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5.185話 秘話2話 「西行と桜」
森川先生は、1人で温泉に行ってしまった。ここ宮城県東鳴子温泉の「みどり屋」には沢山の内風呂があり、また、露天風呂も何種類かある。そして別棟にも露天風呂がある。新人探偵の井上浩くんは森川先生にお風呂を誘われたが、既に少しお酒が入っていたので、私、片平月美と先崎春美さんと3人で飲み直した。
2020年5月14日、木曜日。仕事で「ふくしま探偵局」第3課、4人が宮城県に来たのだ。まだ「緊急事態宣言」は終わっていなかったが仕方がない。
井上くんは「みどり屋」の女将、青山櫻さんと森川先生の出会いを私に聞いてきた。
「私の知っている事なら・・・」
私はゆっくり話し始めた。
☆
2009年。私、片平月美が始めて勤務した二本松高校は、二本松市にある普通科の高等学校。司書の私の勤務場所はもちろん、図書室。といってもこの二本松高校は図書館が別棟として建てられている。他の高等学校の図書室のシステムは知らないが、この二本松高校の図書館は少し違う。
二本松高校は、旧二本松市にある。北の福島市や南の郡山市から電車で通学する生徒も多い。二本松駅は旧市内の南側にある。そこから二本松高校までは徒歩20分くらい。しかし、この旧二本松市、街の中に山がある。だから、20分とはいえ、坂の上り下りがある。電車も1時間に1本くらい。だから、その時間になるまで図書館で時間つぶしをする生徒が多い。
そして、この二本松高校の最大の特徴は、自習時間に先生が来ないという事だ。だから、本当の自習。遊びたい奴は遊ぶ。勉強する人間は勉強する。教室で集中できない生徒はこの図書館に来る。最近出来た図書館らしく、机1つ1つに仕切りがあり、自習するにはこれ以上良い環境はない。私の出身高校と比較にもならない。
そこで、図書館の席取りが始まる。冷房暖房完備なので、教室より過ごしよい。図書館は2階建て。1階は会議室なので、2階が図書室。1階の入口で図書館専用のスリッパに履き替える。
高校生は年功序列が甚だしく、3年生の席に1年生が座ると、後で大変。
ここでは、司書用に司書室が図書室に並列している。司書は私1人しかいないので、司書室は大きすぎる。しかし、ここには図書部なるものが存在する。仕事は図書の貸し出しとか・・・。私の仕事がなくなってしまう。でも、図書部に入部すると、特権もある。司書用の貸し出しカウンターに無条件に座ることが出来る。1年生でもこの絨毯敷きの図書室でゆったりした時間が確保される。それに、司書室にはお湯が出る給湯器もあり、コーヒー、紅茶が飲み放題。
私はそんな事を話して図書部を勧誘していた。
私がこの二本松高校に赴任した時、図書部の顧問は、定年間近の小川誠先生という国語の先生と私の2人。それも、小川先生は国語準備室に席があるので、ほとんどこの図書館の司書室に来ない。というか、私は採用された1年間で司書室に現れたのは、最初の1日、私を司書室に案内した時だけだった。
図書部の生徒も数える程。3年生はいない。2年生は部長の星高陽くん。副部長の谷口英一郎くんの2名。新入生は3人。しかし、私のところに最初に挨拶に来た時だけ顔を見ただけで、1年間、見たことがなかった。名前も覚えられなかった。図書館に来る生徒のほとんどは自習目的。図書館の本を借りる生徒はほとんどいなかった。図書部2年生の2人くらい。それも谷口くんもあまり来ないので、3年生で部長の星高陽くんがいつも貸し出しカウンターで仕事をしてくれていた。そんな憂鬱な1年間を過ごしていた。
2010年。2年目に運命の再会。私が大学4年生の時に遭遇した事件で、私を救ってくれた森川優先生が数学の先生として、二本松高校に赴任してきた。それも、なぜか、図書部の副顧問。森川先生は、自分のコーヒーカップを準備し、司書室にいる事が多くなった。1年生も2人が入部。安藤なつさんと、國分有香さん。図書部が幽霊部員も含め7人になった。それをきっかけに、「他校との図書活動の交流」が3年生になった部長の星高陽くんから持ち上がった。私が赴任する前までは、定期的に行っていた行事らしい。
「一応、部費を頂いているので、成果報告を出さないと・・・」
真面目な星高陽くんらしい。
彼は一番行動力がありそうな森川先生と相談して、その年の9月に、図書部がある宮城県の鳴子高等学校と古川中央高等学校の図書部との交流を計画した。高校で「図書部」が存在する高校は少なく、捜すのも大変らしい。だから、そんな図書部のある高校との交歓会は、充実した内容になる事と、私は勝手に思っていた。しかし、鳴子高等学校との図書部の話し合いは、2時間程度で、そのほとんどが温泉宿泊を目的としているらしいと森川先生に聞いた。この時ばかりは幽霊部員の2年生も参加するとの事だった。
「他校との図書活動の交流」の内容は、9月10日、金曜日に鳴子高校を訪問、東鳴子温泉で一泊し、11日、土曜日に古川中央高校に行って帰ってくるという予定だった。鳴子高校と古川中央高校には、森川先生と部長の星高陽くんが既に連絡を行ってくれた。
それというのも、もう1人の図書部副顧問の小川誠先生が、大変な温泉好きならしく、私がこの二本松高校に赴任する前まで「交流会」を行っていて、必ず、宿泊は都市部ではなく、温泉地が選ばれていた。
