2.174話 秘話1話 「テトロドトキシンの考察」

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2.174話 秘話1話 「テトロドトキシンの考察」

 この「ふくしま探偵局」も開設して3年目に入った。私、片平月美は昨年、「ふくしま探偵局」に加わった。森川優先生の事件があって、私は二本松大学の図書館司書を辞めた。二本松大学の教授会が、森川先生を支持する事に否定したからだ。その結果に私は絶望した。私は何も考えないですぐに辞職届を提出した。そして職を失った。会津若松市にある実家に帰ろうとした時、安藤りょう子さんが勤務する安藤産婦人科の事務に空きが出来たので、手伝って欲しいと誘われ、すぐに承諾した。そして、2年目、森川先生に「ふくしま探偵局」で一緒に活動しないかと誘われ、安藤産婦人科の事務を辞め、「ふくしま探偵局」に加わった。  今年、2020年4月に森川先生が新しい仲間を連れてきた。そのため、急遽、歓迎会を開催した。場所は福島駅西口前にある居酒屋「海の蛍」。事件が解決し、大木先生が4月10日、金曜日を休みにしてくれた。夕方に予約をとった。本来なら、「ふくしま探偵局」全員で参加するところだが、いきなりだったので、大木先生と、第3課の4人での参加となった。コロナ禍で「緊急事態宣言」が出されたので、居酒屋「海の蛍」は店を閉め、他のお客はいなかった。 「本当は、お休みなの・・・。でも、大木さんのお願いで、お店をそっと開けて頂きました」 そんな話を聞いた。  森川先生は急遽、前日の事件処理のため、福島警察署の霧島城司警部に呼ばれた。 「2時間、いや1時間で帰ってくるから先にやっててくれ・・・」 先に4人で居酒屋「海の蛍」に入った。  飲み物が来て、刺身の盛り合わせがきた。 「片平さんが森川さんと最初に会った時に話って、聞いてもいいですか?」 「ふくしま探偵局」に入ったばかりの井上浩くんが、いきなり話しかけてきた。  私は少しとまどった。しかし、昔の事をいつまでの引きずっていても、仕方がないと思った。 「そうね。昔の事件よ」 「もし、良かったら、聞かせて頂けませんか?」 「そうね。私の気持ちも吹っ切れるかもしれないから、井上くんの就職祝いに話しましょうか」  私はビールのジョッキを一気に飲み干した。  ☆  私は地元の高校を卒業して図書司書になるために、会津大学へ進んだ。大学2年生の時、東京で行われた本の出版会議を見学した際、1つ年上の武田剛くんに出会った。それからすぐ、付き合い始めていた。付き合いはずっと続いた。彼は東京の大学。私達は東京と会津若松の遠距離恋愛だった。彼は卒業と同時にそのまま東京の出版社に勤めた。私達の遠距離恋愛はまだまだ続いていた。  私は大学4年生の時、東京都と福島県の図書司書の2つの就職試験を受け、両方合格した。すでに、彼と一緒に生活するため、東京都の高等学校に図書司書として就職することを、心の中で決めていた。でも、その事は、3月にその報告を行えばよいと言う事だったので、まだ福島県の図書司書の辞退はしていなかった。  しかし、剛くんにだけは、4月から東京都で一緒に暮らせることを報告していた。私が卒業論文を提出すると、彼が会津若松に旅行に来た。    2009年、1月31日、土曜日。彼と福島県立博物館に行った。この博物館は、一万平方メートルの広さで福島県の歴史が展示されていた。外観は白と黒のコントラストで新しい建物だった。そして、その隣にある鶴ヶ城。会津若松のシンボルとも言えるこのお城は、本当は、会津若松城と言うのだけど、その城の姿が優雅に舞う鶴に見た立て「鶴ヶ城」と呼ばれるの。このお城は1384年芦名直盛によって建てられ、その後、伊達政宗、蒲生氏郷と受け継がれ、戊辰戦争の時は1ヶ月の籠城に耐えたお城。でも、1874年に当時の明治政府によって壊されてしまう。しかし、1966年に天守閣まで再建されて、現在に至っている。5階の天守閣からの眺めはとても良かった。会津大学に4年通ったけど、このお城の天守閣に登ったのは、この時、剛くんと初めてだった。  それから会津若松市の東にある飯盛山に登って、白虎隊の最期の場所と言われている墓に行った。そこは、戊辰戦争の時、砲煙の中にある鶴ヶ城を見て、その場所で十九人の若い白虎隊が自害した場所。また、その近くには、1796年に建立された珍しい「さざえ堂」という建物があるの。「さざえ堂」は、その名前の通り、少し内部が曲がっていて、登りと下りの階段が交わることなく螺旋状になっている事で、日本でも有名な建物。  私達2人は、会津武家屋敷に行って、お昼を食べ、宿を予約した東山温泉に向かった。この東山温泉は山形県の上山温泉、湯野浜温泉と並んで奥羽三楽境と呼ばれる温泉。この東山温泉は、1300年前に名僧の行基によって発見されたと言われている。ここには30軒ほどの旅館がある。私達はその中でも、一番小さな旅館「瀧屋」に泊まった。彼の希望で、客室が4つしかない、それも一番東山温泉の一番奥の旅館だった。とても外観は古そうな感じで、和風の作りだった。  丁度、週末ということもあり、4室とも満員だった。私達は「夢二」という部屋に通された。ここはその他に「湯川」「白虎」「与謝野」という東山温泉にちなんだ名前の部屋があった。他のどこの部屋も男女2名ずつの8名が泊まったようだった。  旅館「瀧屋」は、女将、そのご主人、そして仲居さんが2名、板前さんとそのお手伝いとして2名の人が炊事場で働いていて、全員で7名の少ない旅館だった。だから、1日多くても4室8名しかお客を取らないと女将さんが話していた。    私達は、夕食までの時間を、東山温泉の中を歩いて過ごした。東山温泉の中央を流れる湯川沿いに歩いて、竹久夢二の碑を見に行ったり、旅館の近くにあった雨降り滝まで歩いたり、とても幸せだった。奥の東山ダムまでは行かなかった。もう1ヶ月経てば、私達は東京で一緒に住むことになっていたし、私の会津大学卒業もほとんど決まっていたし、卒業論文はすでに提出してあったので・・・。  隣のホテルのロビーで演奏会があった。若い4人が弦楽四重奏を演奏していた。