3.129話 失恋1話 「鯉の研究」

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3.129話 失恋1話 「鯉の研究」

 私、先崎春美はフリーカメラマンを辞めた。それは、森川優先輩に『ふくしま探偵局』を開局しようと思うから、入らないかと強く誘われたからだ。何よりもあの森川先輩に誘われた事自体、誇りに思ってもいい。それに、私達をまとめてくれるのが、大木展子先生だと聞いた。  森川先生の指示で、先生が山形刑務所にいる時に、大木先生と相談して「ふくしま探偵局」が開局した。森川先生が戻ってくるまで色々と準備期間を1年間を要した。その間にも相談や依頼が持ち込まれていた。困難な事件の時は、山形刑務所の森川先生に手紙で尋ねたり、大木先生や私が直接、山形刑務所に行って、森川先生に相談した。  福島西口にある「ふくしま探偵局」。その近くに住む場所まで準備してくれた。ポテトハウスの302号室は1人で住むには大きいと思ったが、大木先生から「田中兄妹や岡崎さんもそのアパートに住み事になっています。それに社宅でお家賃もほとんどタダですから・・・」という言葉で覚悟を決めた。  私が「ふくしま探偵局」に入って1年があっと言う間に過ぎた。「ふくしま探偵局」を開局して、1年後、片平月美先生も安藤産婦人科の受付を辞めて、「ふくしま探偵局」に入った。 「優に言われたらしょうがないじゃん」 森川先生の同級生でもある安藤りょう子先生は、片平先生が辞める事を素直に承諾してくれた。そして、「ふくしま探偵局」第3課3人で、1年間、仕事をしたハードな年だった。    2020年4月になった。すぐ、仕事が入った。大阪の会社での脅迫事件。大木展子先生のお父さんで大木財団会長の大木泰蔵さんへの直接の依頼だった。その仕事の合間、森川先輩が囁いた。 「もう1人、この第3課に入るんだ」  森川先生が山形刑務所で見つけてきた新人さんらしい。森川先生が目をつけたという事は、それなりに信用していい人物だ。大木先生は仙台の小林探偵事務所に彼の人物鑑定依頼をしたようだが、何も報告はなかった。彼の名前は井上浩くんと言った。  それからたて続きに「ふくしま探偵局」に依頼が入った。カメラマンだった頃より、忙しい日々が続いた。 「忙しい時が一番幸せさ」  4月16日、木曜日。福岡で張り込みをしていた時、森川先生に言われた。  その夜、私は片平先生と井上くんと3人で夕飯を食べる事になった。森川先生は、次の依頼を先に済ませるため、1人で徳島に行った。  先日、井上くんの就職祝いの時、片平先生と森川先生の出会いの話を聞いた。 「先崎さんと森川さんの出会いの話も聞きたい」 井上浩くんにアルコールを飲ませた結果、こういう話になった。 「出会いは、二本松大学理数学科生物専攻に入学した時よ。私は郡山市出身だったので、二本松大学では大学校内にある寮に入ったの。森川先生とは普通の先輩後輩です」 「森川さんは、生物専攻だったのですか?」 「そうよ」 「でも、先日、二本松大学の音楽科の先生だったって・・・」 「それは大人になってから・・・」 「で、先崎さんが大学生の時、森川さんが何か解決した事件はあったのですか?」 「それは沢山ね」 「最初の事件とか・・・」 「事件じゃないけど、森川先輩の推理力を初めてかいま見た事件です」 「聞きたいです」 「少し、長いわよ」 「大丈夫です。夜も長いですから・・・」 井上くん生ビールのお代わりを注文した。私は、どこから井上くんに話そうか迷ったが、最初から丁寧に話してあげることにした。 ☆  二本松大学理数学科生物専攻の定員は5名だった。そして、郡山市にいた私は、植物に興味があったので、二本松大学を受験した。2003年、何とか合格して、大学の寮に入ることができた。  二本松大学理数学科生物専攻の私の他のメンバーは、二本松市出身の近藤舞さん。小さくて可愛いが、すこしおっちょこちょいだ。男子は3人。須賀川市出身の今井海くん、福島市出身の島村翔くん、矢祭町出身の齋藤順一くん。3人共、真面目に見える。まだ、出会って1、2ヶ月なので、猫を被っているかもしれない。全員、福島県出身だ。  この大学には、たくさんの科が存在するため、その科ごとの輪の結びをしっかりさせようと、オリエンテーションなるものが、科ごとに実施される。大学に入学してすぐの5月。それも、2泊3日で、二本松大学近辺に、科ごとに宿泊にいくシステムだ。  行くメンバーは、その年に入学した新入生。そして、その科の担当教官1名に、2年生の代表が1名か2名、ついていくことになる。今回の新入生オリエンテーションでは、担当教官が若い大木展子先生。遺伝子を専門に研究している。今年の生物専攻は、男子と女子がいるので、2年生も男女1人ずつの先輩が一緒に行く事になった。男子は森川優先輩。女子は少しふくよかな森静香先輩だ。そして、私達、生物専攻の目的地は、いつの間にか山形県の蔵王に決まっていた。  5月7日、水曜日。二本松大学近くの金谷川駅から電車に乗った。男子4名、女子4名で福島駅へ。