9月10日、金曜日。とても良い秋晴れの朝となった。気温は30度近く。夏のような天気になると朝のテレビで話していた。
二本松駅から福島駅へ。そこから、東北新幹線とJR陸羽東線を乗り継いで、鳴子高等学校に着いた。交流会は無事、終了した。それから、また、JR陸羽東線に乗って、鳴子御殿場駅に到着した。
「見た目は古いが、とてもいいお湯だ。いろいろなお風呂も楽しめる」
小川誠先生は嬉しそうだった。
鳴子温泉郷は、1100年以上昔からの歴史があり、福島の飯坂温泉、宮城の秋保温泉、そして、この鳴子温泉の三つの温泉で、「奥州三名湯」と言われているらしい。
また、9月の第1土曜日と日曜日には、ここ鳴子で「こけし祭り」が開催され、鳴子の11系統の「こけし」が集まり、盛大に祭りが行われるという事だった。
この東鳴子温泉は、その鳴子温泉郷の1つにあたり、田中、中野、赤湯、赤這の4つの湯からなっていて、14軒の旅館があるという事を、温泉通の小川先生から聞いた。
私達がたどり着いたのは、旅館「みどり屋」という名の、いかにも森川先生が好みそうな名の温泉宿だった。
部屋は、男子の部屋の「蔵王」、女子の部屋の「鳴子」、そして小川先生と森川先生の部屋の「鬼首」、私のために「荒雄」の部屋、4つに分かれた。私達10名はそれぞれ荷物を置くと、「鬼首」の部屋に集まった。現在、午後3時、夕食が午後7時からだったので、それまで各自自由行動という事になった。私がトイレに行っている間、生徒達はそれぞれ部屋を出て行ったらしい。
「生徒は?」
「3年生と1年生は一緒に散歩。2年生は部屋でゲームやマンガだろう」
森川先生が答える。
「小川先生は?」
「『温泉、温泉・・・』と言って、浴衣に着替え、タオルを持って早速出て行ったよ。小川先生は、この旅館の全てのお風呂に、入る予定らしい」
私は廊下に出て、窓の外を見た。3年生と1年生の4人が川沿いに歩いていく姿が見えた。また、女子の「鳴子」の部屋をそっと覗くと、森川先生の推理通り、2人の2年生の女子は、寝ながらマンガを読んでいた。そういえば、電車の中で、「カバンの中、マンガだらけ」と、言っていたのを、思い出した。
また、「蔵王」の部屋の入口の襖が開いていたので、そっと耳を近づけると、中からピコピコというゲームの音が聞こえてきた。さすが森川先生、何も見ないで、生徒の行動、1つ1つを熟知している。敵にしなくてよかったと改めて思った。
私は見た事を森川先生に報告した。
「わざわざ、報告しなくていいよ」
「森川先生、夕食まで3時間以上あります。森川先生の予定は?」
「昼寝でもしようかな」
「お土産でも買いにいきませんか?学校に」
「寒くない格好でな」
2人でロビーのお土産コーナーを見に行った。途中、女中さんが、後片づけをしていた。
「力仕事、ご苦労様です」
「男手が足りないので、仕方がないのですよ。半年前にも、ここの若旦那が亡くなったばかりで・・・」
「それは大変ですね」
「仕方がないのです。交通事故だったので・・・」
玄関の前のロビーに若い女将さんが立っていた。多分、女中さんが話していた先日亡くなった御主人の未亡人だと思った。
消灯時間はなく、お風呂も24時間入ってよいし、近くの他の旅館のお風呂も入浴できる、ということなので、小川誠先生は、みんなで夕食を食べた後も、お風呂巡りに出て行った。予定表で夕食後も全て自由時間という理由が何となくわかってきた。
私は夕飯後、1人で内風呂に入り、湯上がりを玄関ロビーのソファで休んでいた。すると、安藤なつさんと國分有香さんが浴衣姿で、私の前を通った。
「片平先生の浴衣、素敵です。今、森川先生が来ますので誘惑してみては・・・」
高校生が大人をからかっている。2人はそのまま消えていった。
そこに、すぐ、湯上がりの森川先生が浴衣姿で現れた、私の向かいのソファに腰をおろした。
「森川先生も温泉に入ったのですか?」
私は自然に聞いてみた。すると、森川先生はまた、意外な答えをしてきた。
「髪を結って、緑色の浴衣を着た片平先生がとても素敵に見えるよ」
「森川先生、酔っていませんか?」
「全然、酔っていないよ。素直に表現して悪いの?」
「社交辞令みたい・・・」
そこへ、先ほどの若女将が萩を持って、通り過ぎ、近くの部屋に入っていった。夜に見る若女将はとても若く見え、美形だった。こんな鳴子の奥にいるのがもったいないと思った。
「森川先生、ここの御主人、半年前に亡くなったそうです」
「私も先ほど、聞いたよ。残念な事だね」
少し経って、また、若女将が私達の前に歩いてきて、挨拶をした。
「いいですね、若い方は。お似合いのカップルですね」
森川先生は、大きく手を振って否定した。そして、
「私は、今日、ここにお世話になっている福島県の二本松高校の教師で、森川と言います。こちらは、司書の片平先生です」
私はそのように紹介され、ペコリと頭を下げた。するとまた、森川先生は意外な事を言った。
「今、入っていったお部屋、亡くなった御主人の部屋ですか?」
いきなりの森川先生の発言に、私ばかりでなく、若女将も驚いたようだった。
「はい、主人は半年前に交通事故で亡くなりました」
「すみません、余計な事を・・・」
森川先生は申し訳なさそうに謝った。
「毎日、お花をあげているのですか?」