5時からの演奏会で45分ほどクラシックだけでなく弦楽四重奏でジャズまで演奏していた。  夕方私達2人は、旅館「瀧屋」に戻った。まだ午後6時で夕食まで時間があったので、露天風呂に行った。露天風呂は、男女別々で、男湯は調理場の前を通り、湯川を望む北側、女湯は玄関前を通り、湯川を望む南側にお風呂があった。露天風呂には、まだ、お客さんが誰も来ていないようで、私と剛君は、お互い、壁を隔てて話していた。何故、誰もお客がいないかは、私が玄関前を通った時、私達2人の靴しか、まだ玄関にはなかったから、わかったの。つまり、その時には、この旅館「瀧屋」には旅館の従業員7名と私達2人しかいなかった。  そして、私が露天風呂を上がる時には、すでに玄関には8足の靴が並べられ、お客が全員来ていることが分かった。その頃に、外に雪が降り出した。1月最終日のこの季節には、会津には珍しい事ではなかった。天気予報では「大雪になるかも・・・」という事だった。明日の彼の帰りが気になっていて、覚えていた。    ここの旅館「瀧屋」の料理の自慢は、蕎麦と天然フグということだった。彼はフグ料理がとても好きだった。私の父の弟が下関でフグの養殖をしていたので、よく頂いた。それで、フグ料理が自慢のこの旅館「瀧屋」を選んだという事もあった。  午後7時になって夕食の時間になった。ここの夕食は全て部屋食で、一品一品、部屋に運ばれてきて、2人で向かい合って食べ、お酒も日本酒を2人で飲んだ。彼はお酒屋さんの息子で、色々なお酒を知っていて、会津の地酒をわざわざこの旅館に来る時に買ってきて、2人で飲んだ。彼が選んだのは「奈良萬」という地酒だった。  そして、メインのフグの刺身が出てきた。彼と私は透き通るようなその刺身を少しずつ食べ始めた。そして、半分ほど食べたかな・・・。しかし、食べ始めて30分くらいすると、剛君の体調が変化してきた。 「唇や舌がしびれている」  そして、剛くんは座っていられなくなった。 「頭やお腹が痛い」 食べた物を吐き出した。  私が仲居さんを呼んだ時には、剛君は畳に横になって、呼吸が大変乱れていたわ。次に女将さんや料理をした板前さんが来て、フグ中毒だって言われた。けれど、剛くんは介護の甲斐なく、死んでしまった。私はとても驚いた。女将さんは、すでに救急車を手配し、会津若松署に連絡していた。  そして、そこに来たのが、若い霧島城司刑事と鑑識の神総二郎刑事の2名だった。救急車は来なかった。会津若松市内で雪による事故が多発し、順番待ちらしい。最初は、単なるフグ中毒という事で、警察の方は、2名しかよこさなかった。私は、とてもショックで、玄関先のロビーのソファのストーブの前で横たわっていた。彼の実家にも、私の実家にも連絡が取れず、まだ、携帯も圏外で東山温泉から外へは連絡が取れなかった。というより、すぐ他のお客さんの食事も中断されて、調理場も鑑識に調べられていて、大変で、それどころじゃなかった。  ところが、いざ彼の遺体を会津病院で検査するとなった時、今までの雪が大雪になり、東山温泉から会津若松市内に通じる道が遮断されて、この東山温泉が陸の孤島になってしまった。というより旅館「瀧屋」のすぐ横の道路が雪でふさがった。  警察の神刑事さんが調べた結果、剛くんのフグの刺身にしか毒が入っていなくて、他のお客さんの刺身や、一緒に出された私の刺身には毒が入っていない事が判明した。それで、霧島刑事と神刑事さんは、ロビーにいる私の所に来て、色々と話を聞き始めた。つまり、彼の刺身にしか毒が入っていないのはおかしいと。それも、刺身全体でなく、刺身皿の一部にしか毒が検出されなかったと。だから、近くにいた人がフグ毒を盛ったのではないかと言われ始まったの。  そして、一番怒っていたのは、板前の稲本さんだった。 「俺の作ったフグ刺しに毒が入っていたのか!」 って。 「この保管箱の中の内臓をよく調べてくれ」  霧島刑事をだいぶ責めていた。そして料理場で、神刑事さんに料理した後に捨てたフグの肝臓と卵巣が傷付いていないか見て貰うように言っていた。  それから、旅館に勤めている7名や他のお客さんの6名も同じようにロビーに集められて、話を聞かれた。特に、調理した板前さんや、料理を運んだ仲居さんや女将さんが・・・。でも、初対面の旅館の人には、彼を殺す動機がない。もし、板前の稲本さんの言う通り、フグの調理法に間違いがなければ、誰かが剛のフグ刺しに毒を入れた事になるし・・・。それで、全員がロビーに呼ばれた。  まず、旅館「瀧屋」の主人の大峰俊男さんと女将の良美さん。女将が先代を継いで、主人に近くの会津若松からお婿さんにきたらしい。どちらも40歳代。子供はいない。そして住み込みで働いている板前の稲本さん。この主人の同じくらいにここに来て、修行の身から板前になったたたき上げの男の人。やはり40代くらい。そして、会津若松から通っている仲居の佐川さんと音村さん。2人は仲良しの女の人で、いつも同じ車で旅館「瀧屋」に来ている。住んでいる部屋も一緒。どちらも女将さんと同じ頃からここで働いているらしく、先代の女将さんの時にこの旅館「瀧屋」に来たらしい。2人とも50代くらいの人達。最後に板前見習の三浦さんと近藤さん。2人の男の人は、板前の稲本さんが見つけて、ここに連れてきたらしい。私達と同じく、どちらも20代の人。東山温泉の中に家を借りて、2人で住んでいる。そのように、霧島刑事が説明していた。  次にお客さんだけど、「夢二」には私と亡くなった彼、武田剛くん。 「湯川」には高橋さんという夫婦。自営業をしていると言っていた。本人達は40代というけど、私から見たら女の人はどうみても30代に見えた。  「白虎」には、20代の若い2人連れ。男は安斎さん、女は佐藤さんと名乗っていた。 そして「与謝野」には、当時、先生になったばかりの森川先生と、婚約してた大学生の嶋津奈津子さん。でも、奈津子さんはとても大人に見えて、その時、私には、奈津子さんが大学生とはとても思えない程、大人に見えた。  それから、みんながアリバイを聞かれた。私達の夕食は午後7時から。そしてフグ刺しが出てきたのが7時30分頃。そして、剛が苦しみ出したのが午後8時頃。  板前の稲本さんと、見習いの三浦さん、近藤さんは調理場で5時から、夕食の準備中。