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9.177話 秘話3話 「ホルンのケース」
2020年6月26日、金曜日。この時期でも、もう福島は暑い。私、片平月美は今日、4階の食堂でお昼を食べる事にした。冷房も効いている。そんな話をしたら、一緒に報告書を作成していた井上浩くんが、一緒に4階でお弁当を食べると椅子から立ち上がった。
普通は、「ふくしま探偵局」2階にある事務所で食べる事が多いのだが、たまに、見晴らしのいい4階に行きたくなるのだ。
4階には私と井上くんしかいなかった。
「森川さんと片平さんが一緒に働いたのは二本松高校ですよね」
「以前に話した通りよ」
「すごい偶然ですよね」
「裏の力が働いたのよ」
「裏?」
「政治家」
「森川さんも政治家に頼るのですね」
「違うわ。森川先生を惚れ込んだ政治家が、自分の娘が行く予定の高等学校に彼を引っ張ったの」
「そんな事が出来るのですか?」
「政治家の力ね」
「森川さんは、その政治家にどんな力を見せつけたのですか?」
「私がきっかけ」
「教えてください」
私は、二本松高校に勤務して1年目の事件を思い出した。
☆
2009年、私が、会津大学を卒業すると、予定の東京都ではなく、地元の福島県に就職した。私の就職先は、二本松市にある二本松高等学校の図書館の司書という役職。今までは、正司書がおらず、また、昨年、新しい図書館が出来たので、新しく司書という役職を、この二本松高校で欲しかったようである。
私は、とても機能が充実して、なおかつ、蔵書が多く、自習する生徒のための1つ1つの机が設置してあるこの図書館の新しい設備に驚いた。そして、そこで、昨年の事故の心の傷を治しながら、仕事に励んだ。
4月の下旬になると、先生方にも声を掛けて頂き、高校の帰りに社会科の皆川友美先生や、音楽科の松村美香子先生とお茶をしに行ったり、ケーキを食べたり、時には、何人かの男性職員と飲む事もあった。
社会科の皆川友美先生は、二本松市民オーケストラで、ホルンを担当しているという事だった。そして、二本松市民オーケストラは、毎週、土曜日の夕方に練習を行い、年に一度、定期演奏会を行っているとも聞いた。しかし、金銭的な面から、毎年、指揮をする方が見つからず、大変な資金運用をしているという事も聞いた。そして、
「誰か、定期的に、毎週、土曜日にオーケストラを教えに来てくれる人はいないかな・・・」
皆川先生から相談を受けた。
「片平先生、誰か、今までに、音楽が出来て、そんなにお金のかからない素晴らしい人を知りませんか?」
と。
私は、昨年の事件の時、その事件を解決してくれた人が、隣のホテルでバイオリンを演奏していた事を思い出した。そして、彼が福島第二高校で勤務してる事を思い出して、皆川先生に話してみた。すると、皆川先生も福島第二高校にいる森川先生の事を知っていた。
「是非、片平先生、その先生を紹介して下さい」
私は福島第二高校の森川優先生との交渉を依頼された。
恐る恐る、福島第二高校に図書司書室から電話をした。図書司書は私だけで、図書部の顧問も兼ねていた。それに、当時、副顧問は、50代の男の国語科の先生の小川誠先生という方が1人だけだったが、司書室には、あまり来ない先生だった。だから私は、誰もいない司書室から電話が出来た。
しかし、電話の相手は、あの日の森川先生と同じ感じだった。とてもにこやかに対応してくれた。それも、数学科の先生だと初めて知った。それに、合唱部顧問であることも知った。
5月16日、土曜日。森川先生は、わざわざ二本松市まで、話し合いに来てくれるという事で、恐縮してしまった。
「空の庭 自然レストラン」は、岳温泉近くにある喫茶店で、たまに、結婚式も行われる。二本松から国道459号線を北上し、突き当たって右に岳温泉。左に曲がるとすぐ「空の庭 自然レストラン」がある。駐車場も大きく、隣にはプチホテルもあり、宿泊も出来る。併設してる雑貨屋は異国情緒豊かな感じで、色々な雑貨を売っている。
5月16日、土曜日。「空の庭 自然レストラン」は、土曜日という事もあり、少し混んでいた。私と皆川先生は、別々の車で「空の庭 自然レストラン」に向かった。皆川先生は、このあと二本松市民オーケストラの練習があるという事だった。午後2時少し前にお店に入った。
「空の庭 自然レストラン」の中は、中央に沢山のテーブルがあり、その周囲にも、いくつかのテーブルが並んでいた。私達は空いている席を探した。しかし、どこのテーブル席も埋まっていて、中央のテーブルの開いている場所に2人で並んで座った。
「まあ、これなら、入口から入ってくる森川先生にも、私達を見付けるのに、分かりやすいでしょう」
皆川先生は、メニューを広げた。
皆川先生は、自分のホルンの楽器ケースをお店の中に持ってきた。車の中に置くと、温度が変わって、楽器の調子が悪くなる。楽器は難しい。彼女のケースは、少し茶色がかっていた。
私は、皆川先生に、昨年度に私の身の上に起こったあの東山温泉の事件について、話していた。皆川先生は、私にとても同情してくれた。
その時に、あの東山温泉で会った久し振りの顔が、「空の庭 自然レストラン」に入ってきた。私は、森川先生との再会に喜び、握手をした。それから、皆川先生に、森川先生を紹介した。私が中央となり、両隣りに、森川先生と皆川先生が座った。
土曜日の「空の庭 自然レストラン」は、とても混んでいた。中央にあるテーブルの私達の席の周りにも、他の人が合い席となって、座っていた。そして、他のテーブル席にも、沢山の人の出入りがあった。
皆川先生と森川先生の2人は、真ん中にいる私を飛ばして、二本松市民オーケストラの話をしていた。そして、内容は、管弦楽の話や吹奏楽の話、そして、音楽全般の話になっていた。私は、仕方がなく、注文したイチゴパフェを1人で食べていた。
いつの間にか、皆川先生の楽器の話になっていた。
「二本松市民オーケストラのホルンは、何人いるのですか?」
森川先生が、専門的な事を尋ねてきた。