「はい、亡くなった主人は、花が好きでしたから。でも、毎日、忙しくて、今の時間にならないとお花をあげる事ができないのです。別に買ってくるわけではないのですが、その辺りの庭から・・・」
「大変ですね」
また、森川先生は申し訳なさそうに。
「亡くなった主人は、ここの旅館の跡継ぎでしたが、私はよそ者で・・・。何せ、結婚して1年で逝ってしまったものですから。
それに、子供もいませんので、この旅館もこの後、どうなるかと・・・。でも、私は、主人から本当に愛されていたのか、自信がないのです。
結婚するまでは、愛されていると思っていましたが、結婚してこの旅館に嫁いでからは毎日忙しくて、そして、旅館の女将としての修行を習ったりで、家事を行ったりで、座る暇もなくて・・・。
あら、すみません。お客さんに余計な事まで話してしまって・・・」
「いえいえ、構いませんよ。他の人には言いませんから・・・」
「私達、口が堅いのだけが自慢なんです」
私が付け加えた。
「やはり、お似合いのカップルですね。職場が同じなんて、うらやましい」
私は少し顔を赤らめたようだった。
「でも、どうして、森川先生は私が入った部屋が、亡くなった主人の部屋だと思ったのですか?」
若女将が尋ねてきた。私も言われてみると、同じ疑問に行き当たった。
「まず、女将が入った部屋の前には名前がありません。私の部屋には『鬼首』。片平先生の部屋は『荒雄』など名前がついています。でも、あのお部屋には名前がついていません。だから、あの部屋はお客が泊まる部屋じゃない。そして、あなたは着物を着て入っていった。そして、この時間に着物を着替えずに出てきた。
つまり、自分の部屋なら、着物を着替えてもいいはず。他の人の部屋なら、萩を持っていく理由はありません、だから、あなたにとって大切な人、つまり亡くなった御主人の部屋かなと思ったのです。すみません。くだらない説明で・・・」
「いいえ、素晴らしい観察力と推理力ですわ。
主人の部屋、ご覧になりますか?森川先生なら、何か気が付くことがあるかもしれませんから・・・」
若女将は、そっと立って、先ほどの部屋に私達を招き入れた。
入口の襖を開けると、ほのかに良い香りの線香の匂いがした。履物を脱いで、3人で部屋に入り、襖をしめた。
そこは8畳の広間で、本棚、机、仏壇が整然として綺麗になっており、なぜか譜面台があった。その上には、楽譜が置いてあった。先ほどの萩は、仏壇ではなく、机の上の一輪挿しの花瓶に、添えてあった。
「御主人は、ここで、毎日を過ごされていたのですね」
「はい、ここで本を読んだり、バイオリンを弾いたり・・・」
「バイオリンですか?」
若女将は机の下からバイオリンのケースを取り出した。本棚をのぞき込んでいた森川先生は、バイオリンのケースにも興味を持ったらしく、バイオリンのケースを手に持った。
私は、その間に、森川先生がのぞき込んでいた本棚を覗いた。その本棚は、とても綺麗に並んでいて、「梅」「木瓜」「桜」「柳」「木蓮」などの木の本や、「後鳥羽院」「在原業平」「西行」「柿本人麻呂」などの、まるで昔の歌集のような名前の本が並んでいた。
「良いバイオリンですね」
森川先生は、勝手に開けたバイオリンのケースを若女将に返した。それから、本棚も前で立ち止まった。
「女将さんがこの本棚を整理整頓したのですか?」
「いいえ、主人が亡くなってから、そのままです。私が言うのも何ですが、亡くなった主人はきれい好きで、整理整頓もしっかりしていましたから・・・」
「本を見てもいいですか?」
すでに2冊の本を勝手に持っていた。森川先生が取った本は「桜」という木の本と、「西行」という本だった。そして、本をパラパラとめくり、読み始めた。
「何かありましたか?」
「失礼ですが、女将さんの名前は?」
「青山櫻と言います。『櫻』は難しい方の漢字ですが・・・」
「やはり、そうでしたか?」
「森川先生、何か分かったのですか?」
私は、すぐ聞いてみた。
「亡くなった御主人は、櫻さんの事を大変、愛していたと思いますよ」
「どうして、そう思うのですか?森川先生」
「この『桜』という本ですが・・・」
「桜」の本を櫻さんに見せた。森川先生は、「ソメイヨシノ」というページを開いた。
「ソメイヨシノは、『染井芳野』と漢字で書いて、江戸時代に改良された桜なんです。明治45年の3月に、当時の東京の尾崎市長からアメリカにも送って、ポトマック川の岸にも咲いていますよ。この写真の通り。今年がその時から、108年目にあたります」
そう言って、「ソメイヨシノ」のページに挟まれた一枚の写真を取りだした。
そこには、男の人と洋服を着た青山櫻さんが写っていた。
「これは、主人と新婚旅行の時に撮影したものです。場所は、アメリカのニューヨークのポトマック川岸です」
「そう思いました」
「でも、なぜ主人は、その本にこの写真を入れておいたのでしょうか?」
「多分、毎日のように亡くなった御主人は、あなたとの写真を見ていたのでしょう」
「どうしてそう思うのですか、森川先生」
「この本棚、綺麗に整理整頓されていますよね。でも、この『桜』という本の背表紙は少し、汚れています。そして、他の本の上には、埃が少し溜まっていますが、この『桜』と『西行』の本の上には、ほとんど埃はたまっていない。特に、この『桜』の本の上には。