そして、奥羽新幹線で山形駅まで行って、そこから、40分間、バスに揺られて、蔵王に向かう事になった。  蔵王温泉の開湯は1900年前。日本武尊の東征の際、従軍した吉備多賀由により発見。江戸時代になると、蔵王権現への西側登山口としてにぎわい、早くも総合リゾートとしての様相を。大正時代には麓の集落と温泉を結ぶ道路の開通や、街灯、駐在所など様々な施設が設置され、観光地としての足がかりが出来る。昭和に入るとスキー場もオープンし、それに伴い、ロープウェイ等設置、観光道路開通など、ますます観光地としての蔵王を確立。蔵王温泉の温泉街には3つの共同浴場、3つの足湯、5つの日帰り温泉施設がある。  標高約900mに湧く蔵王温泉は、たくさんの宿が点在いて、私達はその中でも、道筋から頂上の方に登った旅館「樹林」に宿泊する予定。  蔵王温泉バスターミナルで降りると、荷物を持ってそのまま温泉の中央通りを歩いていった。そして、大木先生の後をついて山の方に曲がり、温泉街に入って行く。周囲にも、古い旅館が建ち並んでる。その温泉宿から少し離れた場所に旅館「高島屋」や旅館「峰屋」の2軒の旅館が見えた。 「随分、古風な作り」  近藤舞ちゃんがつぶやいた。  その2軒を通り過ぎると旅館「樹林」の看板が見えた。古風な作りだった。玄関から入口までの道のりは遠く、とても大自然の中にいるような気がした。玄関では、旅館「樹林」の女将さんである吉原恵さんを始め、何人かの方が出迎えてくれた。  すると突然、私の後ろで最後尾を歩いていた森川先輩が女将さんに尋ねた。 「すみません。今日はこの辺りで何かアルコール消毒か何かしていませんか?」 女将さんの吉原さんは少し顔色を変えた。私は何に匂いも感じなかった。女将さんは森川先輩を玄関の隅の方に呼んだ。私は気になってついていった。女将さんは、静かな声で囁いていた。 「すみません。隠すつもりはなかったのですが、今日の朝、旅館の池に棲んでいる鯉が全部、亡くなっていて・・・。今、その池の清掃中なのです」 「何かあったのですか?」 「多分、前にもあったのですが、ウイルス性の病気だと思うのです。以前、保健所の方が来た時に頂いた薬を今、撒いている所です。あまり匂いのしない薬を散布したつもりですが・・・すみません」 「それなら、いいのです。でも、鯉が全滅とは、大変ですね」 「ええ、後で、処分するのに、埋め立てるわけにもいかず、焼却をお願いするのです」 「すみませんが、その中の一匹を頂けませんか。内緒で。もちろん、食べませんから。解剖してみたいのです。私、生物科の者で、少し魚の解剖に興味があって・・・」  森川先輩が魚の解剖に興味があるとは知らなかったし、そんな噂を聞いた事もなかったが、私は黙っていた。 「それでは、後で、調理場の裏に取りに来てください。氷詰めにしておきます。料理長には、私から話しておきますから」 「わかりました。いろいろとありがとうございます。勝手な申し出で・・・」 「いいえ、それより、蔵王の大露天風呂に行かれるのなら、うちでバスを出しますから、行かれる時に言ってください」 「はい、そのつもりで、来ました」  私達、8名は2つの部屋に別れた。男子の部屋が「茂吉」。女子の部屋が「てい」。午後4時に200名は一度に入浴できるという大露天風呂に行く事になった。それまで、課題の野外観察。自由に蔵王温泉の植物を観察。しかし、私は、野外観察と行っても温泉街のお土産やさんを見ていた。  すると、蔵王中央ロープウェイの近くで森川先輩が休憩している姿を目にした。完全に芝生に腰をおろしている。 「森川先輩、休憩ですか?」 私は、笑みを浮かべて近づいていく。 「野外観察さ」 「今、横になっていましたよね」 「野外観察は1年生の課題。付き添いの2年生は休憩。森静香は、『樹林』の露天風呂に入っている」 「覗いたのですか?」 「旅館を出る時、会った」 「でも、よくアルコール臭、気がつきましたね」 「庭に隅に、空の容器が見えたからね」 「ふ~ん。でも、鯉の全滅だなんて・・・。大変ですね」 「鯉を食べたことあるかい?」 「はい。郡山市生まれですから」 「そうだったね。食べる鯉は、福島県からの出荷が日本一。ここ山形県でも米沢市も鯉の山地として有名」 「甘露煮が美味しいです」 「冬場は雪で閉ざされるから、タンパク質不足になる。それを解消する目的で上杉鷹山は福島県の相馬市から鯉の稚魚を取り寄せたほどさ」 「うちの近くでは蚕の蛹を餌にしていました。随分前の話らしいですけど・・・」 「普通は、台所排水用の小さな溜め池で、台所から出る米粒や野菜の切れ端を餌にして蓄養したらしい。  でも、環境問題にもなっている」 「鯉がですか?」 「『鯉が棲めるほど綺麗な水域』って聞いたことはあるかい?」 「あります」 「あれは嘘」 「えっ」 「しかし、鯉はねもともと汚い水を好む習性がある魚。それに邸酸素環境に対する高い耐性がある。生物界における一般的な基準からすると、他の生物の嫌う水質の悪い水域にしか生息できないことを意味する。実際、逆に水質がよい小川の堰の内部に放流したニシキゴイが、餌の問題から大量に餓死するという報告もあった。