白いワンピースの少女とセミの抜け殻

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「じろう、じろう。朝ごはん、リビングに置いておいたからね。一緒にお薬もあるから、お母さん、仕事に行ってくるからね。家を出ないようにね」と、下からお母さんの声がする。 「うん」と言った。 窓の外から「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」とセミの声が聞こえる。 セミの声を聞くと、あの日のことを思い出す。 その日は、小学生から中学生になって初めてのGWの休み明けだった。環境の変化により、友達という友達ができなかった。 お母さんも当然学校へ行くと思っていただろう。 しかし、通学路がいつもと違った。 玄関を出て門扉を開け、一歩踏み出すと領域は、ぼくの知らない世界だった。 一歩一歩に感じる重量感。まるで、奈落の落とし穴に落ちていくかのように地面に足が吸い込まれていく。 反対の足を踏み出すとさらに、重たく崖から落下した。 月9のドラマで、ヤクザに追い詰められ、岩盤絶壁の下に海があり覗くと岩肌が露骨にみえまさに、窮地に立つ気持ちが痛いほどわかる。 しかし、奈落と崖の境目を勇気を振り絞り、1000歩は踏み出しただろうか? いつもは、素通りのなんともない小さな公園が楽園にみえた。横がけの背もたれ椅子がある。 このままでは、頭に岩をぶつけかねない。 そう、思ったぼくは休憩することにした。 額いっぱいに汗が浸っている。眉をつたり、瞼にながれ目に入る。 ツクツクボウシの鳴き声が耳いっぱいに広がる。 「学校に行かなかったらお母さん悲しむかな?ごめんね。こんな友達もできない子供で、ちゃんと学校へ行って、テストの点数も高く、スポーツ活動にも精力的で生まれたかったな」 と、そんな事を考えながら、クラスの人に見られていないか心配になった。 そのため、木陰にある椅子に移動する。乱雑に木の枝が座椅子に落ちている。 手で払い除け地面に落として、腰を下ろす。 クラスのイケメン広瀬くんの顔が浮かぶ。 「お母さんも広瀬くんみたいな子供だったら、もっと笑顔で喜んでくれたかな?ぼくなんて生まれて来ない方がよかったんだ」と学校にいかない自分をせめ「ふう」と一息して気持ちを落ち着かせる。 「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ」と、頭から罪悪感を浴びる。 その日から、ぼくは学校にいけてない。 そのため蝉の声は、より一層頭にくる。窓から覗くと、一軒家を立てたときの記念樹「柿の木」からそいつが喚いていることがわかった。 「あのセミめ。殺してやる」昨晩は涼しく、クーラーを切っていたせいで、今日の朝の残暑は重なりいつも以上に頭に血が上る。 ぼくは、なりふり構わず小さい頃使っていた虫取り網を取り出す。やつを捕まえて踏みつけることにした。 庭に出ると、オレンジ色に染まった柿の根元の枝木にいた。 逃さないよう、静かにそっと近づく。 あとちょっとで、捕まえられる。 「よーし」といきごみ、アミを振り下ろす。 それと、同時に下に引き地面に叩きつける。 「どうだ?入ったか?」と思って様子を見る。 やった。入ってる。 こんな高揚感は久しぶりだ。暑さを忘れていた。 「うるさくするから、いけないんだ。よし潰してやる」と右足を降ろそうとする。 すると「ツクツク」と鳴いていたはずのセミが 「小僧。小僧。やめろ。やめろ」と、枯れた細い声がした。 ぼくは、疑い。周りをみわたした。当然、誰もいない。 ちょっと目を話した隙に、タモの隙間からセミは抜け出そうとしていた。 「逃がすものか」と慌てて虫取り網の竿を力強く握る。 その瞬間セミは網の中で飛んだ。 もがくだけセミを無駄に思ったが、網には穴が空いていた。そこからセミは飛んで逃げていった。 「小僧。小僧。