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モスクワへ?
潤子の留学期間も後残り半年となった頃、
日本の担当教授から直接電話が来た。
「もしもし、教授ご無沙汰しております。こちらからご連絡もせず申し訳ありません。」
「いや、波木君がしっかり学問に取り組んで、交換留学生の模範となってることは私の方にもちゃんと報告が来てるから、そんな事はいいんだ。
今日連絡したのは、これからの進路のことなんだ。
アメリカのスタンフォード大学を目指すと聞いたのだが、間違いないかな。」
「はい、無謀なチャレンジかもしれませんが、西教授のいらっしゃるフーバー研究所で学べたらと思いまして。」
「西教授がスタンフォード大学お辞めになったこと知らなかったか。」
「えっ、そうなんですか?」
「2010年頃から少しづつ日本での活動を増やされていて、2023年にフーバー研究所をお辞めになったんだ。
先日、西教授とお目にかかる事があって、君の事も耳に入っていたから、
教え子がカナダ留学の後西教授の元で学びたいと希望しているのですが、とお話してみたんだ。」
「ありがとうございます。」
「そうしたら、アメリカはこの3,4年ですっかり危ない場所になってしまったから、アメリカ留学は勧めない。
かといって、日本も正直学問の自由が充分とは言えない。特に近現代史を学ぶには良い環境とは言えない、と仰ってた。
それで、意外に思うかもしれないが、モスクワ大学に行ってはどうかと仰ってた。」
「モスクワ大学ですか?私、ロシア語は全く学んだ事がないので…。
どうしてモスクワ大学なのでしょう?」
「勉強に集中していて、余り今の世界情勢に関心を持つ時間もなかったかもしれないが、これからはBRICSの時代になるよ。自分でも少し調べてごらん。
日本の外から日本の歴史を見るという観点からすると、もうアメリカではなくロシアからという西教授のお考えは、私もなるほどと思った。
アメリカで日米の近現代史を研究するということは、ある意味アメリカの野望というか醜い部分を暴く事になるから、今のアメリカの社会情勢では安全とは言えない。」
「確かにそうかもしれませんね。
トロントもこちらに来た時より治安は悪くなっているのは確かです。
不法移民が増えたせいだと思いますが、でも、トランプ大統領になれば変わるんではないですか?」
「今より悪くはならないだろうが、一度崩れたものを建て直すには時間がかかる。直ぐには改善されないよ。
それと、ロシアを勧めるのは、今日本とロシアの関係が余り良くないからなんだ。
本来は仲良くするべきだし、数年前までは良好な関係だったのを、前の政権が米国べったりで、ロシアを敵に回してしまったからね。
でも、だからこそ民間交流が大事なんだ。プーチン大統領はじめロシア国民は基本親日の人が多い。
政治がギクシャクしているからこそ、別の所で繋がりを持つべきなんだ。
ロシア語から学ぶ事は、容易ではないが、学問を続けるつもりなら考えてみてはどうかと思う。
それと、ご主人は起業家だったよね。」
「はい、ネットビジネスとか、仕事の内容は良く分からないんですが。」
「ご主人の仕事の面でも、アメリカよりロシアでのビジネスを考えてみるチャンスかもしれない。
良く相談してみて。」
「分かりました。
わざわざご連絡ありがとうございます。
スタンフォード大学は、一旦白紙にして、今後どうするか良く相談してみます。
では、失礼します。」
自分の師事しようとしてる教授の事をちゃんと調べてないなんて、抜かったなぁ。
潤子が浮かぬ顔をしていると
「どしたの、潤。日本の担当教授から電話来たんだろ?何かあった?」
「静ちゃん、西教授もうスタンフォード大学お辞めになってたんだって。
いくら勉強忙しいからって、ちゃんと調べてから進路希望提出すれば良かったわ。失敗しちゃった。」
「じゃ、アメリカ留学はなしで、日本に帰る事になるの?」
「そうなるのかな。
実はね、教授が最近西教授に目にかかる事があって、私のこと相談して下さったんですって。
そうしたら、アメリカは今治安も良くないし勧められないって。
確かにトロントも前より治安が悪化してるものね。
スタンフォード大学のあるカリフォルニアは、特に良くないって聞くし。
それで、西教授は学問を続けるなら
モスクワ大学を検討してみてはどうかと仰ったそうなの。
教授は、ご主人のビジネスの面でも、ロシアに進出するチャンスかもしれないと仰ってたわ。
どう思う?」
「確かに、これからは間違いなくBRICSの時代になる。
僕も潤もロシア語を学ぶ所から始めるのは、正直大変だけど、スタンフォード大学にチャレンジする位の気持ちなら出来るんじゃないか?