「私を入れて、5人ですね。やはり、近代の管弦楽曲を演奏するには、4人で演奏するようになっていても、ホルンは足が1人いないと、苦しいですから。私がトップを吹いていますので、余計、苦しいのです」
「そんな事は、ないでしょう・・・」
森川先生がカフェオレを、皆川先生がコーヒーを飲み終わる頃、森川先生が、皆川先生の席の隣りに置いてあった、皆川先生のホルンのケースに気が付いた。
「それは、ホルンのケースですよね」
「はい」
「それも、ホルンのベルがはずせるタイプの・・・」
「そうです。この方が、持ち運びが楽なので・・・」
「そのケースから考えると、中味は、アレキサンダー503Mあたりですか?」
「さすが、片平先生から聞いていましたが、森川先生は名探偵ですね」
「そんな事、ありませんよ」
「なぜ、アレキサンダーのホルンを、私が持っていると?」
「先程のホルンや管弦楽、そして吹奏楽の話の中で、『ホルンはアレキサンダーがいい』と、果敢に皆川先生が話していましたから・・・」
「そんなに、力説をしていましたか?」
「はい。ですから、ご自分のホルンもアレキサンダーかと・・・」
「では、なぜ『アレキサンダー503M』だと?」
「ホルンのアレキサンダーの中で、そのケースに収まるのは、先程、話したようにベルカットをしているホルンだけです。アレキサンダーのホルンでベルカットをしているのは、『503M』か『103』です。『103』モデルは20世紀初めに開発された古い型。でも、ケースが少し新しいので、中味のアレキサンダーも、『503M』かなと・・・」
「すごい、知識と推理力ですね。高校生のホルン吹きでも、そこまでは、ホルンの知識はありませんよ」
「ただの、偶然です」
私は、全く、会話についていけなかった。ので、その楽器の値段を聞いてみた。
「皆川先生、そのアレキサンダーという楽器は、いくらぐらいするのですか?」
「80万くらいですかね」
私は、その金額を聞いて、椅子から落ちそうになった。
「今は、その金額じゃ購入できませんよ。85万から100万です。1つ上の『103』モデルになると、130万以上しますから・・・」
森川先生が、追加してきた。
私は、あまりにも楽器の金額が高い事で、またまた驚いてしまった。
そして、事件は起こっていた。
午後3時15分頃、3人で打ち合わせが終わり、森川先生は、片平先生と二本松市民オーケストラの練習を見学に行く事になった。そして、3人で立ち上がり、会計をしようとした。その時、皆川先生が呟いた。
「これ、私のホルンのケースじゃない」
その言葉に、森川先生が敏感に、反応した。
「どうしたのですか?」
「このホルンのケース、私のではありません」
「どうして、そう思われますか?」
「このケースを持った感じと、この手すりの手触り、そしてケースの重さが違うような気がします。それに、私が付けたキズがありません」
森川先生は、「空の庭 自然レストラン」の店の中を見回し、皆川先生と同じホルンのケースがない事を確認した。
「ここでは、何ですから、車に行きましょう」
と言って、会計を済ませてから、3人で一番大きな皆川先生の車に乗り込んだ。
車の皆川先生は、持ってきたホルンのケースを開けようとした。しかし、鍵がかかっていたようで、開かなかった。それを見た森川先生が、自分の車に行って、小さな箱を持ってきて、皆川先生の車の後部座席に入ってきた。
「私に貸して下さい」
ホルンのケースを自分の元に引き寄せた。
森川先生は、ホルンのケースの鍵穴に、2つの細長い針金のような物を入れると、わずか1分も経たないで、そのケースの鍵が開けた。それから、そっとケースを開き、その中味を私達に見せた。私と皆川先生は、鍵のかかったケースをわずか1分で開けた森川先生にも、驚いたが、それ以上に驚いたのが、開いたホルンのケースの中味だった。なんと、ビニール袋に入った沢山の1万円札が、そのホルンのケースにぎっしりと入っていたのだ。
「見たところ、ざっと5千万円かな」
「私のホルンは、どこに消えたの?」
皆川先生は、ホルンの事を気にしている。
「森川先生は、どう思います?」
森川先生は少し考えて、何も言わずに車の外に出た。そして、ポケットから携帯電話を取りだして、どこかに電話をしていた。
15分くらい経っただろうか。森川先生が車の中に入って来た、それまで、私と皆川先生は、この札束の入ったホルンのケースを、どうしてよいか分からなかった。2人共、見た事のない1万円札の量に、驚嘆していたのである。
「このケースは、明らかに皆川先生のでは、ないのですよね」
いつの間にか、手に白い手袋をした森川先生が、皆川先生に尋ねた。
「明らかに違います。ケースの種類や、色は同じですが、私が付けた傷がありませんし、ケースの中に書いた、私の名前がありません。それに、私のホルンが・・・」
皆川先生は、少し、涙目だ。
森川先生は、そのホルンのケースを少し調べて、中に入っていた1万円札を少し取って、観察を始めた。まるで、半年前のあの時のようだった。
「ここにいないで、すぐ警察に届けた方がいいのではないですか?」
「今の所、色々な方面から考えて、この場所にいる事が最善の策だと思います。」
森川先生は落ち着いている。
「この背後には、重大事件が潜んでいますね。それも、人命にかかわるような・・・」
私と皆川先生は顔を合わせる。
「この金額からすると、一目瞭然ですよ。後は、待つだけです」
やはり森川先生は落ち着いている。私と皆川先生は、少し困惑していた。
「お金の入ったケースが、ホルンのベル・カットのケースだという事です」
「うちの高校でも、個人でベル・カットのホルンを持っている生徒は、いません。まして、ケースまで購入するとなると、高価になります。」
皆川先生が説明する。
「私達は、ここで何をしていれば、いいのでしょうか?」
「待つのです。」
「誰をですか?」
「このホルンのケースを間違って持って行った方です」
「どうしてですか?早めに警察に知らせた方が、いいのでは?」