つまり、そういう事」 「何か今までのイメージが・・・」 「国際自然保護連合では、鯉を世界の侵略的外来種ワースト100のうちの1種に数えているほどさ」 「悪者ですね」 「先程、『樹氷』の死んだ鯉を見せてもらった」 「解剖は?」 「これから。 「『樹氷』の鯉は、マゴイではなく、全部ニシキゴイ」 「ニシキゴイって?」 「まあ、色々な色が混ざっている鯉さ。130種類ぐらいいる」 「そんなに・・・」 「鯉の病気というと、コイペルペスが考えられるが、見た目ではそんな様子はなかった」 「それじゃ・・・」 「まあ、これが事件だという事ではない」 森川先輩は、そこまで話すとまた芝生に体を横にした。五郎岳の山頂が輝いて見えた。  午後4時、旅館「樹林」の専用バスで大露天風呂の近くの駐車場まで送ってもらった。そこから、川沿いにあるいて、大露天風呂に向かった。大浴場の下流にある男子の風呂は、柵があるといってもほとんど丸見えだった。一人400円の入浴料を払って、脱衣所で男子と別れ、入浴した。川沿いにある露天風呂はとても大きく、スケールが違っていた。  また、川の音がとても昔懐かしく感じ、時が経つのも忘れてしまっていた。岩で囲まれた湯船、大きなお風呂、空を見渡せる風景、何もかもが今までの嫌な事を忘れさせてくれるような感じだった。私達は、湯船に長く浸からず、足だけお風呂に入ったり、川を見ていたりしていた。下流の方にある男子風呂から、同じ生物科の1年生、今井海くんや島村翔くん、そして、斎藤順一くん達のはしゃぐ声が聞こえてきて、とても恥ずかしかった。 「関わり持たないようにしようね」 近藤舞さんと同意見。 「一緒にお風呂に入っている森川先輩は、大変そうね」 後ろで大木先生の声がした。森静香先輩は笑っていた。  風呂からあがって、脱衣所で男子と合流して、少し休憩した。今井くんと島村くんと順一くんは温泉に入るのが慣れていないらしく、とてもバテていた。「湯当たり」である。 「こいつら、温泉に長く入りすぎたんだよ」 森川先輩が怒っていた。  3人の1年生は休憩所で少し横になっていた。女子4人が待たされることになった。  1年生男子3名が、歩けるようになるのを待って、川上の駐車場に戻ると、バスが来るまでその辺りの緑を観察した。この緑々しさが、私をほっとさせた。普通の日だというのに、たくさんの車が来ていて、観光名所であることが一目で分かった。    私達は、旅館「樹林」に戻った。旅館「高島屋」や旅館「峰屋」にも、お客さんが来ているようで、玄関先は賑わっていた。私達は、別室に集まり、8名で夕食をご馳走になった。  また、森川先輩と静香先輩が持ってきたお酒やつまみも出された。 「他の先輩からの差し入れさ。来年は、君達が後輩に差し入れできるといいね」 森川先輩が話していた。  1年生の5名は、そのまま男子の部屋「茂吉」に運ばれ、二次会になった。しかし、皆、未成年でお酒に弱いようで、最初に大木先生が脱落し、「てい」の部屋に戻った。次に、静香先輩がそっと消えた。結局、最後まで起きていたのは、私と森川先輩だけ。2人で残りの1年生を寝かせた。特に舞ちゃんは大変で、森川先輩に担いでもらって、部屋まで連れていってもらった。 「『茂吉』は斎藤茂吉ですよね」 「だね」 「『てい』って?」 「『金子てい』だね」 「?」 「蔵王生まれの詩人さ」 「森川先輩は何でも知っているので」 「そうでもないさ」 「で、先輩はどこに寝るのですか?」 乱れた部屋を見て尋ねた。 「これから、仕事があるんだよ」 「何です?仕事って?」 「鱒の解剖さ」 「こんな夜更けにですか?」 「気になると眠れない性格なんだ」  森川先輩は、自分の荷物から何かを取りだし、部屋を出て行った。私も興味津々で、森川先輩についていった。調理場では、氷づけになった大きな鯉が準備されていて、電気までついていた。 「女将さんに、ここを使用して構わないと許可を得ているんだ。その代わり、終了したら、消毒するようにいわれてね」  そういうと、森川先輩は、綺麗に鯉を解剖していった。 「この森川先輩は、いつもこのような解剖セットを持ちあるっているのだろうか?」 私はそんな事を考えながら、手際よく鯉を解剖していく森川先輩の姿を見つめていた。  しかし、おかしいと思ったのは、森川先輩が所々の内臓を取り出し、自分で持ってきた液体につけて、色の変化を見てみたり、小さな顕微鏡で見ていたりしたことだった。幾ら、解剖に興味があるといっても、ここまでする人間はいない。また、そんな準備をして、この1年生とのオリエンテーションに参加する2年生がいるという事も、不思議に思った。  そして、鯉の半分を終了すると、それを綺麗に片づけ、また氷づけにして、丁寧にしまった。 「大体の事はわかった。やはり、私の予想通りだったよ。春美さん」 そういうと、森川先輩は自分で持ってきた物を片づけ始めた。 「一体、どういう事ですか?」 「春美さんには関係ないから、大丈夫」  森川先輩は部屋に戻って行った。私はそれ以上、聞く事ができず、自分の部屋に戻り、布団に入って、眠ってしまった。  