1.301話 「空き家の冒険」

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1.301話 「空き家の冒険」

 妹の墓参りを早々に済ませた。2020年4月8日、水曜日。駅までの細い道は、あの頃とあまり変わってはいなかった。何もない一本道から古い民家の間を抜ける道に入った。日はもう傾こうとしていた。左手の時計を見た。 「17時丁度」 あと11分で上り列車が来る。俺は足を早めた。 「もう、この風景は見ることはない」 心に固くそう誓ったはずだった。駅前の駐車場で足を止める。 「この風景もこれが最後」 自分の鈍い決心を強めるため、自分にそう言い聞かせた。世間と離れた環境にいた数年間が、俺をここまで強くした。 「梅ヶ沢」 この駅の看板を見るのも最後。  乗っていたのは、下校する高校生が数人。俺は小さなカバンを持って椅子に座り、首を下げていた。そして、山形刑務所を出る時にもらった1枚のマスクをした。周囲の目が気になる。やはりこのご時世、マスクをしていないと睨まれる。まして、坊主の俺は、周囲の的になる。昨日から全国の数都市に非常事態宣言が出されている。俺も服装は、4年前に逮捕された時と同じだ。黒ずんだシャツの上に厚手のパーカー。それにジーパン。肩からバックを斜めに掛けている。この時間に電車に乗る姿は、浮浪者に見えても仕方がない。 「小牛田、終点、小牛田」 数人しか降りない駅で仙台行きに乗り換えた。俺の故郷にはないアパート郡が目立ちだした。仙台駅に着いた時は、すっかり日が暮れていた。俺はそんな仙台市に泊まることをやめて、そのまま福島駅を目指した。なぜか早めに彼の顔が見たくなっていた。  しかし、福島駅に着いた頃には午後8時を大きく回っていた。彼に教えられた通り、福島駅の西口の信号機をそのまま直進し、次の曲がり角を右に曲がった。すぐの曲がり角に大きなビルが見えた。やはりこの時間、建物に灯りはついていなかった。財布の中には、刑務所で貯めたわずかなお金と、昨年、彼が面会の時に差し入れてもらった金しか入っていなかった。総額10万円にもならない。しかし1泊くらいの宿代はある。 「明日、彼に会えば何とかなる」 俺はその金で近くのホテルに泊まった。刑務所で観ていた今までのような悪夢を久しぶりに見る事はなかった。  翌日、4月9日、木曜日。彼に教えてもらったビルの前に着いた。地上から見ると7階建てだった。 「すげーや」 少し心がワクワクしてきた。昨晩の風景とは違っていた。1階の自動ドアを通ると受付の女の子が立ち上がった。胸には「田中」と書いてあった。4年ぶりに目の前で見る大人の女性だった。マスクをしていても可愛いのがわかる。彼女となら一緒に働いてもいいと思った。 「ご予約はありますか?」 俺は一瞬立ち止まった。 「ふ、『ふくしま探偵局』に用事があって・・・。予約はしてないけど・・・」 田中さんは、ニコっと笑顔を作った。 「それなら、お向かいの茶色いビルの方です。1階の駐車場の中に入口がありますので、階段を上がって2階に受け付けがあります」 「ありがとう」 俺は笑顔で送り出してくれる田中さんの背にした。 「やはりこの俺は、あんな可愛い女の子と一緒に仕事をする身分じゃなかった」 外に出て今、出て来た高いビルを見た。「大木ビル」と書いてあった。 「こんなビルを建てる事が出来る金持ちがいるんだ」 受付の田中さんに言われた通り、向かいの茶色のビルを見た。 「ふくしま探偵局」 良く見たら看板が出ていた。石畳になっている道路を横切った。4階建てのビルに向かった。  1階は駐車場。中央は通路になっていて右手には車が3台停まっていた。手前に2台がセダンで、グレイに黒。奥が黒のワゴン。左手にも1台車が停まっていた。緑の軽。4台共、日本車。左手軽の後方に入口が見えた。駐車場に入り、入口に向かう。自動ドアが開く。小さなスペースの中にエレベータと階段が向かい合っていた。俺は右手の階段を上がっていった。階段の途中に楽器の絵が飾ってあった。 「お洒落な探偵局だ」 そんな印象がした。  階段は2人が交差するには肩がぶつかるくらい狭かった。階段の左には窓があり、外の風景や昨日は見えなかった福島駅の屋上が見えた。壁にぶつかってまた右。するとまた自動ドア。ゆっくり周囲を観察する。自動ドアの向こうに小さな歯医者の待合室のような場所に長椅子が1つ見えた。自動ドアを通り、その椅子に座ろうとした。 「井上さまですね。お待ち申しておりました」 右手の受付の女性から声がいきなりかかった。予約をしていないのに、よく俺の名前がわかったものだと思った。受付の女性の胸にも名札があった。「菅野」と記載されている。それにしても、「ふくしま探偵局」の受付、「菅野」さんもマスクをしていても可愛いのがわかる。彼は、こんなに可愛い女の子と一緒に仕事をしているのか。うらやましい・・・。 「井上です」 「そこの椅子で少々、お待ち下さい」 菅野さんはそう言うと、受付の後ろにあるドアを開けて奥に入っていった。  長椅子の横には観葉植物が置いてあった。背中の大きな窓から太陽の光が燦燦と入ってくる。午前9時を少し過ぎていた。しかし、「ふくしま探偵局」の2階に降り注ぐ4月の光は、とても優しく俺を包んでいた。 すぐに受付の横にあるドアが開いた。 「井上くん、久しぶり。元気だったか?お迎えにも行かず失礼」 マスクはしているが、1年前と同じ笑顔だ。 「こちらこそすみません。いきなり来ちゃって・・・」 「来ると思ったよ」 森川さんは俺の肩を叩いた。 「奥に来いよ」 俺は森川さんの後をついて行った。  受付の横のドアの右手は3階に上がる階段への通路になっていた。2階エレベータの入口の見えた。森川さんの入っていったドアを開けると長い廊下になっていた。左手にある2つ目にドアに入っていく。  中は広い事務所のようだった。テレビや映画で見た探偵事務所とは全く違っていた。俺の想像していた薄汚いカビの臭いのするような感じではなかった。どちらかというと、オフィスビルにある事務所のような感じだった。その中には事務用の机が4つまとまって3セット並んでいた。森川優さんは、受付から一番奥にある事務用机に座った。入口とは反対側で一番奥の机だった。 「そこの席にどうぞ」 対角線にある机を指していた。机の上には何もなかった。残りの3つの机にはデスクトップのコンピュータが置かれていた。他の2セットの机にも何台か同じようなコンピュータが置かれていた。 「何を飲む?」 「コーヒーで」 すぐ口に出た。 「ミルクと砂糖は?」 「ブラックでお願いします」 椅子にゆっくり座った。座り心地がいい。こんな椅子は久しぶり・・・いいや、初めてかもしれない。すると、先程まで受付にいた菅野さんが、コップを2つ持ってきた。 「どうぞ」 俺の前にコーヒーを置いてくれた。 「森川先生は、いつもので・・・」 「ありがと」 先生・・・?俺はあまり聞いた事のない言葉に疑問を感じた。コーヒーを一口飲んだ。これも、久しぶりの味。こんなに美味しいのは、初めてくらいだった。 「美味しいです」  受付に一番近い机の椅子に座ろうとしている菅野さんに伝えた。 「森川先生仕込みですから・・・」 彼は何でも上手に出来るのか・・・。  気がつくと、森川さんが俺の顔を見ていた。俺は先程の疑問を投げかけた。 「なぜ、俺がこの時間に来ると?」 森川さんは、1年間のように少し微笑んだ。 「簡単さ」 彼の口癖だ。 「山形刑務所の仮出所は、いつも水曜日。それも、だいたい午前10時頃。まあ、仮出所する人数にもよるけどね。井上浩くんの刑務所内ので態度は良かったから、君の仮出所は、4月の第2週あたりかなと思っていた。そして、君が刑務所を出て一番先に行いたいのは、妹さんの墓参り」 さすがに森川さん。当たっている。 「山形刑務所から一番近いJRの駅は漆山駅。