「いいや、それよりも考えてみてください。このホルンのケースを間違って持って行った人は、明らかに、皆川先生の隣に座っていた女の人です。お二人もその方の心境になれば、わかると思います。彼女は、明らかに1人で、この『空の庭 自然レストラン』にいました。そして、1人で帰りました。たぶん、家に着いて、この間違ったホルンのケースに鍵が合わない事、無理矢理にホルンのケースを開いて、中に五千万のお金じゃなくて、ベル・カットのホルンが入っている事を見て、どうするでしょう?」
「そうですね。私なら、間違ったと思われる場所に、捜しに来ますね」
「そうでしょ。だから、ここで待っているのが、一番なのです」
「さすが、森川先生ですね」
「森川先生、どれくらいで私のホルンは戻って来ると、思いますか?」
「そこまでは、森川先生でも、分からないでしょう。まず、持って行った女の人が誰かも、それにその女の人の家も分からないのですから・・・」
「多分、40分から50分で、ここに戻って来ると思います。彼女がこの『空の庭 自然レストラン』を出ていったのが、大体午後3時頃ですから、後、10分くらいで来るでしょう。その皆川先生の『アレキサンダー』のホルンを持って。ただし、先程の女の人が来るとは、限りませんが・・・」
もしかすると、森川先生は、事件の全容をすでに推理しているのかもしれない。たった、これだけの品物で・・・。
それから10分後、森川先生が話したように、黒い高級車が、「空の庭 自然レストラン」の駐車場の、私達の車の側に停車した。中から、サングラスを掛けた。男の人が出てきた。後部座席から、今、森川先生が持っているホルンのケースと同じ物を持って、「空の庭 自然レストラン」に歩き出そうとしていた。
「さあ、行きましょうか」
森川先生は、大金の入ったホルンのケースを持って、車の外に出た。私と皆川先生も、森川先生の後に続いて、車の外に出た。
「すみません。熊田議員の秘書の方ですか?」
いきなり、森川先生は、名前を出した。
熊田議員と言えば、今、この二本松市市議会議員の熊田政文氏だ。それに、熊田議員は、二世議員で、彼の父の熊田宗二氏は、この二本松市の市議を長年勤め、最後は、二本松市議会の議長を勤め、今の息子の政文氏にその地盤を譲って引退した。しかし、裏では、引退した熊田宗二氏が二本松の政治を動かしているという噂のある、力を持った議員である。
その議員の秘書が今、私達の前にいる。
森川先生に話しかけられた、その秘書と言われた男の人は、「空の庭 自然レストラン」と逆方向にいる私達の方を見た。そして、明らかに、その視線は、森川先生の持っているホルンのケースに注がれていた。
「おや、すみません。私共が、ケースを間違えたようで、今、交換しに来ました。待っていてくれたのですか?」
「そうです。是非、熊田議員の娘さんの命を助けたいと思いまして・・・」
森川先生のその言葉に、その男の人ばかりでなく、私と皆川先生も驚いた。
「あなたが、お嬢さんを・・・?」
「誤解しないで下さい。私は、ただ、今日、このケースを間違って、熊田議員の奥様が持って行って、残されたホルンのケースと中味しか、見ていません。しかし、そこから、考えて、今の話の内容になったのです。どうやら、私の考えは当たったようですね」
「その中味を見たのですか?」
「失礼だとは、思いましたが・・・」
「鍵が二重にロックされていたはずですが・・・」
「鍵は、開けるためにあるものですから・・・」
森川先生は、変な理屈を言っていた。
「まずは、ケースの交換をしましょう。私達は、鍵を開けて中味を見ただけで、手は付けていませんから、安心して下さい」
森川先生はその男の人と、ホルンのケースを交換した。
男は、ケースを少し開けて、中味を確認した。皆川先生も、ケースを開けて、自分のホルンが入っている事に満足した。
しかし、私は、全く、事件の内容が分からないので、早く、この事件の全貌を、森川先生から聞きたかった。
「別に、私達3人は、怪しい者では、ありません。ただ、観察し、考えて、今の話になった訳です。でも、もし、依頼があれば、熊田議員のお嬢さんの命を救いたいので、協力はします。申し遅れましたが、私は、福島第二高校の教師で森川優と言います。こちらは、ここの二本松高校の教師で皆川と片平です。どうしますか?」
「少し、待ってください」
男は胸から携帯電話を取り出し、どこかに電話をし始めた。
2~3分程、男は何かを話すと、携帯電話を胸のポケットにしまった。
「熊田先生が、3人にお会いしたいそうです。是非、先生のご自宅に来て頂きますか?」
「わかりました。同行しましょう」
森川先生は私達の方を向いた。
「私の車で行きましょう。片平先生と皆川先生は、私の車の後部座席に乗って下さい。もちろん、皆川先生は、そのホルンのケースを持って・・・」
私達は、森川先生の車に乗った。
森川先生は、男の黒い車の後を、追って「空の庭 自然レストラン」を後にした。
「どうして、いきなり『熊田議員』の名前が出てきたのですか?」
私は、運転中の森川先生に尋ねた。
「まあ、それは、後で話すから。それよりも、少し山道になるから酔わないようにね。熊田議員の地元は、二本松市の塩沢地区の奥だから・・・」
二本松市塩沢地区は、旧二本松市の北側にあり、農業を主体にしている家庭が多い。
車は岳温泉を通り抜け、そのまま直進した。しかし、途中から細い道に入っていった。森川先生が話す通り、そのうち道は段々寂しくなり、人家も疎らになってきた。途中、前方の黒い車を見失いそうな山道の曲がり角も何カ所かあった。
「見失いそうですね」
「大丈夫、議員の住所と、大体の家の場所は、確認済みだから・・・」
さすが、森川先生だ。
途中、東北サファリパークの前を通り抜けた。そして、ようやく、何もない畑の中に大きな屋敷が見えてきた。
「ここが、熊田議員の屋敷だ」
とても大きな屋敷だった。周囲には、何もなかった。と、いうより、大自然に囲まれていた。私達3人は、黒いサングラスの人に案内されて、その屋敷に入った。
一番の大広間に着いた。すると、5人の人物が、その部屋に入って来た。その中には、あの「空の庭 自然レストラン」で、皆川先生の隣に座っていた女の人も混ざっていた。