翌日、5月8日、木曜日。午前中は、みんなで、蔵王の麓を歩いて散策になった。蔵王山岳インストラクター協会の方が私達を案内してくれた。しかし、コースの途中で森川先輩が忘れ物をしたと、一人で旅館「樹林」に戻って行った。そして、お昼の時間に、合流した。  午後は旅館周辺の野草のスケッチだった。絵画が苦手な私はみんなから少し離れてスケッチを始めた。他の人に絵を見られたくないからだ。旅館「高島屋」の前でステッチのため、腰をおろした。すると偶然、「高島屋」の若い仲居さんが旅館から出てきた。年頃からすると私よりも少し上。私の事が気になって話しかけてきた。 「野草のスケッチですか?」 「はい。大学の課題で」 「地元?」 「隣の二本松大学の生物専攻です」 「今日はウチの旅館?」 「いいえ、隣の旅館『樹林』です」 「それは、大変でしょう」 「どうして?」 「お隣、跡継ぎ問題でもめているって話ですよ」 「そんなに大変なのですか?」 「それは、うちの『高島屋』やその隣の『峰屋』は、新しい旅館ですけど、『樹林』は古く、由緒正しいというか、蔵王の旅館の代名詞のような所ですから。  前妻の子と今の奥さんの子、どちら跡継ぎにするか、大変だって聞きました」 「そんなに問題なのですか?」 「でもね、まだ2人のお子さんとも、小学生ですけどね」 「そう言えば、昨日、『高島屋』の池に、何かありましたか?」 「いいえ。でも、どうしてそんな事、聞くのですか?」 「いや、・・・」 「でも、お隣の『樹林』さんは、旅館経営だけですから。ここの『高島屋』はその点、書道と華道のお稽古も行っていますので、お客さんも、その筋で多く来るのですよ」 「そんな事を教える方が、『高島屋』さんに、いるのですか?」 「はい、若い女将さんが書道と華道の免許を持っていて、それで・・・」 「なるほど・・・」 私は、余計な事まで話さないようにして、その場を離れ、「峰屋」の方でスケッチを始めた。すると、今度は「峰屋」の若い仲居さんが私に興味を持って近づいてきた。 「『樹林』に泊まっている学生?」 「そうです」 「先程の男性もスケッチしてたよ。大変だね」 「まあ、課題ですから」 「福島から来て勉強だなんて」 「オリエンテーションなんです」 「『樹林』はどう?」 「どうって?」 「雰囲気は?」 「いいですよ」 「女将さんは?」 「優しいです」 「やっぱりねぇ。『樹林』の女将さん、とても、お偉いですね。前の奥さんの子供でも、しっかり育てていますし、自分の子供と同じように怒ったり、褒めたり。普通の人じゃできない事ですよ」 「『樹林』の女将さんは、そんなにできている、女将さんなのですか?」 「悪く言う人もいますが、私から見たら、よく面倒を見ていると思いますね。私なら、自分の子供で精一杯ですよ。  それに、後からできた私達の旅館との交渉もしっかり行っていますし・・・」 「何の交渉ですか?」 「源泉です。  先に『樹林』さんが源泉の権利を持っていたのを、『高島屋』さんとうちとで分けてもらったのです。でも、『高島屋』さんの方が源泉に近いという事で、難航していたとは聞きましたが・・・」 「そんな大変な事があるのですか?」 「どこでもそうでしょう。きちんと組合があれば、いいのですが、ここは、いろいろな組合が混ざっていますからね」  私は仲居さんに軽く会釈するとまた絵の対称を探した。  少し歩いて行くと、旅館『樹林』の女将さんの恵さんが両手に子供を連れて、旅館に戻って来るのを見つけた。 「こんにちは。お散歩ですか?」 先に声を掛けられた。 「はい。とても仲がいいのですね」 「こうやって、暇な時はなるべく子供達と一緒に、いる事にしているのです」 「今は暇なのですか?」 「はい。丁度、お客さんがいない時間で、私がいると、かえって邪魔になってしまうので・・・。それに、最初のお客さんが来るまでに旅館に戻ればいいので・・・」 「お子さん、元気ですね」 「今日はまだ、言うことを聞く方です。ほら、ご挨拶は?」 「こんにちは」 2人同時。 「スケッチ、頑張って下さい」 そう言うと、女将さんは旅館の方へ二人の子供と一緒に歩いていった。子供達はとても嬉しそうに、母親の恵さんになついているようにみえた。   私達は、夕食の前の懇談会で、蔵王の動植物の講話を聞くため、蔵王の名物先生をこの旅館『樹林』に呼んでいた。どうも、大木先生の計らいのようだった。  しかし、1年生はともかく、森川先輩はしっかり寝ていた。蔵王の標高の高さから、生きている動植物が限られていて、今、絶滅に近い品種もいる事や、乱獲もある事。そして、最近、雪が少なくなってきているので、名物の樹氷も見ることができなくなるかもしれないと、話していた。  両隣の旅館の人の話を、森川先輩に話してみた。森川先輩も大変、関心を持って聞いていた。  夕食の時間の前、女将さんが部屋に来た。そして、丁寧に挨拶をした。 「すみません、今日の露天風呂は、故障のため、入浴できません。内風呂がありますので、そちらで入浴してください。  