節約家の井上くんの事だ。タクシーなんて使わない。歩いて行ったはずだ。手荷物も少ないと話していたからね。  すると、漆山駅の12時40分の上りに乗車することが出来る。そして羽前千歳駅で13時3分の仙台駅行きに乗り換える。仙台で14時35分発の小牛田行きに乗り換え、小牛田駅で15時35分発の一関行きに乗り換える。すると、梅ヶ沢駅に15時50分に到着する。お昼は仙台駅で蕎でも食べたのだろう。乗り換えに19分あるからね。  漆山を11時42分に出る電車もあるけど、新庄をまわる経路で梅ヶ沢に同じ時間に到着するから、こちらには乗らないと思ったのさ。そして、妹さんの墓参り。お墓は駅から少し遠くにあるから、梅ヶ沢駅を出るのは17時35分発。小牛田駅で乗り換え、仙台駅で乗り換え、福島駅には夜の8時26分に到着する。仙台駅で1泊する事も考えたが、几帳面の井上くんの事だから、早めに福島市に向うと思った。新幹線は使わない。そして、その日のうちにこの場所を確認したはずだ。しかし、井上くんが福島市に到着した時間には、周囲が暗くなっていただろう」 俺は頷く。 「近くのホテルに宿泊し、朝食を食べれば、午前9時前後にここに来る事は予想に出来る」 森川さんはまた微笑む。 「それにしても、間違って大木ビルに行くとは思わなかった。地図を書いてあげたのに・・・」 なぜ、彼は俺が間違えて、向かいにあるビルに行った事まで知っている?それに森川さんは、何も見ずに時刻表までスラスラ話している。 「地図は見たのですが・・・。でも、どうしてそこまで・・・?」 「当たっているだろう」 「はい」 「時刻表は先程確認したから覚えているだけ。間違って大木ビルに行ったのは、大木ビルの受付の子から、ここの受付の梢さんに連絡が入ったのさ。可愛い子だったろう。」 「はい」 「彼女は、菅野梢さん、31歳。独身さ」 年上か・・・。 「だから、梢さんに君が来ることを伝えておいたのさ」 「梢(こずえ)」さんって言うんだ。あの受付の娘は・・。俺が梢さんを見る。彼女もわかったように俺の顔を見て微笑んでいる。 「ここに井上くんが来たという事は、僕と一緒に働いてくれるという事ですね?」 「森川さんさけ良ければ・・・」 森川さんがまた微笑む。 「そういえば、入社試験があると話していましたよね」 「ああ、観察のこと」 「そんな感じの・・・」 「じゃ、今、尋ねてもいい?」 「ここでですか?偉い人の部屋とかじゃなくて?」 大きな部屋に3人しかいない。俺の声が響く。 「僕の質問じゃ嫌かい?」 「俺はその方が・・・」 「それじゃね・・・」 森川さんは腕を組んで、天井を見上げる。 「下の駐車場からここの受付までの階段の数は?」 俺はちょっと考えた。そして、思い切り適当に言ってみた。 「14段」 「入社おめでとう。今、偉い人の紹介するよ。待ってて」 森川さんは、そう言うと立ち上がり、さらに奥の部屋のドアをノックして入っていった。少しホッとした。階段の数を適当に答えたが、当たっていたとは思わなかった。  すると、1人になった俺の所に梢さんが寄って来た。 「入社試験なんかあったのですか?」 梢さんは、自分のコーヒーカップを持って、俺の隣の椅子に座る。 「何度か、森川さんが山形刑務所に面会に来てくれたことがあるんだ。その時に、出所してどこにも行く所がないようなら、『ふくしま探偵局』で働いてみないかって誘われたんだ。その条件として、『ふくしま探偵局』の入口を通って、森川さんに会うまで、すべての事を観察すること。その中から1つだけ入社試験をするって言われてて・・・。必死でいろんなもの覚えた。梢さんの胸に付いている名前とか・・・」 「そうだったの」 梢さんが笑う。 「でも、森川先生に見込まれたった事は、胸を張って大丈夫よ。彼が見込むって事は、それなりの人だという証拠よ」 「でも、入社試験が・・・」 「階段の本当の数は15段よ」 俺は固まった。梢さんは、笑って自分の席に戻っていった。 「井上くん、こちらの部屋に来て。局長を紹介するよ」 いつの間にか森川さんが、ドアを開けて俺を呼んでいた。俺は「局長」と言われて少しドキドキしてきた。昔から偉い人が苦手だ。  奥の部屋は、どう見ても偉い人の部屋のようだった。応接セットがあり、そのソファには女の人が2人座っていた。その奥の立派な机の向こうにはマスクをしスーツを来た女の人が座っていた。この人が局長なのだろう。俺の直感だ。 「こちらがここの局長の大木展子先生、41歳。局長も独身だよ」 「よろしくお願いします」 大木さんが立ち上がる前に俺は少し頭を下げた。 「よろしくね、井上くん。私は局長っていう柄じゃなの。例えるなら、事務員ね。みんなのお給料を計算したり、領収書を集めたりね。  それに、森川くん、女の子を紹介する時、『独身』とか言うのは、今の時代、セクハラよ。森川優くん、36歳も独身でしょう」 年上ながら、その笑顔には可愛らしさがあった。 「それに、こちらが片平月美先生、33歳。そして、先崎春美先生、35歳、2人共・・・」 「独身です」 片平さんと思われる方が、先に言う。 「井上浩、28歳です。よろしくお願いします」 俺はまたペコリとした。 「よろしくね、井上くん。私は片平月美」 この人も俺より年上だが、可愛い。 「私は先崎春美です」 手前の女の人が立ち上がって手を差し出してくる。女の人と握手なんてするのは何年ぶりだろうか。 「それじゃ、森川先生。先程の通りで」 「はい、わかりました」  俺達は大木局長を残して、4人で事務室に戻ってきた。俺は先程まで座っていた椅子に座った。俺の横には先崎さん。前には片平さん。そして、対角線に森川さん。 「井上くん、そのバックだけが手持ちだろう」 「はい」 「それじゃ、午前中に生活用具の準備をこの片平先生と一緒にするといい」 「でも、お金が・・・」 「大丈夫。大木先生がすべて出してくれるそうだ」 「えっ」 「この福島市で生活するには車も必要だと思うけど、車はもう少し待っててくれ」 「いや、車はいいです」 「免許は刑務所で更新したんだろう」 「はい」 「なら、そのうち何とかするさ」 「・・・」 「お昼は一緒に食べよう。それまで、片平先生に任せていいかな?」 「大丈夫です。先日の打ち合わせの通りで・・・」 「アパートの鍵だ」 そういうと森川さんは、俺に鍵を2つ渡した。 「それに、これ」 森川さんは、ポケットからスマホを出した。 「スマホもないだろう」 「はい。よくわかりましたね」 「持っていたら、スマホを持って、ここを検索して来るはずさ。それがバックだけしか持っていないからね」 「捕まった時に壊れて・・・」 「一応、説明書」 森川さんは、スマホの一式を俺に渡した。 「お金は?」 「会社持ちだ。個人で使用しても大丈夫」 「いいんですか?」 「大木先生に承諾済みだから、安心して」 「これから森川さんは?」 「午前中に下調べをする。午後からすぐ仕事だから。その気持ちでいてね、井上くん」 「わ、わかりました」 出所して翌日から仕事なんて・・・。 「井上くん、行きましょう」 片平さんに手を引かれた。俺は片平さんの後をついて事務所を出た。階段を降りる時、ゆっくり階段の数を数えた。15段だった。そして、1階の駐車場に停まっていた緑の軽に乗った。 「午前中はどこに?」 「アパートに行く。そして、生活必需品を買いに行きましょう」 「でも・・・」 「今日は、会社が買ってくれるわ」 片平さんは、車を運転しながら、話してきた。横顔も可愛い。 「何、見てるの?」 「可愛いと思って・・・」 「男だけらの所にいたから、見る女の人すべてそう見えるのよ。そのうち慣れるわ」 「アパート、遠いのですか?」 「ここよ」  探偵局を出発して3分もしないで車が停まった。福島駅の北側。外観の黒い7階立てのマンション。「ポテトハウス」と書いてある。車は広い駐車場に入って行く。