だからまず、この『桜』という本は、毎日、見ていた証拠ではないでしょうか?机の上に額を置かず、そっと見ていたのは、机の上にあなたとの写真を置くのが恥ずかしかったからか、他に何か理由があったからでしょう。そして、御主人は櫻さんのことが、大変好きだった」
「なぜ、森川先生はそう思うのですか?」
「その答えは、こちらの『西行』の本にあります」
森川先生は、「西行」の本を開いた。すると、途中に封筒が入っていた。その封筒を取り出すと、櫻さんに手渡した。その封筒の表には「櫻へ」と書いてあった。森川先生はその封筒を中身もないで櫻さんの方へ差し出した。
「どうぞ、開けて、御覧になってください。半年間の苦労が報われるかもしれませんよ」
櫻さんは言われるままに封筒受け取り、そして、その封筒を開けて見た。
すると、中から手紙が出てきた。櫻さんは黙って、その手紙を読み始めた。私達は黙って、櫻さんが読み終わるのを待っていた。
そのうち、櫻さんの目に涙が溜まるのがわかってきた。森川先生は静かに立ち上がると、部屋の隅にあった譜面台の上の楽譜を見ていた。
そのうち、櫻さんは泣き始めてしまった。
「大丈夫ですか?」
私は、櫻さんに近づき、背中をさすってあげた。
「すみません、取り乱してしまって・・・」
櫻さんは、一呼吸おくと、きちんと座り直した。
「森川先生、安藤さん、この手紙を読んで見てください」
手紙を森川先生に渡した。
「読んでいいのですか?大切なお手紙を?」
「お二人に読んで欲しいのです。今、私の頭が混乱していて・・・」
その封筒の中の手紙は、しっかりとした綺麗な字で書かれてあった。まるで、それを書いた人間のきちんとした性格がわかるような。そして、先生と私は、静かにその手紙を読み始めた。
「青山 櫻 へ
今、櫻がこの手紙を読んでいるということは、僕はもうこの世にいないという事になる。
そして、この手紙を櫻が見つけてくれた事を感謝する。結婚して1年くらいしか経たないけど、櫻の着物姿も段々、なじんできたように思う。その反面、櫻をここに連れてきた事をとても後悔して、反省している。
他の同じ年頃の女の人なら、まだ遊びたい若さでしょう。しかし、櫻は文句も言わず、毎日、堅苦しい和服を着て、女将になるべく修行している。寝る暇がない程、働いている。その姿を見ていると、僕はやはり櫻と結婚するべきじゃなかったと思う。洋服を着ていたあの頃が懐かしく、櫻が自由でいたように思える。もちろん、和服姿の櫻も綺麗だけど、一年前の洋服姿の櫻の方がもっともっと、生き生きしていたように思えます。
ここに通帳があります。名前は櫻にしてあります。印鑑がバイオリンのケースに入っています。一人でも、当分の間、生きていけるお金です。
このまま、この旅館で生きていくのもよし、この鳴子から出て、このお金を使って自由に生きていくのもいいです。櫻の堅苦しい今の姿を見ていて、櫻の将来が不安になりました。一人で生きていくあなたが・・・。
櫻には、櫻の人生があります。まだ、櫻は20代前半です。残りの一生をこの鳴子で過ごすことはありません。それに、私もあと少ししか、櫻の事を支えてあげることができません。櫻は自分の人生を楽しむ権利があります。この「みどり屋」の将来の事は、櫻は考えなくていいです。
櫻、自由に羽ばたいてください。
私は今、自分の命に替えて正義を追求しようと思っています。私は殺されるかもしれない。でも、正義を追求したい。
櫻は東京に帰りなさい。
平成22年 3月
青山 静馬
追伸 櫻にバルトークの「メロディア」を聴かせてあげたいと思って練習しています。間に合わなかったら、ごめんなさい
」
私は、目に涙が溜まっていた。森川先生は櫻さんに手紙を返した。櫻さんの手にしている封筒の中から、貯金通帳が出てきた。
「こんな貴重な手紙を、見つけていただいて、ありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ、貴重なお手紙を見せていただいて、ありがとうございました」
「大丈夫ですか、櫻さん?」
「はい、先ほどよりは落ち着きましたが・・・。でも、あの人が何か事件を追っていたなんて、気が付きませんでした」
「あの洋服姿の写真を大事にしていた理由もわかりましたね」
「はい」
「それに、ここは旅館なので、洋服姿の櫻さんの写真を飾る事も、ためらいがあったのでしょう」
「あの人、この手紙を書いてすぐ、交通事故で亡くなったのですね。赤信号で待っていて、後ろから車が追突したのです。相手の車の整備不良だったとか・・・。相手の方の亡くなりました」
「それは残念でした」
「でも、なぜ『西行』の本に何かあると分かったのですか?」
「先程も話した事と、それにこれ程、整理整頓されている中で、この『西行』の本だけが、『古今和歌歌集』の全集の本の中で順番通り並んでいなかった。たぶん、急いでこの手紙を書いて、後から順番を直そうとしたのでしょう。でも、直す前に交通事故に遭われた。それに、桜といえば、西行ですから・・・」
「なぜですか?森川先生」
私はその意味がわからずに聞いた。森川先生は「西行」の手紙の挟まれていたページを私に見せた。
「ここに、西行の有名な短歌があります。『願わくは 花のもとにて 春死なむ その如月の 望月のころ』と。これは西行が桜をとても好きだった事で有名な短歌です。そして、お釈迦様を大変尊敬していた。お釈迦様が入滅したのは、旧暦で2月15日。西行が死んだのも旧暦で2月16日でした」