もし、直りましたら、その時にまた、声を掛けますから・・・」 女将さんは部屋を出て行った。男子の部屋にも話をしに言ったらしい。  夕食は、昨日よりも豪勢な食べ物が準備され、私達、女子にとって、とても食べきれる量ではなく、残す人もいた。  そして、昨日と同じように二次会が行われた。そして、つぶれるメンバーは一緒だった。結局、私と森川先輩で、後片づけを行った。 「三浦春美さんは、今回の真相を知りたい?それとも、このまま帰る事を希望する?」 森川先輩は不思議な話する。 「どういう事ですか?」 「後で、ここの女将さんと話をする時間を作ってもらったんだけど、一緒に聴きに来る?」 「はい。いつですか?」 「あと30分後」 私は、身だしなみを整えて、森川先輩に同行すると答えた。    30分後、玄関のロビーに私と森川先輩とここの女将の吉原恵さんの3人が椅子に座った。女将さんの計らいでコーヒーを頂いた。既に、午前になっていたが、私と恵さんは、森川先輩の話を待っていた。 「まず、女将さん、今日、露天風呂に入れなかった本当の理由を教えてください」 いきなり森川先輩は、女将の恵さんに尋ねた。恵さんは言いづらかったようで、下を向いていた。 「本当は、機械の故障じゃありませんよね」 それでも、恵さんは下を向いていた。 「実は、私、悪いと思ったのですが、あの時、露天風呂を覗かせてもらったんですよ。もちろん男湯でしたけど。  でも、中は大忙しで、お湯を抜いて掃除をしていましたよね。多分、女湯も同じだったと思います。そこで、私は抜いたお湯を少しだけもらったんです」 すると、恵さんは急に顔を上げた。 「堂々とではなく、流した所の排水の場所からです」 そう言うと、森川先輩は、小さなペットボトルに入った少し赤みがった物を取りだした。 「これですよね。今日の露天風呂に入っていたのは・・・」 また、恵さんは下を向いてしまった。 「昨日の鯉の全滅といい、今日の露天風呂といい、この旅館『樹林』は、どうしてしまったのですか?」 恵さんは無言。 「それに3日前には、お寿司が大量に届けられたそうですね。女将さんがお金を払って、従業員に差し上げたと聞きました。1週間前には壁に落書き・・・」 ようやく、恵さんは顔をあげた。 「わからないのです。警察を呼びようにも、騒ぎになると、店の経営にヒビが入りますし、その間、営業を止めなければいけません。  それに、どんな噂が出るかも分かりません。以前は、食中毒とか幽霊が出るとか、いろいろな噂があって、一時期、お客さんが寄りつかなくなった事がありました。でも、何とか現在、ここまで復帰して、お客さんもまあまあ、来ていただけるようになったのです。  ですから、このくらいの被害は、黙っていた方が良いかと、店の者と相談しておりました。なので、お二人にも、他の皆さんには黙っていて欲しいのです」 恵さんはようやく、経緯を話してくれた。 「いいのですか。このままにしていて。これは偶然じゃありませんよ」 「でも、何の証拠もないし、誰が、こんないたずらをしたのかも分からないし、中には、私が遺産相続のためにやっていると言いふらす人もいますし・・・」 「証拠はたくさん、ありますよ」 「あるのですか?」 「はい、もちろん。それも立派な科学的な証拠が。それに、動機も考えられます」 「でも、警察が介入すると、また、以前のようになってしまうし・・・」 「では、私に任せていただけますか?明日の朝までには、何とかしかすよ」 「そんな事、できるのですか?」 恵さんは不思議そうに尋ねた。 「大学の噂では、森川先輩は、このような事件解決が得意だと聞きました」 露天風呂で森静香先輩からの情報だ。森川先輩は横目で私の方を睨んだが、私は無視してしまった。 「そんなに、大変でなければ、森川さんにお願いします」 「それでは、申し訳ないのですが、旅館『樹林』の見取り図と、この近辺の地図、できれば懐中電灯を貸していただけますか?」 そう森川先輩がいうと、女将さんは立ち上がりどこかに消えていった。そして数分後、女将の恵さんは、森川先輩に言われた物を持って、部屋に戻ってきた。 「では、ちょっと、外に行ってきます」 森川先輩は立ち上がった。 「気を付けて。よろしくお願いします」 恵さんは頭を下げ、見送った。私は森川先輩の後を追った。  森川先輩はまず、自分の部屋に行くと何か小さなカバンを持ってきた。 「森川先輩、私もついて行っていいですか?」 「好きにしていいよ。でも、自分の身は、自分で守る事」  森川先輩は、小さなカバンを持って、旅館の外に出た。まず、中庭に通じるドアの取っ手を何かで調べていた。それが済むと、今度は旅館の裏に回り、真っ暗の中、温泉の源泉に向かって懐中電灯を照らし、ゆっくり山の中を歩いていった。とても急な勾配で、常に運動をしていない私にとって、大変だった。  すると、その先に何か動く気配を感じた。森川先輩は懐中電灯を消して、私を引き寄せた。私は森川先輩に体を抱かれるような形になったが、森川先輩は口に手をあて、「話すな」という素振りを見せた。明らかに、動いているのは、一人の人間だった。