赤の軽自動車が1台停まっていた。すぐ近くに東北新幹線の高架橋がある。5階の住人は毎日、新幹線の姿が見られそうだ。1階にはコンビニが入っている商業施設だ。 「職場には歩いて行く事が出来る所でしょ」 「はい」 「ここの2階。201号室」 俺は片平さんに促されるまま、鍵でドアを開けて、部屋に入った。 「家賃は?」 「社宅よ。タダ」 「えっ?」 中は台所があり、トイレと便所が付いていて、部屋は2間あった。1人用の社宅にしては広い。 「1階はお店が入っている。それぞれの階には3部屋あるの。全部、人が入っているから」 「みんな探偵局の人?」 「そうとは限らないわ」 「何かあった時のために、合い鍵は探偵局にあるから、覚えておいて」 「はい」 「誰も合鍵で勝手に部屋に入らないからね」 「ありがとうございます」 片平さんは、部屋に入ると押し入れの中を開けて、布団があることを見せてくれた。カーテンもついていた。 「冷蔵庫はあるけど、中身がないの。シャンプーとかも自分好みがいいでしょう。買い物にいきましょう」 「わかりました」 「駅前に大きなお店があるから、そこでほとんど揃うわ。他に欲しいものは、そのうち自分で時間を見つけて買いに行ってね」 「わかりました」 「探偵局からも歩いていけるから・・・」 部屋を出て、1階の駐車場に戻る。2人で車に乗る。片平さんは車を運転してくれた。駅前の大きなお店の駐車場に停めた。  彼女は、俺が必要としている物を的確にそろえてくれた。食品、衣類、家電・・・。 「今は第3課に、背広はいらないわね。必要になったら、購入するわ・・・」 「第3課?」 「そうそう、『ふくしま探偵局』は4つに別れていて、警察や暴力団に関わりある案件の時は第1課。普通の案件、例えば浮気調査などは第2課。そして、公に出来ない案件や大木財団からの特別な案件が第3課。井上くんが所属する私達4人が第3課。そして、それ以外・・・。例えば、受付とか局長とかね」 「今日、他の課の人達は?」 「第1課の人達は昨日から外で仕事。第2課の人は3階で依頼者と打ち合わせ。今度会った時に紹介するから・・・」 「はい。大木財団って?」 「局長のお父さんが会長になっている財団。井上くんの身元引き受け人になってくれた人よ。大木泰造さんが会長」 「思い出しました」 「でも、私も詳しくわからないの。ただ、政界や財団に多くのコネを持っていて、公に出来ない案件を解決したり相談したりされるの。それが『ふくしま探偵局』に持ち込まれるってわけ」 「今までもあるんですか?」 「そのうち、お話してあげるわ」 「それに、みんな森川さんのことを先生って呼んでいるのは?」 「それは、彼が前、高校や大学の先生だったからよ。みんなその慣れで『先生』って呼んでるのよ」 森川さんって先生だったんだ。そんな話、刑務所で一度も聞いたことがない。 「それに、事務所に帰ったら、一応、契約書を見せるけど・・・」 「大変な仕事ですか?」 「やり方次第ね」 「そうですか?片平さんはどう思います?」 「私は好きよ。この仕事」 「なら・・・」 「お給料は定額制で、休日出勤や残業代は加算されるわ。休日は固定じゃないの。仕事が仕事だからね。もし、お休みが前もって欲しい時は、局長室にあるカレンダーに記入すると、大丈夫。何もない時の仕事は一応、午前9時から午後6時まで。少し早く早退しても、誰も文句は言わない。お昼は1時間あるけど、それも適当。張り込みとかしてたら、関係なくなるでしょ・・・」 「そうですね」 「遅くなったら、現場から真っ直ぐ帰っても大丈夫。自己申告」 「それで大丈夫なんですか?」 「みんなお互いを信用している会社」 「すごいですね」 「森川先生がそんな人間を集めたのよ」 「森川さんが・・・。大木局長でなくて」 「大木先生が森川先生にお願いしたのよ」 「へぇ・・・」 「お弁当を毎日自分で作る?」 「いいえ」 「じゃ、買ってきてもいいし。食べに行ってもいいし・・・」 「買ってきたら、どこで食べれば?」 「事務所の自分の席とか、4階にある食堂とか・・・」 「わかりました」 「事務所の使い方は、後で受付の菅野梢さんに聞いて・・・」 「わかりました」 話が終わる頃には、カート一杯の荷物を片平さんの車に積んでいた。 「森川さんもあのアパートに住んでいるのですか?」 「彼は近くに自分の家があるから・・・」 「へぇ」 「ちなみに、私もあのアパートじゃないの」 「そうですか」 「ポテトハウス」に戻ると、沢山の荷物を部屋に入れるのを片平さんは手伝ってくれた。時計はすでにお昼に近づいていた。 「戻りましょうか?」 「『ふくしま探偵局』ですね」 「そうそう、それから人前では『ふくしま探偵局』じゃなくて、『事務所』って言って・・・」 「えっ?」 「『探偵局』っていう言葉は、人の耳に止まりやすいでしょ。『事務所』だと、どこにでもあるから。みんな、そう呼ぶからね」 「なるほど・・・。わかりました」  事務所に戻った。机の上にはいつの間にか、デスクトップのコンピュータがあった。 「時間がある時に説明しますね」 梢さんがお弁当を食べながら、話してくれた。俺は、スマホの説明書と格闘していた。  すると、森川さんと先崎さんが事務室に入ってきた。手にファイルを持っていた。 「お昼を食べに行こうか。片平先生、運転、頼める?」 「大丈夫。下調べは?」 「まあまあかな」 俺は立ち上がった。 「梢さん、お昼を食べに行ってくる。午後はそのまま現場」 「分かりました。お気を付けて・・・」 お弁当を食べている梢さんも可愛い。  4人で事務所を出る。1階で先ほどの片平さんの車に乗る。俺と先崎さんは、後の座席に乗った。 「いつもの場所で?」 「ああ」 「混んでない?」 「予約しておいた」 「さすが森川先生」 前の2人が仲良く話している。その会話の端々から、この職場の暖かさを感じる。森川さんの言葉に従って、「ふくしま探偵局」に来て正解。  車で10分走った。川を渡った。随分田園風景が増えた。1件のお店の駐車場に停まった。駐車場はすでに車で一杯。「ロックリバー」とお店の看板に書いてあった。 「はやっていますね」 「スパゲティが美味しいの」 森川さんは先頭にお店に入っていく。入口で手の消毒をする。マスクをして待っている人が席に沢山座っている。 「いつもありがとうございます。森川先生」 「小野さん、予約していますよね」 「はい。いつもの奥の席ですね」 小野さんと呼ばれたお店の女の人が、お店の奥に案内する。先に待っていたお客が不機嫌な目で俺たちを見る。カーテンの奥に案内された。 「この席はお店の中でも、声が響かないの。だから、ここでお昼を食べながら打ち合わせをすることが多いの」 「それに、森川先生の家が近所だから・・・」 「井上くん、ここのお薦めはフルーティーナポリナンだ。大盛りも同じ値段さ」 「じゃ、それにして下さい」 結局、4人共同じフルーティナポリナンだった。美味しいかった。 「井上くん、ベーコン、好きかい?」 「はい」 森川さんは、フルーティーナポリナンに入っていたベーコンを俺の皿に移す。そう言えば、森川さんは刑務所でもお肉を食べなかった。  お皿が片付けられる時、コーヒーを2つとカフェオレとミルクティーが出てきた。森川さんがカフェオレを一口飲むと、カバンの中からファイルを出した。 「井上くんの最初の仕事だ」 「4月の最初の仕事ですか?」 「一昨日、4月最初の仕事が終わったよ」 「大阪の会社の脅迫事件だった」 「という事で、今回は井上くんの最初の仕事。彼にもわかるように、最初から説明する。聞いていてくれ」 森川さんは、そう言うとファイルを開けて、俺に説明を始めた。 「今回の依頼者は福島市にある笹川建設事務所の社長、笹川常雄さん、45歳。現在、福島市の町中にある会社兼住宅に奥さんと2人の息子と住んでいる。