事件の時には3人共、調理場にいた。女将の良美さんと仲居の佐川さんと音村さんは、私達の「夢二」と「与謝野」の部屋に食事を運んでいた。主人の俊男さんは、玄関で宿泊の予約の電話を掛けていた。  次にお客の「与謝野」にいた森川先生はなんと6時前まで隣のホテルのロビーで、バイオリンを演奏していたという事だった。他の3人の共演者は、雪で道がふさがる前に帰ったらしい。嶋津奈津子さんは、その演奏会をずっと聴いていた。2人が旅館「瀧屋」に来たのは6時20分くらい。そして、露天風呂にそれぞれ行っている。そういえば、私、露天風呂の脱衣所で奈津子さんと会っている。そして、午後7時から「与謝野」の部屋で夕食。事件の時は「与謝野」で食べていた。それも同じフグ刺しを。  「湯川」にいた高橋ご夫婦は、6時30分頃に旅館「瀧屋」について、そのまま2人で奥の貸し切り風呂に入っていた。夕食は8時からの予約で、料理が運ばれたばかりで、何も口にしていないまま、ロビーに集められたの。だから、事件の時は、空腹で「お腹が減った」と言っていたわ。  「白虎」の安斎さんと佐藤さんは、やはり6時30分頃、高橋ご夫婦と同じにこの旅館「瀧屋」に着いて、その後、東山温泉を散歩中。ここに着いたのは午後7時30分頃。「よく雪の降る中、散歩ができるなあ」って、その時、私は思ったの。まだ、食事前。  それで、霧島刑事は、私か、料理を持っていった女将か、仲居の内の4人しか毒を盛ることは出来ないと考えていたようで、ロビーは気まずい雰囲気になってしまった。しかし、女将や仲居さんには動機があり得ないと、私がみんなの前で責められた。また、他のお客や旅館の人の目も私を睨んでいた。  会津若松署の神刑事さんの報告。 「今、料理場にある内臓にの保管箱を検査しましたが、フグの肝臓や卵巣には一切、手が付けられていませんでした」 つまり、これは旅館の食中毒でなく、誰かがわざと毒をフグ刺しに入れたことになった。 そんな時、今まで黙って聴いていた「与謝野」の部屋の森川先生が話しを始めた。 「すみません。皆さん、この片平さんを責めるのは、辞めにしませんか」 と。 「何も、彼女がフグ刺しに毒を入れた証拠はないのだし・・・。それに、もし殺害するなら、あんな密室をわざわざ選ばないだろう・・・」 そう話す森川先生に対して、「湯川」の部屋の高橋さんが、苦情を言う。 「他に誰が考えられると言うのかい。彼女以外に考えられないじゃないか?他の人は、アリバイがある。アリバイのない女将や仲居には動機は考えられない。それに同じ部屋にいた2人だぞ。  そこで、何があってもおかしくないだろ。ケンカしたのかもしれないし・・・」 「そんな勝手な推論は、この場を乱すだけですよ、高橋さん。私は、ここにいる皆さんが怪しいと思います。アリバイはこの事件には必要ありません。それに、動機はどんな状況にだって、生まれますから・・・」  森川先生が説明した後、霧島刑事が話を続けた。 「皆さん、この森川先生は、私がこの会津若松署に来る前、福島警察署にいた時、何件か事件を解決した事のある人です。福島では有名な方です。高校の先生でありながら、今まで多くの事件を解決してくれた人です。  まず、話を聞いてみて下さい」 霧島刑事の言葉に、全員、驚いた。 「優は、警察でも有名人だからね・・・」 奈津子さんが小さい声で話した。 「森川さんは、中学生の時から、色々な事件を解決してきた。福島警察署は、彼にお世話になっているのさ・・・」 霧島刑事の発言で、みんなが黙ってしまった。  森川先生は、話を続けた。 「私のこれからする質問に、皆さんが素直に答えてくれるなら、今日、ここで迎える夜は、安心して眠れると思いますよ。もしかしたら、犯人は第2、第3の殺人を狙っているのかもしれませんし。それに、もしかすると、殺すのは何も武田さんじゃなくても良かったのかもしれませんし・・・」 その森川先生の発言に、一同が驚いた。それも、ここから逃げようにも、外は大雪で出ることはとても困難。会津若松から応援を呼ぶにも、途中の道が遮断されている。そして、このままなら、犯人と一夜を過ごさなければいけない。そう思うと、そこに集まった、15人はとても嫌がったのでしょう。森川先生は話を続けた。 「この旅館は、2階建てで、客室は全て2階にあります。  1階には、玄関、このロビー、料理場、大峰さん夫婦の部屋。そして、貸し切り風呂と外に露天風呂。外部から侵入して、2階の『夢二』に行って、毒を盛るのは難しい建物の構造です。また、外部の人が調理場に入り、稲本さんや三浦さん、近藤さんのいる調理場行って、3人に見つからないように、フグ刺しに毒をいれるのも困難です。もし、これが食中毒でないとしたら、内部犯になるでしょう」 「森川さん、あなたはそこまで決めつけられるのですか?」 「稲本さんと言いましたね。大切なのは、現場から不必要な物をまず、取り除く事じゃないでしょうか?そうすれば、残った物が絞られて、事実が残ります。続けていいですか?」  森川先生の発言に誰も口を挟まなかった。それだけ、彼の発言に重みを感じていたし、この時間、ここで誰かが何を話しても、彼の推理が正しい方向に向かっている事は、彼の理論的な話し方から、みんな理解できていた。 「では、続けます。この事件は殺人と断定して進めていいようです。私も事件の最中、殺された武田さんと同じようにフグ刺しを食べていました。  問題は、犯人は、武田さんを殺そうとしたのか、それとも今日、ここに泊まっている8人の中なら誰でも良かったのか、という点です」 そう森川先生が話すと、高橋夫婦と安斎さん佐藤さんのペアは顔色を変えた。唯一、嶋津奈津子さんだけは、冷静に森川先生の話を聞いていた。たぶん、彼女には分かっていたのだと思う。森川先生が必ず正しい推理をすることを。そして、いつも自分を守ってくれることを・・・。 「私は、ここにる彼女と2人でフグ刺しを食べました。しかし、他の料理の皿は、2人共同じ絵柄や大きさだったのに対して、フグ刺しの皿だけは、彼女と違っていた。これは何か理由があるのですか?」 「はい、ここの名物が『フグ刺しと蕎麦』になっているので、その2品だけは、みんな別々のお皿で準備させて貰っています」 大峰さんが答えた。 