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留学生懇談会
留学して10ヶ月。
潤子の元に大学から2通のメールが届いた。
1通は、
「チューター制度の改善について」。
もう1通は、
「留学期間の延長について」だった。
そして、現地の事務所からもメールが来ていた。
「新チューター制度導入を記念して、
留学生懇談会の開催について」
潤子は、「こんなメールが大学からと現地事務所から届きました。」と
メールを静夫に転送した。
翌朝、大学へふたりで向かいながら話した。
「メール読んでくれた?」
「うん、見たよ。
だいたい、こっちが要望した通りになったね。
チューター制度の改革も留学の延長も。
でも、もうチューターも必要ないんじゃないの?勉強順調そうだし。」
「そうだね。課題をこなすのは大変だけど、
別に学習で困ってることもないし、
私が頑張るだけ。
これからは、チューター制度を利用するかどうか選択制になったから、
私は“利用しません”って出すつもり。
それより、留学生懇談会がね、
初回だからなるべく全員参加して下さいってなってるけど、
あんまり気が進まないのよね。」
「そうだね。
潤の場合は、人脈作りをするより
勉強時間を確保する方が大切だもんな。
顔だけ出して、直ぐ帰ったら?」
「そうね。所長もチューターも総入れかえになったから、挨拶だけして、
帰れば良いかな。
終わったら図書館で落ち合う?」
「いや、迎えに行くから、lineして。
今週末の金曜日だよね。」
「うん、そう。」
「予定に入れて置くから。」
「ありがとう。」
そして、金曜日
会場に行くと、50人ほどが集まる立食パーティーだった。
短期、長期、私費、交換留学生まで含めると、結構いるものだなと思った。
受付で名前を書いて、名札をもらい
胸に付けた。
新事務所長の挨拶と新チューターの紹介の後、自由交流の時間となった。
新事務所長の方から、潤子に声を掛けてきた。
「前任者がご迷惑をお掛けしたこと、
改めてお詫びいたします。
チューター制度は、利用されないそうですが、何かありましたら遠慮なくご相談下さい。」
「はい、ありがとうございます。」
「では、どうぞ楽しんで行かれて下さい。」
「今日は、ご挨拶だけしに参りましたので、間もなく失礼いたします。
今週末も、課題がまだ残っているものですから。」
「そうですか。
波木さんの評価は、教授陣からも高い評価をいただいています。
交換留学生として、K大学生の模範となっていただきありがとうございます。」
「いえ、大学を代表して奨学金をいただいているのですから、当然です。
では、失礼いたします。」
事務所長と別れて静夫にlineした。
“挨拶終わったので、迎えお願いします。”
“了解 向かいます。”
潤子が携帯をしまって出口に向かおうとすると
「潤子さん、もう帰るのですか?」
と声を掛けられた。
振り向くと、そこに元チューターの
榊原が立っていた。
「榊原さんがなぜいらっしゃるのかしら?」
「僕も最近こちらに留学しましてね。
これらは、同じ留学生仲間としてよろしく。」と、手を出された。
「今日は、初回なのでなるべく全員参加と言われて、挨拶だけ参りました。
ですので、失礼いたします。」
それだけいうと、また出口に向かった。
潤子の毅然とした態度に二の句が継げず差し出した手を引っ込めたが、
今度は、早足で追いかけてきた。
「ちょっと、同じ留学生なのに、
そんなに冷たくしなくても良いでしょう?」
「お話しすることはありません。
夫が迎えに来ますので。」
その時「潤子、お待たせ。」と静夫がやって来た。
「榊原さん、今度は留学生でまたいらしたんですか?もう、お目にかかることはないと思っていたんですけどね。
じゃ、失礼します。行こうか、潤子。」
さすがに静夫の顔を見ると、
榊原は何も言えなかった。
日本に戻った後、隠し通せず、結局
理事の父親にばれて、系列の男子高校の事務職に就かされて、謹慎処分状態になった。
しばらく大人しくして、何とか父親に頼み込んで、私費短期留学でトロントに舞い戻ったのだ。
同じ講義を受けて、しつこくない程度に接触し、“夫のいる留学生が浮気?”の噂でもたてばそれで満足だった。
しかし、トロントに来てみると、登下校は必ず一緒で、潤子の受けてる講義に潜り込もうとしても、短期留学生が気軽に受けられるような講義はひとつもなかった。
ランチも一緒の事が多く、ひとりの時は、軽く済ませて図書館に籠もっていた。
図書館で不用意に話しかけると、職員に注意されてしまう。
付け入る隙がなくてイラついて居た時に、事務所から留学生懇談会の知らせが来た。
なるべく全員参加とあるから、潤子も来るに違いない。K大学の留学生だけだから、旦那は同伴できないはずだ。
この時をうまく利用して、きっかけを作ろうと手ぐすねを引いていたのだ。
だが、結局上手くいかなかった。
なんだか、馬鹿馬鹿しくなった。
榊原は元々勉強する気などさらさらなかった。
幼稚舎からエスカレーターで大学まで卒業して、大学院に籍を置いても、研究もしないで遊んでいた。
そのうち、留学生の世話をするチューターとしてトロントに来て、留学生としてやって来る女子学生とアバンチュールを楽しんでいたのだ。
大概の女子学生は、チヤホヤすると、日本に彼氏がいても離れているという安心感からか、すぐ仲良くなれた。
事務所長も理事の息子ということで、あまりうるさくは言わないし、遊びのセッティングをしてやると、男子学生からは喜ばれた。
真面目に勉強してる学生にはあまり接触せず、そんな風にして潤子が来るまでは上手くいっていたのだ。
潤子のように、女子学生でも真面目で取り合わない者も何人かはいたが、たいていそういう女子は榊原の好みではなかったから、しつこくはしなかった。
けれど、潤子は見た目も可愛いし、榊原の好みのタイプだった。
なのに、いくらチヤホヤしても
「勉強の時間を減らしたくないので」と邪険にする。
榊原は、自分の見た目にも自信があったから、自分を邪険にする潤子に次第に意地になっていったのだ。
「あんな机にかじりついて、旦那にぞっこんのやつなんかどうでもいい。
日本に帰って、別の女と付き合った方がマシだ」と自分に言い聞かせた。
さっさと日本に帰ってやる。
榊原は、懇談会も早々に引き上げていった。
数日後、榊原の事が気になった静夫は、
事務所を訪れて所長に訪ねた。
「交換留学生の波木潤子の夫の波木静夫と申します。」
「以前、チューターがご迷惑をおかけしたそうで、よく配慮するよう学生課から聞いております。
何かご用件でしょうか?」
「以前チューターとしていた榊原という人が、留学生として来ているようですが。
先日の交流会で、妻が声を掛けられたので、気になりまして。」
「榊原君は、3か月の短期留学で来ていたのですが、就職が決まったとかで、急遽帰国いたしました。
まぁ、元々今月いっぱいの予定でしたが、少し早めて帰国しました。」
「そうでしたか。
それなら、結構です。
ありがとうございました。」
榊原の件は片付いたが、誰が狙っているとも限らない。
やはり潤子をひとりにしてはいけないと静夫は改めて思うのだった。
おわり
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