「森川先生、旧暦を今に直すと、いつですか?」
「そうだね、3月下旬頃から4月上旬だね」
「主人もその頃に亡くなったのです」
「偶然とは思えませんね」
「櫻さん、そのバイオリン、借りていいですか?」
「どうぞ、主人が死んでから、触っていませんが」
森川先生は、バイオリンのケースを開け、小さな箱を櫻さんに渡した。
「たぶん、印鑑が入っていますよ」
森川先生は、バイオリンの弓を取り出し、松ヤニを塗って、バイオリンを演奏できる状態にしていた。
「御主人はバイオリンが演奏出来たのですね」
「はい、大学でオーケストラに入っていたそうです」
「でも、良いバイオリンですね」
「主人の祖父の遺品だそうです」
「イタリア製。御主人の祖父も、良いバイオリンを持っていたのですね。」
「そんなに良いバイオリンですか?」
「はい」
「森川先生、バイオリン、弾かなくても、すごいかどうかわかるのですか?」
「このf字孔という穴から中に貼ってある紙を見ると、大体わかる。また、弓の質の悪い木で作ると、こうは細くできない。このような細くしなやかな弓は、良い木で、そして確かな腕の職人が作った証拠さ。弾いてみると良く分かるよ」
森川先生はバイオリンを持って立ち上がり、譜面台の所に向う。
「櫻さん。手紙の追伸にあった『メロディア』とは、この楽譜の曲です。ハンガリー生まれのベラ・バルトークが2つの大戦などでアメリカに亡命し1944年に倒れます。
そこへ新進気鋭のバイオリニストのイエデフ・メニューインが病床のバルトークに曲を依頼して作ってもらった曲が、この4つの楽章からなる『無伴奏のためのバイオリンソナタ』です。バルトークが作曲した最後から2番目の作品ですよ。バイオリンの曲の中でも、難曲とされています。その第3楽章が『メロディア』です。いろいろな曲を作曲したバルトークで、時には耳をふさぎたくなる音量を求めた彼ですが、この『メロディア』は大変静かで、私に言わせると、宇宙の神秘と言うか、自分へのレクイエムのような曲です」
「そのような曲を、主人は練習していたのでしょうか?」
「たぶん、櫻さんをイメージして、あなたに聴かせたかったのでしょう。手紙にもあったように・・・。
弾いてみましょうか?」
「弾いていただけるのですか?今?」
「櫻さんさえ良ければ・・・。」
森川先生は音叉をバイオリンのケースから取り出し、耳にあて、バイオリンを調弦し始めた。そして、譜面台の前に立つと、一呼吸した。
「それでは、弾いてみます。久しぶりなので自信はありませんが・・・」
そう言えば、私が最初に会津若松市で森川先生に会った時も、彼はバイオリンを弾いていた。
「お願いします」
櫻さんは、森川先生を見つめて静かに言った。
森川先生は弓をバイオリンの上に置いて、演奏を始めた。3人を宇宙の神秘が取り巻いた。森川先生のバイオリンを演奏する姿は、推理をする森川先生と同じくらい素敵に見えた。
櫻さんは森川先生の演奏する姿から目を離さなかった。それは、まるで恋人を見つめるような眼差しにようだった。櫻さんが今だけ、森川先生に恋をしているような気がした。短い曲ではあったが、私にはとても長く感じた。
櫻さんは曲が終わっても、森川先生から目を離さなかった。森川先生は、バイオリンと弓を拭いてケースにしまった。
「上手に演奏出来なくてすみませんでした」
櫻さんは黙って森川先生を見つめていた。どれくらい時間が3人の間を通り抜けただろうか。櫻さんがその静寂を断ち切るように、しかし、静かに話した。
「森川先生、お願いがあります。このバイオリンを貰って頂けませんか?ここにおいて腐らせるより、森川先生の手元で演奏される方が、亡くなった主人も喜ぶと思いますから」
「このバイオリンはとても高価なものです。演奏して一段とその素晴らしさが分かりました。私のような者が頂いては亡くなった御主人に申し訳ありません」
「いいえ、この写真と手紙を発見していただいたお礼です。それに、森川先生がバイオリンを演奏する姿、どことなく主人に似ていました」
櫻さんはバイオリンのケースを、無理矢理、森川先生に預けた。
「それでは、これは預かっておきます。必要になったら、連絡してください。連絡先を書いておきます」
森川先生は住所と、携帯の電話番号やメールアドレスを紙に書いて、櫻さんに渡した。
「櫻さん、これから、どうするのですか?」
私は一番気にしていた事を聞いた。
「まだ、わかりません。でも時間はたくさんあるので、これから考えます」
「それがいいですね、焦ることはありませんよ。人生は長いですから。迷ったらいつでも連絡を下さい。私でよければ、相談にのります」
森川先生は優しい口調で話した。櫻さんは、いつの間にか笑顔になっていた。
「私でよければ、亡くなったご主人の追求していた事、協力します」
「いいんですか?無理しないで下さい。主人は亡くなりましたから・・・」
「無理はしません」
森川先生は「鬼首」の部家の前まで来ると、部屋の中をそっと確認した。
「片平先生の部屋に行ってもいいかい?小川先生が着替えている」
「どうぞ」
私は森川先生を部屋に入れた。何も見られて悪いものはなかったし・・・。
森川先生は、バイオリンのケースを置き、携帯を出して、電話を始めた。