僕もビジネスはアメリカだと思ってこっちに来たけど、実は、日本の経営をアメリカ人が学んで、それを日本が逆輸入してたことに気が付いた。
それとね、実は潤からスタンフォード大学に行きたいという事を聞いてから、自分なりにアメリカの事を調べてみて、危ないなと思ってた。
でも、合格するの結構ハードル高いし、反対しても潤を説得する自信もないしどうしたものかちょっと悩んでたんだ。」
「そうなのね。私頑固だから…」
「一生懸命で一途なだけだよ。
そこが潤の魅力でもあるんだし。
だから、担当教授が連絡してきてくれて、話を聞いて潤が納得してくれたんなら、安心したよ。
ロシアに行くかどうかは別にして、
一旦日本に帰ろう?
それで、ロシアに行くなら日本で準備してそれからにしたらどお?」
「そうだね。そうしよ。
ずっと帰ってなかったし、一度日本に帰ってしっかり考えてから決める事にする。
もし、できたら西教授に直接お目にかかってご相談したいし。
会えるかどうか分からないけど。」
「じゃ、お互いにこっちでの生活とか仕事、勉強の締めくくりをキッチリやって、心置きなく日本に帰れるように、あと半年しっかりやっていこう。」
「それから…」「何?」
潤子はなにやら言おうとしてもじもじしている。
「何か言いにくいこと、あった?」
「そうじゃなくて…。
日本に帰るんなら、もし子どもを産むんなら日本にいる間が良いかな…
って、ふと思ったの…
もし、ロシアに留学とかなったら、
また長くなるかもしれないし、
研究者になれたら仕事に打ち込んで、産むタイミング難しいかもしれないし…
好きな事好きなようにさせてもらって、奧さんらしい事何もしていないし、子どもをどうするかとかも話す時間もなくて、静ちゃんに我慢させてたのかなって、ふっと思ったの…」
「潤子」
静夫は潤子を抱きしめて
「ありがとう。嬉しいよ。
正直に言えば、ふたりの子どもは欲しいと思ってた。
でも、結婚する時の約束で、潤子の勉強の妨げになるようなことはしないと決めてたから、僕から言うつもりはなかった。子どもを産み育てる事は、
それだけで大変な仕事だからね。
潤子のキャリヤや学問の妨げになるなら、子どもは持てなくても良いと思ってた。
潤子が一番大切だし、輝いていて欲しいしふたりの生活が大事だから。
だから、僕のためだったら無理にそう考えないで。
欲しいと思ってもできない人もいるんだし、子どもを持つ方法は産むだけじゃないし。」
「養子を迎えるという事?」
「そういうのもあるし、里親になるという事も出来る。
世の中には、親のいない子やいても何かの理由で育てられなくて施設に居る子もいる。
だから、余り歳をとってからでは難しいけど、焦る必要はないと思うんだ。潤子が子どもが欲しいと思ったときでいいんじゃないかな。」
「静ちゃん、そこまで考えてくれてたんだね。私って幸せ者だね。
こんなに大事にしてくれる旦那様他にいないよ。」潤子は涙を零した。
「あ、感動した?尚更惚れちゃった?潤!」
「もう!茶化さないで。
大好きよ、静ちゃん。愛してる。」
「愛してるよ、潤子。
ずっと一緒に居ようね。これからも。」
おわり
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