全員が席に着くと、熊田議員がそれぞれを紹介した。
まず、父で前二本松市議会議長だった熊田宗二氏と奥様の昌子さん、熊田政文氏と、先程、「空の庭 自然レストラン」に来た奥様の一枝さん、そして、この家まで案内してくれた秘書の黒川貞夫さん。
最初に口を開いたのは、熊田宗二さんだった。やはり、市議会を引退しても、家の中では、主導権を持っていると、思えた。
「色々と、失礼しました。しかし、私共も、今、大変な時期なので、森川先生がこの家に来るまで、少し、若い者に、森川先生について、調べさせて頂きました」
宗二さんは1枚の紙を取りだした。
「森川優。現在、福島第二高校教諭。2年前に福島県高等学校教諭に採用。数学科。3年生の担任で合唱部顧問。しかし、二本松大学では生物科を専攻。大学生の時の『二本松大学収賄事件』、『二本松大学爆弾脅迫事件』、『女子大学生殺人事件』等の二本松大学での内々の多くの事件解決。その前には『銀閣寺殺人事件』、『伊達市女子高校生殺人事件』、そして、昨年あった『東山フグ毒殺人事件』や『音楽コンクール殺人事件』など数々の事件を解決。決して、表には、名前を出さない『名探偵』。どうですか、森川先生」
そうだ。「フグ毒殺人事件」は、私が関係したあの東山温泉での事件だ。私の心の傷が、また少し開いたような気がした。
「過大な評価ですよ。『名探偵』だなんて・・・。周りの人が、勝手に言っているだけです。それに、偶然が重なって、事件が解決した事も、多いのですから・・・」
「今回の事も、偶然ですか?」
「そうですね。私達3人が、『空の庭 自然レストラン』に行った事、隣に熊田議員の奥様である一枝さんが座っていた事。そして、奥様が間違って、ホルンのケースを持っていかれた事。偶然が重なっていますよ」
「それは、偶然ですが、その後の、森川先生の推理は、偶然では、ないでしょう。私達の秘書の黒川と見て、いきなり『熊田議員の秘書』と、そこまで言えるのは?できれば、森川先生の推理を聞かせて下さい。それに、孫の一美の命も助けたいとか?」
「そうですね。問題は、時間だと思います。犯人が短気にならない事を願うだけです」
「それは、・・・」
「このままだと、お孫さんの熊田一美さんは、必ず殺されます」
一瞬、部屋の中が凍りついた。誰も何も言えなかった。
「森川先生・・・」
やはり、最初に言葉を発したのは、熊田宗二氏だった。
「森川先生。先生の推理をお聞かせ下さい」
「まだ、熊田先生達は、警察には連絡をしていませんよね」
「はい。やはり、わかりますか?」
「はい。普通、誘拐事件なら、身代金の受け渡しが、一番のポイントになります。しかし、あの『空の庭 自然レストラン』には、警察はいなかった。その周囲にも・・・」
「『警察に知らせるな』と、脅迫されているのです」
私は、その「誘拐事件」とか、「必ず殺される」という森川先生の言葉に、驚いた。それは、森川先生の推理は、外れた事がないようだったからである。
「では、手短に私の考えと、今後の対策の1つの考えを話しましょう」
「是非、お願いします」
そこに、家政婦さんが、お茶を持ってきた。その家政婦さんが、1つ1つお茶を置いていく時間が、私には、とても長く感じた。それは、そこにいた人間全員が思っていたに違いない。
そして、家政婦さんが、お茶を全員に渡して、部屋を出ると、森川先生が、静かに話し始めた。
「まず、私が注目したのは、このホルンのケースです」
「すぐ、ホルンのケースと分かったのですか?」
「はい、ここにいる皆川先生から、その話を聞いていましたから。それに、このケースは、普通のホルンのケースじゃない。皆川先生、ちょっと、そのケースを開けて見て下さい」
皆川先生は、持ってきたケースを開けた。
「普通、ホルンはこのようにケースに入りません。これは、ベル・カットと言って、ホルンの朝顔の部分が取れるようになって、このようねスマートなケースに入るのです。ですから、普通、ホルンのケースというと、もっといびつな形になります。このように・・・」
森川先生は、手元にあった紙に普通のホルンのケースを描いた。
「多分、脅迫で、『ホルンのケースに五千万のお金を入れて、今日の午後2時に”空の庭 自然レストラン”に来い』とかいうのが、身代金の受け渡しの内容ではなかったのですか?」
「さすがですね。その通りです。一昨日の夕方、犯人からそのような電話がありました」
「やはり、そうですか・・・」
「でも、そこから、どうして、私達の名前が判明したのですか?警察にもまだ届けていないのに?その辺りを教えて下さい」
それは、私も同じ意見だった。
「それは、このベル・カットされたアレキサンダーのホルンのケースが決め手でした」
そこで、森川先生は、出されたお茶を一口、飲んだ。つられて、その場にいた人間が、全員、お茶に手を出した。
「ここに2つある、ホルンのケースは、とても特殊な物です。ですから、販売数も限られています。特に、熊田一枝さんが持ってきたこのケースには、真新しさを感じました。」
「それは、どうしてですか?」
「つまり、私は、このお金をケースに入れた人間は、ベル・カットのホルンは、購入していないで、ケースのみを購入したのではないかと、思ったのです」
「どうしてですか?」
「この一枝さんの持ってきたケースには、ホルンに使用するオイルや、ガーゼの布はしなど、全く、確認出来ませんでした。それに、備品も入っていませんし、オイルの匂いも全くしません。また、ホルンを使用した時に出る人間の匂いも全くしないからです」
「そう言われると、このケース、全くの新品の匂いがしますからね」
「それで、森川先生は、どうしたのですか?」
「まず、知り合いの二本松楽器に電話をしました。『最近、ベル・カットのアレキサンダーか、そのケースを購入した者はいないか』と。すると、『一昨日の午後、そのケースのみを購入したい』という人がいた事が分かったのです。しかし、小さな二本松楽器では、ケースだけは在庫になく、隣の郡山市にあるゼア楽器を紹介したと話してくれました」
「なるほど・・・」
