卒論

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卒論

留学期間を終え、静夫と潤子は日本に帰国した。 潤子の大学の近くにマンションを借り、潤子は卒業に向けて卒論に取り組みつつ、ロシア語に挑戦することにした。 静夫もロシアでのビジネスを始める 道筋を模索しつつ、ロシア語の勉強を始めた。 共にロシア語を学ぶと言っても、潤子はアカデミックな文献を読めるようになるのが目的で、静夫はビジネス会話が目的だから、同じ先生につくわけでも同じ教室に通う訳でもなかった。 なんといっても、潤子は留学で学んだ事も加味しつつ卒論を仕上げることが第一優先だった。 「波木君、卒論の題名と概略を見せてもらったよ。 『蒙古襲来とインド洋戦争』 どうしてこの題名と題材、概要にしたのか説明してもらえるかな。」 「はい、日本が現実に国内に攻め込まれたのは、鎌倉時代の蒙古襲来と太平洋戦争の時だけです。 蒙古襲来は、元をバックにした高麗の侵略戦争と中国大陸南部の農民を移民させる目的だったと考えています。 そして、太平洋戦争ですが、西に向かいインド洋でイギリスと戦えば勝利出来なくとも和解に持ち込め、国際的地位を落とすことなく、国内に攻め込まれる事も避けられたはずなのに、なぜ太平洋に誘き出されてしまったのか、そこを調べたいと考えています。 蒙古は、鎌倉武士の団結と自然の力が良い方に働き、追い払う事が出来ましたが、結局蒙古との戦いがきっかけで鎌倉幕府は滅びます。 しかし、日本国としては滅びてません。 一方、太平洋戦争ではポツダム宣言を受諾して、大日本帝国は滅び占領軍の統治を受けることになりました。 サンフランシスコ講和条約を結んで、独立を回復したとされていますが、 当時の政権が米軍幹部と多くの密約を交わしていて、現実には日本は未だ占領下にあると言う人もおります。 西教授もそのおひとりかと思います。」 「着眼点はとても良いと思うが、もう少し的を絞った方が論文として纏まるのではないだろうか? あれもこれも盛り込み過ぎると、ただの資料の羅列や先人の研究の引用ばかりになってしまう恐れがある。 自分の解釈や考えが入らないと論文とは言えないから、その点を考慮してもう一度テーマを練り上げて下さい。」 「はい、わかりました。 ご指導ありがとうございます。」 やっぱり両方は盛り込み過ぎだよね。 でも、インド洋戦争(太平洋戦争)の方は、最近色々米国から機密文書が解除されて出て来て、ようやく噂として囁かれていたことの裏付けが出来るようになってきたところで、まだこれから研究する分野なのよね。 どうしよう…悩ましいな… ひとりで結論を出そうとすると堂々巡りして、土壺にはまりそうな気がした。 静ちゃんに相談しながら頭を整理してみようと、家に帰ることにした。 玄関のドアを開けると 「お帰り~、早かったんだね。」 と、静夫の声がした。 「ただいま。静ちゃんも帰ってたんだね。」 テーブルを見るとロシア語のテキストが開いてある。 「あ、ゴメン勉強の邪魔しちゃった?」 「いや、ちょうど一服しようかと思ってたところ。でなければ、部屋に籠もってるよ。」 「そうだね。ロシア語はどう?順調ですか?」 「う~ん、正直苦戦してる。 言葉って、それを話してる人たちの性格とか風習とかが反映されてるだろ? ロシア人の文化とか今まで触れてこなかったから、まぁ、慣れるしかないし、頑張るしかないけどね。 潤は、卒論の指導で行ってきたんだろ? テーマは決まりそう?」 「その事を静ちゃんに相談したかったんだけど、時間いい?」 「いいよ。珈琲飲みながら話そう。 淹れてくるから、その間に資料片づけて手を洗っておいで。」 「は~い。静ちゃん、お母さんみたい。」 潤子が洗面所で手を洗いうがいをしていると、珈琲の香りが漂ってきた。 「良い香り。新しい豆を買ったの?」 「うん、味見がてらね。美味しかったら、扱う商品に入れようと思って。 で、相談ってなに? 僕は歴史はからきしだから、役に立つのかな?」 「教授にね、テーマは悪くないけど、盛り込みすぎだから絞った方が良いって言われたの。」 「今のテーマにした理由は何なの? もちろん今まで学んだ来たことなんだろうけど。」 