砂浜の松の林の陰の海に来い。あの人がお呼びだ」と、いって羽ばたいていった。 ぼくは、必死に後を追いかけた。 「あのセミ目、おれを舐めやがって」と、無性に腹を立てながら走った。 しかし、セミはものすごい勢いで飛んでいき、見失ってしまった。 あのセミなんか言っていたな。「砂浜の松の林の陰の海?」この辺では一つしかないな。 さっそく向かってみることにした。 七、八十年以上前から立っている松が見えてきた。 どこどこと松の林に、向かっていく。 近頃は、薄暗く不気味がって人々は、あまり立ち入らなくなっていた。 松の向こう側から「ザブン、ザブン」と海の音が聴こえる。 それに合わせ、セミたちが合唱している。家で聞く数倍の大合唱だ。 ぼくは、大合唱に憤りを感じ「全部殺してやろう」と、意気込み陰に踏み込み、とことこ歩く。 そこには見かけない「白いワンピースをきた少女」がいた。 ぼくは、唖然と立ちすくんでしまった。 その少女が近づいてきて「私は、アイオス、あなたは何ていうの?」と言った。 ぼくは、急に話しかけられ、もじもじと下を向き「ぼっ、ぼくは、、、、」と答えたところで、恥ずかしくなり、後ろを向いてその場を逃げ出した。 海陸風により曲がりくねった松は、まるでぼくを妨げているようだ。それと、同時に「ツクツクボーシ」と合唱がぼくを襲う。ぼくは、家へ向って全力で走った。 「ごめん、おかあさん」と、約束をやぶって家を出たことに懺悔し涙が滲み出た。 涙は、頬につたらなかった。松を「抜け出せる」と思ったそのとき「ズッテン、ゴロン」ヘッドスライディングをした。 「いっって〜」と、思って瞑った目を開けるとそこにはセミがいた。 「じろうの弱虫、いじけむし。じろうの弱虫、いじけむし」と、セミはぼくをからかい飛んでいった。 バンザイしていた両手の拳を握りしめ、立ち上がり、膝に着いた、砂を払い。とぼとぼ家へ帰った。 松の後ろの海岸には、夏を終える曙がまじまじと差していた。 家の門扉をくぐり握っていた両手を広げる玄関アプローチのタイルにこぼれ落ちる。 お母さんに悟られないように箒で掃き、庭に放置されていた虫取り網もしまい、水をいっぱいゴクンとのみ、朝ごはんを食べピンク色の丸い薬とカプセル状のオレンジ色の薬を飲む。リビングにある時計をみると、長い針と小さい針が重なっていた。 高揚感が冷め、落ち着きを取り戻しソファーに腰を下ろす。 そして、肩の力が抜けた。 あの出来事は一体何だったのだろう? こんなこと話したら、お母さんもお父さんも驚くだろうな。 うとうとする頭に、罪悪感が生まれる。 気がついたら、ソファーで眠ってしまった。 「ただいまー」と、声がした。 ぼくは慌てて起き、通信用の教材を机に広げた。時計の針は、17時17分。その横には、小さい頃書いた両親の似顔絵がある。額縁に入っており、その下には、佳作の表彰状もある。 買い物かごをキッチンに運び、洗濯をしまい込み、母がリビングに来た。 「あら、ここで勉強していたの。目が悪くなるから電気つけるわね。あと、明日の天気しりたいからテレビつけるわね」テレビに目をやると、日の入りは17時17分で、テレビ局の外の画面が映し出された。お天気キャスターと気象予報士が「ちょうど、日が落ち暗くなってきましたね」「そうですね。この時期は日の入りが早くなり事故がふえるので帰宅の際は気をつけてくださいね」と、言っていた。 いつも母は、ニュースを見ながら夕食をつくる。 キッチンから醤油と生姜、ニンニクの匂いがする。夕食は「唐揚げ」だ。 ぼくの大好物である。しかし、小学生の時みたいに家の中を走り回って「唐揚げ」の感情表現もしなくなった。 ぼくは、リアクションをとれなくなっている。そんな母が優しく「夕食は、じろうくんの好物な唐揚げよ」と、ぼくの顔をチラっと様子を見るように言ってきた。 「うん」と、言ってぼくは机のまえに向かって一日分の課題を行う。 学校の勉強についていくため、通信教材をしている。 