「それで、今度は、郡山市のゼア楽器に電話しました」
「すると・・・?」
「すると、『一昨日の夕方、サングラスを掛けた男の人が、ホルンのケースのみを購入しに来た』と判明しました。それで、ノア楽器では、普通のホルンのケースは、供給があったそうです」
「ゼア楽器なら、普通のホルンのケースの在庫はあるわね」
「そうなんだ。だけど、アレキサンダーのベル・カット用の新品のホルンのケースが1つ売れ残っていた」
「そうだったのですか?」
「だから、サングラスを掛けた男の人が、あまりホルンの事を知らなそうだったので、売れずに余っていたこのアレキサンダーのベル・カット用の新品のホルンのケースを提示したそうです」
「なるほど」
「そうなんです。そのアレキサンダーのベル・カット用の新品のホルンのケースをそのサングラスを掛けた男の人は、即、購入したそうです。そして、その時に、現金ではなく、小切手で購入した事も・・・。その小切手の氏名が『熊田政文』と書いてある事もわかりました」
「なるほど・・・」
「そこからは、とても簡単でした。これだけのお金です。そして、二本松市議会議員の名前。2つから考えると、二本松市議会議員のお子様の誘拐事件じゃないかと思いました」
「さすがですね」
「そんな事は、ありません。だれでも冷静に考えれば、ここまでは、導き出せます」
そんな事はない。同じ状況で、私には、全く何も分からなかった。たぶん、隣に座っている皆川先生も同じ考えだろう。
「それで、失礼とは、思ったのですが、私も企業上の理由で、熊田議員の家族関係を調査しました。すると、宗二さん昌子さん夫婦と、そのご子息の政文さん一美さん夫婦、そして、1人娘の小学校2年生の一美さんというお嬢さんがいる事が判明しました」
「それを、短時間に行ったのかね?」
「私は、人の命がかかっていると思ったので、私の調査網をフル活動しました」
「それは、ありがとうございました」
「いいえ。それで、熊田議員の住所を調査すると、二本松市の塩沢地区です。という事は、お嬢様の熊田一美さんは、塩沢小学校に通学している事になります。私の大学の時の同級生に、森静香という人間が、塩沢小学校の6年生の担任をしています。彼女に連絡して、熊田一美という小学2年生の出席状況を聞いたら、『昨日から、カゼで欠席している』という事もわかりました」
「そこまで、わかっていたのですか?」
「失礼だとは、思ったのですが・・・」
「それで、森川先生は、どう思うのです?」
「その前に、私は、熊田一美さんの誘拐状況をお聞きしたのですが?」
「そうですか、一昨日、小学校を時間通りに出た事だけは、分かるのですが、それから行方不明で、その夜にこの屋敷に脅迫の電話が1回だけ来ました。電話を取ったのは、嫁の一枝です。内容は、先程、森川先生がご指摘された通りです」
「声は、男でしたか女でしたか?」
「声は、何かの機械で変えていたようで分かりませんでした」
今度は、一枝さんが答える。
「お嬢様の声は、聞かせてもらいましたか?」
「はい」
「何と言っていましたか?」
「『私は元気だから・・・』と」
「その他に、その脅迫電話で気になる事はありましたか?」
一枝さんは、少し考えた。
「何も気になりませんでした」
一枝さんは下を向いた。。
「たぶん、犯人は『空の庭 自然レストラン』に来ていたと思うのです」
「では、なぜ、一枝と接触しなかったのでしょうか?」
「これは、私の考えですが・・・」
「聞かせて下さい」
「多分、お嬢さんを誘拐した犯人は、熊田一枝さんの顔を知らなかったのだと思うのです」
「どうして森川先生は、そう思うのですか?それでは、一枝を現金の受け渡しに指名してきた理由がないではないですか?」
「犯人は、一枝さんの顔を知らなかった。だから、ホルンのケースを持って持ってくる女の人物に注目した。午後2時に受け渡しでしたよね・・・」
「はい」
「どのくらい、あの『空の庭 自然レストラン』にいたのですか?」
「午後1時30分から、3時15分くらいです。午後2時になっても、接触がなかったので、1時間待っても来なかったら、帰るようにお父様から言われていましたから・・・」
一枝さんは答えた。
「つまり、犯人は、普通のホルンケースを持ってくる女の人を、あの『空の庭 自然レストラン』で、待っていたのでしょう。しかし、一枝さんが持って来たのは、ベル・カット用のこのケースです。犯人は、このベル・カット用のホルンのケースがある事を知らなかった。だから、誰に声を掛けてよいか分からなかった。まして、今日の『空の庭 自然レストラン』は、土曜日という事もあり、満席で、沢山の女の方がいましたから、尚更です」
「森川先生は、そう思うのですね」
「はい。そして、重要な事は、誘拐事件だけは、犯罪の中で、1人で犯行を行う事が、大変難しい犯罪なのです」
「なぜです?」
「つまり、現金受渡をする時に、現金をもらいに行く犯人と、その時、人質を見張っている人間が欲しいからです。最低、2人は犯人側も必要です」
「森川先生は、犯人の目星はついているのですか?」
「それより、熊田議員こそ、犯人の目星はついているのですか?」
「いいえ、逆に言うと、この政治の世界の人間は、敵が多いので、犯人を絞るのは、難しいのです。警察で調べる容疑者も多くなると、思います。ですから、警察に知らせると、容疑者として多くの人間が取り調べを受けます。その分、私達に対する目つきが悪くなっていきます。ですから、圧力が強くなって、次の選挙で、勝つ事が難しくなると思うのです」
「なるほど、そういう考えもあって、警察に届けていないのですね」
「そうです」
「先程、ここの地図を秘書の黒川さんに見せて頂きました。塩沢小学校から、この熊田さんの家までは、大変、混み合った山道を通らなければ、行けません。普通の人には、1回では、覚えられません。風景も皆、同じく見えますし・・・。ですから、逆に犯人は、この塩沢地区の地理に、相当、詳しい人間だと思うのです」
「なるほど・・・」