「鬼村竜夫警部補ですか?夜分すみません」
「至急お願いがあります」
「明日の朝」
「すみません」
「今年3月にあった交通事故です。亡くなったのは東鳴子温泉の『みどり屋』主人、青山静馬」
「ご存じでしたか。それは、ありがたい」
「今ですか?その『みどり屋』です」
「そんな事、ないです」
「よろしくお願いします」
森川先生は携帯を切った。
「以前、お世話になった宮城県警の鬼村竜夫警部補さ。昨年はここ大崎警察署にいたらしい。青山静馬さんの交通事故の詳細を送ってくれるらしい。櫻さんに連絡してくる」
2人でそのまま先程の部屋に戻った。櫻さんに事情を話すとそのままオフィスに向かった。そこにファックスが置いてあった。すでに何枚かの用紙が来ていた。
「鬼村警部補はまだ警察署にいるらしい」
警察は大変だ。
森川先生は用紙を持つと、「荒雄」の部屋に戻った。
「平成22年3月25日、木曜日。雪。午前9時40分。大崎市岩出山池月の池月交差点で国道47号線から来て信号停止中の青山静馬30歳の車に後ろから来た東雲麗香32歳の運転する自家用車に後方部を追突され、炎上。被害者、被疑者共、その場で死亡が判定。この日は朝から雪が降っていたため、東雲麗香の自家用車が交差点前でスリップした模様。また、ガソリンが満タンに近い状態だったため、車両火災になった。
東雲麗香。32歳。宮城県大崎市鳴子温泉月山出身。地元の高校を卒業後、東京に就職。3年前に実家に帰る。大崎市内の菓子店に勤務」
森川先生が事故現場の写真や内容を見る。
「何の不思議もないな」
森川先生は、先程借りたバイオリンのケースを開く。何か不思議がっている。小物入れのような場所を開く。そして・・・。
「ここに何か隠してある」
小物入れの奥をつつき始めた。すると、底が開いた。中から何か機械が出てきた。
「ボイスレコーダーだ」
森川先生はそのボイスレコーダーを再生する。
「・・・青山さんかね。・・・そうです。・・・以前話たように、明日の午前10時に私の職場に。・・・わかった・・・本当の事を話す・・・嘘じゃないな・・・今更・・・じゃ、明日」
ボイスレコーダーが切れた。
「これは呼び出しだね」
「午前10時って」
「事故に遭う40分後だ」
「事故じゃないかも」
森川先生は携帯を出した。
「夜分すみません。森川です」
「そんな事ないです。緊急のお願いです」
「そうですね。時間も時間ですし・・・」
「今年3月25日に大崎市の交通事故で亡くなった東雲麗香、32歳についてです」
「朝まで」
「ですよね、でも、小林先輩なら・・・」
「大学時代のお礼という事で・・・」
「よろしくお願い致します」
今の時間はすでに翌日になろうとしている。この時間に電話に出る相手もすごい。
「大学の時の先輩で、仙台で探偵事務所をしている人に東雲麗香さんの事を調査してもらう」
「いいんですか?」
「大学の時にだいぶお手伝いをしたから、先輩も嫌と言えないさ」
「でも、この時間ですよ」
「彼のために3日3晩寝ないで手伝った事もある。ヤクザに尋問されている所を助けた事もある。それを思えば、このくらい・・・」
「森川先生は大学の時、何をしていたのですか?」
「ただの学生さ」
「嘘・・・」
「明日だけど」
嫌な予感がした。
「古川中央高校との交流会を休みたいとでも?」
「片平先生の直感も良くなってきたね」
「直感ではありません。予測です。今までの会話から推測して・・・」
「櫻さんのため・・・」
「櫻さんのためなら、仕方がないですね」
それからが大変だった。午前0時を過ぎても、森川先生は部屋に運ばれてくるファックス用紙と格闘していた。そして、あちこちにメールをしていた。気がつくと、森川先生は、私の部屋で眠ってしまっていた。私は控えの毛布をファックス用紙を持ってきた櫻さんに頼んで、森川先生にかけてあげた。私もそのまま、彼の隣で眠ってしまった。
朝、目ざめると、すでに森川先生の姿はなかった。櫻さんに尋ねると、午前6時前にすでに「みどり屋」を出てしまったらしい。「みどり屋」の車を借りて。
9月11日、土曜日。森川先生抜きで交流会を行った。部長の星高陽くんと私がほとんど話を進めた。
昼食を大崎市内で食べている時、森川先生からメールが入った。
「今、鬼村警部補と大崎市役所にいる。帰りの電車には間に合いそうです。古川駅に13時30分」
という事は、森川先生は午前中で青山静馬さんの事件を解決したというわけだ。驚いた。
私達は帰りの新幹線に乗るため、古川駅に着いた。すでに、古川駅の西口には、森川先生と青山櫻さんが待っていた。私は1人で2人の近くに駆け寄った。
「もう解決ですか?」
「いいや、後は鬼村警部補に任せた。明日の朝刊には事の顛末が載るだろう」
「今回は、大変お世話になりました」
「偶然ですよ」
「そんな事ありません」
「私が『みどり屋』に宿泊したのも、櫻さんが萩の花を持って部屋に入るのを見たのも、私がバイオリンを演奏出来たのも。そして、鬼村警部補が亡くなったご主人の事件を知っていたのも・・・」
「そうですかね・・・」
私は疑問だった。
「バイオリンは大切にします」
森川先生はバイオリンを大切に持っていた。
「後で鬼村警部補が行くと思いますので、よろしくお伝え下さい」
「わかりました。メールします」
「では」
「お幸せに」