「ひとつは留学してみて、日本で歴史を学んでいたときと、外から見た日本って違うんだなと思ったことかな。 岡田 英弘先生という方がいて、もう亡くなったんだけど、『歴史は、出来事を羅列するだけでは単なる年表であって、歴史ではない。出来事を誰かが物語ったときそれが歴史となる。』って仰っているの。 歴史を英語でhistoryと言うでしょ。 storyが入ってるでしょ。 だから、正しい歴史なんてなくて、その出来事を見る人語る人によって歴史が変わるのは当然なのよ。 だからね、韓国とか中国とかと歴史教科書の内容をすり合わせるとか、ナンセンスな訳。」 「なるほどね。ひとつの出来事も見る場所、見る人によって違うものになる。 それで、卒論のテーマと今の話はどう繋がるの?」 「高校までの歴史の授業って、世界の中の日本という視点がほとんどなかったと思うの。 例えばね、1543年にポルトガル人によって種子島に鉄砲が伝来したって習うでしょ? それで、鉄砲が広まったことで戦国時代の戦が変わって信長がもう少しで 天下統一というところまでいくのよね。 その事は習うんだけど、なんでポルトガル人が種子島に鉄砲を持ってきたか、は習った覚えある?」 「う~ん、ない気がする。 日本の方に来ていたポルトガル人がたまたま種子島に辿り着いて?漂着して?伝えたのかなって漠然とそう思ってた。」 「でしょ?でも、なんでポルトガル人が、ヨーロッパから何しに東アジアまで来たのか、理由があるわよね。」 「わざわざ遠い東アジアに何となく来るわけはないな。何しに来てたの?」 「その頃の世界は、スペインとポルトガルが2大勢力で、世界を勝手に半分に分けて、そっちはお前の物、こっちは俺の物って植民地を増やしていたんですって。 それで、ちょうど日本がその境界線だったみたいで、スペインとポルトガルどっちが取るか争っていたみたい。 1549年にはイエズス会のフランシスコ・ザビエルが日本に来てるでしょ。イエズス会は、スペイン側だから。 イエズス会もそうだけど、宣教師って、植民地支配の先兵だったのよ。 教えを広めるだけが目的じゃないの。人身売買もやってたしね。」 「純粋な宗教的使命感で来日したわけじゃなかったんだ。裏歴史というか黒歴史というか。」 「私も一時クリスチャンになろうとしていた時期があったから、ちょっとショックだったかな。 でね、卒論のテーマに戻るんだけど、日本が攻め込まれて戦場になったのは、蒙古襲来と第二次世界大戦だけなの。 蒙古には2度攻められたけど、撃退した。 第二次世界大戦は、大東亜戦争とか太平洋戦争とか呼ぶ人もいるし、あれは本来インド洋戦争だったと言う人も居るの。 何故戦争になったのか、避けることは出来なかったのか、私はそれを知りたいんだけど、70年経ったとはいえまだ最近機密文書が少しづつ出て来ている状態だから、だから、西教授はスタンフォード大学に残されている資料の研究をずっとされてたんだけどね。」 「つまり、潤の本当にやりたい研究テーマは、インド洋戦争が何故太平洋戦争(大東亜戦争?)になってしまったのか。避ける方法はなかったのか。なぜ、戦争が起きてしまったか。なんだね。 でも、資料の解読や分析が途中だから卒論のテーマとしてはやりにくい。 だから、同じように国土が戦場となった蒙古襲来と比較してみたらと考えたのかな?」 「そんな感じかな。でも、蒙古襲来の事も調べてみたいとは思ってたの。 さっき話した岡田英弘先生の奥様は宮脇淳子先生と仰って、モンゴル史がご専門なの。 でも、蒙古襲来だけだと、留学の成果が盛り込めないかなと思って。」 「それは、気にしなくて良いんじゃないかな。留学の成果は、論文を出して成績も良かったんだから。」 「そうね。 決めた!蒙古は何故日本を攻めてきたのか。鎌倉幕府は、如何にしてそれを撃退したか。それをテーマにするわ。 インド洋戦争については、モスクワ大学で研究する。その前にロシア語だけど、ロシアから見た日本の歴史って余りないと思うから、頑張る💪」 「じゃ、僕もロシア語会話とロシアでのビジネス構築にがんばりますか。」 おわり
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