「では、あの『夢二』の部屋にこのフグ刺しを持っていったのは誰か思えていますか?」 「ここでは、夕食の時間、とても忙しく戦争状況なので、手が空いた人が、料理場にある皿を持っていくのです」 女将も答えた。 「でも、同じ料理が運ばれる事はないのですか?」 「それはありません。調理場の棚が4つに分かれていて、それぞれ『夢二』『湯川』『白虎』『与謝野』となっているので、そこの棚にあるものをその部屋に持っていけば、いいのです」 仲居の佐川さんが答えた。 「その棚の前は、誰でも通れるのですか?」 「はい。誰でも」 今度は近藤さんが答えた。 「それじゃ、自分の部屋でない皿に、毒を入れようと思えば、他の部屋の人でも可能なのですね」 霧島刑事が発言する。すると、また、高橋夫婦や安斎、佐藤さんが怒り出した。 「そんな、私達、殺人鬼じゃありません」 と。 「でも、武田さんは、フグ刺しをある程度食べてから死んでいます。もし、毒を皿に入れたなら、フグ刺しはほとんど残っているはずです。でも武田さんのフグ刺しは、ほとんど食べられていました。まあ、フグ毒は即効性でない事もありますが・・・。  という事は、毒はたべる直前に入れられた可能性が多いと思います。それに、先程話を聞いた時に、片平さんのお父さんの弟さんが下関でフグの養殖をしているという事ですよね。フグの毒と手にいる事は、たやすいのではないですか?」  鑑識の神刑事が、私が犯人の可能性である証拠を話し始めた。みんなの私を見つめる目つきが変わっていた。森川先生と嶋津奈津子さん以外が・・・。 「私の考えを話していいですか?  すでに、夜の10時を回っています。犯人がはっきりしないと、皆さん落ち着いて眠れないでしょう」 森川先生は突然、犯人を指摘すると言い出した。 「皆さん、異存はありませんか?  私の考えを話すという事は、もしかすると、皆さんの言われたくない事も、お話せざるお得ないかもしれまけど。隠し事とか・・・」 「いいのではないですか。皆さん、自分は犯人ではないと言っていますから・・・」 霧島刑事が付け加えた。 「では、森川先生の話を伺いましょうか。本当に名探偵なのか?」 高橋さんがつつく。 「私は、名探偵じゃありませんよ。たまたま偶然か重なって、事件が解決しただけです」 「いいや、あの飯坂電車の窃盗事件や、レストランの事件、そして双子の殺人事件を解決したのは偶然じゃないと思いますよ」 また、霧島刑事が付け加える。 「もう、過去の事はいいから、早く話したまえ」 また、高橋さんがせかす。 「では、これは私個人の考えです。適当ではなく、観察をした結果なので、皆さん、違うなら違うと証拠を出して答えて下さい」  誰も文句は言わなかった。というより、早くこの事件を終わらせたかったようだ。でも、剛の体は、段々と冷たくなっているというのに・・・。 「それでは、まず、何から話しましょうか?」 森川先生は全員を見渡して、何から話そうか迷っているようだった。 「お客さんの事から話したら・・・。先程、部屋で私に話したように・・・」 奈津子さんが言った。 「良いのでしょうか?私の観察だけで、分からない人の事を色々話して・・・。ここで話した個人的な事は、警察の記録に載せないようにして下さい。霧島刑事」 「事件に全く関係ないならそうします」 「よろしくお願いします。私が話すのも何ですが・・・」 森川先生は恐縮していた。 「まず『湯川』の部屋に泊まっている高橋ご夫妻」 「何でしょうか?」 「男の方は高橋さんですが、そちらの若い女の方は夫人ではありませんね。年齢も親子くらいの開きを感じさせる。まあ、今の時代、年齢など関係ないと言われると、そうですが・・・」 「何を証拠に?」 「1つは、先程ここに来た時、お土産を購入しましたよね。その時、財布からお金をお支払いしたのは、旦那さんの方でした。しかし、結婚している場合、お金を払うのは普通、女性の方です。しかし、あなたが支払っているという事は、2人は結婚していない可能性が大きい。まして、先程まで持っていた奥さんの携帯の裏には、小さな子供を一緒に写っているプリクラがありました。でも、2人には、子供がいないと話していましたよね。それは、2人の間に子供がないだけで、それぞれの結婚相手とは子供があるのではないですか?それに、奥さんの持っていた手袋のイニシャルも、高橋のTの文字はありませんでしたし、ここの宿帳の名前ともイニシャルは違っていました。  何か異議はありますか?高橋さん」 「こっ、これは、ここだけの話になりますか?」 すでに高橋夫婦は慌てていた。 「はい、たぶん、2人はこの事件に関係ないと思いますので、霧島刑事も警察の記録には載せないでしょう」 「わかりました。森川先生。これは、私の妻ではありません。同じ会社の部下です」 「そうですね。2人が持っていた手帳が、同じ会社のでしたから、そうかなと思っていました。不倫は社会常識の中では疎まれますが、後は2人の考え方次第です。  私がこれ以上2人について話す事はありません。2人に武田さんと殺害する動機も時間をありません。逆に、そんな事をしたのでは、2人の関係がバレてしまいますから、事件などは起こしたくないはずです」 「この事は内密に・・・」 高橋さんは、あわて始めて言った。 「まあ、人が1人殺されているわけですから、後は警察次第ですね」 すると、今まで強気だった高橋さんは、急に弱気になり、霧島刑事にお願いを始めていた。 「次に『白虎』の部屋に泊まっていた安斎さんと佐藤さんですが、私は最初からこの2人は関係ないと思っていいと思います。  何故なら、彼らがこの東山温泉に到着したのは、正午頃。私は演奏会の準備で正午前に荷物を置くためにこの旅館「瀧屋」に来ました。その時にお二人がこの旅館に到着したのを見ました。それからずっと、2人はこの東山温泉にいた。車が隣のホテルの駐車場にずっとありました。雪の降る前から、だから2人の乗ってきた車の下だけには、雪が降り積もっていなかった。  そして、2人は5時から始まった、隣の東山温泉の演奏会を最初から聴いていました。私が演奏しているのを見ているはずです。私も2人が手をつないでずっと聴いているのを見ていました。