ。また、『マゼンダ』が4の割合で『シアン』が7の割合になると『ペールサルビアブルー』というような色になってしまうのよ」
さすが、奈津子。美術科の大学生だけはある。
「つまり、この青いバラを送った人物は、玲が好きで、同じ『スイート・ブライアー』という品種のバラを毎日確保できて、そして、この『ウルトラマリーン』という配色で、花びらだけを着色し、とげをきちんと取ることの出来る人間だと思うよ」
「で、森川先生、誰がそのような事が出来るかわかったのですか?」
「はい。とても偶然に・・・」
「誰なんですか?」
「昨日、大和田フラワーショップにもう一度行ってきた。ラッピングされていた紙は、やはり花屋さん専用の卸屋さんから仕入れていた。そして、スプレーに使用した液体も、花屋専門の液体。まあ、発注されれば、花屋は花を作り、管理します。しかし、注文する人は毎回『青いバラ』という注文はしても『ウルトラマリーン』の『青いバラ』とは注文しない。花屋が毎回、『マゼンダ』5に『シアン』8の割合できちんと染色するには、染色する人のこだわりがないと出来ない。
大和田フラワーショップによると、染色の注文も何度か受けるそうだが、配色はその時に気分で変わるそうだ。しかし、玲に来た『青いバラ』の配色は毎回、変わらなかった」
「ということは?」
「このバラの花を染色した人が犯人さ」
「大和田真利夫。大和田フラワーショップの息子さ」
「知らない人」
「そうなんだ。彼は平城音大の3年生だった。そして、この東京コンサートホテルで今年4月からバイトしている」
「・・・」
「そうさ。4月に玲が平城音大に入学した時、バイオリン科の挨拶で『青いバラ』が好きと話したそうだね」
「そんな事、話したかしら・・・?」
「玲の先輩に聞いたからその通りだろう。そして、3年生のバイオリン科の男子に君に一目惚れした。それから、自宅で『青いバラ』作成し、5月から君だけのためにその『青いバラ』を送り始めた」
「でも、どうして菅藤英子さんが・・・」
「あれは、事故だった」
「事故?」
「今回のホテルの部屋の鍵は、受付でコンクール関係者という事を話し、名前を言って部屋の鍵をもらうシステムだった」
「そうです」
「最初にこのホテルの受付に来たのが、菅藤英子さんだった」
「記録を見ると・・・」
「菅藤英子さんをゆっくり発音すると『かんとうれいこ』となる」
「?」
「『あんどうれい』に発音が似ているだろう」
「そう言われれば・・・」
「このホテルは4月からバイトを採用した。その中に大和田真利夫くんもいた。しかし、日本人だけでは足りなくて、海外からの留学生もバイトとして雇った。あの時、受付にいた女の子は中国から来た留学生の『王』さん。『かんとうれいこ』と『あんどうれい』の違いが分からなくても仕方がない。そして、最後の受付に来た玲に残りの鍵を渡した」
「そう言えば、私が名前を言い終わる前に、鍵をもらいました」
「受付には、新東京フィルのマネージャーで今回のコンクール担当の東徹さんから渡された部屋割りがあった。見せてもらった。菅藤英子さんと君の部屋は逆だった」
「えっ」
またまた驚いた。
「つまり、大和田真利夫くんは、コンクールの前に玲に告白しようとした。自分で大和田フラワーショップに発注し、自分で『青いバラ』を作った。それから、ホテルまで持っていって、バイトのボーイをし、その『青いバラ』を非常階段を使用して、あの2001号室まで持って行った。
そして、ドアをノックした」
「・・・」
「そこに現れたのは見た事もない大柄な女性。大和田真利夫くんは意味が分からなくなり、花束を彼女に投げた。花束はそのまま横にあったテーブルの上に。大和田くんを追いかけようとして、ハイヒールを履いたままの菅藤英子さんが部屋を出ようとする。大和田くんは非常階段から逃げる。菅藤さんはドアにハイヒールを取られて転んでしまう。そして、頭を床に打つ。そこへ、連絡してもレストランに来ない彼女を心配して君たちが来る。それが事の真相さ」
「菅藤英子さんは?」
「玲がバイオリンを演奏している時に目覚めたそうだ。今頃、退院の手続きをしている」
「大和田真利夫くんは?」
「大きな犯罪を犯したのではないから、警察で吉原警部補に怒られるくらいだろう。それとも、安藤玲が何か訴えれば・・・」
「私は何も・・・」
「そうそう、1つ大事な事を言い忘れていた」
「何ですか?」
「玲がいつももらっていた『スイート・ブライアー』という品種のバラは6月19日の誕生花だそうだ」
私は絶句した。完璧なストーカーだ。
「私の誕生日の誕生花だったのですね」
「そのようだね。何かきっかけを作って、はっきり断るのも一つの手でだろう」
「わかりました。ありがとうございます」
「いいえ、偶然が重なっただけです」
「そのいい方、私が高校の時から変わっていませんわ」
3人で夕食を終えると、私達の話は盛り上がっていた。
☆
「その後、安藤玲さんは、留学したの?」
「ええ。卒業してからね。たった1年だけどね」
「先ほどの嶋津奈津子さんって片平さんの事件で一緒だった人?」
「そうです」
それきり、井上くんは黙ってしまった。彼の頭の中で、シナプスが正しい理論の元、つなぎ合わさっているのだろうと思った。
「お待たせ」
森川先生がやってきた。先生はいつも丁度いい時に来る。
「井上くん、また、変な話を聞いていたな・・・」
森川先生は井上くんの頭を撫でながら、サングリアを注文した。
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