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ー怪談Bar『深淵』ー
都会の隅にひっそりと佇む隠れ家のようなバーがある。
そのバーでは美味しいお酒と共に毎夜毎夜、誰かの口から怪しげな話が語られる。
ここに集まるのは嘘か本当かわからないような都市伝説に身の毛もよだつような怪談話ばかり。
ここは、その名も――怪談Bar『深淵』――。
今夜も嬉々として怪談を求める好奇心旺盛な人間達は、そのグラスを傾けながら恐怖に酔いしれる。
だが――ここに集まるのはそんな怪談話ばかりではない。
ここには人知れず警察でも解決できないような未解決の『行方不明事件』や『猟奇殺人事件』、科学者でも解明できない『超常現象』といった事象に関する“とある依頼”も何処からともなく集まって来る。
しかし、そんな厄介極まる依頼を自ら引き受けようという人間はあまり居ない。
もし居たとしても、そんな稀有な人間はせいぜいカウンターの隅に座り安酒を煽っているこの男の様な『“怪異狩り”』を生業にしている者ぐらいだろう――。
「マスター、同じやつもう一杯」
「あいよ」
ぼさぼさの前髪を真ん中で分け、夏だというのに長袖のパーカーを羽織った若い男がタンッと音を鳴らしカウンターに空いたグラスを置いた。
マスターと呼ばれる口元に白いひげを生やした白髪の初老の男は、注文のまま黙々と安価なウイスキーをそこに注いでいく。
「ちょっと影彌、今日は依頼を受けに来たんじゃないの?あんたさっきからそうやってお酒ばっか飲んでるけど……」
影彌という男の隣に座り、スーツに身を包んだショートカットの女は周囲を気にしながら小声でそう彼に耳打ちをした。
「まあまあ理沙さん、獲物は酒でも飲んで待てってね」
注がれたウイスキーをひとくち口に含み、影彌はおもむろに煙草に火を付ける。
「あんたが手伝ってくれって言うから仕事終わりにこうして来てやったっていうのに、これじゃあただ一緒に飲んでるのと変わらないじゃん。ま、まあ別に、それはそれで私はいいんだけどさ……?」
切り揃えた前髪を指で弄りながらカランと氷を鳴らし理沙はグラスに入っていたウイスキーを飲み干した。
「ていうか、マスターにおまかせでって頼んじゃったけど、あんたいつもこんなの飲んでんの?これ、なんていうか……。ねえ、これ本当に飲んでもいい合法のお酒?今までに味わったことのない化学の味がしたんだけど……」
煙草をくゆらせていた影彌は横目で理沙を一瞥して言う。
「ああ、それ『マッカラン』ていうウイスキー。いい酒だぜ」
「へえー、そうなの……」
そう言って彼女は訝し気に空いたグラスを眺めた。
氷に反射したオレンジ色の淡い照明がグラスの中をきらきらと輝やかせている。
「ウイスキーの何がいいのかは私にはわからないけど……でも、なんか良い感じよね。こういう所で飲むお酒って」
「そうか?」
「うん、バーなんてわたし初めて来たしさっ」
そう軽やかに笑って理沙がグラスをそっとカウンターに置いた。
その時、カランカランと綺麗なドアベルの音と共に店の扉が開き、二人の男女が新たに店へと入って来た。
男はスーツを着ており、女は少し露出の多い派手めの服を着ている。
その男女の二人は三つ椅子を隔てて影彌と理沙の横に座ると、いくつか酒と肴を注文をした後に奇妙な話をし始めた。
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