森川先輩は、持ってきた物を全部私に預けると、その人物に向かって動き出した。 「辞めましょう。危ないですよ」 「大丈夫だろう・・・」 森川先輩は、その男に近づいた。 「何をしているのですか?」 その男は、持っていた物を投げ、落ちていた木の棒を、いきなり振り回したが、森川先輩は相手を子供のように扱い、右脚の回し蹴り一本で、相手の頭の後ろに決めてしまった。 「ぎゃー」  相手の男は、山の勾配を、下の方に落ちていってしまった。森川先輩は相手の落とした物を手に取ると、私の方に近寄ってきた。 「大丈夫、もう、終わりだよ」 「あの男の人を追わなくて、いいのですか?」 「追わなくても、いいと思うよ。彼は、そんなにケガもしていないし。それに、証拠もしっかり手に入ったし。  さあ、旅館に戻って、休もうか」 既に時間は、午前2時を過ぎていた。  旅館に戻ると、女将さんの姿は既になく、2人で部屋の前まで来た。 「春美さん、あなた、どうします?結果を知りたいですか?」 「はい、もちろんです」 「では、明日というか、今日の朝、6時に玄関前に来てください。あと4時間後ですが、大丈夫ですか?」 「頑張って起きます」 私は速攻でシャワーを浴び、目覚ましをセットし、布団に入った。  翌日、5月9日、金曜日。午前6時、旅館『樹林』は目覚めていた。仲居さんや厨房の料理人の人は、既に働いていた。また、何人かのお客さんも朝の風呂に入ったり、散歩の準備をしていたりしていた。女将さんの姿も見えたが、まだ、何も話さなかった。  外に出ると、玄関前に森川先輩は1人で立っていた。いくら5月とはいえ、蔵王の5月は霧が出ていて、寒い。周囲もよく見渡せないほどだった。 「おはよう、春美さん」 「おはようございます、森川先輩」 「よく起きることができたね」 「はい、頑張りました」 そう言うと、森川先輩は、旅館「樹林」を後にして、隣の旅館「高島屋」に入っていった。  森川先輩は、「高島屋」の従業員の1人を捕まえて、何かを話した。 「今、とても忙しいので・・・」 断られていたが、森川先輩がその従業員の耳元で何か囁くと、従業員の態度が急に変わり、私達、2人を奥の部屋に案内してくれた。  旅館「高島屋」は、見た目こそ古風な作りにできていたが、内装はまるっきり違っていた。さすが新しい。最近の若者を意識したらしい。玄関からの配色。壁。エキゾチックだった。  その部屋は、女将さんの部屋だった。 「女将さん、大事な話があるという、人が来ています」 中から声がした。 「今、忙しいから、後にできないかしら・・・」 「今の方がいいと思います。警察が来て、捜査するより・・・」 部屋の中にいる女将さんに向かって言った。 「それじゃ、中に入れて」 従業員は、部屋の襖を開けて、私達を中に入れた。その中には、和服姿の女の人が、帳簿を見ていた。 「何でしょう、私はここの女将の高島静です。この忙しい朝の時間に来たのは?それ相当な理由があるのでしょうね?」 女将さんは、少し怒った調子で私達を牽制した。 「はい、とても、重大な話があって、来ました。事が大きくなると、警察や新聞に、あなたの名前だけでなく、この旅館『高島屋』の名前も出ますよ」 とてもゆっくり、しかし落ち着いた声だった。それまで、私達の方を見ないで帳簿を見ていた女将さんは、顔色を変え、私達の方を見た。 「それは、どういう事でしょう?私を脅すつもりですか?事によっては、警察を呼びますよ」 女将の高島静さんの口調は、少し、強気になっていた。 「警察を呼んでも構いませんが、不利になるのは、そちらだと思いますよ」 女将さんは私達にソファーに座り直した。 「私達は、今、隣の旅館『樹林』にお世話になっています。福島県の二本松大学の学生です。今日は、お願いがあって、ここに参りました」 「学生さんが一体、何でしょうか?」 相変わらず、女将さんの口調は厳しかった。 「隣の旅館『樹林』に対する嫌がらせを、辞めていただけませんか」 「それは、私達が『樹林』さんに何かしているという事ですか?」 「はい」 「証拠でもあるのですか?あの『樹林』は昔から、いわく付きですよ。跡継ぎ問題で、もめているそうじゃないですか。そちらの方が、大変じゃないのですか」 女将さんが段々、口調が荒々しくなっていく。 「落ち着いてください。私は、何もあなたを警察に自首しろと言いに来たのでは、ありません。嫌がらせをこの辺で、辞めてもらえないかと、交渉にきたのです」 「私達がいやがらせをしているという、きちんとした証拠でもあるのでしょうか?」 「はい、科学的な証拠があります」 「それは?」 「これをそのまま、警察に持っていけば、脅迫罪、家宅侵入罪、営業妨害罪など様々な罪になります。しかし、その前に話をしにきました」 「一体、何が証拠なんでしょうか?」 森川先輩は、氷詰めの「鯉」を取りだした。 「これは、一昨日、『樹林』の池で全滅した『鯉』の中の1匹です。以前はウイルスで全滅したと聞きましたが、その場合、旅館だけでなく、ウイルスが広まって、周囲の旅館の魚も全滅するはずです。  しかし、今回は『高島屋』さんや『峰屋』さんの池の鯉や鮒は全く大丈夫だったのに、『樹林』さんの鯉だけが全滅しました。