「それに、一美さんは、下校途中に誘拐されています。ですから、一美さんを帰り道を待っているにも、小学校の下校時間が分からなければ、この途中の道でずっと一美さんの帰りを待つ事になります。という事は、その待っている姿を他の人に見られやすくなります。ですので、犯人は、一昨日の小学校の下校時間を知っていて、途中、一美さんの下校時間に合わせて、一瞬で誘拐出来た人物です。ですから、犯人像は、絞られてきます」
「で、森川先生は、犯人を大体つかんでいるのですか?」
「はい。たぶん」
その響きに、その部屋にいた人間が、全員、驚いた。
たった、1つのホルンのケースで、犯人まで推理出来る人間が、この世の中にいたなんて・・・。
「で、犯人は?」
「いや、その前に、これは、私達では解決出来る問題では、ありません。警察の協力がないと、難しい問題です」
「警察に連絡するのですか?」
「たぶん、相手は、こちらから身代金を払っても、お嬢さんを殺害する気でいます」
「なぜ、森川先生は、そう言えるのですか?」
「お嬢さんの一美さんが、犯人の顔を見ていると思うからです。または、犯人の1人を知っている可能性があります。ですから、身代金を犯人に払っても、お嬢さんを帰せば、お嬢さんの口から、犯人の名前がバレてしまいます。なので、犯人は、ギリギリまでお嬢さんを生かしておいて、身代金を受け取り次第、邪魔になったお嬢さんを殺害するでしょう」
「森川先生。なぜ、犯人の事を、私の孫が知っていると思うもですか?」
「つまり、犯人は、お嬢さんの一昨日の下校時間を知っていた。だから誘拐する時、あっさりと誘拐できた。その理由に、電話で、『ケガをしている』とか『怖い』とか言っていませんでしたよね」
「はい」
電話を受け取った一枝さんが頷く。
「それに、犯人が一枝奥さんを指定してきたのは、旦那さんの政文さんの事を知っているか、政文さんが犯人の顔を知っているから、政文さんを指定して来なかった。でも、それが仇をなって、今日、顔をしらない一枝奥さんとの身代金交換が出来なかった」
「いまいち、分かりませんな。森川先生、ある程度、犯人の予測が出来ているなら、教えて下さい。早めに。一美の命に関わると・・・」
「たぶん、犯人はもう一度、身代金の交換を要求してきます。それも、今日中に・・・」
「なぜ、そう言えるのですか?」
「犯人は、追い詰められているからです。それも、お金に・・・」
「それは一体、どういう事ですか?」
「私は、今まで話した内容から、1つの仮説を立てました。そして、裏付けをした所、全てが一致しました。しかし、残念な事に、今、熊田一美さんがいる場所が特定出来ません。もし、こちらが、変な動きをすると、お嬢さんの命に危険が及びます。それで、私の知り合いが二本松警察署にいます。その方に極秘に依頼して、今、お嬢さんのいる場所を突き止めたいと思うのです」
「大丈夫でしょうか?」
「信頼出来る人です」
「森川先生の推理を聞かせて頂いてからでも、間に合いますか?」
「非常事態の事を考えて、その方だけでも、ここに呼んで、一緒に話を聞いてもらってもいいですか?普通の車で来るように、お願いしますから・・・」
熊田宗二さんは、少し考えた。
「2人なら、いいでしょう。でも、犯人は、この家を見張っていないでしょうか?」
「そんな余裕は、今の犯人にはないと思います」
「なぜですか?」
「ここは、塩沢地区の奥地です。誰かがこの屋敷の周囲にいれば、この屋敷から丸見えです。この屋敷を見張る事は、犯人には、出来ません」
「そう言われると、そうですな。では、呼んで下さい」
そう言われて、森川先生は、すぐ、席を立つと、携帯電話を取りだし、廊下に出て、話しているようだった。
「20分くらいでここに着くそうです。たまたま、この近くにいたそうで・・・」
「孫の命は、大丈夫でしょうか?」
「犯人は、もう一度、身代金を要求してきるはずです。そのくらいの時間は、あるでしょう」
「では、その警察の方が来るまで、お茶のお代わりをしましょう。それとも、違うコーヒーなどがいいですか?」
「できれば、私は、カフェオレで・・・。」
「他の先生は?」
「私は紅茶で・・・」
私は率先して言ってしまった。
「私は、コーヒーで・・・」
皆川先生は、そうお願いした。
その間に、森川先生は、もう一度廊下に出て、誰かに携帯電話で、連絡をしていた。そして、確信の笑みを持って、部屋に入ってきた。
「どうやら、ほぼ、この事件の内容が分かりました。あとは、お嬢さんの居場所です」
森川先生は椅子に座った。
家政婦さんが、それぞれお願いした飲み物を持ってきた。同時に、来客がある事が、知らされた。そして、この部屋に入ってきたのは、ネクタイにきちんと背広を着た私服の警官だった。
森川先生は、彼をそこにいた全員に紹介した。
「彼らは、二本松警察署の星守警部と霧島城司警部補です」
私は、その「星守」と呼ばれた警部補の顔を見て驚いた。なぜかというと、二本松高校の2年生でもある、星高陽くんと同じ顔つきをしていたからである。そして、後から、その星警部が、彼の父親だと分かって、もっと驚いた。
更に、驚いたのは、昨年、東山でお世話になった霧島城司警部補が転勤で二本松警察署に来ていた事だ。霧島警部補は周囲に気づかれないように、私にそっと目で挨拶してくれた。
熊田政文氏は、自分の家族と、今の現状を星警部と霧島警部補に話した。霧島警部補は、メモを取りながら、話を聞いていた。その後、森川先生から、1枚の紙をもらって、廊下に出て、何か、携帯電話で、話をしていた。
そして、全員がそろった所で、森川先生の話が始まった。
「まず、あのベル・カットホルンのケースから、熊田議員のお嬢さんが誘拐された事までは、わかりましたね」
「はい」
「それで、私は、熊田一美さんの誘拐時刻に注目しました。なぜ、誘拐犯人は、塩沢小学校の2年生の下校時刻を知っていたのか?小学校2年生と言えば、毎日のように下校時刻が変わります。ですから、その下校時刻を毎月、保護者に配布していますよね」
「はい。私の家でも、そこに貼っています」
「ですから、その下校時刻を知っているのは、同じ小学校2年生の保護者か、小学校の先生という事になります。しかし、小学校2年生の保護者では、この塩沢地区の特性から言って、熊田議員の奥様の一枝さんの顔を知らないという事はないと思うのです」