この笹川建設事務所の依頼を受けたのは、事務所の設計をしたのが笹川さんで、それが縁で笹川建設事務所の社長が大木泰蔵さん、つまり展子さんのお父さんに依頼したらしい。  依頼の内容は少し複雑。笹川社長の両親は、現在、引退して、1年前の1月、福島市の西にある郊外の一軒家を購入。そして、2人で福島町中の会社兼住宅を出て、引っ越した。そして、3ヶ月前に父親の笹川典雄さん当時75歳が蒸発した。それを機に、母親の笹川千代子さん74歳が認知症になってきた。まだ、症状が軽いうちに笹川社長は、近くにある介護付き老人ホームに入居させた」 「遺書とか、買い置きは?」 「全くない。突然だったらしい。警察にも届けて捜索した。もちろん、近くの山の中や川、沼もさらった。車の運転も辞めていたので、徒歩での移動しかない。福島市内のタクシーもすべてあたったが、何の情報もなかった」 「奥さんがいなくなって、不安になったとか・・・」 「奥さんの後を追って、その介護付き老人ホームに行ったとか・・・」 片平さんと先崎さんが色々と想像する。 「何の情報もない」 「その笹川典雄さんの捜索の依頼ですか?」 「それが違うんだ、井上くん」 森川さんはそこで一息ついた。入れ立てのコーヒーが少し冷めてきていた。でも、先程、梢さんが煎れてくれたコーヒーの味の方が、俺は好きだ。 「笹川社長が、その家を売りに出そうと思った。そのため、先週、家の中を片付けようと、会社の帰り、両親の家に行ったところ、不気味な青白い光が庭のあたりに見えたそうだ。時間は、夕方の8時。急いで庭を捜索したが、何もなかった。家の鍵もきちんとかかっていた。家の中も荒らされた様子がなかった。  翌日、今度は会社の若い男達何人かを連れて、家に行った。時間も昨日と同じ午後8時。すると、今度は家の中に青白い光を全員で見たらしい。すぐ、家の鍵を開け、家の中に入ったが、誰もいなかった。家の中は昨日と同じで、何もなくなったり、とられた様子はなかった。  で、依頼は、その青白い光の正体を見極めてほしいという内容だ。依頼は昨日の朝。大木泰蔵さんに直接、話があったらしい」 俺は一瞬、勤める場所を間違えたかと思った。そのようなのは、テレビ番組の企画でやるようなもの。そして、「やはり、何かいたらしい」という感じでうやむやに終わってしまう企画。今回も自動車のライトが反射したとか、月明かりがとかという事になりかねない。どこかのミステリー研究会の参加する行事のようなものだ。  しかし、森川さんは真剣に俺たちに話している。大の大人が・・・。 「森川先生の今までの調査は?」 「まず、この家だけど、福島の庭坂地区にある一軒家」 森川さんが地図を出す。福島市が初めての俺には地理的感覚が良くわからない。 「JR奥羽本線の庭坂駅と福島県運転免許センターの中間にある家だ。周囲は何件か家もあり、庭坂駅から一軒家が多く建設中だ。目の前にはアパートもある。山の中に一軒家という訳ではない。  周囲を高い塀に囲まれて、玄関の前に駐車のスペースが2台分ある。玄関には大きな門があり、鍵がかかっている。まあ、乗り越えれば、侵入出来なくはないけど、梯子が必要だね。それに、見つかる心配もある。  家の敷地の半分は庭。大きな樫の木やケヤキの木があり、鬱蒼としている。草むしりや掃除が大変そうな屋敷。家は代表的な日本住宅。敷地と住宅から見て、億は下らない商品だね。部屋は少なくても5つの和室があるが、今は人がいないのでとても静かだ。何かが棲んでいてもわからないかもね。このまま時間が経てば、周囲から幽霊屋敷と呼ばれても不思議じゃない雰囲気を出している」 「夜は調査に行きたくないですね」 片平さんが囁く。 「次に、笹川建設事務所の社員、特に経理の荻野目さんに話を聞いた。すると、笹川社長がこの家を売りたがっているのは、会社の資金にお金を回すためだという事らしい。今、会社は少し傾いている。まあ、すぐ倒産するという訳ではないが、会社が持っていた何件かの不動産をこの半年で手放しているらしい。その中に今回の家もあった。社長の噂はそんなに悪くない。清掃作業員や他の事務の方に話を聞いても、悪い噂は出てこなかった。先代の社長で、行方不明の笹川典雄さんについて、よく知っている人はあまりいないという事だった。すでに会社を引退して15年以上が過ぎている上、引退してから会社に顔を出す事がなかったからだ。  3ヶ月前に笹川典雄さんが行方不明になった時、警察が来て、事情を聞かれたらしいが、その時も同じ反応だったらしい。社員も彼がなぜいなくなったのかわからないという事だった。  そして、先週、一緒にこの家に行った3人の社員。尾形さん31歳、溝口さん29歳、丹原さん28歳。3人共、現場に出て作業を監督する役目の人だ。体格もいい。社長は身の危険を感じて、この体格のいい男性を連れて行ったらしい。  家の前の駐車場に車を停めて、玄関の鍵を開け、中を見た時、家の一番奥の部屋あたりに灯りついていたという事だ。社長だけでなく、若い3人が別々に同じ証言をしている事から、何から一番奥の部屋で光っていたのは確か。しかし、4人で家の中に入り、一番奥の部屋を確認したところ、誰もいなかったし、何の光もなかった。部屋から出る廊下も1つでその部屋から逃げる事が出来ない。家から外に出る障子の雨戸がついていて、開けるとすごい音がしたそうだ。誰からそこから出ればわかる程だと話していた」 「じゃ、やはり幽霊?」 「現代社会で幽霊は・・・」 片平さんが否定する。 「そして、問題の屋敷だけど・・・」 森川さんがカフェオのお代わりを注文する。 「小野さん、同じのをみんなに」 「わかりました」 森川さんは、お代わりが来るまで仕事の話を中断させた。 「そういえば、井上くん。当面の資金がないだろう」 そう言ってカバンから封筒を出した。俺はその封筒を頂くと、中身を確認した。一万円札が10枚入っていた。 「こんなに頂けません」 「これは、大木展子さんからの就職祝いさ」 「でも・・・」 「いいから、いいから・・・」 先崎さんが俺が返そうとする封筒を止める。 「森川さんは、こんなに1日で調査したのですか?」 「1人じゃないよ。春美先生にも手伝ってもらったし、知り合いの警察官にも頼んだし、コンピュータにもお世話になったし・・・」 それにしても森川さんの行動力はすごい。そんな世間話をしていると、小野さんがお代わりを持ってきてくれた。 「問題の屋敷だけど・・・」 小野さんが見えなくなったのを確認して、森川さんが話し出す。 「あの屋敷を建てたのが中嶋さんという方。随分前に病院で亡くなっている。そのお子さんが、中嶋良次さん。福島市役所職員。当時50歳」 「当時?」 「そう。2年前の2018年1月17日に失踪。奥さんの中嶋ふみ子さんが1月18日に捜索願いを出している」 「失踪者が2人ねぇ・・・」 「違う」 「えっ?」 「それから2、3日過ぎて、息子の中嶋文明さん、当時25歳も2018年1月20日に消息不明になっている。これも、母親の中嶋ふみ子さんが1月22日に捜索願いを出している」 「失踪者が3人!」 「そうなる」 「当時、福島警察署にいた湯田昌紀警部補に聞いた。続けて2人失踪したので、奥さんの中嶋ふみ子さんに断って、屋敷の中を徹底的に捜索したらしい。金属探知機や警察犬、重機まで活用して、屋敷の庭を掘ったらしい」 「何も出てこなかった」 「そう」 「中嶋文明さんは何をやっていたの?」 「高校を出て、定職にも就かず、ずっと家でフラフラしてらしい。10代の頃はアルバイトをした事もあるが、20代に入ってからは・・・。」 「だから、友達も少なかった」 先崎さんが付け加える。 「中嶋良次さんは、当時、福島市役所教育委員会文化課、主に遺跡の発掘の担当をしていた。福島市東部の宮之原遺跡とか・・・」 「知らない」 女性2人が声をそろえる。 「当時、湯田警部補は、彼が担当していた遺跡だけでなく、福島市内の遺跡を全部調査したらしい。