キッチンからパチパチと唐揚げの音がする。「日中にマンツーマンのオンライン講座があるみたいだけど、一度やってみない?」と、母が言う。 「う〜ん」と、内心は嫌だが、お母さんに迷惑もかかるから濁した答えを返す。 「お試しだから、嫌だったら言ってね。無理しなくていいから」 「わかった」と、言った。そんなに勉強にうるさいほうではない。 「そろそろ、課題やめて飯台拭いてくれない?揚げ物は手が離せないのよ」 ぼくは立ち上がり、オープンキッチンのカウンターに母が置いた絞られた布巾を広げて机を吹く。 「どこかで、めんどくさいご飯なんていいから、寝ていたい」と、思う。 しかし、唐揚げのために机を吹く。 すると、向こう側から大皿いっぱいに唐揚げがでてきた。 「順番に、テーブルに置いていって、ご飯と冬瓜汁もつけるから」とそれに合わせて手伝う。 一通り準備ができたところで席につき手を合わせて食べ始める。冬瓜汁は、昨日の作り置きで冷蔵庫に冷やしてあった。 残暑が残っているため冷たいほうが出汁も際立ち美味しい。 夕食も終わり19時30分。もう少し課題に取り掛かる。20時30分くらいにお風呂へ入り21時にはベットに就いた。 下から「ただいま、じろうはもう寝たか?」と言って、お風呂に入っていった。ベットに付き動画や漫画を読み22〜23時に眠る。これが、ぼくの基本的な一日だ。 しかし、この日は違ったベットに入り漫画や動画を見る気がしなかった。 瞳を閉じ、一日を振り返りセミと白いワンピースの少女のことを思い出す。 アイオス彼女は、いったい何者なんだろう。 キレイな純白の黒い瞳に白のワンピースが風に揺れていた。 次あったら、しっかり挨拶できるかな? いまになって恥ずかしく思う、逃げ出したことを恥じた。 そして「こんなナヨナヨしたぼくを嫌いになっただろうな?魅力なかっただろうな」と、後悔しつつ「あの憎きセミめ。こんどあったらただじゃ置かない」と怒りもよぎった。 そんな事を頭に馳せているうちに、いつの間にか眠っていた。 カタカタカタ、カタカタカタ。 「うん、うん?」まだ外は暗い。起きるには早い。 カタカタカタ、カタカタカタ。 なんだ?なんだ?閉めてあったカーテンから大きな音がする。「カタカタカタ、カタカタカタ」 少し怖くなった。 「大きな昆虫やゴキブリだったらどうしよう?」と、思ったからだ。そのまま目を瞑りやり過ごそうとも思ったが「カタカタカタ、カタカタカタ」とさらに音は大きくなった。 仕方がないので、タオルケットを左手で払い、右足を地面に降ろして起き上がる。 そっと、窓に向かい様子を見る。 ゆっくりカーテンを開ける。暗闇の月夜に照らされて柿がうっすら見える。 と、同時に大量のセミが窓辺に張り付いていることが分かった。 「ぞっ」とした。恐怖により声が出なかった。唖然としてしまったのだ。 両親を呼びなんとかしようとも思ったが、昨日のことを思い出す。 セミの一匹が「おい、小僧。おい、小僧。アイオス様がお呼びだ。いますぐ昨日の場所にこい」と、なんとも憎たらしい声で言う。 その瞬間、セミたちは一斉に飛んでいった。 黒い群れをなしセミが飛ぶ姿はなんとも不気味で、罠かもしれないと思った。 しかし、あの少女に会いたい気持ちと格闘が起きた。 あのセミは「殺していますぐに少女のところに行こう」と決意する。 両親に気づかれないようにそっと起き上がり、ぼくが寝ているようにみえるようにするためクッションを折り曲げ、タオルケットを被せた。 部屋のドアを開け階段を静かに降りる。 玄関に行き、半袖半ズボン、裸足で靴を履く。ゆっくりとドアを開ける。 門扉を出た瞬間。 いまこそ、走れ、もっと速く走れ。 セミの羽のように羽をバタつかせ、風を切れ。 ぼくは、この世で誰よりも速く走った。 「ぜぇ、ぜぇ」と、息が上がる。 それでも、走って、走った。 そして、砂浜の松の林の陰の海にたどり着いた。 夏の終わりのあけぼの。