「そうですね。選挙の時には、主人と一緒に、各家庭を周りますから・・・」
「という事は、塩沢小学校の関係者が、何か関係があると思ったのです。それも、普通のホルンのケースが、他のケースを違う形をしている事を知っているくらいの人を・・・」
「でも、塩沢小学校にも、熊田一枝さんの顔を知っているのでは?」
星警部が尋ねた。
「それは、ありません。私が考えるに、小学校などの参観や入学式、卒業式は、二本松市議会議員にとって、顔を売る絶好の機会です。ですから、そのような公共の場所には、必ず、ご主人の熊田政文さんが出席していると思うのですが、どうですか?」
「そうです。森川先生のおっしゃる通りです。塩沢小学校の行事には、必ず、私が行っていました。妻が行った事は、ありません」
「という事は、塩沢小学校の先生方は、熊田政文さんの奥様の一枝さんの顔を知らないと思ったのです。先程、話した私の同級生の森先生も、『熊田一枝さんの顔は知らない』と、話していました」
「では、小学校の誰かが・・・?」
「そう思って、塩沢小学校の森先生に先程、ある程度、調査を依頼しまいした。特に音楽を担当している先生を・・・」
「で、どうでした?」
「思った通りでした。音楽を担当している後藤涼という男の先生は、29歳で、独身です。そして、学級を持たず、専科で音楽のみを教えているそうです。そして、塩沢小学校の器楽部の担当でもある。しかし、お嬢さんの誘拐された一昨日、つまり金曜日の午後には、休みを取っています。今日も、器楽部の練習を1日、行うわけだったのに、午前中に切り上げて、終わったそうです」
「と、いう事は、その後藤涼って先生が怪しいという事ですか?」
「そう思います」
「では、その後藤涼という男の住所を割り出して、そこに熊田一美さんがいるといわけだ。星警部さん。すぐ、その後藤涼の住所を割り出して、警察で・・・」
「ちょっと、待ってください。たぶん、今日、『空の庭 自然レストラン』に来たのは、後藤です。ですから、もう1人、熊田一美さんを見張っている共犯がいると思うのです。たぶん、一美さんは、その後藤涼の共犯の所です」
「では、警察で、その後藤を捕まえて、一美の居場所を白状させれば・・・」
「そんな暇はないと思います。先程、同僚の森先生からの情報では、後藤先生は、だいぶ、ギャンブルにはまっていたそうです。特に、賭マージャンで、だいぶお金を謝金していたようです」
「なるほど」
「私が、もう1つおかしいと思ったのは、身代金の5千万円というお金です」
「どうして、ですか?」
「犯人からすると、誘拐した相手は、元二本松市議会議長までした議員の孫、現二本松市議会議員のお子様です。5千万円というお金では、少ないと思いませんか?私なら、1億円や2億円を身代金として要求します。それが、5千万円です。ギャンブルの借金の返済と、共犯の御礼くらいでしょう」
「そう言えば、5千万円とは、安く見られたものだと思ったよ」
熊田宗二さんは不機嫌だ。
「で、森川先生、その共犯の家はどこにあると思いますか?」
「それは、これからです。まだ、確証がありません」
森川先生が全員を見回した。
「何か質問は、ありませんか?」
誰も話さない。
「熊田宗二さん。警察に協力を求めますか?」
宗二さんはうつむいていた。全員が、彼を見つめていた。全て彼の一存で決まる事を知っていたからだ。
「森川先生は、どう思いますか?」
こまった熊田宗二さんが尋ねてきた。
「私は、協力を願うべきだと思います。この星警部や霧島警部補が指揮を取れば、お孫さんは、また、あなたの胸に生きて抱けると思いますよ。それに、相手は、2人だと思います。こちらの家を見張っている時間や暇はないと思います。次の作戦を練っていると思います。それに、警察の方は、人質救出のプロですから・・・」
「そうです。私達は、プロです。それに、森川先生の推理は、今まで外れた事はありません。必ず、お孫さんの居場所を突き止めてくれると思います」
星警部は、力強く、説得した。
そこに、突然、電話が鳴った。また、熊田一枝さんが取った。
「はい、熊田です」
そして、一枝さんは顔色を変えた。
「分かりました。一美の声を聞かせて下さい」
その時、森川先生が何かをメモして、一枝さんに手渡した。一枝さんは、丁度、電話を一美さんに変わったようだった。
「一美、元気?」
すでに、一枝さんは、涙目だった。
「お姉さんは、優しくしてくれている?」
犯人に電話を変わったようだった。
「はい。一応2時には、『空の庭 自然レストラン』には、行きました」
「はい。夜の6時に二本松駅の塩沢行きのバス停ですね」
「もちろん、警察には、まだ連絡をしていません」
「わかりました」
一枝さんは電話を切った。
「お嬢さんは、何と言っていましたか?」
「『大変、優しくしてもらっている』と、話していました」
「そうですか」
森川先生は納得した。しかし、私には全く分からなかった。すると、星警部が、森川先生が電話をしていた熊田一枝さんに渡したメモを見た。
「『”お姉さんは、優しくしてくれている?”と、聞いてください』とは、どういう意味ですか、森川先生?」
「つまり、今、私が分からなかった唯一の事は、後藤の共犯が誰かという事です。ですから、共犯が男か女かを確かめるために、一美さんに『お姉さんに』という言葉で聞いてみたのです。すると、『優しくしてもらっている』という事でしたので、共犯は、女だとわかりました」
「共犯は女と言っても、女は沢山いるぞ。ここにだって、4人はいる」
熊田宗二さんが私を見る。
「後藤の付き合っている彼女だと思います。小学校2年生の一美さんが『お姉さん』という言葉に対して、抵抗もなく答えています。もし、後藤の母親あたりの年齢なら、『おばさん』に変更すると思うのです」
「なるほど・・・」
「今から、後藤と同じ学校に勤めている森先生に連絡して、後藤の彼女の事を聞いてみます」
森川先生は、廊下に出て、携帯電話で話し始めた。しかし、すぐ戻ってきた。