金属探知機と警察犬も導入された。しかし、未だに・・・」 「奥さんの中嶋ふみ子さんはどうなったのですか?」 「夫と息子が失踪して1年後、東京に旅行に行って、タクシーに乗ったところ、トラックに挟まれ、事故死」 「だから、今回の青白い光が、その霊だと噂が広まるのを笹川社長が嫌がっているの」 「中嶋さんの弟にあたる人が、中嶋ふみ子さんの葬儀を出して、屋敷を大変安く売り出した。そこを笹川社長が購入した。まあ、2人が失踪、1人が事故死した屋敷だからね」 そういう事か。俺が今回の依頼の大筋の流れを理解した。  俺は、森川さんの持っていたファイルに目を通した。屋敷の写真が何枚か貼られていた。門構えからしても、その大きさがわかる。庭の雰囲気も今にも幽霊が出てきてもおかしくない。1階建ての屋敷はとても高そうな感じだ。 「まあ、答えがどうであれ、真相は報告しなくてはいけない。」 「もし、結果がでなければ、どう報告するんですか?森川さん」 「井上くん。わからないのは、わからないと報告するしかなんだ。でもそれだけではいけない。どんな調査をしたか、どこを調査したかなど付け加える必要がある。そのためにも、現場写真を多く撮影しておくのが必要だ。今回、井上くんにはデジカメを預けるから、君の本能で適当に現場を撮影してくれ」 「俺でいいんですか?」 「それも仕事さ。撮影したデジカメはそのまま梢さんに渡してくれ。後で撮影した写真の一覧が出るから何の写真か書いてくれればいい」 「そのくらいないなら・・・」 俺は今回、優しい仕事でホッした。 「そして、わかっていると思うが、笹川社長が見た光は幽霊じゃない。科学的な報告をするのが『ふくしま探偵局』さ。  昨晩、笹川社長に鍵をもらって屋敷に行ってきた。夜、同じ時間に色々な光を試したが、笹川社長が見たような光の反射は出来なかった。車のヘッドライトは塀が高くて庭には届かない。空を飛ぶ飛行体も、鬱蒼とした樹木の葉に邪魔されてあの場所には届かない。玄関から懐中電灯を照らしても、そんな反射はない。そして、青白い光は昨晩は見えなかった」 「今後の予定は?」 「明るいうちにこの屋敷に行く。明るい場所でもう一度、屋敷を見ると何か見つかるかもしれないからね。その後、笹川千代子さんがいる介護付き老人ホームに行こうと思う」 「わかりました」 「で、その後、休憩して、夜はずっと仕事になる。井上くん、徹夜する覚悟でいてくれ」 「はい」 「トイレに行ってくる」 森川さんはそう言うと席を立った。 「みなさんは、森川さんとどこで?」 2人がお互いに顔を見る。 「私は森川先生の大学の1つ後輩。同じ科よ」 「先崎さんは何科だったのですか?」 「二本松大学の理数学科よ。生物専攻」 「生物ですか」 「そのあと、私が働いた高校に森川先生が赴任して来たの」 「高校の先生だったのですか・・・へぇ・・・」 俺は驚いた。あの森川さんが高校の先生だったなんて・・・。 「私は大学4年生の時、事件に巻き込まれ、森川先生に助けて頂いたの。そしてその後、私は先崎先生の働いている高校に図書司書として働き始めたの」 「そこに森川さんが・・・」 「そう、森川先生が転勤してきたの」 「みなさんはいつから『ふくしま探偵局』、いや『事務所』に?」 「大木先生と梢さん、春美先生が1年目の準備期間から。私は森川先生と同じく昨年から・・・。でも、森川先生は山形刑務所の中から『ふくしま探偵局』の開局の準備を手伝ってくれましたけどね」 片平さんが説明してくれた。すると、森川さんがトイレから戻ってきた。 「じゃ、行こうか」 俺たちは席をたった。俺が財布を出そうとした。 「会計は済ませておいた」 森川さんが微笑む。 「ごちそうさまです」 片平さんが車の鍵を出して前を歩いて行く。  その屋敷は大きかった。玄関にはすでに車が停まっていた。森川さんが先に車を降りた。すると、先に停まっていた車からマスクをし、スーツを着た男性が降りてきた。40代くらい。森川さんは、その男性と握手をしていた。 「昨日は、急なお願いですみません、湯田警部補」 警官だった。でも俺が知っている警官とは違う感じがした。 「森川先生のお願いですから、急ぎました。で、この屋敷ですか?」 「覚えていますか?」 「もちろん。当時は大変でしたから。この門を外して、重機をいれました」 湯田警部補は、大きな門構えを指さした。 「こちらは本日からウチに入った井上浩くん」 俺は頭を少し下げた。 「こちらは福島北警察署の湯田警部補。色々とお世話になっている」 「いやいや森川先生には、こちらの方がお世話になっているので・・・」 「中嶋さんが失踪した時、福島警察署にいて、この捜査の指揮をしていた方さ」 「まだ、見つかっていませんが・・・」 彼も森川さんと「先生」と呼ぶのか・・・。 「先程の森川先生のお願い、すでに発注済みです」 「ありがとうございます」 森川さんは何を警察に発注したんだ? 「笹川社長には承諾済みですから、一緒に中に入りましょう。春美先生は、この家の周囲を・・・」 「わかりました」  先崎さんは、スーッと俺達の前からいなくなった。森川さんはポケットから門の鍵を取り出すと門を開けた。 その後を湯田警部補が家の中に入っていく。その後を俺と片平さんで追う。 「井上くん、写真撮影しておいてね」 俺は慌ててカバンからデジカメを出して撮影を始めた。 「まず、庭から・・・」 森川さんはいつの間にか手に白い手袋をしていた。すると、片平さんから同じような白い手袋を渡された。森川さんは落ちていた1mぐらいの木を取ると、庭に落ちていた葉を避けるように地面を調べていた。 「その辺りもあの時、掘り返しました」 湯田警部補が腕を組んでいる。それでも森川さんは、庭を丁寧に調べている。 「大きな庭石ですね」 「亡くなった中嶋さんのお父さんの趣味だそうです。こちらの石畳も・・・」 森川さんは、大きな何枚かある石畳を木でつつく。 「その石畳も、あの時掘り返しましたよ」 それでも、木で石畳をつついている。 「あの大きな庭石は?」 「あれは、重機もで無理だったので、金属探知機で地下を捜査しました」 森川さんはその自分の背よりも高い庭石に登る。  そんな事をしながら、1時間を庭で過ごした。庭を一周した。入口で先崎さんが待っていた。 「終わりました?」 「庭はね」 湯田警部補があきれた顔をしている。森川さんが別の鍵を出して、玄関を開けた。森川さんは鼻を動かしていた。 「5つの和室と台所、便所、お風呂、押し入れ、天井裏、すべてあの時捜索しました」 森川さんは湯田警部補の話を聞いていないかのように靴をぬいで入っていった。 「どうですか?」 「湯田警部補、床下は?」 「畳を全て剥がしました」 「廊下の下は?」 「警察犬を使いました」 「何も出なかった?」 「はい」 森川さんは持っていた木でその辺りをつついていた。一番奥の部屋に来た。今までただ眺めていた森川さんが、畳に膝をついて調べ始めた。畳のふちを触る。 「何かありましたか、森川先生」 「土が・・・」 森川さんは、そう言うと玄関に向かっていった。 「そろそろ終わりましょうか、湯田警部補も私達に付き合うのが大変でしょう」 湯田警部補が苦笑いする。森川さんが玄関と門の戸締まりをした。 「夜は霧島警部にお願いしました。俺は管轄外なので・・・」 「ありがとうございました。この借りはきちんと返しますよ」 「今までの分で充分ですよ、では・・・」 湯田警部補は車に乗ってどこかに消えて行った。 「私たちは次に行こう」  笹川千代子さんの入所している介護付き老人ホーム「にこにこ荘」はそこからあまり遠くなかった。近くを流れる松川のそばに建物が建っていた。道から駐車場までの間に車椅子に乗った人や介護をしていると思われる人が午後の日光浴を楽しんでいるように芝生の上にいた。駐車場も広かった。建物は温泉旅館を思わせた。 