そして、演奏会は午後6時前に終了した。それから、普通なら、この旅館『瀧屋』に戻ってくるのが普通です。何故なら、こんなに雪が降ってきたのですから。しかし、彼らがこの旅館にチェックインをしたのは、午後6時30分です。  それまでの30分間、2人は何をしていたのでしょうか?それに、彼らの荷物はほとんどなかった。この東山温泉に来るのにわずかな荷物だけで、部屋に入っている。玄関でお会いした時、着替えなどの入った大きな荷物は持っていなかった。しかし、2人の車は福島ナンバーじゃない。県外です。それに、事件があった時間、この寒いのに、車をここにおいて、外へ散歩に行っています」 安斎さんと佐藤さんの2人は森川先生の説明中、ずっと下を向いたままだった。 「この世の中、生きていればそのうち何か良い事があるはずです。安斎さん、佐藤さん。何もここで心中する事はありません。それにまだ、2人は20代という若さですから・・・。それにこの時期、東山ダムの水温は冷たい。寒いですよ」 「心中だって?」 森川先生の発言に霧島刑事が叫んだ。 「それ以外に考えられませんよね。お二人とも、顔を上げて下さい」 顔を上げた2人は、涙顔になっていた。 「理由はわかりませんが、心中を考えている2人が、武田さんを殺すはずがありません。まして、間違っても、彼のフグ刺しに毒を入れる時間がありませんし、ここの料理を運ぶシステムを知らないのに、出来るわけがありません」 「すみません。迷惑をかけて・・・」 安斎さんが謝る。 「まだ、迷惑までなっていませんよ」 森川先生が諭した。 「運命は自分で切り開くものです。勝手に、これが私の運命だから、と考えてはいけません。何か困っていると思いますので、後でこの事件が終わったら、相談して下さい。  私で良ければの話ですが・・・」 「お願いします」 佐藤さんがポツリと言った。 「これで、だいぶ犯人が絞られてきました。旅館の7名と私達2名と片平さんです。でも、片平さんは、この場合除外してもいいと思います。2人の演奏会での聴き方を見ると、憎しみ会っているとは思えない間柄でした。  もし、フグの毒で殺そうと思うなら、あらかじめ準備が必要です。ですから、彼女は、除外できると思うのです。それに、一番怪しまれる場所で2人きりで殺す殺人犯人はいませんから・・・」 「そうかもしれませんね」 霧島刑事が納得する。 「ここで、フグ毒について、私が知っている事を話しましょう。足りない時には、鑑識の神刑事さんが付け足して下さい」 「はい。お願いします」 神刑事も、森川先生の話に耳を過傾け始めた。 「フグの毒は、テトロドトキシンといって、一種の神経毒です。1909年に東京大学の田原教授が発見しました。ちなみに化学式はC11H17N308です。そして、特にフグの肝臓や卵巣に高濃度のテトロドトキシンが含まれ、2㎎で人間の致死量に達します。ネズミだと1万匹くらいでしょうか。ですからこれで言うと、よく推理小説に出てくる青酸カリの300倍から400倍の強さがあます。しかし、面倒なのは、このテトロドトキシンは、300℃の加熱でも殺せない所です。それでも肝臓は100㎎くらいありますからね」 「じゃ、フグ1匹で人間がどれだけ殺せるんだ?」 高橋さんが質問する。 「ですからフグ1匹で、単純計算すると人間が約33人を殺せる事になります。他にも、卵巣もありますからね。で、フグ毒のテトロドトキシンが人体に入ると、神経細胞の軸壺中のナトリウムチャンネルをそのテトロドトキシンがふさいで、神経が麻痺します。そして、呼吸や心臓の動きを止めてしまうのです」 「随分、あなた詳しいのですね?」 女将が尋ねる。 「この森川先生は、大学で生物科を専攻していたので・・・」 霧島刑事が付け加える。 「続けます。  ではなぜ、フグが、自分の毒にやられないかというと、フグだけはこのテトロドトキシンにやられない特殊なナトリウムイオンチャンネルを持っていて、神経が冒されないのです」 「それじゃ、他の動物は皆、フグを食べると、死んでしまうわけか?」 若い安斎さんが質問する。 「そうなんです。そこがこのテトロドトキシンの難しい所なんです。実はこのフグ毒と言われていたテトロドトキシンは、フグ自身では作っていないんです」 「それはどういう事なんですか?」 「つまり、フグは知らないうちに、自分の体内にテトロドトキシンを集めてしまっていのです」 「意味がわかりません」 霧島刑事までが質問する。 「簡単に言うと、フグは他の食べ物からテトロドトキシンを摂取しているんです。それが最近になってようやく解明されて、巻き貝のハナムシロガイなどについているバクテリアだったんです。  しかし、そのハナムシロガイも自分で毒を作っておらず、トゲモミジガイをいうヒトデの仲間を食べてバクテリアを集めていたんです。つまり、テトロドトキシンは、フグが自分の体内で作らずに、そのバクテリアが段々、食物連鎖でフグに集まって出来た毒なんです」 「それじゃ、フグ以外にも、そのくらい毒を持った生物が存在するのかい?」 主人の大峰さんが尋ねる。 「はい。そうですね。フグ以外にも、私の知る限りでは、今、名前の出た貝の仲間や、カエル、カブトイガニ、イモリ、ヤムシなど沢山います。ヒョウモンダコも有名です。  ですが、最近の調査でこのテトロドトキシンがフグの卵巣に集まるのは、雄のフグを呼ぶ為であることもわかってきているんです。  まあ、それだけではありませんが・・・」 鑑識の神刑事が頷いている。 「フグ毒があるフグの仲間には、マフグ科、ハリセンボン科、ハコフグ科の三種類があります。しかし、ハリセンボン科とハコフグ科の2種類のフグには、人間を殺せるだけの殺傷能力のある毒は持っていません。あるのはマフグ科のフグです。  この宿で、出されているのは、トラフグですか。女将さん?」 女将が頷く。 「トラフグはマフグ科では、あまり最強の毒を持っていません。10g以下では、致死量に達しない。でも、卵巣と肝臓が一番、毒がある所です。中には10g以内でも致死量に達するクサフグ、コモンフグ、ヒガンフグ、マフグ等がいます。  今回は、剛さんの死亡の仕方から見て、もしかすると、トラフグの刺身に、トラフグ以外の猛毒のフグ毒が混入された可能性もあります。