「内密で、調査してくれるそうです。5~6分、待って下さい。星警部は、二本松警察署に、この事を連絡しておいた方が・・・」
熊田宗二さんは、家の電話を星警部に進め、そこから星警部は、二本松警察署に電話をかけていた。
そこに、森川先生の携帯が鳴った。森川先生は、また廊下に出て、その携帯に対応した。
「後藤の彼女の住所が分かりました。旧安達町にある『智恵子の森団地』の中だそうです」
二本松警察署に電話が終わった、星警部が尋ねてきた。
「それで、森川先生の考えは?」
「たぶん、後藤先生は、熊田一美さんの顔を、お互いに知っていると思います。授業でも教えていますから・・・。ですから、身代金を受け取った後に、一美さんを殺害するのは、明白です。ギャンブルの返済も迫られていて、塩沢小学校にも、暴力団らしい人間が何回か来ていたようですから・・・。警察は、捜査陣を2つに分けて、午後6時に1班は、二本松駅で身代金を取りに来た後藤を逮捕。私の考えでは、後藤は、熊田一枝さんの顔を知っていないので、代わりに婦警さんを二本松駅にやってもいいと、思います。そして、もう1班は、旧安達町にあるの『智恵子の森団地』の後藤の彼女の家に、後藤を逮捕した後に、突入して、一美さんを救出するべきです。ここで、重要なのは、後藤の彼女は、主犯ではないのですから、そんなに抵抗はしないと思います。それに、突入は、後藤の逮捕と同時でないとダメです。もし、後藤の逮捕が出来なかった場合、すぐ後藤は、彼女に逃げる要請を電話するか、一美さんの殺害を要求するからです」
「森川先生の言う通りですな。あなたを教師にしておくのがもったいない」
熊田政文議員が納得いている。
「今すぐに、警察がその彼女の家に突入して、救出する事は、出来ないのですか?」
熊田政文さんが尋ねてきた。
「今、熊田の彼女の家に、一美さんがいる可能性は100%とは言えない。しかし、人質交換の時は、必ず、彼女の家に一美さんは、熊田の彼女といる。それが一番、犯人にとって、安全だからです。身代金交換の場所の近くにいては、警察が介入してきた場合、2人共、逮捕されてしまう可能性がある。また、一美さんが騒ぐとも限らない。だから、その時に、両方、一緒に逮捕するのが、一番、安全でしょう。犯人の後藤も、今は一美さんを丁寧に扱うはずだ。また、失敗した時のために。なんせ、後藤は、ギャンブルの返済で、どうしてもお金が欲しいのだから・・・。
私達の出番は、これで終わりです。後は警察の仕事ですから・・・」
森川先生は立ち上がった。
「私達、3人は、二本松市民オーケストラの練習があるので、ここで失礼していいですか?」
森川先生は、熊田家を後にした。
それから、私達は、3人は熊田宗二さんの手厚い御礼を受けながら、森川先生の車に乗って、山道を走って帰って行った。
私達3人は、「空の庭 自然レストラン」に戻り、結局、3人で二本松市民オーケストラの練習を見学した。
私達は、二本松文化センターに3台の車に分かれて行った。森川先生は、二本松市民オーケストラの団長で、二本松楽器の大河内鷹道さんと、話をしていた。
「何を話をしていたのですか?」
「先程のホルンのケースの情報の御礼さ」
「森川先生の知り合いだったのですか?」
「ああ、元々、ここの団長の大河内さんから、『二本松市民オーケストラの練習を見てくれないか』と、依頼を受けていたのさ」
「で、この二本松市民オーケストラの練習の指導の依頼を受けるのですか?」
「まあ、今回の情報の提供もあるから、仕方がないだろう」
結局、森川先生は、その日以来、二本松市民オーケストラの練習に参加し、指導する事になった。回数は、月に1回。
また、皆川先生は、熊田議員の必要になくなったアレキサンダーのホルンのケースを、無料で頂いた。元々の皆川先生のアレキサンダーのホルンのケースは、熊田議員の秘書に、鍵を壊されていたから、森川先生の口添えで、皆川先生が、頂いたのである。
☆
「で、その誘拐事件は、どうなったのですか?」
「全て、森川先生の話した通りになったわ」
「というと?」
「二本松駅で、熊田一枝さんに変装した婦警に、後藤涼が近づいて来た所を霧島警部補の班が逮捕したそうよ。その前に、旧安達町の『智恵子の森団地』にある後藤の彼女、佐藤美穂の家に、星警部の班が突入して佐藤美穂と仲良くしていた一美さんを保護したのよ」
「さすがですね」
「熊田政文議員が森川先生の腕を買ってね。どうしても二本松市で働いて欲しいと教育長に直訴したほうよ」
「そうなんですか」
「だから、翌年、私のいる二本松高校に森川先生が転勤してきたの」
「政治の力ですね」
「そうかもね。でも、あの事件は、森川先生、森先生、楽器屋、そして、星警部と霧島警部補がそれぞれしっかり役割を果たし、色々と情報を森川先生に与えてくれたので、早めに解決出来たようなものよ」
「霧島警部補って・・・」
「そう4月にあった笹川建設事務所の事件の時、お世話になった警部よ」
「だからあんなに色々と・・・」
「それに、星守警部はそのうち会えるから・・・」
井上くんは私の無視して、お弁当の空箱を片付けた。
「そういえば、誘拐事件の解決を依頼された時、私達が相手の家を訪問するでしょう。その時、『ホルンのケース』という言葉を挨拶に使うのよ」
「なぜです?」
「それが暗号なの・・・。相手に『ふくしま探偵局から来た誘拐事件を担当する者です』という言葉の・・・。いきなり挨拶に行って、『誘拐事件を担当する者です』と話したら、どうなる?警察に言うなと言われているのに、その話した相手が犯人という事もあるし、盗聴器がどこかに仕込んであるかもしれないでしょう」
「なるほど・・・。業界には業界のルールがあるものですね・・・」
「午後は、報告書の印刷の仕方と、書類のまとめ方を教えるわ」
私は先に、エレベータに向かった。
「ここのエレベータ、以外と広いの。使った事ある?」
私は開いたエレベータに入り、2階のボタンを押した。
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