「この風景の写真だけ見たら、温泉旅館ですね」 「井上くんもそう感じたか」 どうやら、森川さんも同じ意見らしい。  先崎さんが車で待機になった。 「何かあった時のため・・・」 森川さんの考えらしい。 「受け答えは全て私がするから、後ろで気付かれないように撮影して・・・」 森川さんの指示。  玄関も綺麗だった。スリッパに履き替えると、事務室に声を掛けた。そして、事務室の前にあるアルコール消毒液で、また、両手を消毒する。 「今、園長が参ります」 マスクをした事務員の方が応えてくれた。 「先に連絡をしておいて良かった」  すると、園の奧から初老の男性が近付いてきた。森川さんが俺の手に紙を渡した。名刺だった。 「笹川建設事務所 人事部 井上 浩」 いつの間にこんな偽名刺を森川さんは作ったのか。 「笹川建設事務所の森川と言います」 「片平です」 「井上です」 俺もつられて声に出る。2人が名刺を渡したのを見て、俺も名刺を渡す。すると、園長が俺にも名刺を渡した。 「特別介護老人ホーム 園長 松田 広志」 松田さんは、事務室の脇にあるフリースペースに俺達を案内した。 「笹川千代子さんの件ですね」 「はい。会長がまだ消息不明なので社長が、自分の家で会長夫人を引き取ろうかと申しまして・・・」 「千代子さんを見て頂くとわかりますが、認知症が最終段階です」 「と言いますと・・・」 「たぶん息子さん夫婦がいらしても、誰がいるかわからない状態かと・・・」 「そんなに・・・」 「ですから、ご自宅で介護となりますと、それ相応の看護士なり設備が必要になります」 「そうですか・・・」 「でも人事部の方が3人でいらっしゃるとは・・・」 「いいえ、実は片平と井上の仕事だったのですが、私の母も同じ症状でして、ここの見学も兼ねて参りました。すみません」 「そうでしたか」 松田園長が周囲を見回す。 「実を申しますと・・・」 事務員の方がお茶を持ってきた。会話が一時中断する。 「実を申しますと、ここの園長という職は天下りでして・・・」 「えっ?」 「3月まで銀行の支店長でした。退職してここの天下り。2年間の仕事です」 「そうでしたか」 「ですから、まだここの仕事はよくわからないのです。すみません」 「なるほど」 「では、千代子さんの部屋に行きましょう」  松田さんを先頭に4人で綺麗な廊下を歩く。 「綺麗ですね」 「綺麗じゃないと、今の時代、入居者がいなくなるのだそうです。これからは高齢者の時代。このような介護付きホームも増えます。だから、競争が激しいのです。預ける家族は、見た目が大事なのでしょう」 「なるほど」 「でも、一端親を預けると、家族の方がここに来るのは年に2、3回。少ない方は、預けてから一度も来ない。お金を支払うだけという人も・・・。でも、今はコロナ禍で、面会禁止の施設も多いのです。これは愚痴でした。すみません」 「大変な時代になりました」 「森川さん、後でここのパンフレットをあげましょう」 「すみません」 「ここです」 124室の部屋を開ける。中には大きなベットがあり、そこに1人の女の方が腰を降ろして座っていた。 「千代子さん、今日はどうだい?」 松田さんが話しかける。 「まずまずだね」 「今日はお子さんの会社の方が様子を見に来たよ」 すると、森川さんが前に出る。 「笹川建設事務所から来ました森川です。社長が今度、一緒に住もうと提案しております。家に帰ることが出来ますよ」 「たぶん、何を話してもわからないと思います」 松田さんが森川さんに話しかける。それでも、森川さんは架空の話を続けていた。 「今度の休みに社長が来て、準備すると思います」 笹川千代子さんは動かない。森川さんが振り向く。 「そろそろ会社に帰ろうか・・・」 俺たちは元来た廊下を戻って行く。 「誰も入っていないお部屋を見せて頂けますか?」 「今は満室なので・・・。でも、今、外に行っている方の部屋なら・・・」 松田さんはそう言うと105室のドアを開けた。森川さんは1人、松田さんとその部屋に入って行くと中を見渡し、すぐに出てきた。 「ありがとうございます」 そして、事務室前に来ると、 「松田さん、パンフレットを頂けますか?」 とわざわざ尋ねた。松田さんは事務室に入り、パンフレットを取ってきた。 「笹川社長のお声がかりの方は、優先的に入居を考えさせていただきます」 「それは、ありがとうございます」 森川さんは深々と頭を下げた。  片平さんの運転する車が「ふくしま探偵局」に着いた。 「井上くん、福島市に着いて早々、仕事が夜になるけど、大変なら・・・」 ここまで来て最後を見ない手はない。 「大丈夫ですよ。体力には自信があります」 「では、事務所に午後7時集合で。軽く夕食を食べてきてね」 時計を見た。午後4時だった。 「部屋の片付けをしてきます」 俺はポテトハウスの201号室に歩いて戻り、先ほど買って頂いた荷物の整理をした。 俺は6時30分に「ふくしま探偵局」の2階に着いた。新人たる者、先輩より早めの行動だ。これが俺に職を案内してくれた森川さんへの恩返し。お茶でも煎れて待っていよう。受付の梢さんはすでにいなかった。しかし、事務所の明かりがついているようだった。事務所のドアを開けると奧の席に、第3課の3人がすでに待っていた。 「遅れました」 「何を言っている。30分、早いさ」  午後7時。俺たちはJR奥羽本線、庭坂駅の駐車場にいた。俺は森川さんの運転する車の助手席に座っていた。後ろには片平さんの緑の軽が停まっている。 「駅でトイレを済ませよう」 車から出た。4月だというのにとても寒かった。すると、片平さんが俺に手袋と帽子を渡してくれた。みんな帽子と手袋をしていた。 「寒くなるからね」 先崎さんが微笑む。  庭坂駅には誰もいなかった。小さな駅だ。すると、どこからか声がした。 「森川先生、お久しぶりです」 背後に背広姿にコートを着た2人の男がいた。30代と50代らしい。 「これは、霧島城司警部、小笠原伽緒瑠(かおる)刑事、寒い中すみません」 「森川先生こそ、いつも大変ですね」 「それより、打ち合わせた通り、人員を配置してくれました?」 打合せって何だ?人員って・・・? 「もちろんです」 「森川先生が間違ったことありませんから・・・」 まあ、森川さんが間違ったのを俺も知らない。彼の推理は山形刑務所でも正しかった。 「それじゃ、2人は別場所で待機」 「わかりました。動きがあったら、連絡します」 片平さんと先崎さんは、車に戻って行った。  10分後、俺達はあの屋敷の一番奥の部屋にいた。小笠原と呼ばれた刑事は外の庭の係らしい。どこでも年功序列だ。そして、じっとしているのがこんない辛いとは思わなかった。刑務所でもこんな事はなかった。  そして3時間が過ぎた。 「来るでしょうか?」 霧島警部が囁く。 「必ず来ますよ。今日しかありませんから・・・」 また1時間が過ぎた。突然、霧島警部の持つレシーバーが震えた。耳にあてる。 「不信な車が塀の横に停まったようです」 「当たりましたね」 「森川先生の言う通りでした。車の停まる場所も・・・」 その時、門の開く音がした。庭に誰かが入ってくる物音がする。そして、金属が何かに当たる音がする。森川さんが雨戸の隙間から確認する。 「やはりあそこか」 「わかりましたか」 「はい。やはり睨んだ通り、あの大きな石畳の下だ」 森川さんが霧島警部を見る。 「もういいでしょう」 すると、霧島警部がレシーバーに向かって叫んだ。 「確保だ!」 庭が突然明るくなった。霧島警部と森川さんが雨戸を外す。サーチライトが庭でスコップを持っている人間を照らし出していた。 「住居侵入の現行犯で逮捕する」 霧島警部が叫ぶ。いつの間にか多くの人間が庭を取り囲んでいた。すると、スコップを持った1人がこちらに向かってきた。霧島警部がそのスコップをよける。それでも俺達のほうに突入してくる。俺は右手で頭を守り、目をつぶった。