しかし、それは、検死で明らかにあるでしょう。毒は必ず体内に残りますから・・・。それに、これだけ私が主張すれば、ただのフグ毒では終わらずに、何のフグ毒かまで、検死の時に調査されるでしょう」 森川先生はそこまで話すと、全体を見回した。 「そうなんです。1985年に解明されたフグのバクテリアは、ビブリオ・アルギノティクスやビブリオ・アンギラルム、フォトバクテリウム・フォスフォリウムです」 鑑識の神刑事が付け加える。 「ところで、この事件で一番大切は事を女将に聞きたいのですが、よろしいでしょうか?これはこの旅館の存続に関係するかも知れませんが・・・?」 「そんなに大事な事ですか?」 女将が少し顔色を変え、森川先生に尋ねる。 「たぶん、そう思います」 「この事件が解決するなら、お答えします」 「では、お尋ねします。この旅館『瀧屋』のうたい文句は『天然フグと蕎麦』の旅館とありますね」 「はい」 「本当に、この旅館『瀧屋』のフグは、『天然フグ』なんですか?」 この質問に一同は固まった。特に、旅館の女将と板前の稲本さんは、首を下に向けた。 「どうですか?」 「・・・」 女将さんは答えられずにいた。その代わりに主人の大峰さんが口を開いた。 「さすが、会津若松署の霧島刑事が推しただけの人ですね」 口調が静かだ。 「実はこの所、旅館の経営が圧迫していて、天然フグをお客様に出すことがとても困難になってきていました。10年くらい前までは、季節に天然フグを出し、それ以外は冷凍しておいたものを解凍して出していましたが、最近では安い養殖のフグばかりでした。でも、今の今まで、その事を指摘された事はありませんでした。すみません」 「人間の舌なんて、そんなもんですよ。目隠しして、『これは何です』と言って食べて貰えば、それに感じるのです。目隠しをして、『カワハギの刺身をフグ刺しです』と言って食べさせれば、何も言わず、食べる人間もいるでしょう。極端に言えば、『コンニャクの刺身をフグ刺しです』と出せば、初めての人間は、分からない人もいます。  それに、フグだけではありません。大げさに言えば、キノコのエリンギをバターで炒め、『これはアワビのバター炒めです』と言ってお客に出せば、アワビの食感に似ていて、疑わずにアワビと思って食べた人が80%以上いたという実験結果も残っています」 「そう言われればそうかもしれません」 板前の稲本さんもそう感じていた。 「で、その養殖フグがこの事件の糸口なんです。  先程、話したように、フグ自体には、毒はありません。フグが食べる巻き貝のハナムシロガイなどを食べることで、その中にあるバクテリアがフグの体内でテトロドトキシンに変化するのです。ですから、養殖フグの養殖の行い方で、そのフグが有毒か無毒かが変わってきます。大きな海に、自由に泳がせて養殖しているフグには、毒が存在します。しかし、エサも限られた物にして、ハナムシトガイなどとは切り離して養殖するフグは、無毒になります。この刺身のトラフグの卵巣や肝臓でも。片平さんの親戚の下関の方の養殖はどうなっているのでしょう。まあ、後で、警察が調査すれば、わかる事ですが・・・」 私は、下関に行った時の事を思い出した。 「私の親戚は、手広く養殖はしていません。海に放して養殖しているのではなく、いけすのような場所で養殖していたようです」 「という事は、片平さんには、彼女の親戚から有毒のフグを入手する事は不可能になります。ここの旅館のフグの養殖先はどうですか?」 「同じです。一応、『天然フグ』で名を売っていますから、大きな所には依頼出来ません。小さな養殖業者に依頼しています。ですから、海のような大きな養殖ではなく、片平さんの親戚と同じような養殖方法です」 女将が答える。 「つまり、一切、毒を持たないフグをここでは、刺身にして、お客に出していた、という事ですね。女将さん」 女将が頷く。  そして、森川先生が全員の顔を見渡すと、一同が驚いたように森川先生の顔を見た。 「つまり、この旅館で出されたフグにはそもそも毒は入っていなかった。と言うより、調理法や切り取った卵巣や肝臓にも毒は混入されていなかった事になります。  つまり、誰かが、計画的か衝動的に武田さんのフグ刺しの毒を入れたことになります」 「やはり、一緒にいた・・・」 高橋さんが話すのを森川先生が制した。 「あのですね、片平さんの親戚がフグの養殖をしていても、そのフグには毒が入っていない養殖フグです。先程話を聞いた通り、片平さんが毒を手に入れる事は困難でしょう」 森川先生は私を牽制してくれた。 「誰かが、故意に剛くんのフグ刺しに別のフグ毒を混入したのです」  森川先生が付け加える。 「実は、先程、ご主人の大峰さんが話した通り、この旅館は経営難に陥っていました。それを私はある人物から聞いてしまっていたんです」 「誰から聞いたのですか?」 「亡くなった武田さんからですよ」 森川先生が答えた。 「私が露天風呂に行って、脱衣所で着替えた時に、実は彼と一緒になって、『この旅館経営、難らしいですよ』と、私に話かけてきたのです」 「でも、それは、私にも夕食の時に話していました」 「詳しく限定すると、どうですか?片平さん?その話は、いつ剛くんから聞きましたか?」 森川先生が尋ねる。 「どのような意味ですか?」 「特に限定すれば、彼が露天風呂に入る前は?」 「いいえ、全くそんな話はしていません。でも、常に一緒にいて、どこで彼はそんな話を聞いたのでしょう?」 「2人が一緒にいなかった唯一の場所ですよ」 「どこですか?」 「部屋から露天風呂のまでの間ですよ」 そう言う森川先生の顔を、また、一同が覗きこんだ。 「2階の私達の部屋から男の露天風呂に行くためには、階段を下りて、そこで女子の入口と男子の入口とに別れます。男の露天風呂の方は、料理場の前を通って、露天風呂に行きます。ですから、その時に武田さんはある人物が『この旅館の経営が難しい』と、いう事を話しているのを耳にしたのだと思います」 「誰です?」 霧島刑事が本来の警察のように聞き始めた。 「あの時間、つまり武田さんと片平さんが露天風呂に行ったのは、午後6時。まだ他のお客は誰もこの旅館に着いていません。ご主人は?」 