遠い存在

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遠い存在

「キャー! ねぇ見て! 『Inconvenience(インコンヴィニエンス)』のリツ! カッコいい!」 「リツもカッコいいけど、私はやっぱりカイリかなぁ」 大手飲料メーカー『青龍(せいりゅう)ホールディングス』の自社ビル1階。広いロビーの至る所に、絶大な人気を誇るロックバンド『Inconvenience』のCMポスターが貼られていて、それを見た女性達が騒いでいる。 Inconvenience、通称インコン。 大学のサークルでバンドを組み、ボーカルのリツ、ギターのカイリ、ベースのフミヤ、キーボードのアヤト、ドラムのテッペイの5人組ロックバンド。 皆、大学を中退しインディーズで人気を集め、大手レコード会社の目に留まり、2年前にメジャーデビューした。 青龍ホールディングスは、そんな彼らを応援しデビューしてからずっとCMに起用している。 「ではこちらへお進み下さい!」 案内人の男性がマイクで別室へと案内する。1階ロビーに集まった新入社員が一斉に動き出す。 今日は『青龍ホールディングス』の入社式。大手企業とあって、新入社員の人数も多い。その中に工藤(くどう) 和奏(わかな)もいた。 工藤 和奏、22歳。 大学卒業後、何としてでも『青龍ホールディングス』に入社したくて、あらゆる面で努力し、内定が決まった時は泣いて喜んだ。これは誰にも、例え親にも言っていないのだが、入社志望をした本当の理由は、インコンのリツに会いたいからだ。 和奏は壁に貼られたポスターを見ながら、別室へ向かう。 (はぁぁ……カッコいい♡ カッコいいよぉ……リツ…) 同じポスターが自宅にもあり、和奏はリツの大ファンなのだ。ずっと見ていたい気持ちを抑えて、別室に入り入社式を迎える。 約2時間の入社式を終えた後、各部署へ配属される。和奏は営業部に配属され、営業事務を担当する。 自社ビルの3階に上がり、営業課長から新入社員の紹介があった。営業と営業事務に分かれ、和奏は3年先輩の営業、大神(おおがみ) 豹也(ひょうや)につく事になった。 「工藤 和奏です。よろしくお願いします」 「大神 豹也だ、よろしくな。じゃ、隣のデスク使って」 「はい…」 デスクに鞄を置き、オフィス内を見渡す。営業が多くオフィスも広い。大神が壁掛け時計を見て言う。 「もうそろそろ昼だし、飯でも行くか」 「あっ、はい」 「2階は食堂になってるけど、今日は新入社員も増えて混雑してるだろうから、外に食いに行こう」 「はい」 和奏は鞄を持ち、オフィスの出入り口に向かう大神のあとを追う。大神に追いつき少し後ろを歩く和奏に、大神が声をかける。 「えっと……工藤さん…」 「はい」 「工藤さんは、何が好き? 好き嫌いとかある?」 「特にないです」 「おぉ! 好き嫌いないのか。じゃ何でもいけるんだ」 「はい」 「美味しい店がある。そこに行こうか…」 「はい」 (気さくで爽やかな人だな。話しやすい。よかった…仕事も上手くやっていけそう…) エレベーターで1階に降りると、ポスターの前に人だかりが出来ていた。それを横目に通り過ぎ、大神が言う。 「すごい人気だよな。インコン…」 「あぁ、はい…」 「やっぱ工藤さんも、インコン好きなの?」 「あ、いえ、私は…」 とっさに和奏は否定する。 「あれ? そうなの? 男の俺から見ても、カッコいいと思うけど」 「そうなんですか? !」 思わず嬉しくなり、勢いよく返してしまう和奏。 というのも、和奏はインコンのただのファンではないのだ。インコンのボーカルであるリツとは、幼い頃から家族ぐるみで育った幼馴染。実家は今も隣同士で、両家の両親は大学時代からの親友なのだ。
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