その時、壁に何かが当たる音がした。目を開ける。スコップを持った男が壁の前で倒れている。横にいた森川さんの脚が高く上がっていた。彼の蹴りが男にあたり、跳んだらしい。庭にいた男を小笠原刑事が取り押さえていた。壁の前で気絶している男を霧島警部が取り押さえる。 「皆さん、ご紹介しましょう。中嶋文明さん27歳と奇島信司さん30歳です」 「ここは俺の家だ」 庭で取り押さえられている男が叫ぶ。 「殺人と死体遺棄もつけましょうか?」 森川さんの一言で、男は黙ってしまった。俺もあっけにとられて固まっていた。 「霧島警部補、片平先生から連絡が入り、向こうでも動きがあったそうです。車を玄関まで回していただけませんか?」 まだ、別会場で事件があるのか? 「すでに玄関にパトカーを待機させています」 「井上くん、行くぞ」 森川さんに促され、俺と霧島警部は、玄関に待機しているパトカーに飛び乗った。手錠をしないでパトカーに乗ったのは初めてだ。すぐパトカーが動く、すると、後ろから何台かついてくる。  そこは介護付き老人ホーム「にこにこ荘」の駐車場。すでに片平さんと先崎さんが車から出て、待っていた。 「どうだ?」 「赤外線センサーは反応しています」 「入口が開く反応しました」 2人が同時に話す。 外から行きましょう。森川さんが霧島警部の手を引く。 「124号室は、その建物の裏です」 森川さんが指さした部屋は、電気がついていた。俺たちがその部屋に近づくと、いきなり、窓ガラスが割れた。割れた場所から部屋の中が見えた。男女2人が格闘している。先程会った、松田広志園長と笹川千代子さんだ。2人が赤い大きなトランクを引っ張りあっている。  霧島警部と森川さんが割れた窓から、部屋に飛び込んだ。 「殺される~」 「手を離せ!」 2人が部屋に飛び込んでも騒ぎ声が外まで聞こえる。酷い認知症の笹川千代子さんがとても元気に見える。霧島警部と森川さんが2人を引き離した。入口から突入した別の警官が2人を確保している。その動きを俺たち3人は寒い外から眺めていた。  日付が変わろうとしていた。俺たちは「ふくしま探偵局」に戻っていた。事件解決の一報を受けて、大木局長も来ていた。局長室に5人が集まっていた。 「4人共、ご苦労様でした」 大木局長がお寿司の出前をとってくれていた。 「食べながら、お話を聞かせて・・・」 森川さんは、カッパ巻きをつまんでいた。 「番茶、煎れますね」 片平さんが席から立つ。 「きっかけは、中嶋さん2人の失踪にある気がしました」 森川さんが話し始めた。 「ですから、その失踪した前に何か事件や事故がなかったか、霧島警部に話を聞きました。すると、何件かヒットしましたが、一番、当てはまりそうだったのが、2018年1月12日、金曜日に起こった現金輸送車強盗事件です」 「そんなのありましたね」 「容疑者が自殺した事件ですね」 「その日、福島金融警備の会社が運転する現金輸送車が、男2人組に白昼、襲われた。運転手2人は頭を殴られ、積んであった一億近くの現金が盗まれた」 「そうそう」 「でも、輸送車の経路で人気がない道路で襲った事。一億の現金が輸送車にあった事などから考えて、内部犯か内部の協力者があった事が最初から警察で捜査方針にあがりました。ケガをした運転手のうち年配の大内さんは当時50歳。福島金融警備に入って25年のベテラン。もう一人は吉田幹也、当時25歳。高校を出て、職を転々とし、福島金融警備に入って1年の新人。半年間の訓練を終えたばかりの人だった。警察は吉田幹也を次の日、尋問した。担当は、先程一緒に行動した小笠原刑事。彼の最初の事件だった。福島北警察の管轄だ。  ところが、吉田幹也は警察署に呼ばれた次の日。自宅で首をつって自殺をしてしまう。新聞や報道は警察の取り調べが行き過ぎじゃないかとか、吉田幹也が犯行を隠すのが限界だったとか、書き立てた」 「盗まれたお金は?」 「見つからなかった。で、調査した。吉田幹也と中嶋文明は、中学校の時の同級生。それも名ばかりの卓球部。中嶋文明は中学3年生の時、あの屋敷に近い中学校に転校している。だから、捜査線から漏れた。そして、中嶋文明のいとこにあたる奇島信司。当時28歳。福島の北部にある自動車工場を経営している父を二人暮らし。この3人が現金強奪を計画、実行した。  吉田が輸送車の情報を漏らし、運転。中嶋と奇島が輸送車を襲う。現金の入った鍵はすぐ手に入る。吉田は軽く殴られる。しかし、警察に感づかれ、自殺。現金は中嶋文明が自宅に隠した」 「でも・・・」 「その吉田幹也の自殺報道で気づいた人が1人いた」 「それが中嶋文明の父親、良次さんね」 「そう。市役所でもお堅い気質の良次さんは、息子が中学の時の同級生が自殺した事。それも現金輸送車の強盗に若い男2人が関与している事で、自分の息子が関わっていると感じた。それも、もう1人も素行の悪かった甥の奇島広志が関わっていると感じた。たぶん、広志が中嶋に家に来て、強盗の相談をしているのを、父親の中嶋良次さんが見ていたのかもしれない。  そして、1月17日、水曜日。市役所に休みの連絡をして、奇島自動車工場を訪れた。そこで、中嶋良次さんは亡くなった」 「えっ?」 「奇島信司が殺したか、後をつけられた中嶋文明が殺したか、2人共同で殺したか、自動車工場で転んだりして亡くなったかはまだわからない。でも、中嶋良次さんの遺体が調査されては、現金輸送車強盗がバレてしまう。そこで、自動車工場に中嶋良次さんの遺体を隠した」 「そういう事ね」 「今度は、失踪した中嶋文明の月日の前後を調べた」 「1月20日頃ね」 「そう、失踪とは言っても、完全に人間1人が消滅することは大変困難。考えられるのは、刑事事件を起こし、刑務所に収監される。海外に出る。身元を証明する物を身につけず倒れ死亡し、身元不明人で埋葬される。記憶をなくし、どこかの病院で入院するなど。刑事事件は顔写真がテレビや報道に出るから家族や周囲の人間が気がつきやすい。海外渡航は調査したが該当する人間はいなかった。すると身元不明人だ。1月20日前後の身元不明人を全国で探した。すると、仙台南警察病院に1人、該当者がいた」 「みんな、お寿司が固くならないうちに食べてね」 大木局長が促す。 「耳だけじゃなくて、手も動かしてね」 森川さんは、今度、ガリを大量に口に入れる。 「中嶋文明は取った現金から10万円くらい取り、1月17日、水曜日に仙台に遊びにいった。ところがそこで乗ったバスが動物園の近くで道を外れ、道路下に落下。乗っていたバスは炎上。中嶋は意識をなくし、仙台南警察病院に運ばれた。持参した物は灰になった。そして、中嶋は意識を回復しても記憶が戻らなかった」 「だから、仙台の小林探偵事務所と何回も連絡を取っていたのね」 「ああ、小林士郎さんにも協力してもらった。井上くん、小林さんは大学の時の先輩でね、仙台で探偵事務所を開設している。よく協力してもらうんだ」 納得。 「ところが、中嶋が入院して1年後、仙台南警察病院でボヤ騒ぎが起こる。中嶋の入院していた部屋の隣の部屋だ。入院患者がこっそりタバコを吸っていた。そして、次の日、中嶋文明が病院から消えた」 「ボヤの火を見て、記憶がよみがえったのね」 「たぶんそうらしい。中嶋は近くのコンビニから現金を盗むと、福島の戻って従兄弟の奇島信司と再会。自分の家に隠した現金を取りに行こうとした」 「しかし、家は売られていた」 「そう、奇島の父親が笹川設計事務所に売っていた。その事を知った、中嶋文明は、こっそり夜忍びこんだ。それが3ヶ月前。忍び込んだ屋敷で、運悪くその家の主人を遭遇してしまう。笹川典雄さんだ。2人はその場で笹川さんを殺害。床下に隠した」 「屋敷の一番奥の部屋からルミノール反応が出たそうよ」 「夫がいなくなって怖くなった笹川千代子さんが、認知症のふりをして、介護付き老人ホームに逃げ込んだ。そして屋敷は空き家になった」 森川さんが俺にお寿司を勧める。