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「そろそろ車に戻ろうか――」
満天の星空の下、お互いの体温でうっすらと汗をかいた体を剥がし男はそう言って懐中電灯で来た道を照らした。深い森だが思いのほか道はわかりやすい。
一本道を戻るように足元を懐中電灯で照らしながら、男が女を背に歩いていると、少し怯えたような声が後ろで聞こえた。
「ねぇ、優くん。今のって……」
「ん、どうした?」
「今さ……何か言った……?」
「……いいや、何も?」
「そう……?でも……確かに何か聞こえた気がするんだけど……」
「あはは、気のせいだって!明美は怖がりだなぁ」
男がそう言った瞬間、囁くような不思議な声が男の耳元でした。
――『振り返るな……』
なんだ……今の声……?
そして、男が「なあ、今のって……」と、そう言いかけたその時、突然背後から女の悲鳴が男の耳を劈いた。
「きゃあああああああああッ!!」
「どうした明美ッ!!」
その彼女の悲鳴に男は咄嗟に後ろを振り返り、懐中電灯の光を悲鳴のした方へと向ける。
「あ、明美……?」
男は慌てて暗闇の中で懐中電灯を左右に振るが、おかしい。さっきまでいた女の姿が一向に見えないのだ。
「お、おい……ど、どこに行ったんだよ明美……悪ふざけはよして早く出て来いよ!このままだと置いてっちまうぞ!なあ、明美ぃ!」
だが――返事は無い。
その男の声だけが深い森の中で木霊し、辺りで騒めいていた小さな虫たちの鳴く音が無数に折り重り大きくなっていく。それが、まるで蝕む様に段々と彼の思考を乱した。
さっきまでそこに居たんだ……ッ!なのに……なのに、なんで……ッ!?
そして、そんな虫のざわめきが急にしんと静まり返った時、男は気付いた。彼女は隠れているんじゃない。この場から、“居なくなったんだ”と。
「……う、嘘だろ……な、なんで居ないんだよ…………明美……明美ぃぃぃ…………!!」
今まで男の背後にいたはずの女はまるで断末魔のような叫び声と共に忽然と姿を消した。
悲痛な残響と、そして、“人ならざる痕跡”をその場に残して――。
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