2957人が本棚に入れています
本棚に追加
遠い存在
「キャー! ねぇ見て! 『Inconvenience』のリツ! カッコいい!」
「リツもカッコいいけど、私はやっぱりカイリかなぁ」
大手飲料メーカー『青龍ホールディングス』の自社ビル1階。広いロビーの至る所に、絶大な人気を誇るロックバンド『Inconvenience』のCMポスターが貼られていて、それを見た女性達が騒いでいる。
Inconvenience、通称インコン。
大学のサークルでバンドを組み、ボーカルのリツ、ギターのカイリ、ベースのフミヤ、キーボードのアヤト、ドラムのテッペイの5人組ロックバンド。
皆、大学を中退しインディーズで人気を集め、大手レコード会社の目に留まり、2年前にメジャーデビューした。
青龍ホールディングスは、そんな彼らを応援しデビューしてからずっとCMに起用している。
「ではこちらへお進み下さい!」
案内人の男性がマイクで別室へと案内する。1階ロビーに集まった新入社員が一斉に動き出す。
今日は『青龍ホールディングス』の入社式。大手企業とあって、新入社員の人数も多い。その中に工藤 和奏もいた。
工藤 和奏、22歳。
大学卒業後、何としてでも『青龍ホールディングス』に入社したくて、あらゆる面で努力し、内定が決まった時は泣いて喜んだ。これは誰にも、例え親にも言っていないのだが、入社志望をした本当の理由は、インコンのリツに会いたいからだ。
和奏は壁に貼られたポスターを見ながら、別室へ向かう。
(はぁぁ……カッコいい♡ カッコいいよぉ……リツ…)
同じポスターが自宅にもあり、和奏はリツの大ファンなのだ。ずっと見ていたい気持ちを抑えて、別室に入り入社式を迎える。
約2時間の入社式を終えた後、各部署へ配属される。和奏は営業部に配属され、営業事務を担当する。
自社ビルの3階に上がり、営業課長から新入社員の紹介があった。営業と営業事務に分かれ、和奏は3年先輩の営業、大神 豹也につく事になった。
「工藤 和奏です。よろしくお願いします」
「大神 豹也だ、よろしくな。じゃ、隣のデスク使って」
「はい…」
デスクに鞄を置き、オフィス内を見渡す。営業が多くオフィスも広い。大神が壁掛け時計を見て言う。
「もうそろそろ昼だし、飯でも行くか」
「あっ、はい」
「2階は食堂になってるけど、今日は新入社員も増えて混雑してるだろうから、外に食いに行こう」
「はい」
和奏は鞄を持ち、オフィスの出入り口に向かう大神のあとを追う。大神に追いつき少し後ろを歩く和奏に、大神が声をかける。
「えっと……工藤さん…」
「はい」
「工藤さんは、何が好き? 好き嫌いとかある?」
「特にないです」
「おぉ! 好き嫌いないのか。じゃ何でもいけるんだ」
「はい」
「美味しい店がある。そこに行こうか…」
「はい」
(気さくで爽やかな人だな。話しやすい。よかった…仕事も上手くやっていけそう…)
エレベーターで1階に降りると、ポスターの前に人だかりが出来ていた。それを横目に通り過ぎ、大神が言う。
「すごい人気だよな。インコン…」
「あぁ、はい…」
「やっぱ工藤さんも、インコン好きなの?」
「あ、いえ、私は…」
とっさに和奏は否定する。
「あれ? そうなの? 男の俺から見ても、カッコいいと思うけど」
「そうなんですか? !」
思わず嬉しくなり、勢いよく返してしまう和奏。
というのも、和奏はインコンのただのファンではないのだ。インコンのボーカルであるリツとは、幼い頃から家族ぐるみで育った幼馴染。実家は今も隣同士で、両家の両親は大学時代からの親友なのだ。
最初のコメントを投稿しよう!