ようよう白くなりゆく海際に少し明るく赤道たる雲の太きこと。棚引くその海に、セミたちと戯れる白いワンピースの少女は確かにいた。 「おはよう。じろうくん」と、海に足をつけている少女は優しく声をかけてきた。 緊張して声が出ない。手の握りこぶしがまた強く握られる。 「そんなに、力まなくても大丈夫よ。もっと肩の力を抜いて、あなたもこっちに来て海に入ってみたら?」 と、言ってきた。 ぼくは、入って良いものなのか躊躇してた。 少女の近くにいたセミが「じろうの意気地なし。じろうの意気地なし。じろうの玉なし」と、言ってきた。 「あら、ごめんね。この子たちはちょっと口が悪いのよ。大丈夫よ。ゆっくりおいで」と、その声はなんとも人を落ち着かせる。 ぼくは、靴を脱ぎ海に向かった。 少しひんやりした。彼女に近づくと 「あら?冷たいかしら?」 「・・・ちょっと」 「そう?ちょうどいいけど」 すると、不思議なもので冷たさを感じなくなり気持ちよく感じた。 徐々に彼女に向かっていき「あの、このまえは逃げ出してごめんなさい」と、ぼくは頭を海に下げた。 聞こえているのか、聞こえていないのか。分からなかった。 彼女は、まるで気にしていない様子だった。 「なんて、美しい海なの。海はすべてを洗い流してくれる」と、言った。 「あの、さっきぼくの名前を読んだけど、なんで知っているんですか?」 「ふふふ」と、笑みを浮かべ、白いワンピースがそれに合わせて踊る。 ぼくは、その姿に見入ってしまった。「じろうのエッチ。じろうエッチ」と、セミが言った。 彼女は、ワンピースについたセミを優しく見る。 このセミは、記念樹の柿の木にいたやつで間違いなさそうだ。 「コラコラ、そんな口を利かないのテㇰノス」と、彼女は言った。 そして、ぼくをじっと見つめて「もっと違った世界があるのよ。いまという瞬間を楽しまなくちゃ」と、思いもよらないことを言ってきた。 ぼくは、色々気になって「そのセミは、テㇰノスと言うんですか?」と質問した。 「セミは、幼虫で土の中で7年過ごし、成虫で7日地上で過ごすの。その一週間をあなた達は目にして、耳にできる。その音色を楽しんだことがあるかしら?ふふふ」と言った。 ぼくは「この少女おかしい。気が狂っているんじゃないか?」と思った。 「ふふふ」と彼女はまた笑みを浮かべた。 その笑みは、ぼくを海に引きずり込むには十分だった。 「わたしをキチガイに思ったかしら?」「えっ?そんなことないよ」ぼくは慌てて口ごもり沈黙が流れた。 気まずかったのでもう一度同じ質問をした「あの〜、そのセミはテㇰノスというのですか?」「そうよ。7日の寿命だけど、名前をつけたの。そしたら、この朝で、10日目を迎えたわ」 すると、セミが「ありがとう、アイオス。ありがとう。アイオス」と、言った。 言い終えた後、セミは固まって手足が動かなくなりワンピースから海に「ポトン」と落ちてしまった。 「ふふふ。来るときがきたのよ。このまま海に還っていくわ。かれの高潔な生き様の10日を祝福してあげましょう。かれの晴れ舞台だったのだから」と、言って目を閉じ彼女は笑みを浮かべなにかを思い描くようだ。 すると、彼女に向かって太陽が差した。 白いワンピースは、さらに純白に輝き美しさがあるとしたら、このことを言うのではないかとさえ思う。 「ふふふ。私を神や天使のように崇拝する目で見ないでくれるかしら。そろそろ潮が上がってくるわ。海から上がりましょう」と、彼女は海から砂浜に向かい歩きだした。 ぼくもそれに着いていく。 不思議なもので、彼女に気をつかうことがなくなっていた。素直なぼくでいることに気がついた。 「ふふふ。そう、それが本来のあなたよ」と、また声に出していないにも関わらず喋りかけてくる。 ぼくの顔は赤面していた。 砂浜につき、脱いだ靴の近くで彼女は腰を下ろす。海に向かって上がってきた太陽を見つめていた。 そんな彼女と裏腹にぼくは、砂を見つめていた。 