「外で、料理の手伝いの2人と雪はきをしていました」 「女将さんは?」 「仲居2人と2階のお部屋の片づけをしていました」 「では、稲本さんは?」 「・・・」 稲本さんは答えなかった。 「そうです。武田さんが聞いたのは、稲本さんが料理場で話している声だったのです」 「でもそれが、この事件と何の関係が・・・?」 霧島刑事が突っ込む。 「それは、彼が誰とその会話をしていたかです。ここにいる人物には、全てアリバイがあります。つまり、稲本さんは1人で話していた。しかし、それは電話に向かってです。  先程、料理場を見てきました。そうしたら、料理場には、直接外線につながる電話がありました。その電話で、話していたのです。そうではありませんか?」 「・・・」 また、稲本さんは口を閉ざしていた。 「ここは、携帯の電波が通じにくい。だから有線の電話が一番安心ですよね」 森川先生が追い込む。 「それで、先程、皆さんに、数字と氏名を書いて頂いた事を覚えていますよね」 そういえば、事件の後、いきなり森川先生が来て、「1」から「9」までの数字と自分の名前を書いて欲しいと言ってメモ用紙に書いた覚えがある。 「これが、その用紙です。私と彼女、つまり奈津子以外の12名の書いたメモがあります。これが、その決定的な証拠になります」 森川先生はそのメモ用紙をテーブルの上に並べた。でも、どのメモ用紙にも「1」から「9」までの数字と、書いた人の名前しか書いておらず、別に変わったところはなかった。 「人間、癖があります。私の場合、今は右で書いていますが、元々、左利きだったので、どちらでも書くことは出来ます。しかし、右手で数字を書く時、『8』の字だけは、他の人と書き順が逆になってしまうのです」  そう言って、一枚のメモ用紙に、森川先生は数字の書いた紙を広げた。よく見ると、言われた通り、普通書き始めが左へ行くのに、森川先生は右に行っていた。 「このように、少しではありますが、人間どこかに癖を知らないうちに残します。それで、私は露天風呂の帰りに、料理場の前で偶然にこの名刺を拾ってしまったんです」 そういうと、森川先生は一枚の名刺をテーブルの上に出した。そこには、「経営コンサルタント 大石 尚史」とう文字が見えた。 「この大石尚史といえば・・・」 「そうです、今、経済界の裏で、旅館買収を専門に行っている人間ですよ、霧島刑事」 警察の2人が相づちをうった。 「そうです。武田さんはこの名刺を見ながら、大石尚史氏と電話でコンタクトを取っていた。では、何を話していたのでしょうか?」 「大石尚史の旅館乗っ取りの方法は、今、会津若松の警察でも問題になっている、そうだろ神刑事」 「はい」 「つまり、乗っ取りを考えている旅館の中の1人を買収して、その旅館の内部情報を確実に掴む。そして、経営の方法と、資金の困難な時期を見て、一挙にたたみ込む、という卑怯なやり方です。そして、買収した人間をその旅館の経営者にして、その後も自分の手足として使っていく、というやり方で今、全国的に大尚史の経営コンサルタントという名前はふれわたっています」 「さすが霧島刑事と神刑事。専門ですね」 森川先生が持ち上げる。すると、ようやく、稲本さんが口を開いた。 「その名刺が俺のだと、証明出来るのか?」 「ですから、皆さんにこの数字を書いてもらったんです。この名刺の裏には、大石尚史氏の連絡先の携帯電話の番号が書いてあります。どう見ても、大石氏の字ではなく、急いで書いた内部情報を流す者の字です」 森川先生は名刺を裏返した。すると、そこに、携帯番号が書かれてあった。 「いいですか。この携帯番号の数字を見て、何か気が付きませんか?」 「優、そろそろ切り上げたら、もう明日になっちゃうから・・・」 奈津子さんが急す。 「はいはい。それでは、私の方で皆さんの話を無視して、勝手に話していきます。もし、間違いがあったら、その時、言って下さい。この数字の中で、『7』だけ、少し違いますね。まあ、外国では普通ですが『1』と『7』の区別が付くように、このように『7』の縦線に少し、横棒を入れてあります。これは、人間の癖です。では、誰がこの癖を持っているか?それは、皆さんに書いて頂いたメモ用紙が証拠になります。まさか、こんな事に使用されると思わなかったので、皆さんは急いでいつものように書いてくれたのでしょう。しかし、この名刺の『7』と同じように、縦線に短い横棒が入っている『7』を書いた人は1人しかしません。やはり、稲本さんです」 そういうと、みんなが一斉に彼を見た。 「それがどうしたって言うんだ」 稲本さんが逆ギレする。 「つまり、あなたは、この旅館を乗っ取る計画を、お客でたまたま来ていた武田さんに聞かれてしまった事に気が付いた。それで、武田さんの口を封じるために、武田さんをフグ毒で殺したんです。違いますか?」 森川先生はいかにも冷静に言う。 「でも、彼が死んだ時に、俺は料理室にいたんだぜ。俺は彼を殺せない。料理に毒を盛っても、その皿が彼の所に行くとは限らないし、それに食べたらすぐ死ぬフグ毒だろう。でも彼はほとんど食べてから死んでいるんだろう。俺には無理だ」 稲本さんは、必死に言い訳をした。ところが、森川先生はそれにたたみかけるように話を続けた。 「それがあなたに出来るんですよ。稲本さん。と言うか、あなたにしか出来ないのです。武田さんをこのフグ毒で殺せるのは」 「どういう事ですか?森川先生」 霧島刑事が分からず尋ねる。 「つまり、料理場にはそれぞれ『夢二』『湯川』『白虎』『与謝野』と書かれた棚があります。そこに料理を載せた皿を置けば、仲居さんが部屋まで持っていってくれます。  ですから、最初に武田さんがいる『夢二』の棚にフグ毒を盛った皿を置けばいいんです」 「でも、その皿を置いたのは私です」 見習いの三浦さんが言った。 「誰でもいいんです。皿を置くのは。そして、その皿を部屋に持っていくのは・・・」 「どういう事です?」 また、霧島刑事が尋ねる。 「つまり、7時からの夕食は『夢二』の部屋と私達の『与謝野』の2部屋しかなかった。本来なら、一緒に4人分の料理を出せば、早い。  しかし、先程、片平さんに聞いた所、武田さんがフグ好きと言うことで、早めに、つまり『夢二』の方が『与謝野』の部屋より早くフグ刺しの皿を作った。