俺は遠慮せず、ウニに手を伸ばした。 「そして、奇島信司がこんなことを言う。あの屋敷の庭は中嶋文明と父親が失踪した時、警察の捜索が入っているから、庭に死体を隠せば、警察も捜索しない。今は誰も住んでいなくなった、と」 「それで、2人は、自動車工場に2年前隠した中嶋良次さんの遺体を持って、あの屋敷に来る。床下から笹川典雄さんの遺体を出して、庭の大きな石畳の下に2人の遺体を隠した」 「でも大変でしょ。石畳・・・」 「そう、あの庭の石畳は6枚あった。そのうち、1枚だけ最近周囲が新しくなっていた。本当はその時、掘っても良かったんだが、犯人が逃げてしまう場合もあって、そのままにした。それに、その石畳を盛り上げるため、テコの原理でいう支点の場所に丁度いい大きさの石があった。その石も苔がはがれていた。  2人は遺体を隠しながら、2年前に現金を隠した場所を探した」 「その光を笹川社長が目撃したのね」 「そう。しかし、現金が見つからなかった」 「2人は焦ったでしょうね」 「中嶋文明は、奇島信司を疑っただろうね。でも、2人の関係は奇島が上。現金輸送車強盗も、最初は奇島が考えたのだとう。自分の従兄弟の同級生が福島金融警備に入社したことを知ってね」 「現金は?」 「まず、2人の確保が優先だ。そのため、福島北警察署の湯田警部補に依頼して、あの屋敷が取り壊されることを流した。特に奇島自動車工場は、福島北警察署の管内にある。今週末から工事が入るから金曜日には工事の人が屋敷に入るって」 「だから今日の夜しか、遺体を掘り起こし、別の場所に移動させる日がなかった」 「そう。必ず、2人が屋敷に来ると思って、霧島警部と小笠原刑事に頼んで、人員を配置してもらった。後は、見たままさ」 「今、霧島警部から連絡が入り、あの石畳の下から、腐乱した死体と男性の死体が発見されたそうよ」 大木局長がスマホを机の上に置く。 「で、現金だけど・・・」 森川さんが一呼吸おく。 「中嶋文明が失踪して、警察があの屋敷を捜索するまで一週間かかったそうだ。当時の様子を湯田警部補が話してくれました。最初は自宅の捜索をいやがっていた中嶋ふみ子さんがいきなり承諾したって・・・。  つまり中嶋ふみ子さんもあの広い屋敷を自分で捜索した。そして、現金一億円を見つけてしまったんだ。しかし、警察が屋敷に来ては、現金が見つかる。一億円と言えば、一万円札にしてもアタッシュケース1つ分だ。アタッシュケース一杯になる。自宅にそれがあっては、警察が死体かもと思って、開けてくれと頼むに違いないと思った。  それで、警察が介入してくる前に中嶋ふみ子さんは現金を隠す事にした。庭は無理。だから、屋敷から一番近くにある福島笑顔銀行庭坂支店に貸金庫を借りた」 「貸金庫!」 「庭坂支店に確認した。本当は教えられないところだが、霧島警部が殺人事件がからんでいると話すと、手のひらを返したように話してくれたらしい。なんせ小さな支店だ。貸金庫なんて、珍しい。2018年1月22日、月曜日。中嶋ふみ子さんが大きな貸金庫を借りている」 「じゃ、庭坂支店に現金が・・・」 「井上くん、まだ話の続きがある。中嶋ふみ子さんはその後、タクシーの事故で亡くなってしまう。あの屋敷は家具ごと笹川建設事務所に売却されている。そこに住んだ笹川夫婦があの貸金庫の鍵を見つける。でも、夫の笹川典雄さんがその鍵の存在を知っていたかはわからないけどね。  で、夫の笹川典雄さんが行方不明になって、奥さんの千代子さんはあせった。あの貸金庫の鍵がその失踪に関わってると感じた。そして夫が失踪した次の日、福島笑顔銀行庭坂支店の貸金庫を解約している。もちろん、中身を引き取って。  それで、笹川千代子さんは驚いたはずだ。一億円近くの札束が入っている。夫が失踪したのも関係あるに違いないと。しかし、この広い屋敷に一億円と老婆だけでは怖い。だから認知症になったふりをして、人の多い介護付き老人ホーム『にこにこ荘』に入居することを決めた。あのホームは全室1人部屋。鍵のかかるロッカーもある。すぐ息子に話して、入居する。それも一億円の入ったケースを持って・・・」 「入り組んでいますね」 「そう。それも更に難しくした人物がいる。『にこにこ荘』園長の松田広志だ」 「彼はどう関わったのですか?」 「あの『にこにこ荘』の園長職は天下りと話していた。それで、私は彼の前職を調べた。3月まで彼は福島笑顔銀行庭坂支店の支店長だった」 俺は驚いた。 「ここまで話せば分かると思うが、この3年間、彼は庭坂支店の支店長だった。その間に庭坂支店で貸金庫を利用した人数は2人。2年前の中嶋ふみ子さんと1ヶ月前の笹川千代子さん。同じ貸金庫を違う人間が貸し借りをしておかしいと思って覚えていたのだろう。そして、自分が天下りした先にその笹川千代子さんが入居してきた」 「運命の巡り合わせですね」 「運命なんてものがあればね」 森川さんは「運命」なんて言葉を信用していない。 「松田広志は、毎日、彼女の行動を観察していたはずさ。そして、気がついた。他の認知症の患者と違う事を。それにロッカーに鍵をかけ、何かを大事に隠していることも。それで、あの貸金庫から出したケースじゃないかと思った。とても気になっていた。夜、笹川千代子さんがロッカーを開け、ケースを開いているところでも見たんじゃないかな。大量の一万円札を」 「誘惑されますね」 「そこで、私は芝居をうった。笹川建設事務所から来たことにした。自宅に戻したいと社長が話していると言って、彼女を動揺させた。彼女は一瞬、認知症の患者が見せない表情をした。自宅に戻されたら、あの一億円が家族にバレてしまう。経営が危なくなっている事務所だ。何に使われるかわからない」 「動揺しますね」 「しますね」 片平さんと先崎さんが同調する。 「松田園長にも聞こえるように、休日に社長が来ると話した。笹川建設事務所の休日は金曜日。つまり明日。あの現金入りケースを盗むなら今晩しかない」 「それで、赤外線センサーをあの病室に仕掛けた」 「入口にもセンサーを仕掛けた」 「外から盗聴器を仕掛けたのは私」 先崎さんの車待機とは、そういう意味だったのか・・・。納得。 「センサーと盗聴器は回収したの?」 「もちろんです。大木先生、あの騒動に紛れて。高い機材でしょ・・・」 丁度、お寿司がなくなった。 「ごちそうさまです。大木先生」 「報告書は来週でいいわ。笹川社長には私と父から報告しておく。それに、明日は4人共休んでいいから」 「ありがとうございます」 4人で局長室を出た。すでに12時を回っていた。 「井上くん、送っていきましょうか?」 「いいんですか、先崎さん」 「大丈夫よ、車できたから。森川先生と片平先生は?」 また彼女も森川さんを『先生』と呼ぶ。 「私はちょっと霧島警部にお礼のメールをしてから帰る」 「私は今回の必要経費を大木先生に出してから帰る」 「じゃあ、お先に・・・」 「失礼します」 俺と先崎さんは1階の駐車場にあったグレイの軽の乗った。 「大木局長も先生なのですか?」 「あら、言わなかった?大木先生、ここの前は森川先生や片平先生と同じ、二本松大学の先生だったのよ」 「そうだったのですか?」 「あっ、そうそう、『ふくしま探偵局』の禁止事項が1つあるの」 「何です?」 「大木先生に『色』の話をしゃちゃダメよ。理由は聞かない事」 「わかりました」 車はあっという間にポテトハウスに着いた。 「ありがとうございます」 「いいえ、どういたしまして」 俺が車を降りた。先崎さんは車のエンジンを切った。そして、車から降りた。 「何か・・・?」 「私、ここの3階に住んでいるの」 そうだった。ここは社宅だった。 「じゃ、お休みなさい」 「お休みなさい」 彼女の階段を登る靴音が月の光の輝く夜に響いていた。
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