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「実際、こういったまじないで誰かが呪われたり、憑依されたりするケースは別に嬢ちゃんの学校に限ったことじゃねえ。俺達にしてみれば良くある話だ。そのほとんどは比較的に大した霊障も被害も出ないことがほとんどだが、今回のケースは至って珍しい」
「……珍しい?」
「ああ、ここまで偶然が重なることなんてことは恐らくあまり無いだろう。今回のまじない騒ぎがここまでの事態に至ったのは、その不幸な偶然のせいだ。その原因は、ざっと分けると“3つ”ある」
コートの男は栞の前に手のひらを見せ、広げた親指を内側に折り曲げると言った。
「原因その1――それは、まじないで呼び出す者に縁間様という“厄介極まりない名前を付けた事だ”」
おまじないで呼び出すのは縁の間を取り持つ神様――だから学校の生徒達はそれを『縁間様』と呼んでいた。だが、その“えんま”という言葉自体はそもそも縁起の良い意味として使われることはない。
“えんま”とは、つまり――閻魔。
それは、地獄に落ちた罪人を罰する冥界の王を指す言葉である。
「……ったく、小学生のネーミングセンスってやつには恐れ入ったぜ。まさか、まじないで呼び出す霊魂に閻魔王の名を付けるんだからな。それが怪異にどういう影響を与えるのかも知らねえで。たかが名前1つだとしても、言葉の1つ1つに言霊という霊力が宿るように、名前にも同様の霊力が宿る。仮にでも閻魔王の名は怪異が冠する名前としては最上級と言っていい。長い眠りについていたはずの鬼熊の魂はその名前が持つ強い霊力に反応した、“招かざる怪異”だったってわけだ。鬼熊は山の主になることもある。そんな力のある妖怪がそもそも下級霊を呼び出す儀式なんかで降りてくるはずがねえのさ」
そして、男は間髪入れずに「次だ」と言うと今度は人差し指を折り曲げる。
「原因その2――これは、いわゆる人の業ってやつだな。目を覚ました鬼熊にいったい何人の生徒が縁を結んでくれと願ったことか。粗末な儀式で呼び出され、人間様の勝手な願掛けに利用される。そして、もしその願いが成就しなかった時にはまるで手のひらを返したように、今度は“忌むべきものとして扱われ始める”。『どうして好きな人との縁を結んでくれないのか』、『どうして自分だけがこんな辛い思いをしなくちゃならないのか』――“役立たず”――期待外れの神様だと、そんな謂れもない怨みを奴はこれまで向けられ続けて来たはずだ。縁を結ぶ――そんな力など初めから無いのにな」
飼い犬や飼い猫が主人の顔を見ただけで相手が今何を考えているのかを理解するように、彼らも人間の心の声を聞くぐらいは造作もないことだ。
故に、彼らは人間の心の声をトレースし、儀式に参加したいずれかの人間の深層心理にある思いを“結果”として紙の上に表示していたに過ぎない。
『果たして、自分は意中の相手と縁があるのかどうか』――それは、よほどの自信家か核心がない限りは期待よりも不安が勝ったことだろう。だからこそ、おまじないの結果の多くがきっと望まれないものであったのは容易に想像出来る。
「いくら鬼熊が妖怪であっても、願いを叶えるという優れた神通力は持ち合わせちゃいねえ。妖は、どこまでいっても妖――神に成り代われるわけもなく、ただただ奴等は呪いに呼ばれ、呪いを生み、また別の呪いを呼ぶ。怪異ってのはな、どうしたって“そういう生き物なんだよ”」
塵も積もれば山となる。1人1人の怨みは微々たるものでも、積み重なれば怨念となる。その怨念が怪異を育み、やがては大きな災いを呼びよせる。
冬眠明けの熊は腹ペコだ。生徒達の生み出した怨念は、目覚めたばかりの鬼熊にとってさぞかしいい餌になったに違いない。
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