だから、皿は2つしか最初に準備しなくて良かった。  では、どちらの皿に毒をいれたか?それは、簡単です。彼がフグ刺しを好きなら、少し刺身を多く盛った方を、月美さんは武田さんに渡されるに決まっています。そこの人間の心理について、『夢二』の皿の片方に、フグ刺しを少し多めに盛った。そうすれば、男女2人でいる部屋でなら、気が利く女性が、フグ好きの彼に刺身の多い方の皿を渡すはずです。ですから、フグ刺しの多い皿に毒を入れたのです」 「でも、毒はすぐ効かなかった」 「その通り、毒は氷の中に入っていたのです。氷は水から凍らせます。そして、水の性格上、最初に水の中に入っている不純物から凍ります。氷の中によく見る白い部分がそうです。そして最後の氷の周りが純水に近い水です。ですから、氷を作る時、その中に致死量のテトロドトキシンを混ぜて、凍らせた。それも、急激にです。そうすれば、テトロドトキシンは氷の中心部分に固まります。  ですから、フグ刺しに、氷の固まりが大きく出てきた。そうではありませんか。それに、フグの料理免許がないと、フグの調理は出来ません。稲本さん以外の見習いの2名はフグの料理が出来ません。たぶん、稲本さんは何かの時のために、以前からフグ毒のテトロドトキシンをどこかにとっておいたのでしょう。それも、トラフグより猛毒なフグの毒を・・・  それに、大石の件がバレた時のために、あらかじめ毒入りの氷を準備しておいた。それを今回使用したのでしょう」 そこまで話すと、稲本さんは何の抵抗もしなくなった。 「これでも、何も言いませんか?では、この名刺に書いてある携帯電話番号に、稲本さんから電話をしてもらいますか?そうすれば、ある程度は・・・」 そこまで森川先生が話すと、稲本さんが口を開く。 「君の話した通りだよ」 彼は、その身を霧島刑事に預けた。私以外の人達は森川先生の解決に拍手を送った。しかし、私はまだ、2階で静かに横たわっている彼の事を思うと、何も出来なかった。そして、1人で2人自分の部屋に帰っていった。  霧島刑事は道路が復旧するまで、この小さな旅館「瀧屋」に犯人の稲本さんを留めておかず、隣の東山ホテルに部屋をかりて、霧島刑事と鑑識の神刑事がそして稲本さんを連れて行った。  私は『夢二』の部屋に戻ると、すでに冷たくなっている彼を見つめた。涙が溢れてきた。そこに、森川先生と嶋津奈津子さんが、私の様子を見に来てくれ、私を『与謝野』の部屋に連れて行ってくれた。私は、彼のそばにずっといたかったが、奈津子さんが私を支えて『与謝野』の部屋に連れて行ってくれた。  そこで、森川先生と嶋津奈津子さんの関係を聞いた。 「私も過去に、大切な人を亡くしました」 森川先生が話し始めた。嶋津奈津子さんは森川先生の事を全部知っているようで、静かに聞いていた。私は森川先生の気遣いに感謝した。 「私は周囲の人をたくさん亡くしました。私はそのたび、神様を恨みました。何故、私だけをおいて、皆死んでいくのかと・・・。それが運命なのかと・・・。しかし、それは間違いでした。運命なんてないんです。運命は自分で切り開いていくのです」 「森川先生はどうやって、その悲しみを乗り越えてきたのですか?」 「私ですか。乗り越えていません。今、こうして、また新しく好きになった人に寄りかかっています。そして、このように、この奈津子に癒されています」 その時、奈津子さんは、森川先生を見て、少し笑ったように感じた。 「稲本さんは、あなたの皿にテトロトドキシン入りの氷を入れることもできた。でも、しなかった。月見さんは生かされた」 「でも、私の気遣いで彼は死んでしまった」 「それは違う。防げなかった」 「彼に申し訳ない」 「悲しい思い出は、時間だけが解決してくれます。無理に自分で解決はできません。それが今の私が言える事です。それが私の経験から出た答えです。決して、過去は消えません。過去は美化されていきます。ですから、片平さんも彼との思い出を胸の奥にしまって、美化していってください。今日、彼が亡くなってすぐこんな話をしても、無理だと思いますが、もう少したったら何か思い出す事がありでしょう」 「ありがとうございます。気を使ってくれて・・・」 「いいえ、彼は他の人に気を使うのが商売のようなものですから・・・」 それまで静かに聞いていた奈津子さんがそう言った。 「今日はここで、私と一緒に寝ましょうか。優はロビーに出しますから・・・」 「そんな、せっかく2人でお泊まりにきたのに・・・」 「大丈夫ですから、もう、私、彼の家に同居していますし、気にしないで下さい。」 奈津子さんはこの場の重い雰囲気を壊すかのように、わざと話してくれた。  そして、いつの間にか私は眠ってしまっていた。    翌日、2月1日、日曜日。私は彼の遺体と会津若松の病院に行った。  結局、剛が亡くなったのは、トラフグの毒ではなく、森川先生の話した通り、トラフグよりもっと猛毒のクサフグの毒だった事が判明した。そして、それから、色々大変だった。    私は、東京都の高校の採用を辞退し、地元の福島県の高校の就職を優先した。その結果、二本松高校の図書司書に新採用でなることになった。  また、霧島刑事から、殺人を示唆したのは、経営コンサルタントの大石尚史である事が判明し、彼も殺人示唆の容疑で逮捕されたと聞いた。   ☆ 「森川さんって、バイオリンも演奏するんですか?」 「幼い頃から習っていたらしいわ。外国の方に・・・」 「その嶋津奈津子さんと、森川さんと結婚したのですか?」 「いいえ、結婚する直前に、奈津子さんが交通事故に遭って・・・」 「森川さんには言わないようにします」 井上くんは気を遣っていた。 「今度は、先崎さんの話が聞きたいです」 「時間があればね」 「噂をすれば・・・」 大木先生が手を挙げる。 「お待たせ。遅れてすみません。霧島警部が離してくれなくて・・・。  どうした井上くん、幽霊でも見たような顔して・・・」 「いいえ、大丈夫です」 「片平先生あたりから、昔の話でも聞いたか?」 森川先生には何も隠せない・・・。
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