そこで、私はこの1匹の死んだ鯉を解剖し、残っていた池の水を少し検査しました。すると、この鯉からはいろいろな寄生虫は発見されました。しかい、鯉が死ぬほどのウイルスは、全く発見されませんでした。こちらが、池の水です」 森川先輩は小さなペットボトルの容器を取りだした。 「この池の水からも、何のウイルスも検出されませんでした。しかし、普通、出てこない物質が鯉と、池の水から、検出されました」 「何が出てきたのでしょうか?」 まだ、女将は強気だ。 「出てきた物質はダイオキシンです」 「それが何か?」 「つまり、農薬ですよ」 「それは、『樹林』の人が、自分の旅館を報道されて、有名になりたいから、自分の所の農薬を、自分の旅館の池に入れたのでしょう。私達が入れたという証拠があるのですか?」 「ダイオキシンは、『2、3、7、8テトラクロロジベンゾ―p―ダイオキシン』で略して『2・3・7・8TCDD』と呼ばれます。このダイオキシンが含まれる割合は、農薬1つ1つで違うのです。  そして、『樹林』の池と、この鯉に含まれていた『2・3・7・8TCDD』の割合は、『樹林』で使用している農薬全てからは、検出されていません。しかし、昨日、散歩がてらこの前を通った時、裏の勝手口の横に使用済みの『高島屋』の農薬の袋が置いてありました。その袋の中身を頂いてきました。  すると、その中身からは、一昨日『樹林』の池とこの鱒に含まれていた『2・3・7・8TCDD』の成分と全く同じダイオキシンが検出されました」 「それがどうしました。誰かが、私達の農薬を盗んだのかもしれませんよ」 「隣の旅館『樹林』の池に外から入る方法は1つだけです。池のそばについているドアを開けて入るしかありません。後は、旅館の中から入ることができます。  しかし、そのたった1つのドアに指紋が付いていました。これがそうです」 森川先輩は1つの黒い紙を取りだした。そこには、指紋らしき物が写っていた。 「私達は二本松大学の生物科の学生です。この程度の指紋の検出は可能です」 いいや、そんな事ができるのは、森川先輩しかいない、と私は心の中で思った。それに、そんな検査道具を旅行に持ち歩く人も、森川先輩しかいない。 「この指紋を警察に提出しても、よろしいですか。そして、旅館『高島屋』さんの従業員全員の指紋を照合してもらえば、この指紋が誰のかが、分かるかもしれませんね。  それに、池のそばのドアにはビニール袋を貼って、まだ誰も触れないようにしておきました。だから、誰も手を触れる事はなく、警察が来てから検出することもできます。近くに蔵王温泉駐在所もありますね」 段々、女将の高島静さんの顔色が悪くなっていく。 「それに、昨日、また『樹林』の露天風呂に、誰かが赤い物質を混入しました。それがこれです」 森川先輩はまた、一本のペットボトルの容器を取りだした。わずかに色に赤みがかかっている。そして、ほとんどの赤みは下の方に沈殿している。 「私は、この赤みの原因が分からなくて、苦労しました。しかし、ある事で結果がでました。それが、今、女将さんの後ろに飾ってある水墨画です」 そういえば、この部屋の奥には、立派な水墨画が飾ってあった。 「女将さんは、書道の先生も行っているそうですね。生徒さんの習字を直す時は、朱色の墨汁を使用しますよね。その朱色の墨汁と、この赤みの液体の成分が一致しました。  蔵王市内にある『寿紋堂』さんって知っていますよね。墨汁の専門店です」 女将の高島静さんの顔色が更に悪くなる。 「その店の大山さんに聞いてきました。『高島屋』さんで習っているが、そこと同じ墨汁が欲しい、と話したら、同じ朱色の墨汁を渡してくれました」 いつの間に・・・。 「その朱色の墨汁、特注だそうですね。この辺りでは、『高島屋』でしか使用していないと自慢げに話していました。大山さん特性の配合だとか・・・。  つまり、女将さんしか持っていない液体が、昨日、隣の旅館『樹林』の露天風呂に混入されまのです。隣の『樹林』の内風呂と露天風呂は、源泉が違います。内風呂には混入されていませんでした。そのため、誰かその露天風呂の源泉に近い所で、この液体を混入したのでしょう。近くに足跡がありました。石膏で跡を取っておきました。これです」  森川先輩は大きな石膏の足跡をバックから取りだした。一体、この先輩は、何をしにこのオリエンテーションに来たのだろうか? 「これも、警察に出して照合してもらえば誰の足跡かわかりますよ。丁度、山形西警察署に片柳幹男警部補という知り合いがいます。ここから電話しても・・・」 女将さんは下を向く。 「そして、今朝、午前二時頃、旅館『樹林』の源泉で、この物質を混入しようとしていた男がいます」 森川先輩は、先ほど取り上げた小さな瓶をバックから出した。 「女将さん、この中に何が入っているか分かりますよね。  でも、それは温泉の源泉には混入されませんでした。しかし、それを混入しようとした男の人は、頭の後ろにケガをして、右手を骨折しているはずです。そんな、従業員は、この『高島屋』にいませんか?」 