「ぼく、学校へ行けなくて、お父さんやお母さんに迷惑かけてどうしたら良いかわからないんだ。勉強やスポーツに長けていたら、もっと両親も喜んだのかな?」とポツリと言ってしまった。その辺に穴があったら入りたい。 「ふふふ、穴に入ってあなたもセミの幼虫になればいいのよ」相変わらず彼女は突拍子も無いことを言う。 「冗談よ。7年間セミたちはどう思って過ごしているのでしょうね?」と、答えになっていない回答が返ってくる。 「なにも考えていないんじゃないかな?」 「そうね。ふふふ。けど、幼虫も栄養は必要よ。そのために食べようとすることは考えているわね。あんなカリカリになって、幼虫なのにお祖父ちゃんみたいな姿ね。年老いたカリカリの姿になっても生きようとしているの。導管液っていって木の根の汁を栄養に食べ生きているの」 と、彼女は思慮深い真剣な表情で答え 「木の根の汁が栄養となり、それを排泄する。排泄物は、植物が育つ新たな栄養になるわ。そうやって、7年間も土の中で地味に生きている。そして、成虫になって7日間次の幼虫を産み、最後は自分そのものが海の藻屑となり、土となる」 「どういうこと?」と、ぼくは思っていると「ふふふ、あなたが学校にいけないことは地面に生きる7年間のようなものよ。土を耕し栄養になって排泄しているんじゃないかしら。その7年間を経てあなたも晴れ舞台の7日がくるかもしれない。もちろん、孵化するときに鳥に食われる可能性もあるわ。けど、鳥の餌になってもまた鳥の栄養として循環が生まれる。何処まで行っても循環の流れの中でしかないのよ。あなたが学校へ行っても、行かなくても循環していることに変わりはないわ。」 ぼくは、浜辺の砂を見続けていた。 「ふふふ、地面に潜りたければ潜って、外に出たければ出れば良いのよ。蝉よりもずっとあたなは自由が与えられている。私の言えること、できることはそこまでね」 と、言って彼女は立ち上がり海辺から数十メートル離れた松の方へ向かった。 ぼくは、浜辺の砂から目を離し彼女に着いていった。 「ここを見て」と松の木を指した。 「蝉の幼虫が、まさに成虫になろうとしているわ。これはチッチゼミね。なんて可愛いのかしら?一晩かけ土から這い出て木に登り、柔らかい体を乾かしちょうどいま色付いたところね」と、次の瞬間「ちっちっちちち」と言ってセミは、彼女は、飛んで行ってしまった。 周囲を見回したが、白いワンピースの彼女はいなくなっていた。 すこし、寂しい気持ちもあったが、朝から家にいないと両親が心配する。 慌てて家に帰った。門扉につき家から物陰がなかったので、両親は起きていないことに安堵する。 静かに玄関の扉を開け、リビングに入る。時計を見ると長い梁と短い梁が180度開いていた。 その時計の横に、ぼくの書いた両親が笑顔にしている絵があった。 小さい頃、何も考えず両親の笑顔が描けた。 無性に絵を書きたく成った。いつぶりだろう。 ぼくは、部屋から水彩絵の具を取り出し、色画用紙を広げ忘れないうちにあの少女を描こうとした。 すると柿の木から「チッチッチ」と、鳴き声が聞こえる。 「きっとテㇰノスだ。オレも描けよ」と、声にならない声が聞こえる。 すると、両親が起きてきた。「おお、じろう、おはよう。やけに早起きだな」と、言ってくる。 「ぼくね。絵描きになりたい」と、言った。両親は起きたばかりの目を見開いて「あら、そうしたら母さんはまずは美味しい朝ご飯をつくるわね」と笑顔で言う。 父さんは「よーし、父さんも仕事に行ってバリバリ働くぞ〜」と、家族で見つめ合い笑みがこぼれた。 どうやら、ぼくの幼虫の期間は終わったようだ。 学校にいけないことが、ぼくにとっての木の根の樹液になっていた。 ぼくは、リビングのカーテンを開け窓のアミに目をやった。 そこには、蝉の抜け殻があった。
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