最後の櫻さんの言葉は誰に向けて言ったのだろう。櫻さんは車を運転して行った。雨が降ってきた。私達は急いで古川駅に入った。
私はわざと新幹線で森川先生の横に座った。
「私にも事件の真相を知る権利がありますよね」
「明日の朝刊」
「あれ・・・?『真実は報道されない』ってよく森川先生が話していましたよね。事実の一部分や報道記者の感覚で報道される内容が変わるって・・・」
私の説得が利いたようだ。
「何から話そうか?」
「私が眠ってから、今まで」
「『荒雄』の部屋での片平さんの可愛い寝顔とか・・・」
「省いていいです」
森川先生は自販機で購入したカフェオレの栓を開けた。
「まず始めに行ったのは、亡くなった東雲麗香さんの写真を入手すること。これは大崎菓子店のホームページから簡単にダウンロード。そして、SNSを駆使して、東雲麗香さんの東京での11年間の行動。東京の吉原警部に頼んで、写真を送った。高校の記録もネットで閲覧。進学先と就職先が載っていたから、そこを吉原警部にお願いした」
「人使いというか、警察使いが荒い先生」
「東雲麗香さんは、東京の立川市にある洋服工場に6年間勤めた。しかし、それ以降がわからなかった。それで、朝一で鳴子温泉月山にある彼女の実家を尋ねた」
「両親は?」
「存命だった。周囲にはあまり人家ななく、国道47号線から見える場所に家があった。農家をやっていたらしく、家も古い。国道沿いにコンビニが1軒あり、そこに車を駐車して家に向かった。
お線香を上げて話を聞いた。事故の加害者という事もあり、周囲から孤立していた。だから、話し相手を求めていたらしく、詳しく話してくれた。
東京の工場にいる時はよく里帰りをしていたそうだ。故郷に帰る5年前から連絡が取れなくなり、いきなり3年前に帰ってきたらしい。母親からすると、どうやら水商売をやってたようだという事だ。女というか母親のカンと話していた。
大崎に帰ってからは、亡くなるまで大崎菓子店に勤務。毎日、朝は8時まえに家を出て、帰宅するのが夜の8時を過ぎていたらしい。土、日も出勤する日も多かったと話していた。実家にいる時間が少なかったと・・・」
「苦労していたのですね」
「そうらしい・・・。そして、帰り間際に車の置いてあった車庫を見せてもらった。農家だったので、家の横にある空いているスペースにいつもおいてあったそうだ」
「彼女の自宅訪問はそれで終わり?」
「そう。それから、大崎市内にある彼女の勤めていた菓子店に向かった。そして、ここから話がおかしくなっていく」
「?」
「彼女が勤めていた菓子店の主人に話を聞くことが出来た。彼女の事はとても真面目だったと褒めていた。朝、9時から5時まで、お店で販売をしていたとの事。お客への対応もきちんとしていて、今の若者には珍しいと話していた」
「9時から5時って?」
「そう、彼女が自宅に帰っていたのは、毎日、夜の8時。大崎菓子店から彼女の家まで、ゆっくり車で行っても30分あれば余裕」
「その2時間くらいの時間・・・」
「私もそれが引っかかった。それで、鬼村警部補に頼んで、彼女のカードの記録を突き止めた。当時は、事故と処理されて、そこまで調査しなかった」
「何が出てきたのですか?」
「カードの記録は普通。しかし、彼女はカードで給油していた。彼女が最後に給油したのは、3月18日。亡くなる一週間も前。それで亡くなった時にガソリンが満タンだったとは思えない」
「現金で給油したとか?」
「いつも、会社と自宅の間にあるガソリンスタンドを使用している。カードの記録を見ると、2年間、10日に1度のペースでガソリンを給油。亡くなる日までその習慣が途切れたことはない」
「じゃ?」
「そこで、自宅の前にあるコンビニだ。なんとそこには、防犯カメラが取り付けてある。そこで、その防犯カメラのテープを聞いたところ、なんと1ヶ月で新しく記録を上書きしていますそうだ」
「残念」
「ところがだ」
森川先生が微笑む。偶然に良い事が重なった証拠の笑みだ。
「彼女が亡くなった日。朝から雪が降っていて、コンビニの駐車場で事故があり、警察が出動している。午前3時の事。それで、警察の要請で前日からの防犯カメラの記録を警察に提出したそうだ。それで、大崎警察署の交通課証拠保管室に訪ねてもらった」
「鬼村警部補にですか?」
「そう。そうしたら、前日からの2日分が残っていた。私はすぐ、前日、彼女が帰宅してからのテープを見た」
「出てきました?」
「あった。深夜1時。雪の中、1台の車がコンビニの駐車所に停車した。車の中から人間が出てきて、コンビニで缶コーヒーを1つ購入。そのまま、車の中へ。10分後、帽子を被り車から出て、トランクから何かを取り出し、闇の中に消えた。そして、向いにある岡崎さんの家に行く様子が映っていた。30分後、車に戻り、そのままどこかに行ってしまった。そして、1時間後、コンビニの駐車場で追突事故が起こった」
「顔は映っていたのですか?」
「不鮮明。でも乗っていた車のナンバーはしっかり映っていた」
「さすが」
「大崎市役所。建設部の部長。加賀竜之、51歳の車だった」
「事件は急展開ですね」
「そこからが大変。小林士郎先輩に彼の事をすぐ調査してもらった」
「小林さんも大変ですね」
「彼はこの2年間、大崎市の奥にあるダム建設に携わっている。そして、今の職に就いたのが3年前。その前はなんと宮城県に出向していて、東京事務所にいた」