女将さんは、まだ知らないふりをする。 「この蔵王に『富寿司』さんというお寿司やがあるのは知っていますね。3日前、お寿司の大量注文が『樹林』さんにあったそうです。『樹林』さんでは注文したはずはなかったのに・・・。でも、『富寿司』さんのご主人の富成さんは、2ヶ月前から間違え注文を防止するため、全ての電話の録音をしている事、女将さん、ご存じでしたか?電話の声は、女の人でした」 小さなカセットを森川先生は取り出した。 「今、ここで聞いてもいいし、警察に提出しても・・・」 さすがに、女将さんは諦めたようで、小さな声で話した。 「一体、何を要求したいのですか?お金ですか?それとも、この旅館ですか?」 「間違っては困ります。これ以上、隣の『樹林』さんに嫌がらせをしないと約束していただければ、それでいいのです」 「それだけで、いいのですね」 「はい」 「わかりました。お約束します」 「では、これら証拠は、私の方で消滅させていただきます。でも、なぜ、そこまでして、『樹林』さんに嫌がらせをしたのですか?差し支えなければ・・・」 女将さんは少しの間沈黙をしていたが、小さな声で話を始めた。 「実は、私、隣の『樹林』の先代と恋仲でした。その時の女将さんには、病気で子供ができなかったので、私が先代の子供を産みました。そして、内緒で隣にあげました。  ですから、『樹林』の今の大きい方の子供は、私の本当の子供です。  しかし、後妻として来たあの恵さんにも、子供ができて、どちらを跡継ぎにするかもめていると・・・。  それに、噂では、恵さんが私の子供に辛く当たっていると聞くと、どうしても・・・」 女将さんは段々泣き出していた。 「女将さん、私の見た所、そんな事は、ありませんよ。恵さんは2人の子供を自分の子のよう、どちらもかわいがっています。それは、私が保証しましょう。安心してください」 私達は、女将さんが泣き終わるのをまった。 「私達はこれで失礼します。約束の方、よろしくお願いしますよ」 「わかりました。ありがとうございます」 女将さんは頭を下げ、玄関まで送ってくれた。そこには、頭を包帯で巻き、左手を包帯で吊った、男の従業員の人も来て、頭を下げていた。  私と森川先輩は旅館「高島屋」を出た。 「ところで、森川先輩。いつもダイオキシンを検出する道具や、指紋を採集する道具を持ち歩っているのですか?」 「そんな重い道具、いつも持ち歩っている訳、ないじゃないよ」 「では、森川先輩は、どうして今回、そのような物を持っていたのですか?」 「持っていないよ」 「じゃあ、先ほどの話は?」 「はったりさ。石膏も、その辺に落ちていた物を持ってきた。でも、ここまで確信を持って、科学的のように話せば、相手は落ちると思って話してみたのさ。そうしたら、案の定、この通り・・・」 「墨汁は?」 「『寿紋堂』さんに話を聞いただけ。特注の墨汁なんて、いくらするかわからない。それに、譲ってくれないだよう」 「お寿司やさんは?」 「それは近いから、話を聞きにいった。録音は嘘」 「テープも?」 「そう」 「山形西警察は?」 「片柳幹男警部補は、昔の知り合い。でも、今、暇かどうかは知らない」 「案外、森川先輩って、悪者ですね・・・」 しかし、森川先輩は、相変わらず、飄々と旅館「樹林」に向かっていった。そして、その後を私は、追って、私達は旅館に戻った。 その後、森川先輩は、女将の恵さんといろいろ話をしていたようで、私達、3日目の散策には、参加しなかった。 ☆ 「嘘の証拠の品、森川さんはどうしたのですか?」 「その後の散歩の時、近くの山に埋めていたわ」 「証拠隠滅じゃないですか」 「たぶん、『高島屋』の女将さんを信頼したのね」 「その後、『樹林』と女将の恵さんは?」 「森川先生は何度も利用している。隣の『高島屋』ともいい仲のようよ。そのうち、井上くんも連れて行ってもらえるよ」 「事件ではなく、旅行で行きたいですね」 「そうね」 「ところで先崎さんって、大学の時、『三浦』という名前だったのですか?」 「そう、結婚したから・・・」 「今は・・・?」 「夫の事?」 「はい」 「わからないわ。生きているかもね、どうしているかも・・・」 私も答えられない質問だった。 「すみません。嫌な質問をして・・・」 「夫の事、話せるようになったら、そのうち話すわ」 「森川先生なら、解決してくれるかもしれませんよ」 「そうね、名探偵だから・・・」 でも、こればかりは難しい問題だろう。私の夫の行方を捜すのは・・・。 「その片柳幹男っていう警察官、山形警察署にいた方ですかね?」 「昨年まで、山形警察署にいたらしいわ。井上くん、知り合い?」 「山形刑務所にいた時、事件があって、会った事があります」 「森川先生も?」 「たぶん・・・」 「今度、その話、聞かせてね」 「わかりました」  すると、片平先生のスマホが震えた。 「森川先生からよ。明日の朝一番で、このまま徳島に来て欲しいって・・・」 私達は、早々と会計を済ませた。
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