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犬神京介①
窓から入る淡い月光を浴びながら、男は物思いに耽っていた。
静寂の中、壁に背を預け、固く目を閉じ、真一文字に口を結んでいる。微動だにしない。両足を組んで左足を太腿にのせた、いわゆる結跏趺坐の姿だ。
音を告げる物が一切ない室内に、光源は淡い月光のみ。男が瞑想するに十分過ぎるだろう。
ふと⋯⋯唐突に深く眉間にシワを刻み表情を変えた。男に巣食う古い疵が疼き始めたからだ。
前兆だった。
痛みに耐えるように俯き、唇を噛み締める。現れた鋭い犬歯が薄い唇を噛み締め、更に食い込んだ。紅く糸を引いて流れ落ちても、一向に気にする素振りもない。
ただ耐えるのみ。気の遠くなる程繰り返された行為だった。
組んだ太腿に紅いシミが拡がり、尋常ではない量の血が唇に開けられた孔から零れ落ちる。
やがてそっと眼を開くと中天の霞んだ月を仰いだ。
「⋯⋯そういやそろそろ満月か」
誰に語るでもなく確認事項の様に呟くと、手近のシガレットケースから一本抜き取ると火を灯した。
唇に開けられた孔はもう塞がっていた。顎と太腿に残った紅だけが、ただ名残惜しそうに残ったままだ。
再び目を閉じ、ゆっくりと紫煙を燻らせる。それは肺を満たしてくれても、男の奥底に眠る飢餓感は満たしてはくれない。むしろ増すばかりだった。
少し乱暴気味に煙草を灰皿に押し付け、それからまるで壊れ物にでも触れるかのように自らの左胸を右手で覆った。
「何処にいる?愛しい番は」
今度こそ手に入れる。手に入れたら・・・⋯二度と離さない。
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