「東雲麗香さんと・・・」
「つながった。東雲さんは、大崎に戻る3年前から、宮城県東京事務所でアルバイトをしている。つまり6年前から。加賀部長も7年前からその宮城県東京事務所に出向している」
「接点があったのですね」
「接点どころじゃない。職場が同じだ。小林先輩によると、宮城県東京事務所がいつも接待に使用していた「おおとり」という夜のお店でに岡崎さんは勤めていたらしい。宮城県庁にいる彼の同僚に聞いたそうだ。そして、そこで、加賀が東雲さんを見初めて、事務所でのアルバイトに誘った」
「加賀は独身?」
「いいや、奥さんと2人の娘がいる」
「じゃ・・・」
「そう、不倫。その当時の東京事務所の冊子も手に入れた。そこには、加賀や東京事務所の職員と一緒に映っている東雲麗香さんの姿もあった」
「決まりね」
「そして、東雲さんのお腹が膨らんでいた」
「なるほど・・・。実家に帰れない訳だ」
「お腹の子供はどうなったか?」
「堕ろした?」
「いや、もうその時期は過ぎている。計算すると子供の年齢は4歳」
「どこかに預けた?」
「そうなる。たぶん、父親は加賀。だけど、認知はできない。となれば、両親がいない子供が預けられる場所」
「みなしご・・・」
「大崎市内の2つある。大崎菓子店から近い太陽学園にあたった。すると、午後5時30分から午後8時まで毎日、勤めていた女の人がいた」
「東雲麗香さん」
「そう、彼女の空白に時間が埋まった。彼女は、土曜日、日曜日はフルでその太陽学園に勤務していた。お金のためじゃない。自分が預けた子供と少しでも長く接したいからだ」
「子供は?」
「3月20日、土曜日。ある男の子がその太陽学園を退所した。退所した先は加賀英之、45歳」
「加賀?」
「そう、加賀竜之の実の弟夫婦の家。彼の弟夫婦には長年、子供がいなかった。それで、兄の子供を養子にした。その時、その太陽学園に多額の寄付もあった。たぶん、それが条件だったのだろう。
加賀竜之は、東雲麗香さんに、車を青山静馬の車にぶつけるよう依頼した。子供を引き取り、寄付をするという条件で。相手を足止めすればいいとか話したのだろう。まさか、車両火災になるとは思わなかった。そして、加賀竜之の出身大学は、宮城野大学機械科自動車学科。東雲麗香さんの車は2月に車検に出ていた。しかし、3月には整備不良。これは、ガソリンを入れた時、車に細工をしたとしか考えられない」
「でも、青山静馬さんと加賀の関係は?」
「それがわからなかった。青山櫻さんにもう一度尋ねた。
すると、彼女の夫は昨年から地区の青年部長として、鳴子地区の会計監査を行っていた。特に建設関係の」
「ダム工事!」
「そう。今年1月からこの雪深い中、よくダムに行ったらしい」
「そこで何か見つけたのね」
「そして、部長の加賀竜之を尋ねた。市役所で建設部ダム課の課長をしている久保田邦彦さんが話してくれた。2月から、青山静馬さんがよく部長の所に話をしに来ていたと」
「つながりましたね」
「後は、証拠」
「何を使いました?」
「まず、あのボイスレコーダー。そして、コンビニのテープ」
「でも、それだけじゃ、相手にしらを切られたら・・・」
「だから、証拠を作った」
「偽装・・・?」
「私は警察や検察じゃないからね」
「あきれた」
「太陽学園に残っていた子供の髪の毛から採取したDNAと加賀のDNA」
「こんなに早く調査できるの?」
「だから、DNAは、小林探偵事務所にあった別のも持って行った。どうせ、親子なんだから」
「あくどい」
「そして、東雲麗香さんの手記」
「そんなのが残っていたのですか?」
「いいやない」
「それも偽装?」
「いや、彼女はSNSで亡くなるまで日記を付けていた。しかし、加賀の名前も何もない。そこで、加賀の名前を仕込んで、見せてみた。『加賀さんから指示があった』と・・・」
「それで市役所に乗り込んだわけ・・・」
「先程ね。でも、偽造は必要なかった。ボイスレコーダーの声を聞かせたら、彼が白状した。ダム工事にからむ収賄をね。それで青山静馬さんに追求された事も・・・」
「子供はどうなるのですか?」
「加賀英之夫妻は何も知らないらしい。子供は兄の紹介で養子にしたらしい」
「収賄って事は・・・」
「相手の名前も明日の朝刊に出るらしい・・・それは、宮城県警の仕事」
森川先生はそこまで話すと、眠ってしまった。私は今回の交流会のまとめを作るために、部長の星高陽くんの隣の席に移動した。
☆
「青山櫻さんって、波瀾万丈な人生ですね」
井上浩くんの酔いが回り始めている。
「大崎市役所は大変でしたね」
「そうらしいわ。でも、森川先生は、翌週も新聞を見ようともしないで、図書司書室で寝ていたわ」
「森川先生らしいですね」
「久保田館長とは、その時知り合ったのですね」
「そうらしいわ。あの事件の後始末をしたのが、当時課長だった久保田邦彦さん。『みどり屋』に行って謝罪をしたり、大変だったらしいわ。でも翌年、部長に昇格したから、いいんじゃない」
部屋の扉が開いて、森川先生と青山櫻さんが話をしながら、入ってきた。
「また、私の昔話をしていたね」
森川先生は笑顔でそう言った。怒っている様子はない。
「私はこれで・・・」
青山櫻さんは私達に頭を下げると、部屋を出て行った。
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